第16話 匿ってはみたものの~7
忘れもしない、龍太郎の一度目の結婚式に彼を呼んだ二か月後のことだ。同じく入社五年目だった彼は、会社でパワハラを受けていたらしい。そんな話など龍太郎の前では全くしなかったけれど、式が終わってから他の友人達には愚痴を漏らしていたという。
しかし彼が自殺するほど悩んでいるなんて、その時誰も気付かなかった。多かれ少なかれ仕事上で嫌な思いを皆していたからか、深くは考えていなかったようだ。
龍太郎も含め、それが悔しくて哀しくて寂しくて腹立たしくて、彼の葬式に出た時に両親達が亡くなった時より泣き叫んでいた。
そうした経験があったから、自殺は周囲を悲しませ不幸にすると学んだ。よってどれだけ辛くても自ら命を絶つ真似だけはしまいと心に誓ったおかげで、うつ病に罹った後もそういった負の考えは浮かばずに済んだのだろう。
ただ香織は違った。彼女の話によれば結婚生活を送る中で不妊治療が辛かった時と会社生活で苦しんだ頃、さらには母親が病死して一人になってしまったと思い悩んだ際、死んでしまいたいと思ったようだ。
一回目は決断する前に、夫が問題を起こしてそれどころではなくなった為、死なずに済んだという。二回目は仕事上における人間関係に疲れ果てていた所に父親が亡くなり、母親の介護が必要となった。それをいいきっかけと考え退職したことで難を逃れた。そして三回目を思い止まらせたのが龍太郎の存在だったらしい。
自分が死ねばまだ迷惑をかけ悲しむだろう人がいると思えたことで、踏み止まれたとも聞かされた。また彼女の同級生でもある龍太郎の友人の自殺や、それを受けてどう思ったかをその時耳にしていたからだったようだ。
少し話題がしんみりとなってしまったところで電子音が鳴った。セットしていたお風呂の湯が入ったらしい。
いいタイミングだと思ったのだろう。香織が言った。
「朱音さんが先に入って下さい。着替えはありますよね。バスタオルは洗濯機の上に用意してますので、それを使って下さい。シャンプーも好きなのを使って下さい」
「いえ、シャンプーなどは自分用の物があるので大丈夫です。ただ一番風呂を頂くのは気が引けるので、龍太郎さんが先に入って下さい」
余りにも古風な口ぶりに、笑って首を振った。
「遠慮しないで下さい。うちではいつも香織が先に入っていますから。あとで私が入り、風呂を軽く流してから上がる決まりなんです。部屋やお風呂やトイレなど、家の掃除は私の担当なので」
「そうなんです。それに朱音さんが私達の後に使うと思ったら、気になってゆっくり入れません」
香織がそう促した為に彼女は渋々ながら頷き、隣の部屋に着替えなどを取りに行ってからお風呂場へと向かった。その後を香織が付いて行き、使い方などを簡単に説明して戻ってきた。
リビングで二人になった為、龍太郎は立ち上がった。外から見えないように南側の窓へと近づき、カーテンをずらして外を覗く。やはり昼間見た通り、公園の近くに車が停車している。まだ警察の監視は続いているようだ。
ソファに戻り、香織に様子を伝えると彼女は深い溜息をついた。
「当分、朱音さんが外に出るのは無理ね。やはり病院の先生に来て貰うしかないわよ」
「せめて赤坂先生が、正式な逮捕状が出るまでは秘密を守ると言ってくれればいいけど」
「朱音さんが有名人というだけじゃなく、高齢妊娠で母子の体調に不安があると理解して貰えれば、何とかなると思うんだけど」
「そう信じたいな」
二人はそのまま黙り、再び重い空気が漂う。その為話題を変えた。
「とにかくその件は明日考えればいい。それより今日の夜、テレビはどうする。いつもなら録画している番組を観るけど、緑里さんがいるだろう。ドラマやお笑い番組を一緒に見るというのもどうかな。ましてやニュースなんかは見ない方が良いと思うし」
夕方にテレビを点けた際、報道番組の一部で緑里の行方を捜しているとのニュースが流れていたけれど、昼間見た内容から進展はなかった。それにまだ彼女が名古屋へ逃げたとの情報までは、マスコミも把握していないと思われる。
「あっ、でも逮捕状が出ているかどうかは、確認した方が良いかも」
「そうだな」
龍太郎は自分のスマホを出し検索してみた。香織のスマホは先程緑里に渡してしまったからだ。何故なら彼女が溝口名義のスマホを持っているともし警察が知った場合、電源を入れた際に居場所を探される恐れがあった。
よって念の為にと電源を切らせ、マネージャー等からDMが来ているかを確認させる為、香織が使っているスマホを預けたのである。
スマホのネットでどういう情報が広まっているかを確認したが、やはりまだ逮捕状は出ていないようだ。重要参考人として行方を捜しているけれど、引き続き事故と事件の両面で捜査しているという。
また記事では被害者自らが防犯カメラを隠した経緯から、計画的な殺人ではなく揉めて突発的に突き落としたか、誤って殺してしまった可能性があると書かれていた。
さらには単なる事故だろう、との憶測も飛び交っているようだ。けれどそれなら何故姿を消したまま、事務所との連絡すら断っているのかが不明だとの意見も述べられていた。
今晩に予定されていた、事務所による会見は遅れているらしい。時間はもうすぐ七時になる。おそらくそろそろ開かれるのだろう。
香織も画面を覗きながら、そうした経緯を確認していた。
「まだこれといった新しい情報は無さそうね」
「ああ。さっき言っていた衣服の鑑定結果が出るまで、おそらく二、三日はかかるんじゃないかな。もしはっきりした証拠がなければ逮捕状は出せないだろうから、出るとしてもかなり後かもしれない」
「でも連絡が取れない状況が長引けば、それだけ疑いが増すんじゃないかな。でも怪しいってだけで、指名手配まではされないわよね」
「分からない。ただ真相を知るのは、今の所彼女だけだ。警察もそう考えていると思う」
「でも彼女は胸を押したけど、突き落としてはいないと思うって言っていたじゃない。さすがに階段から落ちたら分かると思うんだけど。柳畑だって声くらいは出すはずよ」
「そうだよな。嘘をついているようには見えなかった。けど彼女は俳優だ。しかも演技派と言われるほどの人だから、素人が判断できるものじゃない」
実際朱音は、階段から落としていないとまでは言い切っていない。もし彼女が自覚していたならば、曖昧な答えではなく嘘をついて断言するかまたは正直に白状するだろう。だからこそ証言に真実味が感じられた。けれどそうした効果を狙った演技だとも考えられる。
「何よ。龍太郎は朱音さんを疑っているの」
「そうじゃないさ。逃げている理由は、彼女の説明を聞いて納得したよ。それにもし逮捕状が出たら、俺達には迷惑が掛からないよう出頭するって言っていただろ。あの時の言葉に嘘は無かったと思う。しかもあの年齢で、父親のいない子を産み一人で育てる決心をしたんだ。最悪の場合、過失致死罪に問われるだろうけど、あの人ならそれ位の罰を受けるだけの覚悟はしているんじゃないかな」
「そうよね。一生逃げ続けるなんて無理だよね。今はお腹の子を第一に考えて、体を休ませたい一心で一時的に避難しただけだと思う」
香織も彼女を信じたい気持ちがある一方、どこかで疑念を持つ自分もいるのだろう。その葛藤の中、庇う事により二人が
だから龍太郎は言った。
「俺達は犯罪者を匿っているんじゃない。ただ高齢で妊娠している女性の体を
彼女は顔を上げ、無理やり口角を上げて頷いた。
「うん。龍太郎の言う通りだね。明日になればまた状況が変わっているかもしれない。こういう時はネガティブじゃなく、ポジティブ思考でいかないと」
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