第13話 匿ってはみたものの~4
強い口調で
「だったらどうすればいいんだよ。この状況だとこっそりマンションを出て、病院に行くこともできない。もちろん医者を呼べば、いくら守秘義務があるとはいえ警察に通報されるかもしれないだろう」
予想以上に厳しく反論されたからか、彼女は一瞬口を噤んだ。代わりに緑里が発言した。
「申し訳ありません。いざとなったら警察に出頭します。私がお二人に無理やり嘘をつかせたと証言します。そうすれば罪に問われる事はないでしょう」
「お気持ちは有難いですが、さすがにそれは無理がある。香織一人ならともかく私もいるのです。女性一人にどう脅されれば、匿うような真似をするというのですか」
「私が刃物を出したとでも言えば信じて貰えるでしょう。先程は龍太郎さん一人が玄関先に出て、刑事さんとお話しされましたよね。その間、香織さんを人質に取っていたとしたら辻褄は合います」
うっかり納得しかけたが首を振った。
「いや、それは駄目でしょう。緑里さんの罪がさらに重くなります。そんなことまではさせられません。第一、あなたは柳畑を意図的に突き落としていない。そうですよね。それなら例え逮捕されたとしても過失致死罪で済みます。逃げた事情を話せば情状酌量の余地も充分あるでしょう。でも刃物で人を脅したとなれば、そういう訳にはいきませんよ」
「でも善意で匿って頂いたお二人に、絶対迷惑はかけられません」
強情に言い張る彼女の目は血走っていた。そこで龍太郎は守ってあげたい気持ちが湧き上がったけれど、やはり無理があると思わざるを得ない。
そこで香織が緑里に向かって言った。
「今の所、緑里さんはあくまで重要参考人の段階です。逮捕状は出ていないから指名手配もされていません。かつて有名人が警察の職質を振り切り逃亡した件がありましたね」
「はい。私より五つほど上の先輩女性ですね。あの時も大きな騒動になりました」
「そうです。当時も事務所の呼びかけなどに応じず、連絡は途絶えていました。でもその間、彼女を匿った方がいたと後に明らかになっています。けれど逮捕はされていません。何故なら逃走から数日後に逮捕状が出た翌日、彼女は弁護士を伴って出頭したからです」
あの事件は龍太郎も覚えている。彼女を保護していた人物は、逮捕状が出るまで無実を信じていたとマスコミに説明していたはずだ。また彼女の精神状態から、自殺しないか心配していたからとも言われていた。
恐らく警察にもそう供述し、匿っていたのは逮捕状が出るまでの間だったおかげで罪に問われなかったのだろう。
そう説明してから龍太郎に視線を向けた。
「だったら最低でも、逮捕状が出るまで朱音さんはここにいていいと私は思う」
どうしても彼女は緑里を保護したいようだ。罪に問われない可能性が高いとはいえ、匿った事実が公になれば二人は間違いなくマスコミ等の餌食になる。
そうなればこれまで他人との接触を極力避け穏やかな生活を送ってきた二人にとって、悪夢のような時間を過ごす事を意味した。彼女もそれくらいは理解しているはずだ。
にもかかわらず、彼女を守りたいという固い決意が彼女にはあった。相手が妊娠している女性だとは言え、そこまで
そこで言った。
「でも病院の件はどうしようもない。逮捕状がいつ頃出るかにもよるけれど、長くなるようだったら考えなければならないぞ。あの事件では逃走してから数日後に逮捕状が出たけれど、それ以上かかる可能性はあるしそうでないかもしれない」
香織も理解したのか頷いたが、楽観的な見解を口にした。
「あの時は、明らかに薬物の所持と使用の疑いが濃厚だったわよね。一緒にいた夫が自白して、自宅に家宅捜索が入り容疑が固まったから逮捕状が出たはず。しかし今回の場合は明らかに突き落とした証拠が出てこない限り、逮捕状なんて出せないと思う」
だが龍太郎は
「それは分からない。防犯カメラは柳畑議員が自分の傘を使って見えなくした。そうですね。そこで二人きりだったのなら目撃者もいない。それに朱音さん自身は突き落とした意識がないから、証拠なんて出てくるはずがないとも言える。だけど緑里さんは柳畑の胸を押しのけ、その場を立ち去ったとも言いましたよね」
「はい、そうです。でもそれ程強く押したつもりはありません。腕を振りほどいたのにしつこく迫って来たので、それを防いだ程度です。そうしたら二人の距離が少し離れたので、その隙にドアを開け外へ出ました。断言まではできませんが、彼がそのまま階段から落ちたのなら、私もさすがに気付いたはずです。悲鳴くらいは聞こえたと思います」
「でも相手の胸は押した。その際、緑里さんのDNAか皮膚片が相手の服に付着していたら、押されて落ちたと警察は考えるでしょう。それだけで逮捕状が出るかは分かりませんが、可能性はあります。以前の事件のような薬物使用でなく、人が死んでいますからね」
無実だと信じていた彼女はショックを受けたのだろう。肩を落とした。また最悪の事態を想定し、気落ちしたのかもしれない。
その様子を見て香織が龍太郎を責めた。
「今、そんなことを言わなくてもいいでしょう」
「だけど現実から目を背けていたら何も解決しない。起きるかもしれないと予測した上で、これからどう行動すればいいかを考えないと。逮捕状が出るまでここにいればいいかもしれない。衣食住は何とかなる。だけど体に異変が起きたら、俺達だけでは対処できないぞ」
厳しい実情を突きつけたつもりだったが、意外にも彼女は反論した。
「その件なら私に考えがある。上手くいけばなんとかなるかもしれない」
「どうするつもりだ」
龍太郎の疑問には答えず、彼女は緑里に視線を向けて尋ねた。
「朱音さんが診断された病院はどこですか」
やや
「
「ちょっと待ってくださいね」
香織はスマホを取り出し操作し始めた。病院名から検索していたらしい。画面を覗きながら呟いた。
「確かにここの近くですね。産婦人科以外に、
ペインクリニックとはその名の通り、痛みに対して対処する診療科だ。緩和ケアのように末期がんなどの患者の痛みを和らげたりする他、頭痛や肩こり、腰痛や神経通等さまざまな病気の診療や治療をすると聞いたことがある。
「はい。そういう病院の医師なら、高齢者が多いこのマンションに出入りしても不自然に思われないだろうと選びました。それに叔母が以前腰を痛めて利用したことがあり、親切でいい病院だと言っていたので紹介して貰ったのです」
香織がギックリ腰をした際に診て貰ったのは、もう少し近くにある別の病院だ。健康診断の際に龍太郎も通ったことがあり、ワクチン接種もそこで受けている。
「なるほど。コロナ禍の今なら、マンションの人達にも言い訳が出来ます。溝口のおばさんがまた腰を痛めたので、来て貰っていると誤魔化そうと考えていた訳ですか」
納得している香織に龍太郎は聞いた。
「もしかして俺達のどちらかがどこか痛いことにして、病院の先生に来て貰うつもりか」
彼女は微妙な表情をしつつ頷いた。
「まあ、そういうこと。ここへ先生が来てくれさえすれば、後はお願いするしかない。朱音さんのことを秘密にして診断してくれるかどうかは、やってみないと分からないけどね」
「なるほどな。でもいきなりは来てくれないだろう。一度は病院へ行き、対面で診察して貰わないと。緑里さんもそうされたんじゃないですか」
「はい。診断を受けて在宅診療する理由を説明し、了解を得て予約を入れました。予定では明日に一度来ていただける予定でしたが、この状況だと無理でしょうね」
「何という先生ですか」
「
その通りだ。龍太郎が腰を痛めたと偽り、その病院に行っても無駄だろう。香織でさえ産婦人科の受診を受けなければ、その女医に当たる可能性はない。
またどこも痛くないのに訪問診察などしてくれるかどうかだ。例え上手く
そう諦めかけたが、香織は何事も無いように言った。
「だったら私が妊娠したかもしれないと言って、受診すればいいじゃないですか。これから病院に電話して、明日にでも診察してくれるか聞いて予約を入れてみます。その時溝口さんの名前を出して赤坂先生と寺内看護師を指名すれば、担当になってくれるかもしれませんよね」
龍太郎だけでなく緑里も唖然としていた。そう簡単にはいかないだろう。しかし他に方法があるか考えた時、試してみるしかないと思い直した。
「そうだな。一か八かやってみるか。いいですよね」
聞かれた彼女は戸惑っていたけれど、否定する理由が見つからなかったのだろう。黙って頷いた。
それを見た香織は検索したサイトの電話番号をメモし、早速かけた。相手が出たらしい。
「もしもし、東山在宅クリニックさんですか。仁藤というものですが、そちらの産婦人科で診察を受けたくてお電話しました」
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