第12話 匿ってはみたものの~3

 緑里の説明を静かに聞いていた龍太郎達だったが、非常階段で柳畑と別れエレベーターに乗ったところで思わず口を挟んだ。

「ちょっと待ってください。それなら去り際にしつこく引き留める柳畑の胸を、軽く押しただけなんですね」

 彼女は頷いて言った。

「はい。でもその後、彼がどうなったかを見ずに立ち去りました。だからあの時、彼は階段から落ちたのかもしれません。ただそんな訳が無いとも思っています」

「そんな事態になったと知ったのはいつですか」

「東京駅から新幹線に乗って名古屋に向かっている途中で何となく気になり、野垣から連絡が入っているかを確認した時です」

「野垣さんというのはマネージャーさんですね。先程までの説明だと緑里さんは今日から長期の休みに入る予定だった。連絡はSNSのDMを通じて行うので、携帯は電源を切っていたと言いましたね」

「はい。事務所の社長と野垣しか知らない、私の裏アカウントを通じてやり取りする予定になっていましたから」

「でもそれを確認するにはスマホの電源を入れなければいけませんよね。そうすれば向こうから電話やメールなどでも連絡があったはずですが、それは無視されていたのですか」

「いえ。携帯の電源は切ったままです。この休みの間はわずらわしいことに関わりたくなかったので、別名義のスマホでSNSを見ました。これは事務所の人間も知りません」

「どなたの名義ですか」

「幸子叔母さんです。以前こちらに来た際、私がお金を払ってもう一台契約して貰いました。それを知っているのは叔母だけです」

 それが二〇一の溝口だと気付いたのは香織だった。

「溝口のおばさんは、朱音さんのお母さんの妹さんでしたね」

「はい。二十年前に母ががんで亡くなってからは、叔母さんが私の母替わりでした。両親は私がまだ幼い頃離婚したので母に育てられたのですが、小さい時から叔母さんには可愛がって貰いました」

「失礼ですが、お父さんとの関係はどうなっているのですか」

「父も既にいません。それに離婚してからは疎遠になっていました。私がテレビに出て少し有名になった頃に一度連絡があったようですけど、母が二度と連絡してこないでくれと伝えたようです。母より前に事故で亡くなったと聞きました」

「すみません。余計な事を聞いてしまいましたね」

「いいえ。構いません。私も香織さんから、その、お二人のご両親の件を伺いました。私にはまだ幸子叔母さんがいますけど、龍太郎さん達はそういうご親戚もいらっしゃらないようですね。そう思えばまだ私の方が恵まれています」

 言い淀みながら話す彼女の様子を見て、龍太郎は香織と目を合わせた。出過ぎた真似をしたと思ったのか、申し訳なさそうな表情をしていた為に首を振って答えた。

「でもお身内は溝口のおばさんしかいませんよね。私には香織という身近に支えてくれる人がいますから。彼女が居なければ私はそれこそ孤独な身でしたけど、今は違います」

 緑里は笑った。

「それはごちそうさま、です」

 香織は顔を赤くしていた。自分でも照れたので慌てて言った。

「あっ、そうか。緑里さんにもお腹の赤ちゃんの父親という、大事なパートナーがいらっしゃいましたね」

 だが予想に反し彼女の表情が曇った。香織も眉間に皺を寄せた。余計なことを口にしたかと反省したがもう遅い。

 しばらく重苦しい空気が漂う。少ししてから緑里が口を開いた。

「恥ずかしながら、お腹の父親とは道ならぬ関係なのです。といっても子供に罪はありません。その為取り敢えず六カ月の休みを貰って、叔母を頼ろうと決めました。名古屋で出産する為です。出産間際になってから、会社に伝えようと思っていました。そうすれば休みも延長できるだろうと考えていたのです」

 余りに大きな驚愕の事実を告白され、龍太郎は顔をのけぞらせる。けれど香織は平然としていた。既に聞いていたのだろう。しかしどこまで知らされているのかは不明だ。

 そこで恐る恐る尋ねた。

「お一人で出産して育てるおつもり、なんですか」

「はい。事務所にはまだ秘密にしていますが、もうすぐ産まれると分かれば何も言えないでしょう。もちろん父親について誰にも話す気はありません。そういう俳優さんはこれまで他にもいらっしゃいます。そんな先輩方が切り開いて下さった道を私は歩むつもりです」

 そう語った彼女の目には強い意志が感じられた。その時ある考えが頭に浮かんだ為に質問した。

「もしかしてこれだけ騒がれているのに事務所と連絡を絶ち、警察からも逃げているのはお腹の子の件があるからですか」

 彼女は強く頷いた。

「はい。私は意図的に柳畑さんを殺してなんかいません。階段から落ちた件も、野垣から告げられるまで知りませんでした。しかし今表に出たらお腹に子がいると、事務所だけでなく世間に知れ渡ってしまう恐れがあります。それに少なくとも安定期に入るまでは、どうしても騒動に巻き込まれたくなかったのです」

 ようやく腑に落ちた。普通なら騒ぎになっていると知った時点で連絡をし、東京へ戻れば済む話だ。彼女の口振りからして嘘はついていないと思われる。それなら事故だと主張すれば、最悪でも過失致死罪で済むはずだ。

 また相手が相手だし、その前の彼が取った行動からすれば情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地は十分ある。芸能界への復帰もそう難しくはないだろう。それ位は聡明そうに見える彼女なら理解できたはずだ。それでも何故マネージャーに折り返しの連絡をせず、溝口の家からも逃げたのかが不明だった。

 彼女は続けた。

「私はこの通りの体形ですし、お腹も比較的大きくならなかったからか、昨日までは何とか気付かれずに済みました。それでも香織さんが感付いたように、もう限界だったんです。医者からも早く休みを取り、定期的な診察を受けるようにと散々督促とくそくされていました」

 香織が会話に入って来た。

「かかりつけの医者は、この名古屋の病院にいるのですか」

「はい。妊娠しているかもしれないと気付いた時、叔母に相談して名古屋で訪問診療してくれる病院を探し、そこで診察を受けました。緊急事態宣言も出ていてドラマの撮影中だったのですが、何とか時間の合間を縫って新幹線で移動していたのです」

「なるほど。だから溝口さんの家に来たのですか。医者が部屋まで来てくれれば第三者やマスコミの目を逃れられ、秘密裏に出産もできますからね」

「そうです。それにコロナ禍ですから病院に通うリスクがありますし、また訪問診察なら産婦人科とバレないよう通って貰えれば、ここへ来ても疑われずに済みます。いざとなれば、叔母さんの体調が悪いので来て貰っていると誤魔化す予定でした」

「そうなると警察が溝口さんの家に一度訪問しているから、緑里さんが来ていた件はもうばれているでしょうね。だからもうその手は使えない」

「はい。ただ妊娠についてはさすがに黙っていると思います。あの部屋を出た時、万が一警察が来たらその件と携帯についてだけは黙っているように、それ以外は喋っていいからとお願いしてきましたから」

「携帯を所有していると分かれば、位置情報などでばれる恐れがありますからね。ここへ来た理由は単に休暇の間、ゆっくり滞在するつもりだったとでも説明したのでしょうか」

「そのはずです」

「でもどうしてマンションの外へ出なかったのですか」

「逃げようとしたら、警察らしき人が外で見張っていると気付いたからです。実は朝起きた時に叔母が窓の外を見て、早くから変なところに車が停まっていると言ってました。その時は聞き流していましたが、いざ逃げようとした際に警察かも知れないと思ったのです」

「どこですか」

「池の向こうにある、公園の近くです」

 確かに貯め池の反対側の一部は小さな公園になっている。マンションの東端にあるこの部屋だと見えづらいが、西端の溝口の部屋からなら良く見えるはずだ。

 恐らく警察は、緑里の唯一の身内である叔母の家を見張る為、昨夜遅くまたは早朝から車を停めて監視していたのだろう。東京駅から名古屋に向かったと知ったからに違いない。あそこなら玄関から出入りする人も確認できる。

「それで出られなくなり、マンション内に隠れたのですね」

「はい。とりあえず上に逃げて様子を伺っていました。そうしたら刑事らしき人がマンションにきて、しかも叔母の部屋を訪ねる様子を見たので間違いないと思い隠れました」

「それがうちの前だったんですね」

 彼女は頷いた。龍太郎は立ち上がり、注意しながら南側の窓に近づいてカーテンの陰からこっそり覗いた。すると公園近くに車が停まってるのが微かに見えた。

 あの辺りは長い間駐車していると、取り締まりの巡回が来て違反シールを貼られる場所だ。よって時々は見かけるけれど、平日の昼間に停めている車は滅多にない。よってまだ警察はこのマンションを見張っていると考えた方が良さそうだ。

 彼女を部屋に入れた後、それほど時間を置かず刑事が尋ねてきたタイミングを考えれば間一髪だったとも言える。けれど龍太郎は頭を抱えた。

 彼女が匿ってくれと言った謎は解けた。だがこのまま庇い続けて良いものだろうか。体の事情を考慮すればここで避難しているのが最善だ。また心情的にもマスコミや世間の目から守ってあげたいと思う。

 しかしそれが長期間に渡るとなればさすがに難しい。警察の監視はまだ続くはずだ。そんな中、いつまでもここで保護すればいずれ龍太郎達に害が及ぶ。平穏な生活はまず送れなくなる。

 しかも妊娠している身だ。間違いなく高齢出産になるだろうお腹の子を、医者に診て貰わなければいけない。先程のように具合が悪くなった場合を考えれば、現状通りという訳にはいかないだろう。

 そんな時、香織が声を掛けてきた。龍太郎が悩んでいると気付いたらしい。

「もしかして通報するなんて言わないよね。私は反対だから」

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