第11話 (刑事による視点~2)

 平中は意外だったのだろう。目を見開いて言った。

「あの仁藤家ですか。彼は体調を崩して会社を退職したと言ってましたよね。柴田夫妻の話によれば、夫婦でほぼ引き籠り状態だというじゃないですか。恐らく旦那の方は、うつ病のような精神的な病気でしょう。そんな人が他人を家にいれるでしょうか」

「普通はまず無理だと思う。ほぼ他の部屋の住民とは没交渉らしいからな。それに組合の集まりに出席するのは、いつも奥さんだけだと柴田夫妻が言っていた。そこから察するに、旦那が精神的な病で療養中なのは確かだろう」

「だったらどうして怪しいと思ったのですか」

「強いて言えば、だ。確信がある訳じゃない。だが俺達がインターホンを押した時、応答までかなり時間がかかっただろ」

「それは相手が、そういう人達だったからじゃないですか」

「俺も後でそう考えたが、だったら何故旦那一人が出てきたのか不思議だと思わないか。マンションの会合には奥さんが出席するというのなら、見知らぬ訪問者が来た場合もそうするのが普通だろう」

「そうかもしれませんけど、奥さんも訳ありだと言っていましたよね。ここに長く住んでいる分、マンション内の人達とは会っても平気なのでしょう。でも外部の人とはあまり会いたくないのかもしれません。しかも相手が私達のような男二人なら、ご主人が出たとしても不自然ではないと思いますけど」

「確かに。奥さんは十年前に離婚してここへ戻って来たが、五年前に父親が病死し母親も体調を崩しがちだったから、会社を辞めて介護していたようだな」

「その頃から必要な時以外は、外へ出なかったと聞いています。その母親も三年余り前に亡くなり一人になった。けれど仁藤とは幼馴染で、自宅で療養中の彼の世話をしている内に親しくなり約三年前に籍を入れたようです。でも式などは挙げず、柴田夫妻など一部の人だけに報告しただけだとも言っていましたよね」

「誰も身内が居なくなり孤独になった二人が、今は支え合うように生活しているようだな」

「そうですよ。買い物などをする際は、必ず一緒に外出していると聞きました。しかもコロナ禍になる前から週二回か三回程度で、午前中か遅くとも昼過ぎには帰って来て、夜に外出するのは見たことが無いと言っていましたよね」

「お前の言う通りかもしれない。けど俺達が訪問した際、二人じゃなかったのは何故なのかとも思ったんだ」

 平中はまだ納得していないのか首を捻った。

「確か旦那の名は龍太郎でしたね。彼が嘘をついているようには見えなかったのですが」

「だがマスクをしていたから表情が良く分からなかっただろう。目だけではなかなか判断が付き辛い」

「しかしもし緑里を匿っていたとすれば、何故そんな真似をしたのか理由が分かりません。テレビのニュースでも流れていますし、下手に隠せば罪に問われる恐れがあると分かるはずです。彼はかつて一流企業に勤めていたようですから、それなりの分別はあるでしょう」

「そうなんだ。それは溝口を除くこのマンションの住民全員に言えるが、匿うメリットはまずない。こんなに世間が注目しているんだ。もしマスコミが嗅ぎ付ければ、マンションの周辺は大変な騒ぎになるだろう。龍太郎は有名な大学を卒業して大手の保険会社に勤めていたんだったな。所謂エリートで頭もそれなりに良いはずだから、それくらい直ぐに理解できるとは思う」

「だったらどうして怪しいと思うんですか」

「勘としかいいようがない。あとは消去法だ。他の住民達の反応から考えると、三〇三か二〇三くらいしかない。もちろん緑里がまだ、マンション内にいると仮定した場合だがな」

「そうなんですよね。まだ確定していませんし、今の段階では捜査令状も取りようがありませんから。第一、緑里が柳畑を階段から突き落として殺し、逃走している事自体に正直私は納得しかねています」

「それは俺も同じだ。確かに長期休暇を取っていたとはいえこれ程騒がれているのに、未だ連絡が付かない点は説明がつかない。とはいえ本当に彼女が殺したのか疑問は残る」

「本部では誤って突き落としてしまった、という見方が有力ですよね。今科捜研かそうけんで柳畑の衣服に彼女の痕跡が残っているか鑑定中のようですが、その結果が出れば逮捕状は出るかもしれませんけど」

「そうなれば現在は重要参考人に過ぎないが、指名手配に切り替えられる。そうなればマンションの捜索令状も出るだろう。まずはそれまで見張っているしかないな」

「そうですね。でも折角名古屋に来たんです。いる間に何か名古屋めしを食べたいと思いませんか」

「何を食べたい。味噌かつか、それともエビフライか」

「やっぱりうなぎでしょう。ひつまぶしですよ」

「あれは結構な値段がする。俺達ならせいぜいきしめんくらいだ。あれなら新幹線のホームにある、立ち食い蕎麦屋でも食べられるしふところに優しい」

「そんな。だったら天むすも付けましょうよ」

「おいおい。殺人事件かもしれない捜査できているんだぞ。遊びじゃないんだ」

「何を言っているんです、今更。間宮さんも新幹線の中で言っていたじゃないですか。死んだのはあの柳畑ですよ。天罰が下ったようなものじゃないですか。それに最初から計画されたものでないのは間違いないようですし、偶発的な事故だとしたら緑里はある意味被害者でしょう。といっても逃亡している点は許されませんが」

「まあな。あの非常階段で一体何があったのかは、彼女しか知り得ない。その唯一の生き証人が姿を消しているんだ。何か後ろめたい理由があると思うのが普通だろう」

「そうですね。でも何故柳畑は大勢の人がいるにもかかわらず、彼女の腕を掴んでまで外へ連れ出したのでしょうか。それに秘書を少し離れた場所で待機させ、誰も邪魔させないよう見張っていろと指示しています」

「だからマネージャーの野垣は緑里の後を追えず、連城と一緒に居たんだったよな」

 二人の供述によると、非常口の扉を開けた柳畑達の背中を見送り、しばらくその場に待機していたという。そこでドアから朱音だけが飛び出してきたようだ。

 野垣が彼女に声を掛けたが、

「何もないわよ。今度こそ、もう帰るから」

と言い残し、そのままエレベーターに乗り込み下に降りたと証言している。会話の内容までは確認できなかったが、そうしたやり取りをしている様子は、連城や廊下にいたホテルのスタッフや他の客などが目撃していた。よって間違いは無さそうだ。

「非常口で二人きりになった時間は、複数の証言から数分程度だったことは間違いありません。その間に何かあったとすれば、しつこく言い寄る柳畑を緑里が突き放し、その拍子で階段から落ちたという推測が真実に近いと思います」

「慌てた彼女はその場を立ち去り、そのまま逃亡。丁度次の日から休みを取っていて、その日に名古屋へと移動する為スーツケースも用意していたのが幸いした。そういうのか」

「間宮さんは違う見方をしているのですか」

「いや、途中まではそうかもしれない。これまでも有名人がひき逃げをして、後で捕まったという例もあるからな。どうしようと思いながらも、ついその場から離れて現実逃避しようとした可能性はあるだろう」

 だがそこから警察が駆け付け、昨夜の時点で野垣から何度も連絡を取らせたがスマホの電源は切られ、メールも送ったが届いているかどうか不明だという。

 電源を入れたら見てくれるだろうとその時彼は言っていたが、いくら経っても返事は無かった。それでも本人がまだ動揺しており、どう返せばいいのか考えあぐねていたのかもしれない。

 しかし翌日の朝のニュースで、名前は出ていないにしても彼女の行方を捜していると大々的に流れている。しかも彼女は溝口の家でそれを見ているのだ。

 にも拘らず逃亡を図かったという点が、間宮には腑に落ちなかった。逃げれば逃げる程、身柄を確保された後の印象は悪い。もし罪に問われた場合も量刑に影響するだろう。

 かつて薬物使用の疑いをかけられた有名歌手が、数日間逃亡した例がある。ただあの時は体から薬物が抜けるまで、時間稼ぎをしなければならなかったとの理由があった。

 だが今回の場合は人が死んでいるのだ。逮捕されたくないという現実逃避の想いが余程強く無ければ、あれほどの有名人が逃げ回るなど考え難い。

 よってもう少し時間が経ち、落ち着いたならば向こうから出頭してくるのではないか。できるならば科捜研の分析により彼女が突き落としたとみられる証拠が挙がり、正式な逮捕状が出て全国に指名手配される前に現れてくれたらと願っている。

 ただその一方で、本当に彼女はそれだけの為に逃亡しているのか。長期の休みが何の為に取ったのか、どうする予定なのか事務所では把握していない点も引っかかる。

 さらには柳畑と緑里にどういう接点があったのか。それらが明らかにならなければこの事件は解決しないのではないか。そう間宮は危惧していた。

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