第10話 (刑事による視点~1)

 緑里朱音の足取りを追い、騒動が起きた翌日の朝一番の新幹線に乗った間宮と平中は、名古屋までやって来た。その後事前に捜査本部の上層部から捜査協力の依頼を受けた、愛知県警の刑事達と打ち合わせを行ったのである。

 ホテルから警察と救急に連絡が入り、所轄の麹町こうじまち警察署員と救急隊が駆け付けた時、柳畑の意識はなかったという。通報したホテルの従業員や現場にいた柳畑の秘書の話によると、発見した時には階段の下で血を流し倒れていたようだ。

 その状況から転落により頭部を強く打ち損傷したと分かり、病院へ緊急搬送された。だが到着する前に心肺停止となり、その後死亡が確認されたのである。

 状況確認の為に聴取を行った際、柳畑は女性を引き連れて非常階段に向かい、その後彼女だけが戻ってきてホテルを出たと分かった。しかも驚いたことに、その人物はあの有名な緑里朱音だという。

 当初事件か事故かを確認をしていたが、柳畑が死亡したと連絡を受け、また直前の状況から事件である可能性は否めないと判断された。その為急遽、麹町警察署に捜査本部が設置されたのだ。よって警視庁捜査一課所属の間宮達にも声がかかった。

 彼女のマネージャーが現場近くにいたので、本人と連絡を取るよう捜査員は依頼した。しかしスマホの電源は切られ通じなかったという。詳しく話を聞いたところ、翌日から長期の休みを取っていると判明した。

 しかもホテルのフロントによれば、彼女は事前にスーツケースを預けていたそうだ。騒ぎが起こった直後に荷物を受け取り、その後タクシーに乗っていた。玄関前で見送ったドアマンの証言によれば、東京駅へ向かったらしい。そこから捜査員達は東京駅に向かい、ホテルの防犯カメラをチエックしたのである。

 駅では緑里がタクシーを降り、新幹線に乗って名古屋へ向かったと確認できた。よってすぐに愛知県警へと連絡を取り捜査協力を依頼。その結果、後に名古屋駅の近くのコンビニで緑里が会社と個人の両方併せ、二百五十万円の現金を下ろしていると判明したのだ。

 個人口座の一日の引き出し限度額は五十万円だが、法人名義だと二百万まで出金できたからだろう。彼女はマネージメント事務所とは別に法人の個人事務所を設立しており、役員に名を連ねていたからできたらしい。

 一方、現場であるホテルの非常階段には防犯カメラが設置されていたが、被害者である柳畑自らの手で折り畳み傘を使い、見えなくしていると分かった。そこで監視しているホテルの警備室が異変を察知し、該当する二十階の従業員に連絡を入れたらしい。

 その為パーティー会場で何やら揉め、非常階段に向かった柳畑達の様子を見ていた宴会部門の大野おおのというスタッフが駆け付けたようだ。

 そこで秘書の連城が前を走っているのを見たという。先に現場へ向かった彼より時間にして数十秒程度遅れて到着したところ、茫然と立っている秘書の背中がまず目に入った。その視線の先に、柳畑が血を流して倒れていたというのだ。

 大野も驚きの余りに立ち尽くした。その間に連城が先生と叫びながら階段を駆け降り、柳畑の手を握ったという。そこで我に返った彼は警備室からの連絡を思い出し振り返ったところ、防犯カメラに傘がかかっているのを発見した。

 そこで直ぐ取り外した後、無線で警備室に連絡し状況を説明。それを受けて警備員が救急車を呼び、念の為にと警察へも通報したという。

 そうした証言を得て、緑里が何らかの事情を把握している最重要参考人と判断し、捜査員は彼女の行方を捜した。だが既にホテルを出ており、連絡もつかなくなっていたのだ。

 間宮と平中は夜遅くに現場へ向かい、防犯カメラの映像なども確認した。そこにはそれまで得た数々の目撃者の証言通り、柳畑が緑里を強引に非常口へと引っ張ってきた様子が映っていた。

 しかしカメラを見つけた柳畑は、緑里との密会を見られたくないのか、持っていた傘に細工をしてカメラに引っ掛けていた。そこから大野が傘を取り除き、階段下に横たわっている柳畑とすがりつく連城の姿が映し出されるまで、約十分の時間が経過していた。

 その状況から、単に柳畑が自ら足を滑らせ階段から落ちた事故か、緑里の不可抗力な行動により起きたか、または意図的に突き落とされたのかのいずれかと推測されたのである。

 捜査本部では事件だとすれば少なくとも計画的な殺人ではなく、過失致死の疑いが濃厚との見立てが主流だった。何故なら映っていれば決定的な証拠となっただろう防犯カメラを遮ったのは、被害者の柳畑自身だったからだ。

 しかも緑里とパーティー会場で接触したのは、明らかに偶然だったと思われる。秘書の連城とマネージャーの野垣の供述からも、そう判断せざるを得なかった。

 さらに現在捜査中だが、二人の接点は今の所見つかっていない。仕事や同じような会場でかつて顔を合わせたという情報が、全く得られなかったのである。

 しかしそれなら何故柳畑は緑里の姿をみて突然歩み寄り、腕を掴み非常階段まで引きずるように連れて行ったのかが謎だ。これには連城と野垣も困惑するばかりで、理由に心当たりは無いという。

 ただそうなると別の疑問点が浮上する。面識が無いと思われる相手に、いきなり腕を掴まれた緑里が振りほどきもせず素直に従ったことだ。といっても互いに有名人の為、相手が誰だかは認識していただろう。

 柳畑が悪名高い国会議員だということくらい、緑里も気付いたはずである。よって大勢の人がいる前で傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いをされれば、もっと強く拒絶してしかるべきだ。

 けれど目撃者達の話だと嫌がってはいたものの、振りほどくほどの抵抗は見せなかったらしい。その上騒動後の彼女は不可思議な行動を取っている。

 長期の休みを取っていた為、最初から会場を出た後はそのまま目的地の名古屋へと向かうつもりだったのだろう。だが半年間もの間、マネージャーや事務所との連絡を完全に遮断するつもりだったというのは余りにも不自然だ。

 しかも朝のニュースでは名前を伏せていたけれど、本人が見れば自分だと気付いたに違いない。それに昼のニュースでは名前まで広く公表され、所属事務所までもが連絡が欲しいと訴え行方を捜しているとコメントを出していた。それでも未だに反応が無い。つまり彼女は逃亡しているとしか考えられなかった。

 ならば柳畑は彼女による故意または過失によって階段から突き落とされ、死亡した可能性が高まる。殺してしまったと知り、恐ろしくなって出て来られないのかもしれない。

 事実、彼女の足取りは昨晩の内にほぼ確認された為、間宮達は彼女を追って叔母の溝口幸子が住むマンションにやって来たのだ。そこで彼女から、確かに昨夜から今朝方までここにいたとの証言を得ていた。

 けれど朝食を食べている際、ニュースを観た彼女は慌てて着替えた後、何も言わず荷物を持ち外出してそれっきり戻っていないという。

 そこから想像するに、自分が追われていると初めて知ったのは朝方で、叔母に迷惑が掛からない内に逃亡を図ったと思われる。 

 けれどその頃マンションの外には、愛知県警の捜査員が見張っていた。間宮達が到着するまでの間ずっと出入りする住人達を確認していたが、緑里らしき人物は見かけなかったというのだ。

 その為マンションの管理会社と連絡を取り、防犯カメラを見せて貰った。そこで昨夜遅くに緑里が玄関から入った映像は確認できたものの、出て行った様子は発見できなかったのである。

 マンションには裏口があり、そこにも防犯カメラは設置されていた。けれど外から入った場合は必ず映るけれど、出る時は階段の途中で手摺てすりを超え外へ飛び降りれば、映らずに済むと分かった。

 とはいってもかなりの高さがある。足元の地面は芝が生えていて柔らかく、やろうと思えば出来るレベルだが、女性の場合はそう簡単にいかないだろう。それに正式な鑑識をいれて調べた訳ではないけれど、ざっと見てそうした足跡は残っていなかった。

 よって愛知県警に引き続き捜索依頼をかけ、彼女が外へ出た場合の行動を追いかけて貰っている。けれど最寄りの駅やバス停近くの防犯カメラからはまだ発見されていない。

 市内にあるタクシー会社もしらみつぶしに当たっているが、今の所彼女らしき人物を乗せたという目撃証言は得られていなかった。

 間宮達は念の為に許可を得て溝口の部屋の中を一通り確認したが、隠れている様子はなかった。よってマンション内にまだいる可能性も考えられると考え、全九戸ある各部屋を訪問して見かけていないか、または誰かの部屋に侵入していないか、さらには匿われてはいないかを確認したのである。

 だがどこの部屋の住民からも有力な手掛かりは得られなかった。もちろんマンションの共有部分等に隠れていないか探したが、彼女の姿はどこにもない。

 万が一戻ってくる可能性もあるだろうと、愛知県警から借りた車の中で張り込みをしていた間宮は苛つきを隠せず、運転席に座る平中に声をかけた。

「一体どこへ消えたんだよ。緑里はこのマンションに過去何度か訪れた事があると、彼女の叔母が証言している。だからこの周辺ならそれなりの土地勘はあるだろう。しかしスーツケースを持ってうろうろしていたら、もっと目撃情報が上がって来てもおかしくない。だが全くないというのはどういうことだ」

「そうですね。それに彼女は有名人です。このご時世ですから皆マスクをしているのが普通なので、気付かれ難いのかもしれません。それでも分かる人は多少いるでしょう」

「だったら本部が言うように、マンションから出ていないかもしれないとでも言うのか」

「可能性としては薄いですが、有り得ない事では無いと思います」

「だったらお前の感触ではどの部屋にいると思う」

「強いて言えば、溝口幸子の部屋と同じ階の二〇三辺りでしょうか」

藤堂とうどうという、八十近い爺さんのいる部屋か」

「はい。私達が直接訪問していない、唯一の部屋ですからね」

「だが藤堂は昼前から近くの福祉センターで将棋を打って、夕方帰ってくるのが日課なんだろう。三〇一の柴田夫妻からそう聞いて県警の捜査員に確認して貰ったが、証言通り福祉センターにいて誰も会っていないし、緑里朱音という名前すら知らないと答えたらしいじゃないか」

「そうですけど、かなりぶっきらぼうな対応だったと言っていましたよね。元銀行員で奥さんに先立たれ一人暮らしなのに、子供も寄りつかないというじゃないですか」

「このマンションの管理組合の理事長を長く勤めている柴田夫妻の証言だから、間違いは無さそうだったな。将棋を打つことだけが生き甲斐らしいとも言っていた。だが昼前には部屋を出て、今もずっとセンターにいるんだろ」

「はい。でも出かけるまでの間に、緑里と偶然会って部屋に匿っている可能性があります。どうせ自分は外出したらしばらく戻らない。その間だけとでも言ったのかもしれません」

「見ず知らずの女性を、か。それとも緑里朱音を知らないと捜査員に答えたのは嘘だというのか」

「可能性の問題ですが有り得るでしょう。泣きつかれてなんとなく同情し、部屋に入れたとしても不思議ではありません。昼前に出かけたのなら、彼女の行方を警察が探しているなんて知らなかったとも考えられます」

「なるほどな。まあ俺達が直接話していないので何とも言えないが、どちらにしても帰宅してからもう一度話を聞けば分かるだろう。他はどうだ」

「二〇二の河合かわい家には五歳の息子と三歳の娘という幼い子供がいましたから、まず匿うのは無理だと思います」

「旦那が大手メーカーに勤めている転勤族か。奥さんは専業主婦で、あの部屋だけは分譲賃貸だったな」

「はい。三十二歳と三十歳のマンションで一番若い夫婦です。あとはほとんど高齢者ばかりでしたね」

「三〇三の仁藤夫妻はまだ四十代だっただろ」

「はい。奥さんが二〇二の所有者でしたね。あの部屋の購入者が亡くなり息子が相続して住んでいるとは聞きましたが、あのような事情があるとは思いませんでしたよ」

「さすがに柴田夫妻もそこまで聞いていなかったのか、知っていてもわざわざ警察に言うのも忍びないと思って控えていたんだろう。かなりこみいった個人情報だからな」

「それでも色々と教えて貰えたので助かりましたよ。今の段階では捜査令状も取れない任意ですから。通常なら個人情報だから何も言えない、と突っぱねられていたでしょう」

「あの世代だとそういう感覚は緩いのかもな。ほとんどが昔馴染みの人達ばかりだ。それに時間があれば彼らから得た情報くらいは、いずれ照会出来る内容だったからだろう」

「おかげで手間が省けました。ところで間宮さんはどこが怪しいと思いましたか」

「強いて言えば三〇三だな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る