第20話 朱音の秘密~4
昨日の天気予報では今日も日中の最高気温が二十九度近くまで上がり、熱中症に注意とまで言っていた。十月だというのに、まだ夏が続いているかのようだ。
外は今日も良く晴れており、空にはうろこ雲が広がっている。それだけを見れば秋らしいのだが、照りつける強い日差しは全く違う。これも温暖化の影響なのかと思いながら、遮光カーテンの隙間から視線を下に向けた。
そこで公園の傍にある車が目に留まった。まだ警察は、朱音がマンションに潜んでいると疑っているのだろうか。それともここへ戻ってきた場合に備えているのかもしれない。
だがかぶりを振った。昨日、余計な事は考えないでおこうと決めたのだと思い直す。気を取り直しいつも通り過ごそうとテレビの電源を入れ、チャンネルをニュースに合わせてから玄関先へと移動した。
今日は燃えるゴミの日だが、先週の金曜日に出したばかりの為にまだ出す程は溜まっていない。二人暮らしの上、できるだけゴミを出さないよう日頃から気を付けている。だから週一回で十分だった。
でも新聞は取りに行かなければいけないので、布マスクを嵌めて玄関の鍵を開け外へ出る。階段を使って下まで降り、誰にも会わず戻って来られた。月に数度は住民とばったり出くわす場合もあるが、ほとんどすれ違いはしない。それでもマスクを付けておかないと何を言われるか分からないし、こちらとしても顔を隠していた方が心理的に楽だった。
何故なら髭を剃っていないし、顔もまだ洗っていないからだ。昨日外へ出たばかりだからそれ程ではないが、週二回しか外出しない時だとそれまで伸ばしているので結構な無精髭になる。
コロナ禍前は気にしないでそのままだった。どう見られても構わないと思っていたけれど、出来れば汚く見えないに越したことは無い。
玄関の鍵を閉めて中に入り、リビングへと戻った。朱音が洗面所を使っているのを横目に、ソファへと向かい腰を下ろす。
手にした新聞を広げ、広告を別に置いて読み始める。一面からざっと目を通し、三面の下段のところで止まった。決して小さくない見出しに、朱音の名前が書かれていたからだ。
柳畑の件で、重要参考人として彼女の行方を捜していると記載されている。記事の内容としては昨日ネットなどで見たように、事件と事故の両面で捜査中とあった。
だが中味の大半は、柳畑が死亡する直前に会っていた彼女と何故連絡が付かなくなったのかとの点に集中していた。また昨夜事務所が会見を開いた際のコメントも載っている。
それによれば以前より昨日から長期の休みに入る予定だった事実を告げ、現在連絡しているが未だに反応が無く戸惑っていると説明したようだ。
さらに柳畑との関係自体把握しておらず、そこは確認中だと述べたらしい。それ以外は特に警察から何も発表は無かった。名古屋へ向かったとの情報もまだ伏せられている。
しかしネットと比較すれば、こうした媒体の情報スピードは圧倒的に遅い。昨日の夜七時前に閲覧してからまだ検索をしていなかった。テレビ画面に目を移したが、まだニュースでは扱っていないようだ。
念の為にリモコンのデータボタンを押しニュースを確認したけれど、特段新しい情報は無い。一旦その件は後回しにして再び紙面に目を落とす。
テレビ欄まで見終わったところで、香織に声をかけられた。
「出来たよ」「はい」
新聞を畳みながら立ち上がり振り向くと、ダイニングテーブルの椅子の一つへ朱音が既に座っていた。昨日の風呂上がりのように、ほんのりと薄化粧をしている。やはりノーメイクでは落ち着かないのだろう。龍太郎は昨日と同じ椅子に腰かけ、香織も席についた。
「頂きます」
三人で手を合わせ、朝食を取り始める。龍太郎はいつも通りパンをサンドイッチのようにして齧り、コーヒーを一口飲んでから彼女に尋ねた。
「今朝の新聞で、昨晩開かれた朱音さんの事務所の会見内容が少し書かれていましたけど、あれからDMに何か連絡はありましたか」
彼女は頷いて答えた。
「はい。昨日寝る前、香織さんにお借りしたスマホで確認しました。今の所DMで連絡する予定だった件や今もしていることを、警察にはまだ伝えていないようです。だからどこにいるかだけでも教えてくれ、と書いてありました」
「もしかして返信されたのですか」
「ここにいるとは書いていません。ただ無事とだけは伝えました。変に心配されても困りますから」
一瞬心配してギョッとしたが、回答を聞き安心した龍太郎はさらに尋ねた。
「他に何か書かれていませんでしたか。例えば朱音さんが名古屋に向かったことがマスコミに伝わっているとか」
「今のところは警察も、事務所の人間の一部にしか知らせていないようです。こっちの病院で診察した件は、社長やマネージャーにも教えていません。多分警察を含め、叔母さんがいるからとしか思っていないのだと思います」
そこで香織が話に入って来た。
「でも溝口のおばさんは、妊娠の件を知っていますよね」
「はい。でも絶対言わないと思います。無事出産するまで隠し通したい、そう私が固く決意していたと理解しているはずですから」
「それは信じるしかないよ。まさか俺達が確認する訳にもいかないし。でも心配されているかもな」
「事務所から無事でいると伝えて貰うよう、DMでお願いしたから大丈夫だと思います」
朱音はそう言ったが、やや無理をしているようにも見えた。
「そうなると心配なのはマスコミか。警察が伏せていると言ってもいつ嗅ぎ付けるか分からない。行方が掴めないと苛立って、わざとリークする可能性もある」
これには香織も賛同した。
「わざと騒ぎ立てて、朱音さんをあぶりだそうとするかもね」
「ああ。あとは警察の聞き込みを受けたマンションの住民の誰かが、SNS等に書き込む可能性だってあり得る。高齢者が多いけど、そういう事をしないとは限らないからな」
「二〇二の河合さんはまだ三十代と若いし。たとえ自分で書かなくても身内の誰かに話して、そこから広がる可能性だってあるよね」
もしそうなればスキャンダル好きな国民にとって、これ程好奇心をくすぐる話題はない為、マスコミも黙っていないだろう。最悪の事態となればこの周辺は、週刊誌やワイドショーを中心とした記者やカメラを持った人達で埋まるに違いない。
全く恐ろしい世の中になったものだ。そこかしこにスマホというカメラを持った記者がいるのとそう変わらない。罪を犯した人間が逃走しにくくなった、との利点はあるだろう。その一方で、有名人のような公人に分類されればプライバシーなどないも同然である。
早々に食べ終わった龍太郎が難しい顔をしていたからだろう。香織が口を挟んだ。
「もうこの話題は止めようよ。朝から頭を悩ましてもしょうがないから。それより今日は病院と買い物に出かけないといけないんだから、あんまりゆっくりしていられないでしょ」
言われてみればその通りだ。龍太郎は三人の皿が片付いているのを見て頷いた。
「そうだな。とりあえず片付けて出る準備をしないと。朱音さんは留守番をしていて下さい。勝手に外へ出たり、誰かが訪ねて来ても応対したりはしないようお願いします。お昼までには帰ってきますから」
「分かりました。お言葉に甘えて、お二人が戻って来るまで体を休ませて頂きます」
「そうして下さい」
二人で食器を洗い終え、洗面所を交互に使い着替えた。洗濯や掃除は昨日済ませたので、今日はお休みだ。それに東山在宅クリニックまでは歩いて十分程で着くが、診察の予約時間は九時と早い。その為いつもより早めに用意し終わった。
それから出かけようと、洋間にいる朱音に声をかけた。
「それでは行ってきます」
すると彼女が出てきた。
「ちょっと待って下さい。これを先にお渡ししておきます」
差し出されたのは封筒だった。何となく受け取ると、感触だけで中身が何か気付いた龍太郎は驚いて言った。
「これ、お金じゃないですか」
「はい。十万円入っています。これは当面、私の食材分として受け取ってください」
「いや、そんなにも必要ないですよ」
「いいえ。寝泊まりするだけでなく食事まで頂いているのですから、タダという訳にはいきません。それだと私が居づらくなります」
彼女の気持ちも理解できる。その為香織と顔を見合わせ、中から一万円だけ抜き取ってあとは返した。
「でしたらまずはこれだけ頂きます。何か食べたいというリクエストがあれば伺いますよ。お好み通りに作れるかどうかは分かりませんけど」
「いいえ。いつもお二人が食べているもので十分です。昨日頂いた夕食や今日の朝食も美味しかったですし、量だって丁度良かったですから。それでも一人分増えるので、お手数をお掛けするでしょう。申し訳ありません」
頭を下げる彼女に龍太郎は言った。
「やめて下さい。もうそういうのは無しでいきましょう。ここであなたを匿うと決めたのは私達ですから」
「そうですよ。朱音さんは今、まず体を安静にしていて下さい。もしものことがあったら私達が困ります」
香織がそう付け加えると、彼女は目に涙を浮かべて頷いた。
「有難うございます。ではお言葉に甘えて。車には気を付けて下さいね」
彼女に見送られ二人は外へ出た。そこで何気なく目を向けた先に、警察の
急に緊張してしまった龍太郎は、平然を装いながら歩きつつ香織に話しかけた。
「車に乗っていたのって、昨日来ていた刑事かな」
香織は視線を前に向けたままで答えた。
「よく分からなかったけど、二人いるように見えたのならそうかもしれない」
「いつまでいる気かな」
「朱音さんの居所が分かるまでじゃない。さすがにうちの部屋にいるなんて気付かれてないと思うけど、マンションから出たかどうかくらい確認しているはずよ」
「そうか。マンションの防犯カメラを確認すれば入った姿が映っているだろうけど、出て行った姿が無ければ怪しまれるな。じゃあ、警察はまだマンション内にいると踏んでいるってことか」
「そうとは限らないと思う。昔、龍太郎も言っていたでしょ。表は無理だけど裏口からだと階段の手スリを乗り越えて外へ出れば、映らずに出られるかもしれないって」
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