第30話 行動~5

 恐れていた状況が現実に起こりそうだ。在京のマスコミが動きだしたのなら、名古屋近辺のテレビ局や新聞社等の記者達は既に駆け付けているかもしれない。

「ネットでも話題になっていましたから間違いないでしょうね」

 香織が答えている間に龍太郎は席を立ち、カーテン越しに外を覗いた。すると午前中は公園脇に停まっていた乗用車がいなくなっていた。その代わりに、大型のバンが何台かつらなっている。しかもその先にはテレビの中継車らしきものまで停車していた。

 視線を下に向けマンション周辺の道路側を見ると、十数人ほどの集団がいた。カメラやマイクを持っていたり腕に腕章を嵌めていたりする様子から、明らかにマスコミ関係者だと分かる。

「もう来ているよ。かなりの人数だ」

 こちらを見上げる視線から逃れるように、窓を離れて告げる。香織達は顔を見合わせた。

「インターホンを押されても、相手がマスコミだと分かったら無視した方が良い」

 そう言った途端、呼び出し音が鳴った。余りのタイミングに三人共がビクリとする。丁度立っていた龍太郎がそのままカメラを覗きに行く。するとやはり記者らしき人物が映っていた。

 手にはボイスレコーダーのようなものを持っている。その為龍太郎は無視をし、香織達の所へ戻り教えた。

「どこかの記者だった」

「出なくていいよね」

「当たり前だよ。居留守を使えば他の部屋のボタンを押すだろう。さっき来た刑事の話だと、俺達以外でもマスコミが押し掛ける事態を心配している人はいたみたいだから、多分クレームを付けてくれるはずだ。生活に支障が出ないよう対策を取るとも言っていたし、余りしつこいようだと警察に規制されると思う。しばらくすればじき治まるよ」

 不安げな顔をした香織にそう答えると納得したようだ。しかし迷惑をかけていると思ったのだろう。朱音が申し訳なさそうに言った。

「でも外に出たら取り囲まれるかもしれませんよね」

 そこで安心させる為に首を横に振った。

「昨日と今日と続けて買い物をしたから、少なくとも金曜日まで外出する予定はありません。二日あれば少しは騒ぎも治まるでしょう。最初だけですよ」

 香織も気を取り直したらしく、笑いながら話題を変えた。

「そうだ。今二人でルームランナーを買おうと思っていたんですけど、朱音さんはどれが良いと思いますか。外へ出られない分、部屋の中でウォーキング出来ると便利でしょう」

「そうそう。お腹の子の為にも必要ですし、私達もコロナ禍で外出が少なくなった分、運動不足なのが気になっていたんです。丁度いい機会だから、どれにしようか悩んでいたんですよ。一緒に選んで下さい。早ければ明後日には届くものもあるようです」

 龍太郎が追随ついずいすると、彼女は疑わし気な表情をして言った。

「もしかして、私の為に購入しようとしているんですか」

「きっかけにはなりました。でも以前から買おうかと話していたのは本当です。私の体の調子によっては、出かけるのも辛い時がありますから。といって適度な運動は回復の為に必要ですし、あれば便利なんですよ」

 彼女はじっとこちらの目を見て、香織にも視線を送った。本当なのかを確かめているようだ。しかし嘘はついていない。それが分かったのか、彼女はゆっくりと頷いた。けれど一旦洋間に移動してから、再び戻って来て封筒を差し出しながら言った。

「分かりました。ただし代金は私が払います。この部屋で寝泊まりさせて頂いている分と合わせた額です。ネット注文されるのならクレジットカード払い、または代金振り込みか着払いですよね。いずれにしてもこのお金を使って下さい」

「いりません。どうせ買おうと思っていたものなので、払われるとそれはそれで困ります」

「でしたらこちらの名義で注文をお願いしますけど、それは私が購入します。この家にいる間はお二人も使って頂いて構いません。もちろん使用料は取りませんし、ここから私が出て行く場合は引き取りますから。後で事務所宛に送って下さい。もしその後お二人が必要だと言うのなら、別途購入されたらいいじゃないですか。そうしましょう」

 反論は許さないという真剣な眼差しを向けられた為、二人は渋々頷いた。

「分かりました。だったらどれにするか、朱音さんが決めて下さい」

 ノートパソコンの画面を指差すと、彼女はソファへと移動した。龍太郎達は彼女を挟むように座る。表示されていたマシンの一覧を次々と見ていた朱音が、その中の一つに目が留まり言った。

「これなんかどうかな」

 画面を覗き込むと、それは一台約十万円のものだった。売れ筋の四万円台のマシンより機能が多いだけでなく、室内で使用する為に音や振動が少ないと書かれていた。

 もっと高価なものだと、機能が多すぎる点と重量がかなりある。その辺りのバランスを考慮し選んだのだと理解できた。

 値段を考えれば、龍太郎達ならもう少し安い商品を選んだだろう。しかし彼女が自分の分を買うと言い、お金も払うのだから文句は付けられない。その為龍太郎は賛成した。

「いいんじゃないですか。これも明後日には届くようですから、早速使えますからね」

 香織も賛同したからか、彼女はそれに決めたようだ。

「ではこれを注文して下さい。着払いも出来るようですが、カードで購入すればポイントが付くというのならそれでも構いません。お金は送料込みで十二万円お渡ししておきます。お釣りは結構です。食費に充てて下さい」

 香織と相談し、普段買い物でも使っているクレジットカードで支払うと決め、早速ネット注文をした。配達可能日は最短が二日後の木曜日の午後だったので、午後二時から四時の間で届くように入力する。その日のその時間帯なら余程突発的な用件が起きない限り、外出する予定はなかったからだ。

 無事注文が確定し、ルームランナーが届くまでどういう運動をすればいいのか、といった話題に移った。香織が先程見ていた、妊娠中に良いとされる行動というサイトの一つを開き、

「こういうのをやった方が良いみたいですね」

「知っている。動画にアップされているのがあってね。それを見ながら一度試したから」

などと楽し気に会話を始めた。

 また食生活について、好き嫌いやアレルギーがあるかを再度確認しつつ、こういった献立以外に食べたい物があるか改めて質問をし、朱音がそれに答えていた。

 そんな様子を眺めながら龍太郎は複雑な思いを抱いていた。これからの朱音についても心配だったが、それに巻き込まれてしまった二人の生活がどうなるか不安になったからだ。 

 今後インターホンは何度鳴らされるだろう。カメラを覗き、記者であれば無視をするだけでいいのだけれど、その度に立ち上がらなければならないので苛立つはずだ。

 余り多いようなら訪れた刑事達に貰った名刺にある電話番号にかけ、約束が違うと抗議しなければならない。それはそれでストレスがかかる。

 また自分達の将来について、今日は図らずとも考えさせられた。結果的には杞憂きゆうに終わったけれど、香織が妊娠しているかもしれないと聞いた瞬間、頭の中では様々な問題点があらわになり飛び交った。

 今置かれている状況でもし子供が生まれたとしたら、責任を持って育てられる自信など全く無い。過去を振り返れば、本当だったら一人で生活していたはずの龍太郎は香織によって救われた。

 もし彼女がいなければ、自殺は駄目だという気持ちも崩れていた可能性だってある。そうなればもう今頃は死を選んでいたかもしれない。そうならないように支えてくれたのは、間違いなく彼女だ。

 おかげで結婚してから、コロナ禍という空前のパンデミックの最中でありながら、ストレスを溜めるどころか体調はとても安定している。二人で残りの人生を過ごそうと決めたあの時の選択は、決して間違っていなかったと今では確信していた。

 しかしそこへ新たに子供が生まれるとなれば、話は大きく変わってしまう。香織に対する思いもかなり違ったものになっていたはずだ。

 そこまで想像したところで龍太郎は思考を停止した。もう現実には訪れないだろう、架空の世界に苦しめられる必要は無い。まずは目先の事だけを考えるのだ。動悸や頭痛が酷くなる前に、そう自分に言い聞かせていた。

 あれから夕食までの間に四度、記者によってインターホンが鳴らされた。下でかなりの大声が聞こえた時もあったが、他の住民の苦情を受けたのだろう。しばらくして治まった。よって龍太郎が刑事に電話をかけるまでには至らなかったのである。

 しかし夕食の時間になり、当番の香織が台所に入って準備を始めたので、いつも通りテレビを点けニュース番組にチャンネルを合わせたところ、このマンションらしき建物にモザイクがかかった映像が流れていると気付いた。

 このマンションは少し形に特徴がある。また近くに溜め池がある環境により、周辺に住む人ならすぐどこか分かる程だった。ここの住民の親戚や友人知人が見れば、電話をかけるなりしてどうなっているのかなど騒ぐだろう。

 ただ幸いにして人間関係を断捨離してきた龍太郎達にとっては、余計な心配をしなくて済む。他人からすれば可哀そうに、なんて思うのかもしれない。だがこれでいい、これがいいと判断して今の生活を選択した二人にとっては、今の所メリットしかなかった。

 龍太郎が座るソファに朱音も腰をかけ、手にはスマホを持ってニュースを眺めていた。時折思い出したように何か入力をしている。恐らくDMで事務所に連絡を入れているのだろう。

 妊娠中の運動や食事について一通り話した後、彼女は香織のノートパソコンを使ってビデオ通話をする為のアプリをダウンロードした。その後取得したアクセスIDをDMで知らせ、今から一時間程前に事務所の社長とマネージャーと画面越しで会話を済ませたのだ。

 念の為、龍太郎達については完全に伏せ、彼女は二人の姿や声が映ったり入り込んだりしないよう注意し、画面の反対側でその様子を見ていた。

 もちろん居場所が特定されないよう、背景にも気を使った。外の景色などを見えなくする為にバーチャル画像を設定したのだ。そうした事前準備を万全に整えた上で通話を始めたのである。

 妊娠している事実は病院が発行した妊娠証明書の写しを見せた為、事務所側も信用したらしい。けれど朱音が妊娠した相手の名を頑として口にしなかった為、当初はそうした行動や産むと勝手に決断し隠していた事自体を散々責められていた。

 しかし現在の状況を考えれば、最優先にすべき話で無いと先方も気付いたのだろう。それにもう産むと本人が決めたのだから、今頃になって何を言っても始まらない。

 そこでまずは柳畑との騒動をどう切り抜けるかといった話題に移った所で、ようやく建設的な話し合いがもたれ始めた。

 やがてこのまま隠れ続けるより、世間には妊娠の件を隠した上で動画配信し、無実を主張した方が得策だろうとの結論に至った。その代わり、逮捕状が出ればすぐ出頭すると彼女は約束をさせられ、動画でもその点をはっきり口にするよう釘を刺されていた。

 万が一に備えた段取りと動画配信の際に話す内容や手順等については、事務所側が明日の午前中までに弁護士や社内で打ち合わせをするという。決定次第DMにメッセージを送るので、それまで待機するようにと告げられていた。

 よって彼女は本来、今日だけでものんびり休めるはずだったのだ。しかしマンションが取り上げられているニュースを観て、いてもたってもいられなかったのだろう。

 当然マスコミは取材の為、事務所にも押し寄せているはずだ。その際にどう対応するのか、しているのかが気になったのかもしれない。

 もちろんこのマンションに匿われている件は知らせていないので、事務所から情報が洩れる心配はなかった。それでもSNSのDMを使って連絡を取っていたり、ほんの少し前までビデオ通話していたりした事実を嗅ぎ付けられては困る。その点の情報管理は万全かを再確認していたようだ。

 顔を上げた朱音は龍太郎に向かって言った。

「DMの件とビデオ通話した内容については、まだ社長とマネージャーと弁護士しか知りませんから、マスコミにリークされる可能性は今のところないようです」

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