第26話 行動~1

 昼食を済ませた三人は、それぞれの時間を過ごした。朱音は洋間に引き上げスマホで事務所にメッセージを送り、今後の打ち合わせを行っていた。香織は机に座って滞っていた手芸を始め、龍太郎はソファに腰かけ小説の続きを読んでいた。

 そんな時、突然インターホンが鳴った。嫌な予感がする。同じリビングにいた香織と目を合わせ、龍太郎は立ち上がった。

「俺が出る」

 沈痛な表情を浮かべる彼女に背を向け、カメラに近付き覗いた。予想はしていたが、昨日来た刑事だと分かった時点で軽く頭痛がした。

「誰。もしかして警察なの」

 黙って頷き、口に手を当て静かにするよう指示してから、通話ボタンを押した。

「はい」

 それだけ告げると、向こうからの声が聞こえた。

「仁藤さんのお宅でしょうか」

 確か平中と名乗った、若い方の刑事だ。

「はい、そうですが」

 素っ気なく答えたが、相手は意に介さず話し出した。

「突然申し訳ございません。昨日お伺いした者ですが、今お時間を頂けますか。少しお聞きしたい件があるので、開けて頂けますか」

 今回もマンション内の玄関先まで既に来ている。一度誰かの家を訪問する為に中へと入り、そのままここへ来たのだろう。恐らくは溝口家に行き、朱音から連絡がないかの確認などをしていたのではないか。

 だが何故龍太郎達を訪ねて来たのかは不明だ。各室を回り、改めて目撃情報がないかを確かめているのかもしれない。

 断る理由もない為、やむを得ず答えた。

「今開けます」

 通話ボタンを一旦切りマスクを取る為に机へと向かう際、香織に伝えた。

「昨日の刑事達だ。もう一度俺が対応する」

「何の用で来たの」

「分からない」

 首を振って答え、マスクを着け玄関先へと歩き鍵を開けようとしたが、朱音の靴が下駄箱に入れたままだと思い出す。念の為に取り出して北側の部屋へ隠してから扉を押した。その先に二人の男が立っていた。今度はこちらに言われる前からマスクを着用していた。

 昨日と同じくドアストッパーで扉を固定したところ、その隙間から相手が話し始めた。

「何度も申し訳ありません。今日は朝早くお出かけになられていたようですが、どちらに行かれていましたか」

 予想外の質問をされた為、龍太郎は眉間に皺を寄せ聞き返した。

「はあ? 何故そんな事を聞くんですか」

 不機嫌な声を出したにも拘らず、彼は平然と話を続けた。

「いえ。誰かとは言えませんが、仁藤さんご夫婦は基本的に月曜日と木曜日の午前中、揃ってお買い物へ行かれていると耳にしたものですから。確かに昨日伺った際、買い物へ出かけていたとおっしゃっていましたね」

「言いましたけど、それが何か」

「おかしいですね。今日もお買い物に出かけていませんでしたか。しかも帰りはタクシーで戻って来られましたよね。重そうな荷物を抱えていらっしゃいましたが、どうして二日連続で行かれたのですか」

 そこでようやく彼らの訪問意図を理解した。刑事達はそれぞれの住人に、それぞれの行動パターンを確認していたのだろう。

 その中でいつもと違う様子を見せた龍太郎達に目を付けたらしい。朱音がマンションから出ていない可能性があるのなら、誰が匿っているかを炙り出そうとしているようだ。

 しかし昨日の時点で龍太郎は、他の住民達の行動についてなど質問されていない。ということは、既にあの時から怪しいと疑われていたのだろうか。それとも病気療養中で他人との接触を避けていると告げ、余り協力的でない態度を取った為に情報が取れないと諦めただけなのだろうか。

 それにしても龍太郎達について、誰がそんなに詳しく話したのだろう。確かに香織と結婚してからは、ほぼ同じ生活習慣を取ってきた。よってこのマンションに住んでいる人なら、だいたい把握していても不思議ではない。

 実際香織との会話の中で、どこどこの人はこの時間に出かけている事が多い、といった情報を聞いた覚えがある。そういう関心を持たず、感度の低い龍太郎のような人でない限り、長く住んでいればある程度は分かるものなのだろう。

 心の中ではやや動揺したが、よく考えれば何も隠す必要などない。そこで龍太郎は大袈裟に溜息をついてから小声で答えた。

「警察は疑うのが仕事だとよく聞きますけど本当ですね。確かに今日は珍しく、二日連続で外出して買い物をしましたよ。ただそれは家内が妊娠したかもしれないと聞き、確認をする為に病院へ行ったからです。その結果が出て、今後はこれまで通りには出かけられなくなるかもしれないと思い、買い溜めをしておいただけですよ。タクシーで帰って来たのも彼女の体を気遣った為です。ただでさえ四十五歳と高齢ですからね」

 相手も想定していなかった返答だったからだろう。二人で目を合わせ戸惑いながら、かろうじて言った。

「それはおめでとうございます」

 相手が動揺している隙を突き、畳みかけた。

「ありがとうございます。ただここ最近は多少落ち着き始めたとはいえ、このコロナ禍ではまだ油断できません。念の為にネットで訪問診察が可能な近くの病院を調べ、電話して予約を入れました。何かあった場合、すぐ対応してくれる所じゃなければ困りますからね。ああ、でもこの件は他の住民に話さないで下さいよ。まだ安定期に入っていませんし、デリケートな問題ですから。もしあなた達の口から洩れたと分かった場合、警視庁に抗議の電話をいれますよ。二度と捜査協力もしませんから」

 最後の言葉だけは声量を戻し厳しめに言ったからだろう。平中は頷いて答えた。

「もちろんです。他言は致しません」

「もしお疑いなら妻を呼んで確認しますか。今は少し横になって休んでいますけど」

「あっ、いえ。それは結構です」

 思惑が外れたからか、明らかに気落ちしていると感じた。その為龍太郎は思い切って質問してみた。

「昨日、このマンションで緑里朱音がいるという目撃情報があったと言っていましたけど、もしかしてまだここにいると思っていらっしゃるんですか。それともここに来るのを見張っているのですか」

「それはお答えしかねます」

 その態度にカチンときた為、意図的に声を荒らげて抗議した。

「お二人はずっと名古屋にいらっしゃるようですけど、いつまでいるつもりですか。東京からわざわざ来た刑事達がいるとマスコミが嗅ぎ付け、ここに集まり騒ぎだしたりしたらどうしてくれるんですか。私は療養中ですし妻の体に障るような状況になったら、誰が責任を取ってくれるんですか。万が一にでもそうなれば、謝って済む問題じゃないですよ」

「他の方からもそういうご心配の声は既に上がっております。ですからそうならないよう、細心の注意を払っています。ただ人の口に戸は立てられませんし、今はネット社会です。いつどこでマスコミが聞きつけるかは、我々も予想できません。ただそうなった場合、できるだけ皆様の生活に支障がでないよう、こちらでも対策を取るつもりでおります。もちろん緑里朱音の居場所が分かれば、そういう心配はなくなります。ですから引き続き、捜査協力をお願い致します」

 誰かが同じ懸念を持ち、先に釘を刺した人がいたようだ。それなら警察が意図的にリークする心配はないだろう。

 それでも彼が言ったように、マスコミが嗅ぎ付ける可能性は残っている。ただその場合は何かしらの対策を取るというのなら、それなりの報道規制が引かれると考えていいのかもしれない。

 よって龍太郎は頷いた。

「それなら結構です。ただ捜査に協力できるかどうかは、そちらの態度次第ですよ」

 するとそれまで黙って後ろに控えていた間宮が、突然口を開いた。

「申し訳ありません。先程は結構ですと言いましたが、やはり奥様を呼んで頂けますか。お手数ですが、一度話をお伺いしたいと思いまして」

 そう来たか。自然と眉間に皺を寄せてしまったが、ここで断るのは逆効果になる。そう判断し了承した。

「分かりました。少しお待ち下さい。今呼んできます」

 振り返りつつ、香織に説明して話を合わせなければと考えながらリビングのドアを開けると、マスクをした彼女が立っていた。驚きの余り声を出しそうになったが、後ろ手でドアを閉めてから小声で囁こうとした瞬間、彼女が先に言った。

「大丈夫。話を合わせればいいのね。さっき、ここで立ち聞きしていたから」

 手には診察券と支払った領収書を持っていた。それなら話は早い。ただすぐ出て行くと不自然なので、しばらく間を置き簡単に打ちあわせをしてから二人で玄関先へと出た。

「ご苦労様です。妻の香織です」

 初対面となる彼女が二人に頭を下げると、彼らも同じく礼をしてそれぞれが名乗った。それから間宮が質問をした。

「昨日と今日、ご主人からお話を伺っていたのですが、奥さんはこのマンションで緑里朱音さんを見かけませんでしたか」

「主人には話しましたけど、二十年位前ならそれらしき方を一度お見かけした事があります。その時、私の母が溝口のおばさんにこっそり伺って、親戚だと教えられたそうです。ただあれからはないですね。少し前までお隣さん同士でしたけど」

「そうですか。ところで午前中、病院に行かれていたようですね。お体は大丈夫ですか」

「有難うございます。今のところ異常はありません。あとこれが診察券と領収書です」

 この二つから間違いなく今日の午前中に病院へ行き、診察を受けたと証明できる。ただ妊娠していたかどうかまで、領収書だけでは分からないはずだ。

 受け取った間宮は、平中にも見せ確認を促した。彼が頷いたので二つを戻して頭を下げ、さらに確認をした。

「有難うございました。病院に行かれた後、お買い物をされたそうですが」

「はい。昨日したばかりでしたが、今後の体調によっては出かけられなくなるかもしれないので、少し多めに買い溜めしました。それでも無理をしない程度に、適度な運動はした方がいいそうです。だからこれからも、定期的には外出したいと思っていますけど」

「今日はタクシーで帰って来られましたね」

 そこで彼女は龍太郎に一度視線を向けてから、笑って言った。

「余り歩き過ぎて体に負担をかけるといけないからと彼が余りにも心配するので、今日は楽をさせて貰いました。荷物も思っていたより多くなったものですから」

「タクシーはよく使われるのですか」

 これは龍太郎が答えた。

「滅多には使いませんね。傘を持たずに出かけて、帰宅途中で急に雨が降ってきた時くらいです。以前は二人共車を持っていましたけど、結婚を機に手放しました。それから基本的に移動は徒歩です。たまに電車やバスに乗りますが、コロナ禍になってからは一度も利用していませんね」

「そうですか」

 彼女が時折お腹に手を置いたりしていたからか、彼らも視線を向けていた。比較的ゆったりとした部屋着を着ている為、一見しただけではふくらんでいるかどうか分からない。

 まさか妊娠何週目だとか聞かないだろうなと警戒し、龍太郎から話題を振った。

「ところでテレビやニュースでは、柳畑議員の件は事故と事件の両面で捜査していると聞きましたけど、緑里朱音が未だ姿を見せないからお二人は事件だとお考えなんですか」

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