第25話 朱音の秘密~9
ようやく食べ終わった香織が目を見開いて言った。
「え? 表に出る覚悟って、どうするつもりですか」
最後の一口を口に含んだ朱音は、それを飲み込んでから答えた。
「時間を置けば置く程、警察や世間は私が柳畑さんを殺したと思うでしょう。でもそういう理由で身を隠したのではないと、弁明する場だけは設けた方が良いのかもしれない」
「どうやってですか。警察に出頭すれば、そんな事はさせてくれないでしょう」
「心配してくれて有難う、香織さん。私もそう思う。逮捕状が出たら尚更そうなるでしょうね。だからその前にネットで顔を出して、世間や警察に向けてのメッセージを流せないかなと考えたの。その場合、事務所には相談しておかないといけないでしょ」
「まさか、妊娠しているって公表するつもりですか」
「龍太郎さん、先走らないで。事務所には打ち明けるけど、今の段階なら世間にはある事情とだけ言って濁すつもり。無事出産出来たら公表しますよ。ただそれまで警察が逮捕状を取ったらどうしようもないけど」
その点は頭が痛い所だ。けれど逮捕される前に彼女の言い分を伝えておけば、例え逮捕状が出て出頭しなければならなくなっても、世間が味方する可能性は多少なりとも期待できる。
また警察に妊娠していると伝えた場合、個人情報の保護や母体の安全の観点から言えば、公表を控えてくれるかもしれない。その後で過失致死罪に問われたとしても、情状酌量の余地は十分ある。まして出産したとなれば世間の同情は引けるだろう。
ただし相手が道ならぬ人だと知られないという条件は付く。不倫だと分かれば、掌を返したように叩かれる心づもりが必要となるからだ。
そう考えれば少なくともそうした精神的な抑圧は安定期を過ぎた後、できれば出産後が一番いいと思われる。ただでさえ高齢出産なのだ。母子の身の安全を考慮すれば、大きなストレスがかかる状況は絶対に避けたい。
龍太郎は席を立ち、皿を片付けながら言った。
「そうと決めたのなら早い方がいいですね。時間も余りありません。今日昼過ぎからでも、事務所と打ち合わせをした方がいいでしょう」
彼女も腰を上げ頷いた。
「そうします。ネットで公表するにしても動画を撮って流すのか。どういう言葉を使えばいいのか。事務所の弁護士を通して詳細を詰めておかないといけないから、それなりに時間がかかるでしょう」
香織も自分の皿をカウンターに置きながら、話に加わった。
「それがいいと思います。でも先方との連絡は、引き続き私のスマホでⅮMを通してやって下さい。今はまだこの場所を特定されると困るでしょ」
「そうですね。動画を撮って流すにしてもこっちのスマホで撮影し、DMで送ったものを事務所から発表して貰った方がいいかな」
「それでも事務所が公表したら、警察はどうやって連絡を取ったか確かめるはず。DMだと分かれば、どの端末でアクセスしたかも調べるでしょう」
それまでに逮捕状が出ていれば、発信者の情報開示請求は速やかに行われるだろう。だがかなり時間はかかるに違いない。朱音の言葉通りなら、その頃には既に出頭しているはずだ。
そうなれば龍太郎達が匿っていた事実も明らかになる為、発信方法を隠し立てする必要もない。香織と共に警察の事情聴取を受け悪意は無かったと供述すれば、罪に問われる可能性が低くなる。
食器を洗いながら今後すべき行動を三人で話し合った結果、道筋がほぼ見えてきた。事務所による全面的な協力が不可欠ではあるけれど、三十五年も朱音と共に歩んできたビジネスパートナーだ。その間に得た稼ぎは相当な金額に上るだろう。
またこれからも十分な利益が見込める大事なドル箱スターを、そう簡単に見捨てるはずがない。騒動が発生してから今日で二日目だ。朱音が柳畑の胸を押した証拠がDNA鑑定などにより出るまでは、もう少しかかるかもしれない。
検出されないかもしれないし、出てもそれだけで逮捕状が取れるとは限らなかった。何故なら単に触れた証明にしかならず、突き落としたとまで断言できるかといえば、困難を伴うはずだからだ。
あるとすれば柳畑が転落死したと思われる時間帯、二人きりでいたという状況証拠だけだろう。これほど世間で名が知れた有名人を、それだけで逮捕するのは警察も躊躇するに違いない。その一方で長い間行方をくらませていれば、逃亡と判断される恐れもあった。
しかし朱音が事務所を通し動画であれ世間が納得するだろう事情を説明すれば、多少の時間稼ぎは出来るかもしれない。その間に遺体の司法解剖や現場の状況などから新たな事実が出れば、彼女の無実も明らかになる可能性だって期待できる。
もし状況が悪化して逮捕状が出ても、出頭した上で警察にお腹の子の件を公表しないよう交渉すれば、最悪の事態は免れるはずだ。
今後どうなるのかと懸念していたが、見通しが立ってきた。その為これまで感じていた重圧から、少し解放された気分になった龍太郎の体は軽くなった気がする。
けれどそれは甘い考えだったと、直ぐに気付かされるのだった。
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