第7話 穏やかな日々の崩壊~7

 その為龍太郎は告げた。

「インターホン越しでいいですか」

 すると相手は顔を見合わせて、それから口を開いた。

「できれば玄関先でも結構ですので、ドアを開けて頂けると有難いのですが」

 ここで拒めば疑いが深まってしまう。そう思って答えた。

「分かりました。少々お待ちください。ただこのご時世なので、マスクをつけて頂けますか。こちらもつけますので」

 しばらく間を開けてから相手は頷いた。

「分かりました。つけますのでお願いします」

 彼らがポケットからマスクを出す様子を確認し、通話ボタンを切る。その途端、香織が龍太郎の腕を掴んだ。

「どうするつもり」

「何とか誤魔化ごまかすしかない。さすがに令状も無しで、いきなり中にまでは入ってこないだろう。とりあえず俺だけで対応するから、香織は中にいてくれ」

「大丈夫なの」

「ああ」

 そう言ったものの自信は無い。ただ幸いマスクをつけられる。そうすれば表情は読まれ難いはずだ。そう考えながら机の所まで戻り、外出用の不織布マスクを取り出してから玄関先へと向かった。

 そこで緑里の靴に気付き、慌てて下駄箱げたばこの中に隠す。それからゆっくりとドアロックをはずし、上下にある鍵を開けて扉を少しだけ開けた。

 目の前に先程画面に映っていた男が立っていた。一人は四十歳前後、もう一人は三十歳前後のようだ。そこでもう少しだけ広く開けてから、ストッパーで扉を固定する。

 中に入ろうと思えば出来るが、許可なしには入りづらい微妙な広さだったからだろう。彼らはその場に立ったまま、年配の方が先に名刺を差し出し名乗った。

「突然申し訳ございません。私、警視庁の間宮まみやと申します」

 続いて彼が後ろへ一歩下がり、入れ替わりで若い方が前に出た。

「同じく、平中ひらなかと申します」

「仁藤です」

 龍太郎は名乗りながら名刺に目を落とした。そこには警視庁捜査一課とある。つまり東京から追いかけて来たのだろう。柳畑は死亡しており、しかも代議士だ。殺人を扱うエリート集団の捜査一課の刑事が担当になってもおかしくない。

 視線を上げると間宮がじっとこちらを見ていた。鋭い目に圧倒されドキッとしたが、平静を装って若い刑事の方に尋ねた。

「愛知県警の刑事さんではないんですね」

「はい。仁藤さんとおっしゃいましたね。あなたは緑里朱音という女性をご存知ですか」

 予期していた質問だったが、少し間を置いて答えた。

「お昼のニュースで見ましたが、あの緑里朱音さんですか」

「ご存知でしたか。そうです」

「テレビなどで拝見していますから、知っていると聞かれればハイとしか答えようがありませんけど」

「ニュースを観られたのなら、彼女が行方不明になっている件もご存知ですよね」

「はい。そのようですね」

「このマンションで彼女を見かけませんでしたか」

 余りに直球の質問をぶつけられ、思わず目を丸くした。だがこれもある程度予想していた為首を振った。

「いいえ。こんなところにいるはずがないでしょう」

「どうしてそう思われますか」

 後ろにいた間中が一歩前に踏み出し尋ねてきた。その圧に負け、無意識に後ずさりしながらも何とか言った。

「逆にお聞きしますけど、何故あんな有名人がここにいると思うのですか」

「仁藤さんは二〇一号室の溝口幸子さちこさんをご存知ですか」

 ここでも一瞬間を置き、思い出したように言った。

「ああ。そういうことですか。ご存知という程私は親しくはないですけど、そういえば妻が言っていましたね。溝口さんのお婆ちゃんの姪だとか。それでここにいるかもと来られたのですか」

 再び平中が質問してきた。

「奥様がいらっしゃるのですか」

「はい。彼女は以前、二〇二号室に住んでいたんですよ。でも約三年前に私と結婚しここで住むようになったから、貸し出しているんです。だから最近までは溝口さんとお隣だったので、そういった話を昔聞いたことがあるそうです。私は全く知りませんでしたけど」

「そうですか。失礼ですが、お二人の下の名前を教えて頂けますか」

「龍太郎と香織です」

 仁藤という名も含め、どういう漢字を書くのかを伝える。彼はそれを手帳に書き、さらに質問をしてきた。

「龍太郎さんはどちらにお勤めですか。今日、会社はお休みですか」

 聞かれるかもしれないと心の準備をしていたけれど、やはり気分がいいものではない。そこでややむっとしつつ言った。

「会社は四年前に辞めました。以前は保険会社に勤めていて、あちこち点々としていたのですが体を壊しましてね。だから交通事故で亡くなった両親から受け継いだこの家に来て、今は療養中で主にこれまで貯めた預金を切り崩しながら生活しています。妻も五年前に事情があって会社を辞め、収入は先程言った下の階からの家賃収入が主です。まあ二人だけですから、今のところは何とかやっていますけど」

 まずい事を聞いたと思ったのか、彼は頭を下げた。

「それは失礼しました。ではお二人共、今日は部屋にいらっしゃったのですね」

「いえ。午前中は二人で買い物に出かけました。昼前には戻り、それからは出ていません」

「そうですか。分かりました。もう一度確認しますが、緑里朱音をみかけてはいませんか」

 家庭事情を説明させられたからだろう。イラっとしたので突き放すように答え、こちらからも質問してやった。

「見てないですよ。先程溝口さんの家へ、最初に伺ったと仰っていましたね。そこに来ていたのは確かなんですか」

「すみません。捜査に関してはお答えできないのです。ただこのマンション内で見かけた、という目撃情報があったものですから」

「そうですか。それはお隣ですか。それとも理事長さんですか」

「それもお答えできないのです。申し訳ありません」

 テレビや小説でもあるが、やはり警察は質問ばかりして自らの情報をださないというのは本当のようだ。

「分かりました。もういいですか。コロナ禍ですしワクチン接種は二度打ち終わりましたけど、他人との長い間の会話はリスクが高いので」

「結構です。お時間取らせて申し訳ございません。もし見かけましたら、お渡しした名刺に書かれた電話番号にご連絡頂けますか。奥様にもそうお伝えください」

「分かりました。ご苦労様です」

 そう言って頭を下げてからドアストッパーを上げた。相手は納得していなさそうな表情をしていた為、龍太郎の心臓の鼓動が激しくなっていた。

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