第34話 決意(龍太郎視点)~1

 水曜日の朝を迎えた龍太郎は目を覚ましてモーニングルーティンを済ませ、朝食を作ろうと台所に立った。香織は洗濯の準備をしている。

「おはようございます」

 朱音も起きてリビングに顔を出し、お互い挨拶を交わす。彼女はソファに座り、点いているテレビのニュースを見始めた。

 昨日は直ぐ洗面所に向かい軽くメイクしていたようだが、今日はしないのだろうか。そんなことを思いながら手を進める。洗濯機を回し始めた香織が、彼女の横に座り何か話しながら新聞やチラシに目を通していた。

 パンが焼けたので目玉焼きなどを盛った皿に乗せ、カウンターに置いて声を掛ける。

「出来たよ」

「は~い」

 香織達が同時に答え腰を上げ、こちらに向かってきた。テーブルの上にセットし終わり席につく。顔を上げると、正面にいる朱音の顔が目に飛び込んできてやや動揺した。昨日とは違い、完全なスッピンだったからだ。

 同い年の香織と比べれば圧倒的に少ないけれど、それでも若干のシミが見えた。とはいっても小顔で綺麗な点は変わらない。

「そんなにじっと見ないの。失礼でしょ」

 横から香織に叱られ慌てて頭を下げた。

「すみません」

「いいですよ。メイクしていないと普通のおばさんでしょ」

 自虐的に笑った彼女だが、首を振って強く否定した。

「いえ、とんでもない。同い年には全く見えません」

「それはそれで私に失礼でしょ」

 再び香織に咎められ、思わず狼狽えて肩を竦(すく)めた。その様子を見て二人が笑う。龍太郎も苦笑いをしながらトーストにかぶりつく。そうして談笑しながら三人で朝食をとった。

 大学に進学してからほとんど一人、結婚してからは二人でしか食べたことがない。三人で食べたのは、香織の母がまだ何とか元気だった頃以来だ。その為こうして朝から複数で会話しながらの食事は、とても新鮮に感じた。

 特に朱音は有名人だからと偉ぶったり壁を作ったりせず非常に親しみやすく、会話にユーモアのセンスがあった。やや天然な雰囲気を感じる点など、テレビで見ている時とイメージも変わらない。バラエティで活躍する彼女のキャラクターは決して作られたものでなく、ましてや演じてもおらず彼女そのものの姿だと知った。

 だから周りから愛され、確かな演技力もある為に沢山起用されるのだろう。龍太郎にとってその魅力的な人間力はまぶしくあこがれた。自分が欠けている点を全て彼女は持っていたからだ。といってねたましくは思わない。

 ただ単純に羨ましく素直に尊敬できた。これまでもテレビなどで見る有名人の中では比較的好感を持っていたが、身近に接していたからかファンになっていた。

 その為当初持っていた厄介事を抱えたという煩わしい感情は完全に無くなり、彼女を守りたいとの思いがより強くなっていた。

 もしかすると殺人犯なのかもしれないとの疑いも今は消え、高齢妊婦している彼女を労わらなければならないとの使命感を持つようになっていた。香織が妊娠したかもしれないと、一時思った影響もあったからだろう。

 朝食を食べ終わり、食器を片付けて交互に洗面所を使用する。今日は出かけないので、いつもなら髭は剃らずに顔を洗って歯を磨くだけだ。しかし朝九時に来客がある為そうはいかない。

 赤坂は本当に来るのだろうかと懸念しながらも掃除セットを出し、フローリングの埃を取り始めた。香織は止まった洗濯機から洗濯物を取り出し、ベランダに出て干していた。 

 テレビは既に消していたので、朱音はソファに座りスマホを見ている。事務所から新たな連絡が入っているかを確認しているか、ネットニュースをチエックしているのだろう。

 朝のニュースや新聞では特に目新しい情報が無かった。その為フロアモップで床を掃きながら声をかけた。

「何か動きはありましたか」

 彼女は首を振った。

「動画配信の方法や内容についての詳細な打ち合わせがまだできていないので、事務所からはもう少し待って欲しいと言って来てます。昨日はマスコミ対応もあったからでしょう」

「ネットニュースなどで、捜査状況に進展があったという報道はされていませんか」

「私が姿を消したままだから、目につくのは憶測記事ばかりですね」

 二人同時に溜息をつき話題が途切れた。こういう時のマスコミはたちが悪い。事実が明らかにされておらず、反論される心配がないと分かっているからか、ここぞとばかりに大衆が喜ぶ好き勝手な記事を掲載する。

 言論の自由だ、知る権利だと勝手な論理を盾にして、発行部数や閲覧数を稼ごうと躍起になるのだ。そこにはジャーナリストの矜持など微塵みじんも感じられない。このまま放置すれば、報道はもっと過激になり加熱するだろう。 

 朱音としては妊娠というまだ絶対知られたくない弱みがある為、強気に出ることも難しい。まずは動画配信をし、姿を消している理由は柳畑を殺したからでないと世に訴える必要があった。

 それでも次には、だったら何故警察に出頭して説明しないのかと責められるだろう。その点を上手く回避できるかが重要になってくる。彼女の事務所はこの難局をどう乗り切るつもりなのか。弁護士と相談し、どういった内容を告げさせるつもりなのか。

 龍太郎が心配したってどうしようもないのだが、考えずにはいられなかった。しかしその前に、まだ越えなければならない壁が立ちはだかっている。それは赤坂の訪問診察だ。 

 今日を乗りきれば次の二週間後の診察まで、取り敢えずの問題はクリアになる。ただしその間、体調が安定していればという条件は付く。

 北側の寝室の掃除も終わり、モップなどを片付けようとリビングに戻った。すると洗濯を干し終わり、ソファに腰かけなにやら朱音と話をしていた香織がこちらを振り向いて言った。

「マンションの周辺に、まだマスコミらしき人がいるわよ」

 朱音も彼女と同じく、不機嫌そうな表情でこちらを見ていた。

「またインターホン攻撃があるかもしれないな。邪魔くさいけど無視すればいい」

 龍太郎も眉間に皺を寄せ答えると彼女達は頷いた。けれど赤坂先生達が来た時、迷惑をかけるかもしれない。入ってくる際はまだいいが、マンションから出た後は必ず質問攻めに合うだろうと不安になった。

 その時に備え、事前打ち合わせをしておいた方が良さそうだ。もちろん彼女達は医者だから、守秘義務がある為にノーコメントを貫いたとしてもおかしくはない。ただこのタイミングで医師が来たと知られれば、それはそれで厄介だ。

 隠したとしても後をつけられれば、東山在宅クリニックから来たとばれるだろう。あの病院はペインクリニックがある為、高齢者が多く住むマンションを訪れても不思議ではない。ただ今の状況なら、変に勘繰る輩も出てくるはずだ。

 それはマスコミに限らず警察も同じだろう。記者達は無視すれば済むが、あの刑事達に訪問されて問われれば面倒だ。昨日診察を受けたと知っているだけに、何故次の日に医師がわざわざ訪問したのかを聞かれるに違いない。

 だが香織はその件ならば問題ないとばかりに平然と言った。

「体調が悪くなったとでも言えばいいのよ。それこそ本当かどうかなんてデリケートな話だから、先生も言わないでしょう。高齢妊娠していたら、ちょっとした異変でも気になるから。ましてやこんなにマスコミがうろうろしているんだし、外出したくなかったと言えば信じて貰えると思うよ」

 朱音もその意見に追随した。

「そうですよ。ついでに住民の生活に支障がでないよう対策を取ると言っていたのに、どうしてくれるんだと抗議すればいいと思います。そういえば追い返しやすくなりますから」

 龍太郎は大人しく頷かざるを得なかった。いざとなればやはり女性の方がたくましい。特に朱音はお腹の中に子を宿やどしているのだ。

 その命を守る為なら何だってするとの強い意志が感じられる。香織もそれに影響されたのだろう。まるで自分も本当の妊婦かのように振舞っていた。

 そうしてる間に八時半を過ぎていた為、二人に告げた。

「そろそろ先生が来る時間だから着替えよう。朱音さんはその恰好でいいんですか。診察しやすい服装にするのなら、そろそろ準備した方が良いですよ」

「そうします」

 彼女は隣の部屋へ移動し、香織は龍太郎と一緒に北側の寝室へと移動した。龍太郎は寝間着から外出用の服装に着替えながら、この部屋にまた他人が来るのかと考えただけで不思議に感じた。

 退職してこのマンションに住み始めてから、引っ越しなどの業者を除いて他人で入ったのは、結婚前する前の香織と彼女の母だけだ。結婚してからだと誰も招いていない。

 それがわずかこの三日間で朱音を二日間宿泊させ、さらにこれから赤坂と寺内を招き入れるのだ。淡々とした日々を過ごしてきた二人にとって、余りにも突然の変化に驚くしかなかった。

 龍太郎が着替え終わり、香織に話しかけた。

「先生達にはこっちの北側の部屋で診察して貰った方がいいんじゃないか。ベッドもあるし窓は擦りガラスだから、南側に窓があるリビングを通って洋間に出入りするより、外から覗かれる心配がないだろう」

「うん。私もそう言おうと思っていたの。だからリビングに戻ったら、朱音さんには寝室で待ってて貰おうよ。先生達が来たら、すぐこっちの部屋へ案内すればいいよね。龍太郎はリビングで待っていてくれればいいから」

 ああ、と頷いたところで、彼女が着替えた服に違和感を持つ。買い物に出かける時の格好ではない。そんなゆったりとしたワンピースを彼女が持っていたことすら知らなかった。

 疑問に感じていると気付いたらしく、香織が説明した。

「だって一応、私が診察して頂く予定の患者なんだから、それらしくした方が良いでしょ」

 そこまでする必要があるのかと思ったが、どんな服を着たって自由だ。

 龍太郎が無頓着すぎるので、こういう服が似合うと選んでくれたことはある。だがこれまで彼女にこういう格好をして欲しいなどと、こちらから注文を付けた事など無い。

 その為それ以上の話はしないままリビングに戻り、洋間から出て来ていた朱音に告げた。彼女は言われた通り寝室へと移動した。ついでに四人分のほうじ茶を入れたコップをお盆に乗せて運ぶ。

 二人でソファに腰かけ時計を見る。九時十分前だ。時間までもう少しあったので香織に話しかけた。

「予定通り来るよな。上手く催眠がかかっていればいいけど」

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