第35話 決意(龍太郎視点)~2

 何故かきょとんとしていた為、話を続けた。

「だってそうだろ。香織の催眠が解けていたら、予約を見ても何かの間違いだと思って、来てくれないかもしれないじゃないか。最悪の場合は朱音さんがここにいると知り、警察に通報している可能性だってある。もしそうなら、彼女は昨日来た刑事達と一緒に中まで入ってくるかもしれない。だからインターホンでよく確認しないと」

 理解できたらしく彼女は頷いた。

「そうだね。でもいきなり入っては来ないでしょう。もし警察に通報していたとしても、一度中に入って間違いなく朱音さんがいると確認するんじゃないかな」

「そうか。もし昨日の内にマンションをこっそり抜け出していたら、捕まえ損なってしまうからな。それに俺達が入室を拒めば、向こうも無理に入ってはこられないだろう」

 確証がなければ龍太郎達を問い詰められない。あくまでいないと白を切られてしまえば、逮捕状や捜索令状が無い限り何もできないはずだ。

 しかし赤坂達に協力を依頼し部屋にいたとの証言を得られれば、龍太郎達も言い逃れは出来ない。つまり無事彼女達が二人きりで訪れたとしても、その点を見極める必要がある。

「だったら一旦、リビングに通して確認した方が良いんじゃないか」

「どうして。それこそ警察になんか言っていないと否定されれば、確かめようがないわよ。朱音さんの姿を見つけたからって、何もせず部屋を出て警察に連絡するような真似はしないと思う」

「確かに朱音さんは信頼できる医者だと言っていたな。本当なら、最低でも母子共に問題ないかは診てくれるだろう。それから警察に出頭するよう説得してくるかもしれない」

「もしそうなったら、今度は朱音さんに催眠をかけて貰えばいいんじゃないかな」

 そう言えば朱音もそう言っていたと思い出したが、彼女は冗談半分だったはずだ。龍太郎が目を白黒していると彼女は笑った。

「だって龍太郎も見ていたでしょ。一度は催眠にかかったのよ。解けたのなら私が下手だっただけ。あの二人は催眠にかかりやすいのなら、朱音さんがやれば間違いないでしょう。だってあの柳畑議員は三十五年以上もかかったままだったんだから」

 そうかもしれない。もし催眠が解けていて警察に通報していたとしても、再度かけ直せれば朱音はいなかったと証言して貰える可能性はある。

 もし上手くいけば彼女はマンションから抜け出し逃げていると、警察は思ってくれるかもしれない。そうなれば少なくとも龍太郎達の部屋にはいないと考えるだろう。

 そう考えたところで、一つ欠点を見つけた。

「でもそれだと、一度は俺達が朱音さんを匿ったとばれてしまう」

「そこは勘違いだったと言わせるよう、催眠をかけ直して貰えばいいのよ。大丈夫。そんな心配をしても無駄でしょ。なるようにしかならないわ」

 そこでインターホンが鳴り、ビクッとする。時計は九時一分前を指していた。ソファから立ち上がった龍太郎がカメラを覗く。後ろから香織も見ていた。

 画面には、昨日会った寺内という看護師の顔が大きく写っている。その後ろに赤坂の姿があった。その背後にはマスコミらしき人達が遠巻きに様子を伺っており、刑事の顔は見当たらない。

 通話ボタンを押して応答する。

「はい。今開けます」

 下手にこちらが名乗ると、どこの部屋に訪問したかがマスコミにばれてしまう。また向こうが名前を言えば、どこの誰なのかが突き留めやすくなる。

 よって口にする前にドアロックを解除したのだ。もちろん彼女が押した番号を記者達が覗き見ていれば、訪問先は分かるだろう。だが無視し続ければ相手はどうしようもない。

 念の為に彼女達だけが中に入りドアが閉まるまでを確認してから、通話ボタンを解除して画面を切った。香織が言った通り、いきなり刑事と一緒に訪ねてくる恐れは無さそうだ。 

 それでも玄関先に来た際、もう一度インターホンが鳴った時に再度背後を確認する。誰もいないようだったがドアを少しだけ開け、直接目視して問題ないと確信してから彼女達を中に入れた。

 挨拶をする隙も与えない速さで鍵を閉め、ようやく安堵する。

「外は大変な騒ぎですね」

 龍太郎と玄関先に迎え出ていた香織が、赤坂の言葉に恐縮し頭を下げた。

「申し訳ございません。何か言われませんでしたか」

「大丈夫ですよ。仁藤さんが謝る必要はありません。普通の訪問客の振りをしていましたし、車も病院のものとは気付かれないようにしていますから」

 だが彼女達は診察の為の機器が入っている、大きなメディカルバッグを持っていた。外見から中身は分からないけれど、朝早くこんな大荷物を持って人の家を訪ねるのだ。普通ならまず怪しまれるに違いない。

 少なくとも外に出た際はどういう用件で来たのか、朱音と関係しているのかどうかなど、記者達に質問攻めされるだろう。それらを無視したとしても、どこかで監視している刑事達が見逃すはずはない。

 警察に尋ねられれば、何も答えず通り過ぎるのは無理だ。どこを訪ねたのか、朱音を見かけたかどうかの確認は必ずすると思われた。医療行為については守秘義務があると断れたとしても、それ以上の口留めは難しい。

 よって診察が終わって帰る際、その点を注意するよう念を押しておかなければならないと肝に銘じる。

「どうぞ、こちらの部屋でお願いします」

 香織が北側の寝室へと赤坂達を誘導してドアを開けた。

「では失礼します。特にお変わりはありませんか」

 声を掛けながら三人が部屋に入って行く姿を、龍太郎は内心びくびくしながら見送った。既に中で待機している朱音の姿を見た時、赤坂達は驚くだろうか。催眠が解けていなければ何の抵抗もないはずだ。そうでなければ違った反応を示すだろう。

 そう予想しながら注視していると、先に部屋の中へ足を踏み入れた赤坂が僅かに立ち止まった。だが直ぐに中へ入り寺内がその後に続く。彼女もまた動きを止め、さらにこちらを振り向いた。

 やはり駄目だったかと思った瞬間、声を掛けられた。

「ご主人は席を外されますか」

 予期していたセリフでは無かった為、言葉に詰まる。しかしどうにか答えた。

「は、はい。私はこちらのドアの向こうの、リビングで待機しています。何か必要な物などがあれば声を掛けて下さい。あと、トイレはこちらです」

 それぞれ指を差して伝えると彼女は頷いた。

「分かりました。有難うございます」

 そう言い残し、部屋に入って後ろ手でドアを閉めた。しばらくそこに立ったまま、中から聞こえる声に耳を澄ます。だが特に大きな声がしたり、異変を感じたりはしなかった。そこでひとまず安堵する。朱音との対面はとどこおりなく済んだらしい。

 といってもまだ油断は禁物だ。診察を終えた後、朱音に出頭するよう説得を試みる可能性はまだ残っていた。しかしそうなった場合でも龍太郎の出番はない。

 まさか腕力に訴える訳にはいかないから、経緯を説明して協力依頼するしか手段は無かった。それは同じ女性同士である香織達に任せた方がいいだろう。

 龍太郎はドアを開け、奥のソファではなくダイニングの椅子に腰かけた。何か用事を言いつけられた場合に備えてだ。またインターホンからも近いので、刑事が突然訪ねてきた際にも対応できる。

 時間を潰す為、途中になっている本を開き読み始めた。何もしていないと余計な想像ばかりしてしまう。不安を抱え続ければ体にも良くないからだ。

 こういう時はこれまでの経験上、寝てしまうか物語の世界に没頭するのが最も効果的だと分かっている。ある意味同じ現実逃避といえるが、後者はよりポジティブだった。

 それに小説は外に出なくても様々な経験を疑似体験させてくれ、その上色々な知識が得られる。さらには頭を単に休ませるのではなく、脳を動かし活性化させて集中力も高められた。これもこれまでの長い療養期間で学んで得た、自分にあった心の整え方だ。

 特にミステリーであれば犯人は誰で動機は何だ、殺人はいつどこでどのように行われたのか等、考えさせられる点が沢山ある。そこに隠されたテーマを読み解くことで、感心させられたり感動したり、時には怒りを感じたりと心が揺さぶられた。

 内容によっては穏やかでいられず、つい表情が険しくなってしまうものもある。それが余りに度を越し、合わないと思った場合は途中からでも読まなければいい。ただ胸をざわつかせるからこそ想像を超えた展開が待っていて、読了後に爽快感を残す物語もあるのだ。

 朱音の診察結果等も気になっていたが、龍太郎はいつの間にかその世界に没頭してしまったらしい。気付けば予定の一時間を少し過ぎていた。

 初診でもないのに思っていたより時間がかかっていた為、何か異常が見つかったのかと心配になる。もしくは催眠が解け、朱音に出頭するよう説得でもしているのだろうか。

 疑心暗鬼が募り席を立ち、寝室のドアの前まで移動し耳を澄ませた。すると中で何やら話している声がしたけれど、内容はよく聞き取れない。その為小さくノックした。 

 声がピタッと止んだので呼びかけた。

「すみません。診察は終わりましたか」

「何かあったの」

 香織がそう尋ねながらドアの前まで来て少し開けた。覗いてはいけないと思い、一歩下がって首を振る。

「いや、何もないけど結構時間がかかっているようだから、大丈夫かと思って」

「ごめん。特に問題はなかったわよ。診察が終わって少し雑談をしていただけだから」

 平然とした受け答えに胸を撫で下ろしつつ、小声で尋ねた。

「先生達は協力してくれそうか」

 ちらりと背後に視線を送ってから、彼女は笑って頷いた。

「そっちも大丈夫。マスコミに聞かれた場合、何も知らない振りをしてくれるそうよ。病院へは直接帰らず他の患者さんの所へ行くようだから、尾行される心配も無いと思う。でも念の為に百貨店の立体駐車場へ車を入れて、買い物してから戻る予定みたい」

「そこまで気を付けてくれればマスコミはけるかもしれないけど、警察は無理だろう。事情を聞かれたらどう答えさせるんだ」

「嘘をつかせられないから、職業は告げることになるでしょうね。でもそれ以上はどの家を訪問し、どういう診察をしたかは守秘義務を盾に答えないと約束してくれたよ。もちろん朱音さんを見かけたか聞かれた場合は、そんな人は知りませんと応じるつもりだって。それは嘘になるけど、私達と同じで妊婦を保護するという医者の観点からいえば、後で責められても言い訳がつくから大丈夫だと言って頂けたから」

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