第39話 決意(龍太郎視点)~6

 龍太郎は土間に降り、玄関の扉をゆっくりと開けた。その隙間から刑事の姿が見える。軽く頭を下げてからこれまでのようにドアストッパーをかけ、二歩下がって上り口に立つ。

 刑事達も以前と同じく中には入らず、若い刑事が一歩前に出て話し始めた。

「何度もしつこく鳴らしてすみません。お休みの所をお邪魔してしまったようで」

 平中は信じていないかのような表情を浮かべつつ、カメラ越しで告げた言葉を繰り返した。しかし一時間余り寝ていたことは確かだ。その為に怒気を含めて言い返した。

「本当ですよ。妻も寝ていたのに、起きてしまったじゃないですか。それに外もまた騒がしいようだし、今度は何の用ですか」

「それは申し訳ございません。それなら動画は見ていらっしゃいませんか。その件でお伺いしたのです。下もそれが原因で集まっているんですよ」

 知ってはいたが惚けて答える。こういう時にマスクを嵌めたままで居られるのはとても心強かった。

「何ですか、それは」

 彼は行方不明中の緑里朱音が所属事務所と連絡を取って動画を撮影し、それを使って事務所の社長が記者会見を開いたと説明し始めた。

「そうだったんですか。それでどうして、このマンションにマスコミや刑事さん達が来ているんですか」

「動画を拝見したところ、どこかの屋内で撮影しているらしいと分かりました。しかもスマホやパソコンを使って事務所と連絡を取っている状況から、逃走を手助けしている第三者がいることは間違いありません」

 そこで溝口が怪しいと考え、再び取材陣が殺到したという。また警察としても再度確認せざるを得なくなり訪ねたそうだ。

「あなた達がここへ来たのは、溝口さんの部屋に緑里さんがいなかったからですね」

「そうです。まあ、あの部屋は中に上がってどこにもいないと、前回も前々回も確認はしていました。それでも上がもう一度見て来いと煩いものですから」

 ワザとらしく頭を掻きながらの言動に苛ついたが、ぐっと堪えて尋ねた。

「それでまた他の部屋も確認する為に、改めて回っているということですか」

「そういうことです」

 彼は明らかに嘘をついていた。しかしその点を追及する訳にもいかないので、別の角度から攻めた。

「事務所と連絡が取れたのなら、どこにいるのか把握できたんじゃないですか」

「いえ、それがまだ分からないんですよ。事務所にも居場所は告げていないようでして。それで私達も困っているんです」

「スマホやパソコンで、と言っていましたね。どこからかけたのかくらい、警察なら辿れるでしょう。どこかのハッカー集団のように、海外のサーバーをいくつも経由しているのなら別でしょうが」

「そうした犯罪集団に拉致、監禁されていたらあり得るでしょうが、撮影された動画を見る限り、その心配は無さそうです」

「それならこのマンションのどこかにいるという確認でもできたのですか」

 彼は首を振った。その様子から、事務所はまだ警察に全てを話していないと判断する。DMの件も隠しているようだ。それならここを何とか切り抜けようと決心した。

 そこで向こうからの質問を待っていると、後ろに控えていた間宮が前に出て言った。

「ところで今日はお二人共、外出はされていませんか」

「していません」

「それでは朝から何をされていたのですか」

 余計なお世話だと内心では腹を立てたが、何を聞き出したいのか予想がついたので、嫌味の一つでも言ってやろうと口にした。

「午前中は訪問診察を受けていましたよ。香織の体調が悪かったので念の為に来て頂いたのです。外にはああいった、騒がしいマスコミがいますからね。幸い特に問題なく今は落ち着いていますが、お昼を食べ終わった後に少し休んでいたんですよ。私も気疲れしたから、ソファでうたた寝をしていました、それをあなた達に邪魔されたんです」

「そうでしたか。それはすみませんでした」

 そうは言ったものの、悪びれる様子が見られなかったのでさらなる攻撃に出た。意図的に情緒不安定を装い、癇癪かんしゃくを起したのだ。

「そういえば前回来られた時、おっしゃいましたよね。マスコミが駆け付けるような事態になっても、生活に支障がでないよう対策を取るって。どうなっているんですか。こっちは思いっきり支障が出ているんですけど。高齢妊娠だからただでさえ気を使うというのに、流産でもしたらあなた達はどう責任を取ってくれるんですか。こっちは気が立っているんです。私だって健康な体じゃないんですから。その上妻にもしもの事が起きれば、私はあなた達を一生恨むでしょうね。絶対に警察を訴えますよ。覚悟してください」

 半分以上は本気だったからだろう。相手は怯んだ。恐らく彼らは赤坂が、この部屋を訪れたと把握しているに違いない。ただどういった診察を行ったかまでは分からないはずだ。

 それならこれくらい脅しても、相手は言い返せないと踏んでいた。それが上手くいったらしい。そこで相手が次の言葉を口にさせないよう、一気に畳みかけた。

「もういいですか。うちは関係ありませんから。余り長く刑事さん達と話していたら彼女も心配します。早く休ませてあげたいんですよ。それと外の騒ぎも何とかして下さい。治まらないようなら、警視庁に直接抗議しますよ。いいですね」

 そう言い捨て、ドアストッパーを上げドアノブを掴み閉めようとした。だがそれまで後ろに下がっていた平中がそれを止めた。

「ちょっと待って下さい。お気持ちは分かりましたが、こちらとしても捜査をしなければなりません。人一人が死んでいるのです。これは殺人事件かもしれないのですよ」

「だからどうだって言うんだ。こっちも命がけなんだぞ」

 それでも彼は引き下がらなかった。

「迷惑はかけません。少しの間で結構です。申し訳ないですが、部屋の中を見せては貰えませんか」

 心臓が飛び出そうになった。とうとうここまで来てしまったのか。頭の中ではもう駄目かもしれないと心が折れかけた。しかし口からは全く別の言葉が出た。

「お断りします。捜査令状はお持ちですか。ないのなら帰って下さい」

 もう一度扉を閉めようとしたが、彼は足を挟んで阻みながら言った。

「どうしてですか。何もやましく無ければ構わないでしょう。それとも何か都合が悪い事でもおありですか」

「妻が妊娠していると言ったじゃないですか。しかもこのコロナ禍で他人を部屋に入れる訳にはいきません。あなた達がワクチンを打っていたとしても、感染していないとは言えないでしょう。もし彼女が感染して流産でもしたら、どう責任を取ってくれるんですか」

 これで諦めてくれと心の中で念じたが、相手は上手だった。

「それではせめて、使っているパソコンやスマホを確認させて頂けませんか。あなた達が緑里朱音を匿っておらず、事務所と連絡を取ったり配信動画の撮影に協力していたりしていないというのなら問題ないでしょう」

 まずい。そう来たか。どうする。それでも拒否するか。いやさすがにそこまですれば疑いは増すばかりだ。万事休すかと思わず目を瞑った時、背後から声が聞こえた。

「そんなにお疑いなら、確認して頂いても結構です。その代わり何も無いと分かったら、二度と来ないで下さいね」

 振り向くと、マスクを嵌めた香織がノートパソコンと電源コード、さらにスマホを手に持ち立っていた。どうやら扉の向こうで立ち聞きしていたらしい。

 目を丸くしていると、彼女は龍太郎と目も会わさず玄関先までずかずか進み、刑事に突き出した。押し付けるように渡されたパソコン等を受け取る為、相手は両手を塞がれ一歩後ろに下がり、挟んでいた足が外れる。その隙を突いて彼女は言った。

「返却する際は部屋まで来なくて結構です。宅配ボックスに入れて下さい。毎朝主人が新聞などの郵便物を取りに行ってますから、入っていれば気付きますので連絡も必要ありません。ではお帰り下さい」

 そう言い放ったかと思った瞬間、素早く扉を閉め鍵までかけたのだ。唖然としていたが、彼女が取った行動の意図がようやく理解できた。その為しばらく耳を澄まし外の気配を探った。しかし彼らはそのまま立ち去ってくれたようだ。

 うまく切り抜けられたと気が抜けたけれど、念の為にとリビングへ戻ってから彼女に声をかけた。

「有難う、助かったよ」

「勝手に渡しちゃってごめんなさい。あれで良かったのかな。今回だけはなんとか危機を脱したみたいだけど」

「ああ、上等だ。でも彼らは今後も何かしら理由をつけ、部屋の中を見せてくれと言ってくるに違いない。今回、どう反応するかを明らかに探ろうとしていたからね。現時点ならあくまでも任意だけど相手はプロだ。これだけでは済まないだろう」

「そうね。これ以上断るにしてもコロナ禍で妊婦がいるというだけの理由だと、拒絶し続けられるかどうか難しいかもしれない。今回のパソコンとスマホの件だって、他に持っていないのかと言われたら、どう答えるか考えないといけないものね」

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