第28話 行動~3
彼女は躊躇しながら答えた。
「事務所の方針として、動画配信は反対されました。それよりも早く警察に出頭して事実を話す方がいいとの見解でした」
「どうしてですか。まさか朱音さんを疑っているんですか」
龍太郎の問いに彼女は首を振った。
「そうは思いたくありません。でも妊娠を伏せていた件に加え、相手の名を隠している内は信じたくてもできない、というのが社長達の考えのようです。それはそうですよね。私も彼らを全面的に信用できず、これまで隠してきたのだからお互い様です。それに妊娠している件を明らかにしないまま動画を配信したって世間は納得しない。疑念は余計に深まるだけで逆効果になる。それなら一刻も早く警察に出頭し、正直に事情を話すのが最善の策だ。そう説得されました」
「事務所にだけでも、相手の名前を告げられないのですか」
その問いに、彼女はきっぱりと言った。
「それはできません。もし言ってしまったら、相手に確認の連絡を入れるでしょう。そうなると向こうも大騒ぎになるはず。最悪の場合、どこかに漏れるかもしれません。それは絶対避けたいの。あの人に迷惑をかけたくないから」
彼女の言い分はそれなりに理解できる。だが殺人犯として疑われている状況なのに、そんな自分の身より相手の男性を第一に考えられるものなのかと衝撃を受けた。
次にかける言葉が見つからず黙っていると、香織が口を開いた。
「朱音さんがそれほど相手の男性を気遣っている気持ちを、事務所の人達は汲み取ってくれないのですか」
やや興奮した自分を落ち着かせるように深く息を吸い、大きな溜息をついて答えた。
「そうみたいね。やはりDMのような文面だけでは伝わりにくいのかもしれない。あとは妊娠していた件を隠していたのが、社長やマネージャーは一番ショックを受けたんだって。そこまで信頼されていなかったのかと責められました。だから柳畑さんが階段から落ちたなんて知らないと言っても、信じろという方が無理だろうって」
「だったらDMのような文面ではなく、ネット通話を使って直接訴えてみてはどうですか。そうすればもう少し伝わるのではないですか」
そこで龍太郎が割って入った。
「一体どうやって。朱音さんが持っているスマホで連絡を取れば、警察に居場所を把握されてしまう恐れがある。俺達が持っているスマホやパソコンを使っても、どこから発信したかを相手に伝えなければいけないんだぞ」
「事務所の人が警察に知らせなければ分からないでしょう。DMで連絡を取っている件もまだ隠してくれているのなら、協力してくれるんじゃないかな」
香織の提案について考えてみた。朱音の事務所は本当にDMで連絡している件も警察に話していないのだろうか。実は既に打ち明けている可能性だってある。
それでも香織のスマホでSNSの裏アカウントを使っている内は、この部屋にいると辿り着くまで相当時間がかかるはずだからリスクは少ない。
しかしネット通話となれば話は別だ。アカウントの登録からすぐにばれてしまう。あくまで事務所側が警察と裏で繋がっていない確証が無ければ使えない。
だがもし秘密にしてくれている場合、画面越しとはいえ表情を見て話が出来るのならば、文面で伝えるよりは信用してくれる可能性が高まるだろう。
その点をどう考えるか二人に伝えた。すると朱音が言った。
「まずはDMを通じて、ネット通話で話がしたいと連絡を入れてみます。それで向こうの反応を探るというのはどうでしょう」
「そうですね。事務所があくまで内密にすると言ってくれば、それから考えても遅くないかもしれません」
「それがいいかも。朱音さん。やってみましょう。画面を通じて直接話し合えば、分かってくれるかも知れませんよ」
香織が賛同した為、龍太郎はつけ加えた。
「その時に少し警察の動きがどうなっているか、もう少し詳細に探ってみてはどうですか。他に犯人と思われる人物が浮上していないか、捜査状況を聞いてみるんです。その回答
「分かりました。やってみます」
朱音は事務所に連絡をする為、スマホを取りに隣の洋間へ戻った。リビングで二人になったところで龍太郎は香織に小声で話しかけた。
「今、どこまで情報が広まっているか、ネット検索してみよう。最悪の事態に備えておく必要があるからな」
彼女は頷き、机の上に置いてあるノートパソコンをリビングテーブルに移動させ、二人でソファに並んで座り操作し始めた。そこでネットに繋げ、まずはニュースを見た。ざっと見た所、まだ特に進捗は無さそうだ。逮捕状が出た、または出そうだという情報もない。
次にSNSを開き、朱音の名前でエゴサーチをかけた。予想はしていたがやはり関心が高いのだろう。かなり多く出てきた。それを最新のものから順に追っていく。
いくつか遡ったところで、ドキッとする書き込みを見つけた。そこには名古屋という文字があったからだ。そのコメントには、朱音の親戚がそこにいると書かれていた。
その為名古屋も含めて検索し直すとさらに出てきた。そこには恐れていた情報が記載されていた。どうやら名古屋へ逃げているらしい、警察が市内のマンション周辺を探っている、との記述まであったのだ。
「まずいな。さっき来た刑事達が細心の注意を払っていると説明していたから警察によるリークは無いと思っていたけど、やはりネット社会は怖いな。こうなるとマンション周辺をマスコミが取り囲むのも時間の問題だ。住民の生活に支障がでないよう対策を取ると言っていたけど、余り期待はできない。相当な騒ぎになると覚悟した方が良さそうだ」
「でもこのマンションに親戚の溝口さんがいて一度立ち寄ったと認めても、中から出ていない件までは分からないでしょ。警察も確信があって見張ってる訳じゃないと思うし」
「それはそうだ。でも今のように公園の傍で車を停めて監視していれば、マスコミだって何かあると思うだろう。そうなると警察も張り込みし辛くなる。どこかに移動するかもしれないな」
龍太郎はそこで周辺マンションの賃貸情報を検索してみた。すると西側の道を挟んだ、二軒先にあるマンションの一室が空室になっていると分かった。もしかするとそこがすぐに埋まれば、警察が借りたかもしれないと想像を働かせる。
溜め池を挟んだ向かい側の大きなマンションは分譲で、ここよりも築年数が新しい。よってまだ賃貸物件は無さそうだ。
しかしこうした情報は全てネットに公開していないという。不動産業者が密かに抱えるか、または空きが出た場合は次に入居する予約が入っていて、ネットに掲載しないケースが稀にあるとも聞く。
西側のマンションならもし警察が張り込んだとしても、この部屋を窓から覗くことはできない為にそう心配はいらない。けれども向かいのマンションを抑えられていたら、相当注意をしていなければ朱音がいるとばれてしまう。
ただその場合でも、捜索令状がない限り勝手に中へ入れはしないはずだ。そう考えれば、彼女がここにいると疑われるような証拠、又は逮捕状が出ない間は安全を確保できるかもしれない。逆に言えば出た場合、後は出頭しか選択肢がなくなる。
そう話をしていると香織は言った。
「いつ出るかは考えてもしょうがないよ。それより出頭するまでの間だけでも、彼女の体に異変が起こらないよう気を付けることが、私達にできる唯一の手助けじゃないかな」
考えても無駄な事に頭や労力を使い、ストレスを溜めるのは愚かな行為だ。彼女と暮らしていく中で、これまでもそう話し合い実践してきたはずである。にもかかわらず非常事態に遭遇して浮足立っていたらしい。
彼女の言葉にハッとした龍太郎は反省した。
「そうだったな。ごめん。香織は先生に訪問診察してくれるよう、催眠術までかけてくれたんだ。その努力を無にしちゃいけないな。さっきの、精神的に負担を強いるような行為を朱音さんにお願いしたのは間違いだったかもしれない」
言葉を詰まらせながらも、首を振って言った。
「ううん。事務所との話し合いは、どちらにしたってする必要があったと思う。だから龍太郎は気に病まなくていいよ。私達が打てる手はすべてやった。あとは三人共がここで安静に過ごせる方法だけを考えればいいんじゃないかな」
「うん。そう思うと、朱音さんの体に異常が起きた場合は赤坂先生を呼べばいいから、今のところ安心だ。他にはここで、何にどう時間を費やすかを考えなくてはいけないな。俺達は出かけられるし、食事に関しても問題ない。だけど彼女はずっと部屋に籠りっきりだから、運動不足が心配だ」
「そうね。妊娠中に気を付ける事って、それ以外に何かあるかな」
龍太郎は当然ながら、彼女も妊娠経験がない為に早速検索してみた。すると次のような項目が書かれていた。
まずは風邪だ。妊娠中は赤ん坊を異物として攻撃しないよう、体の免疫力が落ちているという。そのせいで風邪をひきやすいそうだ。
三十七度前後の微熱ならゆっくり体を休ませれば妊婦でも二、三日で治るけれど、高熱が続く場合は体力が落ちて重症化する場合もある為、そうなったら受診が必要だとあった。
加えて規則正しい食生活はもちろん、手洗いやうがい、十分な睡眠、定期的な運動を心掛けなければならない。あとはおりものが増えてきたら下着を小まめに変え、できるだけお風呂に浸かり体温を上げればウイルスが近寄ってこないとある。
この点はコロナ禍で散々言われてきた、免疫力をアップする為に必要な点と共通していたので理解はし易かった。また妊娠中、新型コロナに感染した人の症状が重くなり、出産にも影響して子供が亡くなったという、最悪のケースが実際に起きている。
また子宮が大きくなったせいで血行が悪くなったり姿勢が悪くなったりして、頭痛や肩こりが酷くなる場合もあるという。お産への不安が原因となったりもするので、適度な入浴と普段からのストレッチで血行を良くし、ストレスを解消すると痛みが和らぐそうだ。
貧血に関する記載もある。妊娠中は血液の循環量が増え、その増加分の多くは
「そういえば、香織は昔貧血気味だとか言っていたよな」
「うん。だからひじきや小松菜とか、納豆などの大豆製品を取るようにしているよ。他には肉だとヒレ、魚だとイワシなどもいいみたい。レバーは二人共好きじゃないから食べないけど、基本的にはバランスの良い食事を取っていればいいの」
「それだったら今まで通りで、特に変える必要は無いのか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます