29 パンツをやるよ!
「じゃ、これでいちおうは退院ってことだけど、不調があればすぐに診察に来ること。いいですね? 本当にちょっとしたことでもですよ?
ともあれ今日のところはさようなら、末永くお元気で」
「お世話ンなりましたァ」
十日前、月の綺麗な秋の夜長。
大江戸学園から一人の生徒がこの病院に担ぎ込まれた。
血を吐いて意識を失った少年は明らかに重体で緊急搬送され、それから七日七晩昏睡状態にあったという。
医師たちも尽力したが、不可解なことにその不調一切の原因が判然とせずどのように対処すればいいのか決め切れなかった。
だが日に日に血色はよくなり呼吸も安定していって、なにをするでもなく勝手に彼は起き上がった。
経過観察ということで三日ほどあらゆる機器で検査はしたが、やはりどこにもなにも悪いところはなく担当医は首を傾げるばかり。
すべてが不明で病院側も困惑したが、ともあれ目覚めた少年の身体は健康そのもので入院をさせておくわけにもいかない。
歯切れ悪くも本日、退院と相成ったのである。
◇
退院を言い渡され少年――阿沙賀はようやくの開放と伸びをしながら安堵していた。
「あー、長かったァ。なんも悪くねェのにこりゃ監禁じゃねェのか」
「一週間も寝こけていたくせによくいいますわね」
普通、一週間も意識が戻らなければ重篤な問題を抱えていると思うだろう。
それが魂的な障害であり、現代医学とはジャンルが異なっているせいで見当外れになっていたのは病院側の落ち度とは言えまい。
一応、この十日間ずっと傍でその魂的な方向で彼の身を精査していた悪魔の少女、ニュギスはふわふわと浮遊しながらまだちょっとだけ心配そうに。
「というか、本当にもう大丈夫なんですの? わたくしの予想以上に弱っておりましたけれど」
「今生きてンだから大丈夫だろ」
「自己申告が雑すぎてなんの参考にもなりませんの……」
言い合いながら、阿沙賀はさっさと病室に戻り荷物をまとめてカバンに叩き込む。
生活に必要なものは寮部屋から遠凪が届けてくれていたが、無駄に多く持ってきたせいで整理に一苦労。なんで制服まで用意してあんだよ、入院中に着るわけないだろうが。
手早く支度を済ませ、十日間過ごした病室にさよなら一言残して退室。諸々の手続きは終わっているので、あとは帰るだけだ。
階段をおりて、すれ違う看護師の方に頭を下げて、エントランスの受付に挨拶。
そうして外に出れば、吹き抜ける風が心地よい。
晴れた空に退院日和だと思いながら阿沙賀は歩き出す。
病院はさほど学園と離れておらず、ニ十分も歩けば見慣れた校門を発見できる。
見上げた校舎になんとなく懐かしさがこみ上げてきて、それがおかしくって笑った。
十日離れただけでなにを郷愁じみた感情になっているのだか……。
肩を竦めてから学園の敷地に入る。枯れた桜並木を通り越して学生寮へ。
目当ての寮施設に辿り着けば――
「おかえり、阿沙賀」
玄関前に佇む学生服の少年。
遠凪が待っていた。
「おいおい不良生徒がよ、今の時間は授業中だろ」
「先生には許可をもらってるよ。長い入院期間の病み上がりにゃフォローがいるだろ」
「妙に気の利く……迷亭の嘘でも使ったか?」
「まさか。誠心誠意お話しただけ」
肩を竦め、阿沙賀の荷物を受け取る。
遠凪はそのまま先に寮に歩を進める。互いの顔が見えなくなった頃に、ぽつりと。
「それに」すこしだけ言いづらそうに「阿沙賀の両親は来れないんだろ……?」
「…………」
阿沙賀は答えず、そのまま遠凪についていく。
無言のままに進めば、阿沙賀の部屋にまですぐに着く。
鍵を開けて懐かしの我が家に。
「荷物はテキトーに置いといてくれ」
「はいよ」
ふたりで靴を脱いで狭い部屋に入る。
箪笥がひとつ、立てかけてあるちゃぶ台、すみっこのテレビとDVDプレイヤー、脱ぎ捨てられた制服一式――は今、阿沙賀のカバンの中にあるか。
いつも通りの阿沙賀の部屋だ。
すこしだけ安堵している阿沙賀に、遠凪は言われた通り荷物を降ろし、自分もまたどかっと腰を下ろす。
「じゃ、茶でも淹れてくれ」
「おいおいおい、病み上がりにフォローがなんだって?」
「は? 客人にもてなす常識もないのか?」
「面の皮ァ」
こいつ、授業でたくなくてここで時間を潰すつもりでは?
「あ、わたくしは紅茶でお願いしますの。砂糖は三杯ですのよ?」
「オメェまで乗っかるな。というかうちに紅茶なんざねェよ」
「えぇ? そんな、嘘でしょう?」
信じられないとばかりにニュギスは目を見開く。紅茶のない生活など考えられないといった風情である。
文化というか嗜好の違いを感じさせる。
「というかおれは病み上がり……はァ。もういい座ってろ」
面倒になって阿沙賀は言葉を諦めた。
どうせすこし聞いておきたいこともあったし、この機に腰を据えてというのも悪くはない。
ひとつ区切りのついた今だから、落ち着いて会話もできるだろう。
壁に立てかけたちゃぶ台を引っ掴んで床に置き、それから冷蔵庫の麦茶をコップに注いでだらけたふたりに渡す。
「おう、さんきゅう」
「本当は紅茶がいいのですよ? 次からは用意しておいてくださいませ」
無視して阿沙賀も座る。
ちゃぶ台を囲って阿沙賀、遠凪、ニュギスの三名が対面する形となる。
早速お茶を飲み始める遠凪に、阿沙賀は頬杖ついて聞いてみる。
「で、結局なんでおれはぶっ倒れたんだ? ニュギスの本気の反動ってやつなのはわかるンだが」
「? それで納得できませんの?」
というか入院中に散々ニュギスから説明しただろう。
いつか言ったように、人間界に魔王が降り立った時点で滅び去る。
そこまではいかないまでも、
縁故で繋がる契約者は、その衝撃の一部を反動として直撃するのである。
「いや反動っても一週間昏睡ってのは想定外でよ」
「それはわたくしも想定外でしたが」
「これが普通なのか確認しておきてェ」
阿沙賀はどうも特殊例を引き当てやすいらしい。そのくせ普通と特殊の線引きもままならない浅薄な知識しかもっていないので、現状を正しく理解できないでいる。
今回のことも召喚士的常識では真っ当なのかそうでないのかわからない。
そしてそれはニュギスも近く、彼女もやはり理由についてあまり把握しているわけでもなさそうだ。
一方で遠凪はうんとひとつ頷く。
「普通じゃないよ。阿沙賀が原因で症状としては酷いほう」
「あ? おれ?」
「わたくし、無罪!」
「いや無罪とまではいかないけど……共犯と主犯くらいかな?」
なるほどと阿沙賀は神妙に言う。
「主犯はニュギスか?」
「今の流れでよくご自分の非を押し付けられましたわね、原因が貴方という前言を聞いておりませんの?」
「でもニュギスがやるって言いだしたぜ? 言い出しっぺの教唆だろこれ」
「なら半々で両方悪い」
「あぁ、流れるようにわたくしに罪を押し付けましたわね! 酷い契約者様ですの!」
どうにも冗句になると無駄口の多くなる面子らしい。
そもそも誰が悪いとか責任の所在を問い詰めたいわけではなく、単純に理由が知りたいだけである。
あっさりと話を戻して遠凪は指を三本立て見せる。
「召喚士には三つの才能が必要なのは知ってるか?」
「いや知らん」
「じゃあ最初から説明するが」
そりゃ知るわけないよな、と苦笑してから。
「まずは
そもそも啓術っていうのは全部で十コあって、それを一節、二節と順番に習得していくものなんだが、召喚術はその最終節にあたる」
「ふゥん? 啓術を全部マスターした上でやっとできるってことだ」
「そう。だから啓術の才能は必須」
魂を
三種の前提における
「ふたつめが空間に対する親和性」
「? なんだそれ」
才能はよくわかるが、親和性って……どういう意味合いだろう。
遠凪は曖昧なことを承知でそれをどうにか伝える努力をする。
「なんていうのかな、自分の魂を世界にどれだけ開放できるかみたいな。同時に魂で空間をどれだけ認識できるかというか……。
あー啓術にも空間操作っていくつかあって、ほらオレがキルシュキンテ相手にやった人間界の成分を濃縮してって、あれも空間操作なんだけど」
「おう、覚えてる」
「そういう自分を広げる、広げて五感によらず認知する的な才能」
「よくわかんねェ」
「ちょっとわかりにくい概念かもな……まぁふわっと受け取ってくれればいい」
三種の前提における
「で、阿沙賀」
遠凪は決然とした顔つきでそれを断ずる。
「阿沙賀はそのふたつの才能が――これっっっぽっちもない」
「これっぽちも……?」
「そう、ほんとに皆無、ゼロ、ノーフューチャー。ゴミクズと言っていい。いやカス、チリ……虚無?」
「罵倒に生き生きしだすな!」
杓子定規な説明とは打って変わって実に楽しそうに言ってくる。
友人のダメ出しに心躍らせるとはなんて奴だ。
「てーか啓術のほうはまだしも、空間の親和性とかいうのは才なしってなんでわかンだよ」
「え」
なにをそんな悪足掻きを、と思いつつたしかに説明不足かと納得する。
遠凪は手のひらでニュギスを指して。
「たとえば阿沙賀は人間と悪魔の違いってわかんないだろ」
「……えっ、と」
突然の問いかけに困惑する。
なにかそんなわかりやすい差異などあったか?
「いやほら、顔がいいから見分けるくらいできるぞ」
「またそんな視覚情報で物をいって。そうじゃなくて魂的にだよ。
阿沙賀の言ってるのはあれだ、街中を包丁もってうろついてる殺人鬼に「どこの料理教室に通ってるんだろう」って言ってるくらいにズレてる」
「そんなにかァ!?」
それではまるで馬鹿ではないか。
いやむしろまるでとかじゃなく、まるきり直線で馬鹿と言いたかった遠凪である。オブラートに包んだのだ、これでも。
「いいか阿沙賀、啓術は魂を啓く術法なんだ。つまり自分をどれだけ世界に同調させて解放できるかが重要なんだが――阿沙賀はマジでほんと閉じてる。鍵付きの金庫かってくらい自閉してる!」
「よくわからん。おれの魂が鎖国してるってことか?」
「そう。自分、自己、自我……完ぺきに魂が内向き過ぎてまるで外を見ていない――まさに魂の引きこもり!」
「魂の引きこもりィ!?」
なんだそれ過ぎる!
変なワードで阿沙賀をくくらないでほしい!
とりあえず啓いていない、閉じ切っている――ということが言いたい、のだろう。
正しく自己完結した魂、それが阿沙賀であった。
当人はあまりわかっておらず叫び返す。
「開国すればいいんだろ!」
「それは人格の矯正とか洗脳とかに近いと思うけど」
魂とは心の器。
思い描く思考、感情を司って、それをもとにエネルギーを生じさせる。
故にその根本の改変は人格に影響する。
阿沙賀が阿沙賀だから、魂はこんな形なのである。
なにも言い返せなくなる阿沙賀の横で、ずいと今度はニュギスが。
「それで契約者様の才能がゴミクズなのはいいとしまして」
「ニュギス? ニュギース? ニュギスさん?」
なんでこいつらナチュラルに阿沙賀を罵倒するのだ。それも嬉しそうに。
若干落ち込みそうになる阿沙賀であるが、次の一言には興味を示した。
「残るひとつに関してはどうなのですか?」
わざわざふたつを指して無才と罵るのはいいが、では最後のひとつを残したのはなんの理由があるのか。
遠凪はいささか困った風情で答える。
「それがそれだけは人並み外れて計りかねてる――魂の強さってやつ」
魂それそのもののサイズであり輝き。単一にして個としての強さ。
三種の前提における
遠凪は麦茶を飲み干してから。
「百魂分割法ってのは知ってる?」
「あぁ、なんか魂の単位とかなんとか。悪魔と取引するのに使う尺度なんだろ?」
「そう。だけどそれはひとりの人間の魂の総量を百と見立てるに過ぎない。そのサイズは人によりけりで、鍛錬にも左右される」
「あー。おう」
そこらへんも覚えている。
百分の一は同じ百分の一でも、当てはめる数字が人により変動するとかなんとか。
「逆を言えばある特定の、平均値みたいな数字を当てはめれば自分がどれくらいの魂のサイズかおおよそわかるんだよ」
「あー。比較できるもんな」
「一般的な啓術使い、彼らの平均的な魂のサイズを百として考えると、その上澄みである召喚士は十倍近くある」
「おう、まァそんな感じか」
「で、オレなんかはそのさらに二十倍近くある」
「二十倍……二万? でけェな。主人公の必殺技の倍率かよ」
「そう、オレはすごい」
「うるせェ」
いちいちドヤ顔いれてくるな。
「そんで阿沙賀はたぶん七十とかそこらへん。低くはないけど、高くもない」
「そら一般高校生だからな」
鍛錬なんざしていないし、血筋とかも凡庸。
どこにでもいる男子高校生であることに疑いはない。ほんとか? ほんとだ。
「ちなみじいさん――大江戸・門一郎は一千万とからしい」
「急にぶっ壊れたなそのスカウター。桁外れ過ぎだろ、盛り過ぎだろ。オメェのさらに五百倍って、ガキでもまだ控えめに盛るわ」
「盛ってないぞ。まあ流石に悪魔たちと契約する前の若いころは、らしいけど」
「ん。あ、そうか。悪魔と契約する度に魂が奪われるンだったな」
「そうそう。だからあえて悪魔と契約せずに
ついつい話が逸れてしまいがちなのは、阿沙賀相手に真面目な会話など知り合ってこの方かほとんどなかったから。
まさかこちらの世界に巻き込んでしまうなどと、そんな可能性考えたことさえなかった。
だが踏み込み、引き返せないところまで来てしまった以上は先達として教えるべき部分を教えなければならない。
試胆会は終わっても――この世界に理不尽はつきものだから。
「じゃあその魂の強さだっけ? それもおれは並以下なわけだ。なんだおれ超一般人じゃん」
「いや、そうとも言い切れない」
「あ? なんでだよ」
「魂の強さだからな。強さはサイズだけじゃ決まらないってこと」
喧嘩と同じだ。
ガタイがいい、タッパがあるは確かに有力な力量の目安だろうが、それだけでは決まらない。
「魂の強さで見るべきは容量と出力、それから光度だ」
「出力はわかるが……なんだよコウドって」
「魂はエネルギーを生産する。それの質ってところだな。それを光の度合いで喩えてるんだよ」
魂の容量によってエネルギー生産量は決まり、それを外に出せる放出量を出力として。
最後の光度は、魂の作ったエネルギーの品質である。
悪魔にとって、人の魂は輝いて見えるのだという――そこからとって、光度という評価基準が古くから存在するのだ。
「阿沙賀の魂は容量なら人並み。出力もムラがあって計りづらい。そして輝きはいつもはそこそこってぐらいだけど――いざって時だけもう馬鹿みたいに眩く図抜けてる」
「ええ、本当に、熱中している貴方の魂には見惚れてしまいますもの」
なにがうれしいのかニュギスは上機嫌に同意を示す。
それは悪魔にしかわからない感覚であり嗜好。
彼ら彼女らが人の魂に価値を見出すのは、食して力を得られるからだけではない。
ただその輝きが美しくて尊くて魅入られてしまうのだ。
「つまり、魂の光度が高いと悪魔に好かれやすくなるってこと。彼らにとっての……なんていうか、あれだ、チャームポイントなんだよ」
「なんじゃそりゃ」
「でも覚えがあるだろ? 阿沙賀は悪魔に好かれやすいんだよ、とってもな」
「てんでうれしくねェ」
確かに思い返せば試胆会、どいつもこいつもなんだかんだ言って最後には阿沙賀を気に入っているようだった。その裏にはそんな理由があったということか?
いや、キルシュキンテには最後までめっちゃ睨まれてたが。
「
「じゃ、おれに寄ってくんのはミーハーどもってことか」
「どちらかと言えば悪魔としての本能に忠実、といったほうが正しいかと思いますの」
なんにせよどうもあまり意味がなさそうな才能だ。
魅力があっても地力がなければ喧嘩では勝てないのである。
というか他は全て魂の活用法とかバトル漫画染みたノリだったのに、なんでこれだけ急に魅力になるんだよ。ラブコメか? ジャンル変わってンじゃん。
「てーか待てよ? ということはおれァ別に才能ねェし召喚士にはなれそうもねェのに悪魔どもから舌なめずりされる立場ってことかァ?」
「そうなるな」
「うそァ」
なんかめちゃくちゃ面倒そうな立ち位置だな、巻き込まれまくりそうじゃん。巻き込まれまくってたわ! ちくしょうめ!
「いっ、一応、光度が高いと魂の力の収束がいいって話も聞いた……気がする……」
なんとかフォローしようと遠凪が言い募るも尻切れトンボ。言っている当人が自分の言葉を信じ切れていない。
召喚士にとっても、魂の光度はあまり重要視されていない項目なのである。
なにせこれが悪くても、召喚士にはなれるのだから。
どうも微妙な空気になってきたころに、遠凪はごほんと咳払い。
「で、やっと最初の話に戻るけど――」
「……なんの話してたっけ?」
「どうして契約者様がボロ雑巾のように不様に血反吐を吐いたのか、という質問ですの」
「そこまで仔細に言ってないぞ、絶対」
人の悪口を楽しむ辺りは本当に悪魔である。
このまま言い争いが勃発すればまた長引く。遠凪が強引に。
「戻すけど!
先に言った才能が不足し過ぎてて阿沙賀へのダメージが普通のそれより倍近くにまでなったとオレは見てる」
「あー。結局、才能がねェからってことな。どうしようもねェな」
プロスポーツ選手の繊細にして大胆なる運動全てを素人が肩代わりして強制されたような歪で落差の激しすぎる無茶。
本来なら不可能な行為をイカサマでもって成立させて、後でそのツケを支払うという必罰の因果応報。
文字通り命を削った、ということであろう。
「本来なら、啓術の才能があったなら、そういう反動を外に啓いて受け流すことができるもんなんだよ。阿沙賀はそれができないから、全部そのままくらってる」
「なるほどなァ、閉じ切ってるから外に逃がせない……か」
「あと普通に契約悪魔の格が高すぎて反動も馬鹿でかい」
「ニュギスのせいじゃん!」
「強者のせいにする弱者、惨めですの」
「ナチュラルボーンプリンセスァ!」
なんてこった生粋のお姫様過ぎてまるで悪びれていない。むしろ見下げ果てるような視線向けてくるんだけど。これだからお姫様はよォ。
ゲンナリしていると、ふと阿沙賀はひとつ疑惑を抱く。
「けどよ、学園に帰った時点でキルシュキンテの顕能で巻き戻らねェの?」
キルシュキンテの魔魂顕能『
時間的に健康無事の時点に巻き戻るのならどんな損傷でも帳消しになるのではないか。
削れた命さえ、元に戻るのではないか?
「無理」
即答であった。
「なんで」
「えっとな、どこから説明すりゃいいんだ……」
知識の量で相当の隔たりがあって、その隔たりを埋めるには説明の言葉を注ぐしかないのだが、無暗に言い含めても今度は壁になってしまいかねない。
適量、適切な情報量を考えるのも、教える側のつとめ。
「まず、悪魔の顕能にはいろいろな分類があるもんなんだが、今回のは干渉対象の分類ってのが大事になる」
「干渉対象……?」
そのまま顕能が干渉する対象、ということであろう。
それによって無数にある顕能を分類することができるという。
「すごく大雑把にいうと二種類――物理干渉型と
物理干渉はそのまんま、物理的なものに干渉するタイプの顕能全般のことで」
「魂魄は物理じゃない……魂に干渉するってことか」
「そうそう。で、キルシュキンテの顕能は前者、物理干渉型なわけだ」
「あー。なるほどな。物理干渉だから、魂には干渉できない。そんで今回のおれのダメージは魂の損壊……」
学園の建物、怪我をした肉体、そうしたものを巻き戻す。
逆を言えば損失した魂、消費した魔力なんかは戻らない。
それは契約で失った魂が戻らないということでもあり、戦闘中に
悪魔の御業といえど、そうなにもかも都合よくはいかないということだ。
「だから、いいか阿沙賀、もうメアベリヒに力は使わせないようにな。次はほんとに死ぬぞ」
「まぁ、わたくしもあまり契約者様の喧嘩に茶々入れはしたくありませんし」
「おれの喧嘩はおれが勝つから別にいい」
今回は特例である。
綺麗に幕引きがなされた直後の番外からの乱入者という不粋。成敗すべき野暮――阿沙賀もニュギスも許し難いと一致させた理不尽であるからこそ彼女が出張ったのである。
そうそうニュギスが手ずから事に及ぶなど、あってはならないと弁えている。
「それも含めて阿沙賀、言っておくことがある」
正直、遠凪は言うべきなのか随分と迷ったのだけど。
表面上は阿沙賀とニュギスは上手くいっている。パートナーとして互いを認めている。
それでも相手は悪魔で、阿沙賀の命にかかわること。
憎まれ役になってでも、これを告げねばならない。
「――メアベリヒとの契約の、破棄条件だ」
「あァ……」
「む」
阿沙賀はさほど反応なく、むしろニュギスに大きな不興を買ったようだ。
緊張する遠凪にもその緊迫感を引き起こした悪魔にも気づかず、マイペースに阿沙賀は膝を叩く。
「そんな話もあったなァ、忘れてたわ」
「いちおう、一番の目的だったはずだけど」
「いやァ」
ちらと阿沙賀はニュギスを見遣る。
その視線の意味が掴み切れず、悪魔の少女はどこか不安げだった。
それがおかしくて、阿沙賀は笑った。
「言わんくっていいぞ、それ。どうでもいい」
あれほど拘っていたはずなのに、どうにも緩く軽く素っ気ない。
既に興味を失ったかのように、阿沙賀は熱量をなくしていた。
――違う、別のものに目を奪われているのだ。
その心変わりの機微が読みきれず、遠凪のほうが動揺してしまう。
本当にいいのかと装飾もなしに直言で訊いてしまう。
「パンツは、いいのか?」
「いやそれは割と断腸の思いだけどな」
そこだけは未だに未練だけど。
まあ、逆を言えばそれだけなのだ。
「なんつーかさ、なんだかんだ言って、おれも楽しかった。楽しかったンだよ」
目を細めて思い返すのは摩訶不思議、悪魔と戯れた五日間。
なにもわからず意味もわからず投げ込まれた試胆会――愉快な悪魔どもとの出会いと戦い、どいつもこいつも楽しげだった。たくさん遊べて満たされた。一緒に楽しめたのだ。
しんどかったし、不愉快も多かった。命の危機もあった。
――それでも最後にこうして笑って語れるのだから、それはきっといい思い出だ。
だって阿沙賀・功刀も、楽しいをなにより求める悪魔と同類なのだから。
だから。ならば。
「ニュギス!」
「はっ、はいですの!」
びくりと全身を震わせてニュギスは返事をする。
次に待ち受ける言葉に恐怖と期待とを抱いて阿沙賀を見つめる。
果たしてその口から放たれたのは――
「――おれのパンツをやるよ!」
「…………」
やっぱり頭のおかしい発言で。
ニュギスは淑女の振る舞いすら忘れてポカンとした、ある種間の抜けた表情を晒してしまう。
あぁそれはなんと馬鹿げた発言か。
字面だけ切り取れば冗句にもならない滑稽な台詞であろう。
演壇で高らかに歌い上げたとて嘲笑をもたらすだけの、誰にも望まれない言霊でしかない。
ただひとり、奇特な悪魔を除いては。
「ええ、ありがたく頂戴いたしますの――貴方の魂は、わたくしのものですの!」
第一幕・了
□
次話11/11投稿予定。
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