4 命恋の


「悪魔には一柱ごと唯一無二の異能をその魂に保有していますの」


 シトリーとのドンパチをはじめる少し前。

 教室に到着するまでの短い移動の時、ふとニュギスはこんな話をはじめた。


「魂ィ? 異能ォ? 超能力か、念動力か、ビームだすンか」

「まぁそんなところですわね」雑にあしらって「貴方の理解しやすいように受け取ってくださって構いませんの」


 ただし、と少し強めに言う。


「名はありますの。魂のあらわれたる力――魔魂顕能まこんけんのう、もしくは魔魂顕能レツァイゼンと言います」

「ケンノーね、それがなんだよ」

「これから会いに行く曰くゾンビ悪魔ですが、彼もしくは彼女の顕能けんのうの象徴は生命に関するものだと思いますの」

「あー。ゾンビ化は生命力をどーとか言ってたな」


 聞いていないようで細かい部分までしっかり聞いている阿沙賀である。

 ニュギスは頷いて。


「ええ。命あるものに自らの魔力を――」

「魔力ってなんだよ」

「悪魔の生命力、エネルギーのことですの。あまり話の腰を折らないでくださいまし」

「へーい」


 こほんと咳払いし改めて。


「自らの魔力を与えて思うままに操っていますの。それと同時に操った対象から生命力を奪っていましてよ」

「だからゾンビ染みて不健康ってことか」

「ですの。それと屋上では逆に魔力を与えて強化もしておりましたわ。なかなかに異端な能力ですの」

「そーな。動けるゾンビは厄介だわな」


 魔力による肉体強化は悪魔であれば大抵の者ができること。

 だが与えた魔力でもって他者に強化を付与するのは強い因縁、縁故で結ばれていなければ不可能なことだ。

 それを可能とするのが此度の悪魔の顕能けんのうということで。


「下手をすると仮契約者様、貴方もあっさりゾンビの仲間入りですのよ。そこらへん、なにか考えがおありですの?」

「さァ?」

「もうっ」


 これより敵性の悪魔と対面するというのにどうしてこうも緊張感に欠ける。

 作戦もなく備えもなく、あるのは熱い拳と固い決意くらいのもの。

 つまり無策無鉄砲の大馬鹿野郎である。


 もしも彼が負けるようなことがあれば、ニュギスは困ってしまうというのに。


「しっかりなさってくださいな。仮にとはいえ貴方はわたくしと契約を結びましたのよ? まさかこのわたくしがわたくしのものを奪われるだなんて我慢なりませんの!」

「お、見えてきたぞ」

「聞いていまして!? ちょっと、この……おバカぁ!」


 そして阿沙賀はシトリーと対峙する。



    ◇



「――あっ、あたしの亡者ファンになれぇ!」

「ヤなこった」


 不可視不可解の力の波濤。

 シトリーの激しい号令は顕能けんのうとなって教室中に射出される。

 それは小粒だが連射であり掃射。掠っただけでゾンビと化す無数の弾丸――否、釘である。

 魂を縫いつけ、心を釘付けにする見えない五寸釘こそがシトリーの放つ顕能の正体。


 阿沙賀はそれを身のこなしだけで回避し、むしろ距離を詰めてくる。見えていないはずなのに。


「なっ、なんで!?」


 わけがわからないが、ともかく阿沙賀はなんらかの方法でシトリーの顕能けんのうを知覚している。

 知覚した上で信じられない身体能力と精密動作で避け続けている。


 わかった。

 人間がどうしてそんなことができるのかはわからないが、ともかくこの弾幕密度では阿沙賀は捉えられないとわかった。

 ならば。


「あっ、あたしに恋しろ。見つめて焦がれて、求めて燃えて、だっ、大好きって、言えぇ――!!」


 膨れ、広がり、包みこむ。

 それは燃え広がる炎のように。抑制きかぬ恋心のように。

 魔魂顕能まこんけんのう命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』が爆発的に教室中を埋め尽くす。


 五寸釘が隙間なく整列して降り注ぐ。膨大な点を敷き詰めた面攻撃である。

 回避の余地なき絨毯爆撃、豪雨の雨粒をすべて凌ぐなど人には不可能。

 不可能なのに。


「まだまだァ!」


 阿沙賀は勢いよく窓にドロップキック、ガラスを砕く。そのまま外に身を放り出して『命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』を避けて見せる。

 そのまま落下――ちなみにここは三階――せずに窓枠を両手で掴んで耐える。

 勢いと重心操作の妙、掴んだ枠を支点に全身を回転させ隣の窓をさらに砕いて華麗に教室に帰着する。


 ニュギスはたまげた。


「かっ、軽業っ!? どこの雑技団のお猿さんですの!」

「猿ではねェよ!」


 いやそもそもどうして阿沙賀は見えないはずの『命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』をこうも完璧に回避できている。

 先の広範囲掃射にしろ絨毯爆撃にしろあの瞬間しかないという一髪千鈞の際どいタイミングだった。

 来るのがわかっていないとできるはずのない芸当と言える。


 そこにばかりは流石にカラクリがあった。


 それはニュギスの視点。

 類稀な観察眼を有する高位悪魔ニュギスは他者の顕能けんのう、その魔力の巡りと起こりを見盗める。発動の寸前に予見できた。


 そして悪魔と人間の契約は魂の繋がりを生む。


 ニュギスと契約を交わしている阿沙賀にもそれがもっと漠然とした感覚ではあれ伝わるのだ。

 無論、当人にその自覚はない。彼の認識では単に勘とかそういうもので脳内処理している。

 そうしたなんの理屈もない直感を信じて賭けられるのは、もう彼の性分としか言いようがないが。


 窓の外からの着地を決めれば、そのまま接近。

 何度でも拳を振りかぶる。


 外見が女子であるという抵抗もなし。

 その美しい容貌を害するということは芸術品を損壊させるような気分になるはずなのに気にしちゃいない。

 悪魔という上位存在に殴りかかる暴挙であるはずのに、思い切り恐れ知らずに殴りかかる。


「おらァ!」

「うぇ……っ!」


 柔い頬にぶち込まれる拳骨は、先の一撃を超えて激しく強打。

 悪魔のシトリーをして苦鳴が漏れ、衝撃に意識が揺れる。


 原理不明に阿沙賀のパンチの威力が向上していたが、それについて言及する者はなし。

 特に支障なく好都合なら喜んで突き進むのみ。

 そのままラッシュ。連打。トばすとばかりに拳を連続で叩き込む。


 その殴打の嵐は悪魔に痛みと損傷を与えるレベルに達している。


「ふっ、ふひ」


 であるはずが、むしろシトリーは喜んでいた。見惚れていた。

 笑い声が抑えきれないほどに。


「ふひひひひひひひひひひひ……っ!」


 ――この男はあらゆる意味で自分を顧みていない!


 ふつう常識を備えた現代人というものは他者を害するのに抵抗感という名の枷がある。

 なんなら小動物、いや虫さえ殺生するのに遠慮があるかもしれない。

 そうでなくても自身の身を案じて過剰な力を揮わないよう、反動でダメージを負わないようにと考慮するものなのだ。

 

 これまでの人生で学びとった倫理であり一般常識、理性が人間にはあるのだから。

 それらが意識的、無意識的問わずに拳をやわらげ足を遅くらせ、殴打を弱める。


 そのはずが――この男、そういった安全装置が根こそぎ存在していないようだ。


 本当に全力で、偽りなしに他者もわが身も顧みず、自虐的なほどに破滅的だ。

 よって阿沙賀は一撃打ち込む都度に自身にもダメージを負っている。

 武術の心得もない喧嘩殺法の粗暴な拳。その上、自壊をも厭わぬ暴力そのものだ、当然である。


 だがだからこそその拳は苛烈で強烈、素早く鋭い。

 悪魔にさえも通じるほどに。


「すっ、すごい……すごい!」


 人間ごときが、人間が――こんなにも命を輝かせるなんて。

 

 その輝きは燃え尽きる寸前の最後の煌めきのようなもので、刹那の内に消える閃光に等しい。

 悪魔のように長く生きて深く蔓延る者どもには決してできない輝き方。

 自分にはない、綺麗なもの。


 そしてだからこそ。


「おっ、お前が欲しい! なぁ、あたしの亡者ファンになれ、なっ、なるべきだぞお前……っ! ぜったい、ぜったいにィ!」


 狂おしいほど求める。

 悪魔とは欲深く傲慢で、なにより身勝手であるがゆえ。


命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』……命の輝きを思うがままに操るシトリーの顕能けんのう。命を釘付けにする恋の如き力。

 殴られながらもそれを発揮し、阿沙賀を亡者へと落とそうとする。


「くそっ」


 しこたま殴りつけてやったのにまだまだ元気か。これだから悪魔とかいう超常の存在は嫌になる。

 直前で拳を止めて後退――逃がさない。


「お前は、あっ、あたしのものだ!」

「くっ」


 今までになくその力は強大で、素早く恐ろしい。

 注いだ全霊は形ないはずの力に形を与えるほど。もはや物理的に視認可能な巨大なる五寸――否、五尺の釘はこれまでとは段違いの効力を発揮するだろう。


 ――これはかわせない。


「だったらァ!」


 もはや逃げず、むしろ突っ込む。

 後退を助走に無理やり変えて、この身を弾丸としてシトリーに――『命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』の切っ先に飛び込んだ。



    ◇



 ――彼は一体何者なのだろう。


 召喚士ではないことは見ればわかる。

 今朝まで悪魔をフィクションの存在と疑っていなかったはずで、どこにでもいる単なるふつうの高校生男児。

 異常など知らない平凡の只中に漂うだけの藻屑であったはずであろう。


 なのにどうしてそのただの藻屑が地獄の業火に晒されても自分を見失わずにひらひらと気ままに笑っている。

 悪魔を前にしても恐れず酔わず、命の危機も命がけも許容して、なお自分を主張する。


 ――彼は一体何者なのだろう。


「たとえ何者であれ、もうわたくしのもの。誰にも譲りませんの」


 来歴は知れず源流は知れず、されど所在はこうして明確だ。

 そしてこれより突き進む先行きは楽しんで眺めさせてもらう。

 ニュギスには、それで充分だ。

 

 故に。


「それは許しませんの」

「な……っ!?」


命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』はたしかに阿沙賀を突き刺して、だがしかし。


「コナクソォ!」


 ――釘付けになんかならない。


 阿沙賀は一切揺るがず阿沙賀のままに殴りぬいた。

 シトリーは憤怒の表情のまま壁面に叩きつけられ、だが殴られたことなど気づいていないかのように即座に猛烈に怒り出す。

 この不愉快の原因はわかりきっている。水入らずに不粋するふざけた女がそこにいる。


「おっ、お前だな! お前がやったな不細工!」


 シトリーは血走った目でこれまでずっと見向きもしなかったニュギスに激しく面罵する。

 言われたほうもびっくり仰天。

 そんな生まれてこのかた受けたことのない侮辱の言葉に驚きと怒りがない交ぜになって叫ぶ。

 

「ぶさっ……不細工!? 不細工!? この! このわたくしをなんとおっしゃいましたの、根暗!」

「不細工は不細工だ。がっ、外身だけ小奇麗に着飾っても魂の気色悪さは消えないからな、この魂不細工!」


 また言う。何度も言う。

 こんなに可愛く美しく綺麗で素敵で風光明媚なニュギスを指してあろうことかよりにもよって、不細工だと!?

 天地を逆さに理解するよりも度し難い狂人の発言にニュギスは怒髪天を衝くが如く吼える。


「気色悪いのは貴女でしょう!? 不衛生なゾンビだなんて侍らせてファンだののたまってお姫様気分ですの? 猿山の大将だってまだしも貴女ほど不様ではありませんわよ、臭いから近寄らないでくださいまし!」

「お姫様気どりがよく言う。どっ、ドレスなんか着ても中身は爛れ落ちたグロテスクじゃないか。よっ、よっぽどゾンビはお前に似合う。お婿さんでも見繕ってやろうか、お似合いの腐れたカップルをしゅっ、祝福してやるよ!」


 なぜか勃発した女同士の仁義なき罵り合い。

 ちょっと放置された阿沙賀は聞く耳もなくマイペースに首を傾げている。


「なんだ、ニュギスのせいか?」


 当人がこの場で一番よくわかっていなかった。ニュギスがなにかしてくれたという実感もなかった。

 一瞬、意識が飛んで、でもすぐに取り戻して、とりあえず勢いのまま殴っただけ。

 とはいえ一瞬の混濁のせいで踏み込みは浅く握りは甘かった。酷く雑な納得いかない拳撃であった。


「お? おー……」


 手のひらを握って開いてまた握って。

 眺めているとなにやら確信が生まれる。

 ひゅんひゅんとシャドーボクシングまではじめて、どこか楽し気に準備運動をしだす。


 確かにゾンビ化は防がれたらしい。ニュギスのお陰らしい。たぶん。

 だが『命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』、その本質は届いている。これは、確実にシトリーのお陰であって。


「お礼に引導渡してやらァよ」

「え?」

「は?」


 姦しい喧嘩なんざ知ったことではない。

 阿沙賀はまるで無遠慮によそ見するシトリーをぶん殴る。


 ドガン、と。

 まるで爆撃のような轟音が響き渡り、真実爆破の衝撃がシトリーを襲う。

 その華奢な身は壁にぶつかり、ぶち抜いて隣の教室へ。なお勢い衰えず机も椅子も吹き飛ばしてまた壁にぶつかりもう一度ぶち抜き、さらに向こうの教室でようやく止まった。


 その破壊力たるや人間の限界を軽々と飛び越えている。

 それのなぜは明快だろう。

命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』は命を与え命を操る顕能けんのう

 あれほど全力、無我夢中に発したそれは当然に阿沙賀へと魔力を付与していて、その身体能力をハネ上げる。

 弊害だけを取り除き、旨味だけ奪い取った誰かの手管であった。



 つかつかと自分の拳で拓いた道を通り、阿沙賀は未だ起き上がらないシトリーに近寄る。

 言いたいことを言ってやる。


「そもそもからして気に食わなかったんだよオメェ」


 ぴくりと倒れ伏したシトリーが反応を示す。

 聞こえているということを確認し、阿沙賀は続ける。


「アイドルだってンならオメェの魅力でおれを信者ファンにしてみせろってんだ。顕能けんのうだかなんだか知らねェけど、そんなもんに頼って無理やりだなんて時点でアイドルとして雑魚すぎンだろ!」


 浴びせかけられる言葉とともにシトリーの紫色の目は開き、脚に力が戻る。

 なんとか立ち上がり、真っ向阿沙賀に対面する。

 その目は今度は逸らさない。

 混沌として底すら見えない、ただの人間の目は――凄絶に輝いてシトリーだけを見つめて抉るよう。


「それともなにか? オメェの自称は、オメェの自信はそんな程度の低い一人遊びのおままごとだってのか? そんなんじゃおれには勝てねェ、勝てねェよ」


 その自信のほどは一体どこから湧いてくるのか。

 その啖呵を吐ける度胸は全体どうして起こりうるのか。


 悪魔を前にただの人間如きが必勝を叫ぶなどありえるものなのか。


 あまりの大言壮語にニュギスは先刻以前までの喧嘩も忘れてにこにこと笑っている。

 シトリーも呆然と痛む頬を押さえて言葉もでない。


 だだすこしずつ阿沙賀の言葉が心に染み渡り、魂にまで刻まれて。

 ずきずきと痛む頬さえどこか誇らしく思えてくる。その真っすぐな視線に貫かれるだけで心が疼く。

 拳に痺れ、言葉に燃えて、心は定かならず。


 あぁ、これは……間違いない。


「おっ、お前……名前、名前を教えろ……じゃなくて、おっ、教えて……ください」

「あ?」


 急にどうしたんだ。

 畏まった態度に訝しみながらも、だがシトリーの問いかけにはどこか切実で熱烈な思いが感じ取れた。

 ここで名乗らば男が廃る。

 そういう誰何すいかであるとわかれば阿沙賀は疑念を捨てて名乗りを上げる。


「おれの名は阿沙賀――阿沙賀・功刀だ。覚えとけ」

「あっ、アサガ……アサガ……ふひ、覚えたぞ」


 そして。


「きっ、聞いていたな、あっ、あたしは負けを認める。アサガの勝ちだ」

「あ?」

「え?」


 目をむく阿沙賀とニュギスが言葉を継ぐより先に、その声は教室中を響き渡る。


『――おや、いいのかい、シトリーくん。まだ戦えるだろうに』


 鈴の音のような可憐な――女の声。


 急な割り込み、新しい登場人物に阿沙賀とニュギスはまず周囲を確認する。声の出所がわからず探すのだが、どこにも誰もいない。

 その声はから届いている。


 阿沙賀の困惑の間にも、シトリーと声は話を続けている。


「いっ、いい。もうあたしはアイドルをやめる……あっ、あたしがファンになってしまったからな。これからは追っかけだ」

『はっはっは。それはいい。確かに君にはそのほうがよく似合うよ』


 そもそもアイドルだった期間が存在しねェだろとツッコみたかったが、それ以上になにかおぞましい発言がなされたことに震えてしまう。

 誰の追っかけをするのだろう。消去法で考えるとなにやら嫌な予感がひしひしとあるのだけれど。


『まぁ君が敗北を認めるというのなら是非もないね。ではここに決着としよう――』

「てーか待てや」


 急に入ってきて訳知り顔で話を進めるどこかの誰かさんに、阿沙賀は腹を立てて文句を挟む。

 どこにいるのだか知らないが、顔も名も明かさないような胡散臭い奴に仕切られたくなどない。


「勝手に司会進行してンじゃねェよ、出しゃばりが。そもそもオメェはどこの誰だよ?」

『僕はこの学園を守る妖精さんさ』

「嘘つけ」

『嘘だがね。場を和ませるための嘘さ、許したまえよ』

「そーいうのいいから。はよ名乗れってンだ。というか顔だせ、どこから見てンだ覗き魔がよ」


 全然和まねェし。苛立ち増すばかりだし。

 阿沙賀から伝わる嫌悪感に苦笑しながら、大嘘吐きと呼ばれた声は言う。


『残念ながらまだ名乗れないし顔を合わせるわけにもいかないんだ、これも契約でね。今は天の声とでも思ってくれればいいよ――この試胆会したんかいにおいての進行役を任ぜられている』

「……試胆会、だ?」


 それはたしか、肝試しの異称。度胸試しを意味する言葉で……シトリーとの喧嘩がそれだというのか。

 それに契約という言い回しからしてもこいつも悪魔。

 どころか、この言い方から察するのであればまさか……


 目を細める阿沙賀からの非難の声がとりあえず止まったと見て、天の声は話を元に戻す。


『進行役として、勝敗がついたのならそれを宣言したいものだけど……その前に、阿沙賀くん』

「ンだよ、名前を呼ぶなよ、腹立たしい」

『はは、嫌われてしまったかな? まあ聞いてくれよ』


 頼むよ、とまるで頼む態度でない尊大な言い様からは弄ぶ気配しかしない。


 先ほどから一言一言に揶揄の意が潜んで見え隠れしている。

 ニュギスも人をナチュラルに見下しているところがあるが、こいつはそれと似て非なる。


 視界にあるのはすべて自分を楽しませてくれるオモチャであって、どのように楽しませてくれるのだろうかと、ある種純粋にわくわくと期待しているのだ。

 勝手に人を道化と見做して笑い転げるし、なんなら興を満たすために小突いて反応をまた笑う。


 まこと相手にしたくないタイプであり、言葉を交わすだけで厄介な手合いである。

 その対処は可能な限りの無言で無反応。阿沙賀は顎でしゃくって促すだけに留めてなにも言わない。


 けれど相手も一枚上手、そうした嫌悪からくる反応を抑えようという態度もまた楽しめるのだ、この女は。


『君は命恋イノチゴイのシトリーに勝利した。その褒美として契約に基づいて一度だけ彼女になにか言うことを聞かせる特権が与えられたよ。もちろん契約に違反しない範囲で、だがね』

「えっ、えっちなことでもいいぞ、アサガ」

「しねェーよ!」


 というかそれならひとつに決まってるだろう。


「じゃあ学園中のゾンビ、もとに戻せよ。平穏な学園生活を返せこの野郎」

「わっ、わかった。アサガが言うなら……」


 ふわりと見えない力がシトリーを中心に発せられ、それが輪となって高速で拡大する。学園中を包み込む。

 先のような危機感を覚えなかったので阿沙賀はなにも言わずに見守っていたが、その果てまで見えたわけではない。


 ふぅと一仕事終えたみたいなシトリーに疑問を投げておく。


「え、なに。終わったの? ゾンビ治ったの?」

「うっ、うん。全員、解いた。もう亡者ファンなんかいらないし……」

「そうですか……」


 そういえばあまり追求してはいけないのだった。

 もうそこは治ったことを信じよう。いい加減疲れてきた。


 というか心の底から帰りたいのだけれど……まだ一時限目すらはじまっていない朝の早い時間なんだよな。

 なんてことだ、これから丸一日学業に勤しまねばならないなんて……。


 落ち込む阿沙賀に、天の声は締めにかかる。


『さてこれにてお仕舞いだ』


 全工程を終了した上は進行役としてその宣言をせねばならない。

 高らかに、されど稚気満ちて楽し気に……一杯の嗜虐心を乗せて宣する。


『大江戸学園七不思議試胆会、第一戦目――勝者は阿沙賀』

「……あ?」


 七不思議……第一戦目、だと?



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