5 大江戸学園七不思議


 その日の大江戸学園は急遽の全校集会が開催され、一限目の授業がまるごと潰れてしまったという。

 生徒たちは気楽に喜んだが、教師たちは急なカリキュラムの乱れに頭を抱える羽目になったらしい。


 常よりすこしだけ騒がしげ、気の抜けた二限目はチャイムの音とともに終了し、小休憩を迎える。

 教室全体が弛緩した空気になった頃合いに、ふいと阿沙賀は席を立って最後尾の少年に顔を出す。


大河内おおこうち

「なんだよ」


 眼鏡をかけた神経質そうな同級生、大河内である。


 いやこの野郎。

 私は冷静沈着な人間ですみたいな澄まし顔してやがるがゾンビパニックに直面した瞬間にテンション爆上げの万歳アタックかましたの、絶対忘れないからな。


 ――忘れない。

 だが、大河内はそのことを忘れている、らしい。


 他の誰もが今朝の尋常ならざる事件を忘却し、別の記憶に置き換えられているそうだ。

 その上、阿沙賀がぶち抜いた壁も修復されているし、割れた窓ガラスも散らかした机もなにもかも元通り。誰も違和感をもっていない。

 朝のゾンビパニックなどはじめから存在しなかったかのように、綺麗さっぱりだ。


 胡散臭い天の声をして曰く、これもまた悪魔の御業ということらしい。

 ゲームは万事つつがなく進行している。邪魔立てのことごとくは排除されている。

 それすなわち、まだなにも終わっていないということで。


「だから、なに」と大河内。

「……ん。あぁ、すまん」


 声をかけておいて思案に耽っているなんて失礼千万。

 阿沙賀は切り替えて。


「物知りと見込んでオメェに聞きたいことがあンだけどよ」

「物知りの定義によるけど、まあ聞くくらいはするよ」


 話始めに定義とかいちいち持ち出してくる辺りから面倒くさい感バリバリである。

 まあ可能な限り正確なことを伝えたいという、ある種の誠実さとも言える。いや、間違った情報を自分の口から吐き出したくないというプライドみたいなものかもしれない。


 そういう手合いだからこそ、噂話などというふわふわしたものを話してもらうに丁度良いと思うのだ。


「うちの学園って七不思議とか、そういう感じの与太話あるのか?」

「あるよ、大江戸学園七不思議。まあ、あんまり有名ってほどでもないけど。ええと、確か――」



「腐乱死体の校内行脚あんぎゃ

「夜中の乱痴気騒ぎ」

「廊下を泳ぐ人食い鮫」

「大嘘吐きの迷亭メイテイ先生」

「鏡の向こうの誰か」

「彷徨う人食い鬼」

「血染め桜の狂い咲き」



「――だったかな」

「B級映画ァ」


 ツッコミどころ! ツッコミどころが多すぎる! 飽和の結果むしろなんも言えねェわ! そのものズバリと叫ぶ他にねェわ!


 阿沙賀は頭痛を覚えて額を押さえる。困り果てたような声を出す。


「なんかうちの七不思議、半分くらいB級映画じみてねェか?」


 ゾンビ! サメ! 殺人鬼!

 B級映画の最優秀選手たち!

 明らかに日本の学校で噂されるような怪談話とは趣が異なるだろう。ちょこちょこ和風が混じっているあたりもなんだか余計に憎らしい。


 大河内は深く頷く。


「なんでも先代の学園長が無類の映画好きだったらしい。嘘か真か、今も学園長室には大型の映写機とビデオカセット、DVD、ブルーレイまでソフトが秘蔵されてるらしいよ」

「ある意味それも七不思議のひとつだろ……」


 なんて学園長室だ。私物持ち込み過ぎじゃん、映画視聴する気満々じゃん。

 その上、代替わりしても残しておくなんて先代の影響力は強くないか。さっさと処分しろ。

 

 頭痛になにも言えないでいる内に、三時限目を告げるチャイムが学園中に響き渡ったのだった。



    ◇



 退屈な授業の最中、阿沙賀はぼうっとしながらも思案している。

 朝からノンストップで叩きつけてきた悪魔だの召喚士だのの情報の奔流。それらを落ち着いて整理し、思考する暇をようやく手に入れた。

 荒事を起こる端から片付けていっても、その都度に得た情報についてゆっくり考えている時間がなかったのだ。

 学生が授業中を暇と言っていいのかは別問題であるが、今そこに言及する必要はなかろう。


 とりあえず悪魔というファンタジーな存在は実在するらしい。


 今も阿沙賀の前の席――欠席している誰かの席に勝手に座って、振り返るようにこちらを見つめている。

 銀糸の髪を二つ結わいにし金色の瞳をした人ならざるほど整い過ぎた顔立ち。その上で目立つ白いドレスを着飾っている。

 この制服で統一された学級の中では異質どころかド派手、誰もその存在に気づかないでいるのは異様でしかない。

 そうした異様を当たり前に現出させるのは、その少女が常識の外にあるが故。


 悪魔の実在。

 いいだろう。べつにそこに疑いはないし呑み込もう。


 阿沙賀はそこまで現実の強固さを信じているわけでも信じたいわけでもない。

 問題なのはその悪魔の来訪によって奪われた大事なものがあるということ――パンツがねェ!


 パンツを取り戻すにはもともとニュギスを召喚しようとした奴を見つけ出し、そいつから契約破棄の条件を聞き出す必要があるらしい。

 この学園のどこかにいるその召喚士を見つけようと思っていたが……次のトラブルが先にやって来た。


 大江戸学園七不思議――七悪魔。


 この学園には、七柱の悪魔が潜んでいるという。

 そいつらは古くから学園に根付いていて、七不思議として噂話に囁かれているのだとか。

 その何故は不明。召喚した奴も不明。


 だがシトリーの奴は自分を召喚した奴は死んだと言っていた。

 取り違えていたが、どうやら彼女の召喚はここ最近ではなく随分と前であったらしいので、そこは腑に落ちたと言っていい。

 では他にも潜んでいるという六柱の悪魔どもはどうなのだろう。シトリーと同じく古くから学園に居座っているのならば、召喚士さえ同じであったのだろうか。


「それはすこし難しいようにも思いますの」

「ん」


 なんか当たり前に阿沙賀の思考を察知し割り込んでくるニュギス。

 なにお前、もしかしてテレパシー的なことできるの?


「ええ。できますの」


 そういうことは早く言ってくれませんかね、今朝の登校中に言ってくれませんかね。変人奇人の目で見られたぞ。


「あら、気にしないのでは?」


 しないけど。

 じゃあむしろなんで今その情報を開示したよ。


「まあ、流石に授業中ですもの、仮契約者様もおしゃべりできませんでしょうし、これでも気を遣っておりますの」


 人間界検定二級なご配慮痛み入るよ。

 で、話を戻すけど。


「さきほども言いましたが、召喚士が連続で召喚するのは難しいですの。逆を言えば時間を置けば何体でも……と思うかもしれませんが、今度は別の問題が発生しますの」


 あれか、キャパシティ。許容量の限界点。


「ですの。

 そもそも悪魔との契約には人間の魂を捧げる必要がありますの。それは当然に有限で、複数の契約でばら撒いていいようなものではありません」


 キャパがめっちゃでかい奴なら?


「それでも今度は悪魔側が取り分の横取りに思えて快くはないでしょう。悪魔同士が必ずしも友好関係を築けるわけでもありませんし」

「…………」


 なるほどと納得する気持ちと同時に、疑わしく思う気持ちも湧き上がってくる。

 ……なんかニュギスにそっちの常識説かれると、例外でしたみたいなこと多い気がするんだが。


「正直わたくしも言いながら思いましたの」


 怒るかと思えば、むしろ自覚的で落ち込むニュギスである。

 彼女としては召喚士と悪魔の事柄について頻出例を述べているだけなのに、この学園では裏目ばかりなのだ。うちの学園は一体なんなんだ。


 じゃあやはり七不思議七悪魔はひとりの召喚士による契約と見ていい気もする。


「それはそれでちょっと安直ですけれど」


 けれど事態は悪い方向に考えて備えておくほうが転落を防げるのも事実だろう。

 もしも、もしもだ。


「もしも七柱の悪魔すべてが同じ召喚士と契約していたのでしたら――全員が召喚士を失ったということになりますわね」


 そう、シトリーがそのように言っていたのだ。

 ではそうなると、どうなるか。


「召喚士を失ったにも関わらず人間界に残っているという時点で異例ですの、そんな悪魔がなにを考えてどう行動するのかなんて予測もできませんわ」


 試胆会、って言ってたな。

 ありゃなんだろうな。

 字義通りなら肝試し、度胸試しのことであろうが。

 では阿沙賀は七不思議という怖いものどもを相手取って、胆を試せばいいのだろうか。シトリーが阿沙賀を狙ってきたのは、こちらの胆を試しに来ていたのだろうか。

 もしそうだとして、たとえそうでなくても、大きな疑問がある。


「どうして仮契約者様なのでしょう?」


 ニュギスは疑問に首を傾げる。銀色の髪がさらさらと揺れている。


 もっともな疑問である。

 阿沙賀はあんな奴ら知らんしこんな催しも初耳だけど、あいつらはなにか元よりこの試胆会を開催することを予定していた風だった。

 そして、阿沙賀の素性を知らないながら参加に特段の異議も違和も抱いていない。


「やはりわたくしの、正当な召喚士とやらがやるつもりであった催し事だったのでしょうか」


 だとしたらとんだとばっちりPart.2だな。


 本来ニュギスを召喚するはずだった奴がいて、そいつはニュギスを伴ってこの試胆会に参加するつもりであって。

 だがなんらかのイレギュラーが起こって無関係な阿沙賀がニュギスと契約。その結果、試胆会参加の枠が阿沙賀に回ってしまったと。


 なんてこった、果てしなくとばっちりじゃないか。

 阿沙賀はこんなにありきたりな一般人の日陰者だというのに、どうしてこんなことに巻き込まれなければならないのだ。


 だが逆を言えば、この試胆会とやらが件の召喚士と繋がりがあるのなら……攻略する意義が出てくる。


「? どういうことですの」


 シトリーが負けを認めた後、あの胡散臭い天の声とやらが言ってただろう。



『君は命恋イノチゴイのシトリーに勝利した。その褒美として契約に基づいて一度だけ彼女になにか言うことを聞かせる特権が与えられたよ。もちろん契約に違反しない範囲で、だがね』



 つまり、最低でもあと六回は悪魔どもに言うことを聞かせられるということでもある。

 事情を知っている側の首根っこ掴んで問いただせるわけだ。


「あ、なるほどですの。それに乗じてわたくしを召喚しようとした本来の試胆会参加者について聞き出せるというわけですのね」


 その通り。

 降って湧いた面倒ごとであるが、ピンチはチャンスとも言う。このか細い穴をこじ開けて目的を達する工程に組み込むことさえできればすべて丸く収まる。


「では当面の行動方針としましては七不思議七悪魔の捜索、打倒――要は試胆会とやらを避けずに参加するということですのね……ふふ」


 言いながらなんぞや悪魔が笑いだす。

 いと楽し気に。今にも躍り出しそうなほど、溢れんばかりの喜色を込めて。


「それにしてもまさか召喚されて半日も経たないうちにこうもイベントが目白押しだなんて、流石に想像しておりませんでしたわ。俄然面白くなってまいりましたの」


 なんも面白くねェよ。いい迷惑だよ。

 嫌そうに顔を顰める阿沙賀を、ニュギスはその輝かしい金瞳でじっと見つめてくる。瞳の奥の真意を覗くように。


「あら? 貴方様にはこうした苦難を笑って呑める意気があると理解しておりましたが?」


 それがあっても文句の一つくらい言わせてほしいもの。


 楽しいことは好きだ。

 そのために多少の面倒も許容する。

 けれどルール不明のゲームに飛び入り参加ではどうしたって心もとない。

 せめて事前申請の上、契約書なりルールブックなりの閲覧をさせてほしい。熟読の末に断るから。


「断っているではありませんか!」


 いやだってハナからして阿沙賀はこの催しなんにも楽しくないのである。

 パンツを奪われたから。股間の寂しさを慰めるためにも鋭意努力しているしするつもりだが。

 人質とられて楽しく行こうもクソもない。いいからパンツを返せと切に叫びたい。


 見ているぶんには笑えるのかもしれんが、当事者からしたら不服が多い現状であるのだった。


 阿沙賀の苦悩の一端を垣間見て、ニュギスは理解を示したように頷いたと思えば両手を合わせる。


「では祈っておきましょう。願わくば仮契約者様にも楽しめる遊興が七不思議に埋もれていますように」


 そうじゃない。なんか違う。どこかズレてる。致命的に。

 それは人と悪魔の価値観の違いであるのかもしれないし、単にニュギスが察し悪いだけかもしれない。


 どうにせ、轟々の非難を胸に抱いて阿沙賀は本日の授業の大半を寝て過ごしたのだった。



    ◇



「今日はこれから仮眠をとる」


 朝の災難続きはどこへやら、あれから阿沙賀は特段に日常と変わらない時間を過ごし、あっという間に下校時間。

 そのままさっさと帰宅し食事も風呂も歯磨きも済ませて、既に敷いた布団に入り込んでいる。

 あとは寝るだけ――という段になって横合いの浮遊する悪魔に予定を告げておく。


 急に振られて驚くやら呆れるやら、ニュギスは嘆息交じりに。


「あら、そうなんですの? 日中、寝てばかりの怠惰は夜に向けて英気を養っていたのかと前向きに考えていたのですけれど」

「怠惰じゃねェよ、ちゃんと同級諸氏から情報収集してただろ」


 授業中には寝ているくせに休み時間ではしっかりと起きて楽し気に友人と会話を繰り広げ、また授業で寝る。

 なんとも不真面目学生の鑑である。


 情報収集だなんて真面目ぶって言い換えても、横で内容を聞いていたニュギスはばっさり切り捨てる。


「ほぼ駄弁でしたの」


 思い出されるのは今日の阿沙賀の友人どもとの非常にくだらない、ある意味では学生らしい会話である。


    ◇


「空の位置ってどこからだと思う?」

「は? あの高い青じゃねェの?」

「どこからかって話だよ、ここかそこかさもなければあっちか?」

「手が届かなきゃ空でいいだろ」

「……なるほど。個人によって空が違う。そこにいる高さによって空が違う。穴の底でも山の上でも、届かない部分こそが空……」

「おぉい、なんの話だ?」

「空は案外低いって話」

「へェ」


    ◇


「阿沙賀ぁ、金貸してくれぇ……今夜、今夜が勝負なんだ! 明日には倍にして返すから、熨斗つけて返すから! 絶対絶対マジ絶対!」

「はい、死ね」

「マジだから! 一欠けらの嘘も偽りもない、オレは真実だけを語っている! 必ず今夜の勝負で勝てるから! 百万パーセント損しないから!」

「百万回は聞いたセリフな上、おれは百万回は言ったよな。断る」

「ちくしょォ! まともな友人しかいないせいで誰も貸してくれない!」

「いい友達ばっかでむしろビビるわ。なんでこんなクソカス野郎を誰も縁切りしないんだ」

「人徳ですけどなにかー!?」


    ◇


「阿沙賀くん、阿沙賀くん」

「なんだいつも半目の九桜くざくら

「見ててよ――くわっ」

「……目ェ見開いてなにが言いてェんだ」

「可愛い?」

「おれは半目のが好きだぞ」

「そっかぁ」


    ◇


「お、阿沙賀じゃん。またオレの部屋で映画観ない? いいB級映画が手に入ったんだ」

「B級なのか……タイトルとあらすじは」

「タイトルは「シャークデッドホリデー」。

 主人公が元殺人鬼のゾンビでつぶらな目をしたサメを拾ってペットにするハートフルスーリー。オレのおすすめのシーンは食料が底をついたことで自分の腐った肉体をサメに食わせる感動シーン」

「ラストは?」

「すべての肉体を食わせたことで誕生したゾンビシャークが人類を滅ぼす殺人ザメとして覚醒する。人類とゾンビシャークの戦いを匂わせつつ終幕」

「クソ映画ァ」

「今度続編がでる」

「うそァ」


    ◇


「――類は友を呼ぶという言葉を、わたくし大変深く理解できましたの!」

「誰が変人だ」


 お前とその愉快なお友達に決まっているだろう、冷え切ったニュギスの目は厳然と断じていた。

 阿沙賀としては周囲の奴らが変人なのはまったく否定しないが、自分だけは違うと思っている。

 なので当たり前にこのように言い張る。


「おれァ顔は狭いが縁は深い。変なのとばっかツテがある。あるがツテってだけで、おれは超がつくほど真っ当だ」

「あぁそうですの……」


 全く響いていない無味な調子でニュギスは頷いた。

 もうそこについて言葉を尽くしても無駄であると悟っている。

 無駄な話を続けるよりも実りある話題に移ってほしい。


「それで九割無駄な会話の上、どういう方針になりましたの」

「一割有用なら充分だらァ?

 ……今夜だ。今夜、七不思議のひとつに関連してそうな裏行事が開かれるんだと」

「裏行事、ですの」


 なんだそれは。

 真っ当な学園では聞く由のない非日常ワードすぎるだろ。学生も変人ばかりなら学園もまたヘンテコか。

 一体全体、夜の学園でなにをするというのか。

 興味津々に小首をかしげるニュギスであるが、阿沙賀は肩を竦めて済ます。


「それはまァお楽しみってことで秘密にしとこう」

「それは構いませんが、けれどいいのですか? そんな一点張りで」


 アテがあるのならそれを探るのは正解だろう。

 だがそこ一点絞りするのも外した時に手痛いし、できるだけ手広く探っておく必要もあるのではないか。

 悪魔のくせに真っ当な感性なニュギスである。


 阿沙賀は面倒くさそうに。


「たとえば? 他にアテもねェんだぞ」

「一応、七不思議の語りにピックアップすべきワードがありますでしょう」



「腐乱死体の校内行脚」

「夜中の乱痴気騒ぎ」

「廊下を泳ぐ人食い鮫」

「大嘘吐きの迷亭先生」

「鏡の向こうの誰か」

「彷徨う人食い鬼」

「血染め桜の狂い咲き」



「廊下。鏡、桜の樹……それなら適当に散策して見に行けるのではありませんの?」

「漠然としてンなァ」

「それは仕方ありませんの。そもそも悪魔探しだなんて、雲を掴むようなものですから」


 基本は無理で馬鹿馬鹿しいとさえ言える奇行の類。

 悪魔などはこの世の裏事情である。

 多くの者は一生涯無縁であり、存在しないと信じてあの世にまで逝ける。


 ごく稀に偶然の裏道でばったり出くわすにしても意味不明のまま始まって意味不明のまま終えるから、まことしやかに噂話で語られるくらいが関の山。というか大抵死んで口なしになる。

 意識して自覚的にそれと向き合うなど、夢幻の狂言であろう。

 阿沙賀だって昨日までなら、学園七不思議について実在を信じて探し出そうだなどと言われたら鼻で笑って突っぱねていたはずだ。


 いや、目の前で悪魔当人が説くことではないが。

 阿沙賀はジト目で。


「雲なんざまず手が届かねェよ、お空にあるンだぞ。無駄足になる」

「そうでしょうか」


 それでも、今のニュギスはどこか余裕を滲ませて笑う。揺るぎない確信の笑み。


「我が仮契約者様のトラブルメイカー体質であれば、おそらくあれよあれよで巻き込まれておりますわ」

「う」


 きっと問題ない。雲だって降りてくる。

 阿沙賀は勝手に面倒ごとに巻き込まれて、渦中で足掻かざるを得なくなる。

 そういう悪運というか奇縁というか、なんとも言い難い星の巡り合わせの下にこの男はいる。

 すくなくともニュギスはこの瞬くような短い付き合いだけで、そう確信していた。


 そして阿沙賀当人も言われてみると否定しづらい。

 仕方なしと意見を受け入れる。次の手を考えていなかったのは事実だし。


「まァじゃあ次の朝に散策もするかァ」

「? 朝ですの? 夜ではなく?」

「夜って相手の独壇場感あるじゃん。できるならちょっとでも弱っててほしい」

「別に悪魔は時間帯で力を変動させたりはしませんの」


 吸血鬼や人狼ではないのだ。

 あんな不完全な怪物程度と一緒にされては困る。


「そもそも夜や朝などにせずとも、別に日中の休み時間などに探してもいいのではありませんの?」

「んー。できるならあんま無関係なの巻き込みたくはねェなァ」


 存外に心優しいことを言う。

 いや、優しさというよりは自分が気に喰わないから嫌だということであろうが。

 そうであったとしても先のシトリーに勝利した際の褒美に学園の救済を即答できる部分も含め、彼も善性を保持していることに疑いはない。

 まぁそこはかとなく悪性というか蛮性も備えているが。

 一方に寄らないサガであるということ。


 そこは尊重してニュギスはそれ以上は口を噤んで意見を引っ込める。

 文句がないとなれば話はこれでお仕舞い。電灯のスイッチを切る。


「というわけで、ニュギス」

「はい?」

「仮眠するから零時に起こせよ、じゃおやすみ」

「……は?」


 掛け布団を被り目を瞑る。

 本当に寝ようとしている。


「はぁ!?」


 自分をほったらかしにして、寝首を掻かれる不安もなく。

 一方的に自然と命令して、それが当然のように安らかに。

 寝ようとしている。


 ニュギスはキレた。


「ちょ、お待ちなさい、寝るな! ふざけているんですの! あ、だから寝るなっ!

 わたくしはニュギス・ヌタ・メアベリヒ! 誇り高き七大魔王が一柱ベイロンの眷属にして六姉妹の末妹、六十六の臣下を束ねる公爵ヘルツォーク! そのわたくしを目覚まし時計扱いですの!? なんという侮辱、喧嘩売ってまして!?」

「zzz……」

「寝てないで聞いてくださいませー!!」


 これより小一時間ほどニュギスの魂の慟哭は続くのだが、結局阿沙賀はまるで目覚めず寝こけていた。



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