6 夜中の乱痴気騒ぎ


「ついつい先刻まであれほど頑なに目覚めなかったくせに、どうして零時になった途端に目を覚ましますの、理不尽ではありませんの……」

「おれの体内時計が正確でなによりだ」


 定時となってぱちりと目覚める。

 半身を起こしぐっと伸び、寝ぼけ眼ながらもニュギスに勝ち誇るように返し、阿沙賀は起き上がる。

 いつもと違い、部屋中が真っ暗でなにも見えない。電灯の紐状スイッチを探して手をさ迷わせる。すぐに触れるものを感じて引っ張れば、電気がついて不満顔のニュギスが正面に仁王立ちしていた。


 無視して阿沙賀はいそいそと寝巻を着替える。制服だ。

 やっぱりパンツはないのでハーフパンツで誤魔化して、顔を洗って未だ残る眠気の欠片を撃退。

 さて。


「行くか」

「ちょっと聞いていまして!?」

「聞いてない。人待たせてンだ、行くぜ」

「え?」


 誰かほかにも同行者がいるのか? こっちこそ聞いていないぞ。どういうことだ。

 ニュギスは驚きに二の句を継げず、さっさと部屋を出る阿沙賀についていくしかできなかった。



    ◇



「なんでもうちの学園には夜な夜な秘密裏に賭場が開かれてるらしい」


 はじめに阿沙賀はとんでもないことを言い始めた。

 悪魔のニュギスですら言葉を取りこぼすほど、ぶっとんだ発言である。


「と、賭場ですの? それって賭け事をするための、あの賭場ですの?」

「その賭場だな」

「本当に未成年の通う学園ですの? おっさんの趣味では……?」

「老若男女問わず金が好きなのは同じだろ」

「いえ、それはそうでしょうが……なんというか、犯罪では?」

「悪魔が言うか?」


 まるでまったくマジの非合法――犯罪である。


 夜風が頬を撫でる度に秋を感じる、ほとんど真円近い月の浮かんだ夜空の下。

 阿沙賀は寮の前でひとり手持ち無沙汰に待ちぼうけ。

 待たせていると思ったが、どうやら相手は阿沙賀以上に時間にルーズであったらしく、未だ来たらず。

 あの野郎……時間指定したのはそっちだろうが。


 腹を立てながらも、その合間で本日今夜についてニュギスに説明しておく。


「七不思議のひとつ「夜中の乱痴気騒ぎ」」


 怪談に曰く――「学園の明かりが消えた頃、誰もいないはずの校舎で騒ぐ声がする。そこでは死者が授業を受けているという」


 ニュギスは上手く情報が繋ぎ合わず首を傾げる。


「その死者の授業というのが、賭場ということですの? なんだか腑に落ちませんが」

「そうか? 金勘定は死んでも学べってことだろ? それか、金の亡者なんて死者と同義ってことかもな」

「……ゾンビですの?」


 亡者と言えばつい今朝に戦ったゾンビであろう。

 まさか命恋イノチゴイのシトリーにまつわる七不思議こそが、この「夜中の乱痴気騒ぎ」であったのか?


 阿沙賀は首を振る。


「いや、生きた人間だ。昼の九割無駄な駄弁りに混じった奴に、その裏賭博の会員がいた」


 その人物の情報によれば、先に言った秘密の賭場が学園では開催されている。

 開催日時も場所も毎回不定であり、学園生の賭博会員にのみメールによって伝えられるという。ちなみにそのメールは迷惑メールを装って送られてくるため、試しに見せてもらったが一見、判別がつかないようになっていた。


 そしてなんの偶然か――今夜に賭場が開かれる。

 そのために金が入り用な阿呆がいて、阿沙賀がはした金を叩きつけることで連れ合いを頼んだ。


「一見さんはお断りだってよ。そいつの仲介がねェと入り込めねェ」

「なるほど……」


 最低限、外に露見しないように気を遣ってはいるようだ。

 まあ学生同士のやりとりではどこかでボロがでそうなものだが、一応いまのところは裏に潜めているようで――有能な主催者がいるのか。

 それこそ悪魔の手管ということなのかもしれない。


「ですがなんとも、七不思議というには生々しく、連想するには少々こじつけたようにも思えますが」

「それがな、噂話はおそらく賭場をカモフラージュするための方便だ――ってのが有識者の意見でな」


 有識者という名の大河内くんである。

 大河内くんも知識としては賭場について知っていたらしい。無論、参加はしたことがないようだが。そこら辺は真面目である。いや先生辺りに報告しないところは不真面目でもあるが。

 そしてそんな彼の意見では、秘された賭場をさらに深くに隠すための隠れ蓑としてそれが噂されるようになったのでは、とのことらしい。


 要は話題を逸らしている。

 夜の学園で明かりがついていた。そういう目撃者は当然ながらいついつどこどこにもありうるだろう。

 だがそれの理由は賭場などではなく幽霊の仕業だと、怪談に仕立てて思考を誘導している。

 効果があったかどうかはともかく、意図されたのはそんなところ。

 

「――おおい、阿沙賀ぁ」

「遅ェぞ八木やぎ


 話している内に待ち人は来たようだ。

 寮ではなく校門側から現れた彼は自宅から学園に通っていて、だから侵入に手間取ったのだろう。


 人の顔を覚えないニュギスはもう日中の駄弁相手を忘れ、はてと首を傾げる。


「仮契約者様、この方は……」

「ギャンブラーという名の依存症患者だ。名前は八木やぎ


 阿沙賀のクラスメイトの八木という少年は、とりたてて目立つ部位のない平凡そうな男であった。

 肥えも痩せもせず、高くも低くもなく、学力テストにおいてもたいてい平均点をとる。

 外見的にも可もなく不可もなく、特徴というものがほとんど欠けていた。

 ……ただその血走った目だけを除いては。


 彼の目つきはなんかもう際立って異質だった。

 草食動物が目だけ虎から移植したように、全身で唯一一対異物感があって平凡さをかき消している。

 それはギャンブラーの目であった。


 別に人間の外見でビビることはない悪魔であるが、その肩書きには身震いする。

 まさかこんな年頃で既に泥沼の底に沈む破滅の権化が如き異名を得ているなんて。


 恐る恐る問いを。


「ギャンブラー……高校生で、ですの?」

「安心しろ、あいつは中等部からもうあんな感じだったぞ」

「その情報でできるのは安心ではなくて諦観ですの」


 わかった、また変人なのか。ニュギスはもはや深く追求しない。

 代わって駆け寄ってきた八木が口を開く。


「なんか言った?」

「いや別に。それよりさっさと行こうぜ」

「そうだな。勝負はもうはじまっている」


 八木の目は既に賭場に向けられ、その心は博打打ちと化している。

 いつも教室でのほほんとしている彼とは別物だ。

 なんかそんな馬鹿を見ているとものすごく帰りたくなる阿沙賀であったが、ここまで来てそれも間が抜けている。

 我慢して先行く八木についていく。


 

 大江戸学園の校舎は巨大で、そのぶんだけ入口は無数に存在する。

 特に非常用の裏口などは数が多すぎて戸締りが甘い時があるらしい。

 それくらいは阿沙賀も知っていたが、賭場が開かれる日には会員に開錠してある裏口を周知するというのは知らなかった。

 思いのほか用意周到というか、これ確実に教員側も噛んでるだろうと思わせるやり口である。


 あっさりと開いたとある非常ドアを抜け、階段を昇り最上階へ。

 さらに奥に向かって、辿り着いたのは学内に全部で四つある小体育館、そのひとつであった。


 ドアに手をかけようとする阿沙賀を、八木が肩を叩いて待ったをかける。

 それからオレに任せろとばかり頷いて前に出る。そしてドアに向けてノックを二度。一拍あけて、また三度。最後にひとこと合言葉。


「あの世の授業を受講したい」

「……入んな」


 がちん、と開錠の音が響けば、すぐにドアが開く。

 なるほど、会員の証明の合図ってわけか。

 感心しながらドアを潜れば、いつもの体育館とはまるで趣の異なる世界が広がっている。


「へェ、こいつァこいつァ」


 二十人ていどか、スポーツとはまた違った熱気をだして何人かのグループ単位で勝負事に勤しんでいる。

 様相は随分と簡素で、なんなら貧相ですらあったかもしれない。適当なシートを敷いてその上で小さくゲームを繰り広げているだけだ。

 華美も派手も色気もない。むしろ武骨で、カジノだなんて言えたものじゃない。

 それでもその異様なほどの熱量はどうしようもなく血を滾らせる。



 ――大江戸学園裏賭博、秘されし欲望の園がそこにはあった。



 八木は言う。熱気を極力抑え込んで。


「主にやってんのはカードだな。あとはチンチロ辺りのサイコロ系。麻雀マージャンに双六、人生ゲームってのもある。全部、学園にあっても誰も怪しまないような物品でできるギャンブルだ」


 毎回場所が違うから軽めの道具で済むことが前提で、学園内でやるのだからそこに保管してあっても違和感ないもの。

 いや麻雀は露骨では? 卓あんじゃん麻雀卓。教員が所持しているならセーフだろうか。いやアウトな気もする……。


 無駄な懸念を振り払って見渡せば、言ったようにカードやサイコロ、盤上遊戯。どころかじゃんけんをしている奴らもいる。

 その誰もが真剣熱烈、どいつもこいつも血走った眼をしている――八木と同じように。

 彼らの宿すは欲望で、その中心にあるのは飛び交い行き交う賭場の主役。


 それは現金。お金である。

 チップでもコマでも点棒でもなく、現ナマそのもの。

 金、金、金だ。


 どいつもこいつも、金に目がくらんだ阿呆どもである。


 阿呆代表みたいな八木は、そうした軽い説明を済ませると詰め寄るようにして言う。


「あとはいいな? ひとりで大丈夫だな?」

「あぁ」


 頷けば、ぎらりと八木の凡庸さとは不釣り合いな目が光る。


「じゃあおい阿沙賀。紹介してやったんだ、約束通り……」

「おう、もってけ」


 既に用意しておいた五千円札を放り投げる。

 案内の駄賃としてはまあ充分であろう。学生には痛い出費だが背に腹は代えられない。

 それに阿沙賀はどうせ、金を賭けに来たわけではない。


「ふふ、ふふふ」


 八木はひらりと舞う五千円札をひっつかむと、その真贋を確かめるように見つめ、ふと亡者のごとく微笑む。


 八木というギャンブラーは有り金をすべてつぎ込む破滅型の賭け方を好んでいる。

 そのため負ければそれからしばらく貧窮にあえぐ。そして勝ったとしても調子に乗って友人どもに食事だの遊びだのを奢りたがっててすぐにすってんてんになる。

 つまり彼の生活の大半は金欠ということだ。


 いつもクラスメイトたちの心配と労りの声が辛かった。


「大丈夫? お金ないならお昼おごるよ?」

「ギャンブルはやめなよ、身を滅ぼしちゃうぞ」

「金は貸さねぇけど、遊ぶくらいは付き合うからさ」


 なんでみんなそんなに優しいんだ。

 優しさがかえって、辛い。

 いっそ辛辣にあしらってくれたのなら諦めもついただろうか。

 いや、きっとそんなことはない。

 遊戯の楽しさ、勝利の快感、敗北の辛酸。拮抗しヒリつく緊張感に金という圧倒的なパワーには敵わない。

 あぁ、カネ! カネが欲しい!!


 さぁ勝負の時だ。カネを得るのだ。


 それも今夜は特別。

 なんと友人に金を借りてしまった。借りれてしまった。

 つまり今回の金は八木だけのものにあらず、敗北はイコールで絶交であり絶縁と思っていい。絶対に負けられない。

 友情は大事にしたいギャンブル狂いである。


「我が友、阿沙賀――! お前の思いはオレが背負う! うぉぉおお、カード混ぜてくださぁい!!」

「……アホが突っ込んでったな」


 ほっとこ。

 阿沙賀はさっさと見限ってもう一度周囲を見渡す。此度の潜入は金を無為にするためではない。


「ニュギス、流石に目で見りゃわかんだろ。ここに悪魔は――」

「――呼んだかね?」

「っ」


 反射でその場から跳び退く。

 まるで気づけなかった、背中のすぐ傍にまで、そいつはいたというのに。


「オメェ!」


 そいつは派手なピンクの着流しを纏う引き締まった細さをした男であった。

 刀でも佩けば侍、キセルでも咥えればヤクザ者、気張った羽織りを被ればお奉行様とでもなりそうな、ともかく立ち居振る舞いから背丈、雰囲気とすべてが和装に似合う。

 これが世にいう小粋な江戸っ子というやつなのか――悪魔だが。


 けれど奇怪、和装の粋を別次元にシフトするものを彼は身に着けていた。

 それはお面、顔面をすっぽり隠した――ひょっとこの面である。


「ようこそようこそ、我が賭場へ。歓迎しよう、わしの名は賭縛とばくのコワント、ここのオーナーだ」


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