22 はじまりの夜
「――オレの召喚で手違いが起きた」
「へぇ?」
それはすべてはじまりの夜。
ニュギスが召喚されてすぐ後のこと。
……ちなみにニュギス当人は縁故結んだ阿沙賀のもとで彼の寝顔を一晩中観察していたのだが、それはさておき。
時は同じくして場所は別。
異なる世界――異相の狭間、空き教室を模した迷亭の世界である。
表に対するそこは裏。舞台裏の知られざる夜の会話があったのだ。
手違い――想定すらできなかった盤面返しの異常事態。
悪魔の召喚は成立したのになぜか契約を結んだのは自分ではなく、阿沙賀・功刀となってしまった。
直面すれば狼狽して当然で、足元が崩れ去ったような思慮の外。
それでもその少年は困惑と焦燥に囚われることなく冷静さを死守し、すこしでも打開に向けて動いていた。
これよりはじまる試胆会、その司会進行役の悪魔に直談判をしに来たのである。
教室世界の主である迷亭は、行儀悪く教壇に座して小首を傾げる。
「それは気の毒に。それで、しかしなんだというんだい」
「試胆会を、すこし待ってほしい」
確かに彼は悪魔の召喚をするのははじめてで、なにかミスがあったのかもしれない。
だがそういう未経験の不足も踏まえて慎重を期したし、不備がないよう厳重に備えたのだ。
なのに発生した大きな失敗は、どうにも奇妙に思えた。
無論、だからと言い訳はすまい。
ただすぐに事に臨むことはできなくなって、せめて二週間ほど日取りを延ばせまいかと思ったが。
「できないね、それは」
端的にばっさりと、迷亭は否を言う。
「既に約定は結ばれている。期日も決まっているし、それは全員の同意の上だろう。今さらの変更はきかないさ」
いや、そういう契約上の理由でなくても、七不思議七悪魔たちがそれを許さないだろう。
待ち望んでいたのだ、この日この時この舞台を。
今さら先延ばしなどされては白けてしまって試胆会自体を放棄しかねない。
言い切る迷亭に、だが負けじと言い返す。薄々と疑っていたこと。
「……オレの召喚に茶々をいれたのは、あんたじゃないのか」
「さて?」
「であればそれは悪魔側からの契約遂行における阻害にあたる」
「仮に僕が君の召喚に手を加えたとして、けれど召喚自体は成功しているじゃないか」
「それはオレの召喚じゃない」
「そうだね、だから再度の召喚は許されているよ」
「……それは」
彼は優秀な召喚士だ。
才気に満ちて修練を欠かさず師も有能、これ以上なくすべてを揃えて齢十七という若年で召喚士と至った、まさしく天才。
だがそんな天才をもってしても悪魔の召喚は非常に高度かつ困難、なによりも高出費の術技である。
どうしたってそう短い合間に繰り返すことはできない。
通常の召喚士では年に一度が関の山。彼でさえ、二週間はかかる。
――空前絶後の鬼才、大江戸・門一郎とは違うのだ。
振り切り、少年はではという。
「オレの身ひとつであんたらを調伏せよとでも?」
「いいや? 何を言っているんだい」
「……なんだと?」
嫌な予感がした。
心底不思議そうに、そして憐れんでいるかのごとき迷亭の眼差しに、痺れるような毒を感じる。
どうしてこんなにも美しく映える可憐な美少女の笑みが、こうも不吉を駆り立てる。
「君はもう舞台に上がる資格さえ失っている。なぜなら、僕たちと争うのは人と悪魔の組み合わせであると定められているのだから」
「な……っ」
ではまさか!
「阿沙賀を……あいつを試胆会に参加させるつもりか!」
「つもりというか、そうせざるを得ないというだけさ……あぁ、試胆会の契約に代理参加の許可を新たに加えておかないとね」
「待て、待て! そんなこと許せるはずがないだろう! あいつは無関係だ、何も知らないただの一般人だぞ!」
試胆会の多くは戦闘行為、素人を参加させては大怪我で済むまい。
このまま阿沙賀を参加者として開始されては――友人を失うことになりかねない。
そんなこと、断じて許せない。
自分はいい、昔からこれに参加して悪魔と戦うという覚悟があった。
そのための準備をし鍛錬をし、召喚士として一端のラインには踏み込めた。
戦う意思と力を有している。
だが阿沙賀は違う。
あいつはなにも知らない。
試胆会どころか悪魔も召喚士も魂も戦いも、なにも知らない無関係なのだ。
こんなふざけた催しに強制的に巻き込むなど、とんだとばっちりじゃないか。
今にも掴みかからんばかりに激怒する少年にも、迷亭は歌うように言葉を奏でる。
「それはこちらには関係がない。ないし……なに心配はいらない、彼なら上手くやるさ。きっと誰より、君よりね」
「っ、やっぱりあんたが阿沙賀を巻き込んだな、迷亭!」
「そうだよ? そうさ、そうともさ。
おっと理由を知りたそうな顔だね教えよう――だってそのほうが楽しそうだったから」
君よりも、ずっとずっと楽しそうだったから……。
そんな理由で阿沙賀を巻き込み、目の前の少年の覚悟をフイにした。
人の都合などこれっぽちも考えていやしない。身勝手にやりたい放題して手当たり次第に迷惑をまき散らす。
振り回される側は歯噛みし、耐え忍ぶことしかできないまさしく悪魔の所業。
「……っ」
拳を握りしめ、気を静める。ただ沈黙のうちに決意と思考を固めていく。
もはやこうなってはどうにもならない。
自分はメインで参加は不可能。阿沙賀に身体を張ってもらう他にない。
せめて――
「それと、もうひとつ」
「なんだよ」
せめて自分が知り得る知識を伝え、現状の恐ろしさを教え、そして逃げ道くらいは確保してやろうと。
そんな考えを見透かすように、迷亭は言う。
「君は試胆会に介入してはいけないよ」
「……なぜだ」
「なぜって、おいおいそんなの決まっているだろう」
満面の笑みで、迷亭はわかりきったことを告げる。
「そのほうが楽しいからさ」
「ふざけるな!」
激発した感情は他者を委縮させるに不足ない怒りを帯びているはずだ。
なのに迷亭は相も変わらずのらりくらり。
「ふざけてなんかいないよ。僕らは退屈だったんだ。ずっと、ずっとね。
まあ一度交わした契約だし、破りはしないけれど……次に同じ退屈を送られるとわかっているのなら、せめてそれまでは無聊を慰めたいのさ」
「断る。あいつにはしっかりと話して事情を把握した上で選択してもらう」
「君、それで断られたらどうするんだい?」
「それは……」
言いよどむのはこれまでの人生の大半を捧げて今日を迎えたという事実と。
なによりも――
「君の祖父が築き上げたものを全て無駄とし、この世に災厄を解き放つつもりかい……ああいや、僕らとしてはどうでもいいんだけどね?
ただ、君の問題さ」
「くっ」
「契約しようじゃないか。悪魔、試胆会、学園の秘密……なにもかも彼には黙っておく。その上でことを進め、成し遂げられた暁には」
――契約持続を、君が存命する間は確約する。
「あんたらは、阿沙賀を殺すつもりか」
俯き、言い訳のように絞り出す言葉は、もはやこれ以上の問答が無意味と悟ってなお友人のために漏れた非難の残りカス。
当然そんな脆い言葉に感化されるような迷亭ではない。慈悲もなく踏みにじる。
「さあ? 勝負の末のことだから、各人の判断にお任せとしか言えないね」
「あいつは何も知らないんだぞ」
「だからこそ面白い。僕たちの予想外となって楽しませてくれるだろうね」
「あんたたちは……悪魔だ」
「そうとも、僕たちは悪魔。しかしてそんな悪魔と契約する君は……なんなのかな?」
「オレは召喚士だ」
そこは意地にもかけて即答する。
そうでなければならないと自己に課し、そうあるべく全うしているのだから。
悪魔を相手取って絶対に退くわけにはいかない。
召喚士の強い眼光に迷亭は満足そうに頷いて。
「悪魔と召喚士のすることなんて、古来より決まり切っているだろう?」
「あぁ。契約を交わす。
だが契約は一方的になってはならない。両天秤を水平にしなければならない、基本だろう」
吹っ掛けられたのならこちらも相応に申し立てをする権利がある。
権利は行使してなんぼだ。
「オレ――いやオレたちに不利な条件を課したんだ、こちらからも契約事項には付け加えさせてもらうぞ」
「もちろんさ、君の不干渉の代価にひとつ有利をあげるよ」
最初からそのつもりだったのか、むしろなにを追記するのか興味深そうに迷亭はじぃっと見つめる。
予想外を求めていたのなら、彼の返答はお望み通りというべきか――二本、指を立てる。
「オレの求めるものはふたつ」
「おや欲張りじゃないか。けれど駄目だよ駄目、ひとつさ。こちらの条件に見合うような――」
「わかっている。だからもうひとつオレは失う」
「へぇ?」
天秤が傾くのなら錘を加えればいい。
当たり前の単純な計算。ふたつ得るためにふたつ失う。
少年はその手で差し出すものを示す――己自身を。
「オレを隔離しろ」
「なるほど、干渉できないくらいなら最初から我が身を封じるってことかい。でもそれだけじゃあちょっと弱いかなぁ」
「わかってる。その上で……オレについての記憶を、阿沙賀から消してくれ」
「!」
その申し出にはいささか驚く。
迷亭をして、予測できない。
「そうすればどう転んでも阿沙賀は自力でしか試胆会について調べようがないだろう。こちら側の、大きな不利だ」
「それはそうかもしれないが……いいのかい?」
それはすなわち一時的とはいえ友人から忘却される……というだけではなく。
辿って探っていったのちに――彼こそが今回の事件に阿沙賀を巻き込んだ、利用している犯人であると誤解させることになる。
友人に、本気で恨まれるかもしれない。
それはきっと、恐怖だろう。この年頃の子ならば特に。
首を振る。そんなことはないと。
「あいつがそんなタマかよ。記憶を取り戻しさえすれば、全部許してくれる」
「信じているんだね? けど本当に大丈夫かなぁ、人間の友情なんて脆いものじゃないかい?」
「悪魔に言われちゃお仕舞いだな。問題ない。まぁ、多少はあるだろうが……」
あの拳で一発はぶん殴られるだろうが……。
それで綺麗に清算としてくれるのが阿沙賀・功刀だと、彼は知っている。
「阿沙賀を選んでくれたことだけは不幸中の幸いだった。オレだって友人知人から選ぶならあいつにしてた。あいつしかいない、こんなふざけた儀式に放り込んでも当たり前に笑って帰ってくる奴なんか」
こんな時でも、思い出すだけで笑えてくる。
あいつならなんとかなる、そう信じさせてくれるだけの魂を阿沙賀は持っている。
だからと楽観できるほど、試胆会も悪魔も甘くはない。
「けど懸念はある。あいつと契約した悪魔がどんな奴かわからない。そればっかりはあいつの天運で悪運で――むしろめっちゃ不安……」
妙な縁に恵まれる奴だから、契約する悪魔なんてよほどの変わり種が飛び込んで来て不思議はない。
性格か、爵位か、顕能か。それとも全部か。
なにがしか奇怪な悪魔と結ばれているに違いない。
もしかしたら供物だって取り立てられているかもしれない。その場合はなにを捧げる羽目になるのかわからない。最悪、体の一部なんかもっていかれていたら……
首を振り、前を向く。
そうした悪い方向の想定も大事だが、ともかくすぐにもすべきは確認だ。
「それの確認と、場合によっては契約破棄の上、封印ののち帰還させる」
「いいのかい、そんなことをしたら……」
「わかってる、うるさいから話に割り込むな」
悪魔を帰還させてしまえば、本当に試胆会に参加する者が誰一人いなくなる。
だが、凶悪な悪魔を現世に留めておく危険だって捨て置けないだろう。それも契約で抑止もできないのだ、召喚士としては放置できない。
即座の危機とひと月先の危機ならば、前者に対応するのは至極当然だ。後のことは後で考えればいい。
要求のひとつはそれ。阿沙賀の契約悪魔のこと。
そしてもうひとつは、試胆会の契約悪魔のこと。
「もうひとつはキルシュキンテのことだ」
「あぁ……はは。そうだね、彼女はちょっとヤバイよね」
からからと笑いながら言う。
笑いごとではない。
「阿沙賀は勝負事であればなんであれ乗り気に挑めるが、そもそも勝負自体を拒んでのらりくらりと逃げおおせられてはどうしようもない」
「彼ではキルシュキンテくんには勝てないと?」
意地悪な問いに首を振る。
強弱でも勝敗でもなくそれ以前、前提的な問題であり、相性の差。
「勝負ができないんだ。それはまずい。だから手助けをしたい」
「ふぅん。まぁキルシュキンテくんとの戦いはちょうど最後だし、そうだね、その一戦を開始した段階で君の試胆会不干渉と隔離、そして記憶の封印を解除するということでどうだい」
「あぁ、それで頼む」
「もちろんそこまで勝ち進まなければ無意味な準備だけど……」
「無意味にはならない。必ず阿沙賀は勝ってくれる」
断言には信頼が宿る。
揺るぎない、嘘偽りない、純粋な信頼。
迷亭をして眩しくなってしまいそうだ。
あぁやはり、彼はこうして裏方のほうが光る。
そして、それ以上の輝きを、演壇の上で阿沙賀・功刀には期待できる。
「いいか覚えておけ迷亭、あんたがなにを考えているのかなんて知らないが、思惑通りにはいかないぞ……阿沙賀は必ずあんたたちを打倒し調伏する」
「あぁそれは、実に……楽しみだ」
――そして試胆会は開かれる。
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