21 血染め桜の狂い咲き
「こりゃ……すげェ」
「まさに毒々しいほどの美麗ですの」
学園の裏手、昼間でさえほとんど誰も通らず、非常口すらない巨大建築の隙間のような場所。
そこを目指さなければ決して辿り着かない、ある意味における学園の最奥たる深部。
そこには一本の桜の樹が生えていた。
見るに堪えないような枯れ木であるはずが――今宵この時に限り、反転したかの如く威風堂々と咲いている。
満開に爛漫な、おぞましいほど美しい巨大な桜がそこには在った。
あまりの花びらの密度と量に、見上げれば夜空すら見えない。星すら見えない。
花弁は常にひらひらと舞い落ち緩やかな雨のように天地をつなぎ、やがて大地を彩る。膨大な数の花弁が敷き詰められて地表全てを覆い隠してしまう。
天地を桜色一色に染められたそこはまるで別世界。
あぁ、と阿沙賀は遅ればせながらニュギスの言葉を理解する。
たしかにこの美しさは心騒ぐ。真っ当でいられなくなるほどにざわついて、なにか腹の底に苦痛を覚える。
――過ぎたる美しさは毒になる。
ならば桜の樹の下で泣きはらすその血の気も凍るような麗人は、毒そのものと言っていいだろう。
重ねられた和装は上品の一言。豪奢で優雅で着飾る者を殿上人と誰もに示すような着物であった。
その和服によく似合う艶やかで癖ひとつないまっさらな烏の濡れ羽色の長髪。夜空のように深く深く、なにものも映すことのない伽藍洞のような瞳。死人であっても今少し血色がよかろうと思えるほど白い肌。
すべてが調和して人体における最高美を咲き誇って……なのに陰鬱とした雰囲気はなんなのか。
なぜならその麗人は涙を流している。
悲しみに打ち震え、果てない悲嘆に暮れていた。
声を上げるような下品はせず、ただ静かにさめざめと袖を濡らし、なにかをずっと呟いている。
彼女こそがこの七不思議試胆会における最後の悪魔、最も高き者――
「……様……様……」
「ん?」
彼女はなにか、呪文のように囁き続ける。
一心不乱にただ一語、ひとつのみをただ延々と繰り返している。
聞き耳をたてればそれは――
「門一郎様……門一郎様……」
「「あっ」」
阿沙賀とニュギスは一発で理解し揃って頭を抱える。
「なんかもう面倒クセェ。絶対面倒クセェ。死ぬほど面倒クセェ」
「ときどきいるらしいですの、この手の病人は」
人間に召喚され契約し、その契約者の人間に魅了される悪魔は時折見受けられる。
その中でも特に執着し心を砕くほどに心酔した輩は、寿命の差で必ずその者を失い――そしてただひたすら嘆く木偶になる。
人間に魂を奪われた愚かな悪魔をして、魔界の隠語では病を患ったと表現する。
キルシュキンテはこちらに気づいた様子もなしにただひとり自分の世界に閉じこもって散り落ちた花を嘆くばかり。
桜の樹の下で泣きはらす美女というのは妖艶で色気さえ感じ、停滞したその在り様は一枚の絵画のよう。
絵画は
ひたすらに内的に嘆いて大江戸・門一郎の不在に涙する。
阿沙賀は実にやりづらそうに頭を掻く。
「あー、しっかしどうすんのアレ。どうも他のヤツらと違ってやる気を感じられねェ。これじゃこっちも萎えちまわァ」
「やる気がないなら不戦敗では? 嘘吐きどうですの」
『流石にそうはいかないなぁ』
当たり前のようにその場にいない迷亭に話は振られ、そしてやはり当たり前に返答が返る。
学園内であればいつどこであれ、迷亭は聞き耳を立てているのだろう。
『曲がりなりにも彼女はこの長きに渡る――いや、全然短かったな。阿沙賀くん急ぎすぎだよタイムアタックでもしているのかい』
「知るか。むしろ襲い掛かってきてンのはオメェらのほうだろうが」
こっちは降りかかる火の粉を払っているだけに過ぎない。
想定以上の速度で終幕を迎えるというのなら、それは七不思議七悪魔どもが拙速だからだ。
まるで我慢のきかないガキのよう。
『痛いところを突かれたね。そのとおり、みんなみんな契約者の死後は暇していてね、試胆会には大いに関心を寄せていたのさ。そして、君はその期待に見事応えてくれたよ。みな笑っていただろう?』
「どーでもいいから、はよ話進めろや。そこの泣き虫女がまるで笑ってねェんだよ」
『では彼女に笑顔の花を咲かせることが君の此度の試胆会といったところかな?』
「急にお笑いショーになったンだが? 趣旨の転換が急激すぎてついていけないンだが?」
「契約者様の振る舞いはそのままでお笑い種ですの」
「ニュギス!」
あっけらかんと悪口を言うな。
悪びれもせずにニュギスは笑って誤魔化した。
花より可憐なお姫様なものだから大抵はそれで許されるのだ。ニュギスは相当許され慣れていた。
なんてムカつく小娘だ、契約者としてはそんな甘ったれた性根にガツンと物申す必要があるのではないか。
心の予定表にメモしておくが、たぶん忘れる。
それより先より今のこと。
「もういい、とりあえずぶん殴ればいいんだらァ? 暴力はすべてを解決するンだぞ」
「野蛮ですの、粗暴ですの、チンピラですの」
「それはハナからそう」
否定もなしに自らのサガを頷いて、むしろ晴れやかに。
「しめやかに泣いてるようだし、ぶん殴って大泣きさせてやろーぜ!」
「シンプルに最低ですの」
女の泣きっ面に暴力とか男としてどうなの、いや人としてどうなの。
悪魔のニュギスがドン引きする程度には最低である。
『ふふ』
「……あ?」
していると、迷亭の失笑が漏れる。
ふたりのやりとりは一面、確かに笑える滑稽さを呈していたが、そうではない。
迷亭は今なにか大言壮語を嘲笑った。
できもしないことを賢しげに話す様を不様と笑ったのだ。
そんな笑い方をされては黙っていられない。青筋を立ててどこにいるとも知れない嘘吐きに食って掛かる。
「なんだ迷亭、オメェ言いたいことがあるなら言っておけよ」
『そう怒らないでほしいな。僕は君に嫌われたくはないんだ』
「じゃあ言いたいことは言ってみろ、黙ってても喋ってても心証は悪くなる一方だが遠慮もやっぱり腹立たしい」
「どう転んでも嫌いですのねぇ、わたくしもですの!」
人にも悪魔にも満場一致で嫌われる女である。
誰からも嫌われるというのは、それはそれで悪魔らしいのかもしれない。
迷亭はその嫌悪感さえ愛しげに受け止めて、リクエストにお答えする。
『では簡潔に――阿沙賀くん、君はキルシュキンテくんに触れるどころか近づくこともできないよ』
「へェ……」
残酷な通達。
試胆会をすべて見届け阿沙賀の並外れた魂を理解した上、キルシュキンテという悪魔をよく知る迷亭が言うのならば信ぴょう性は無視できないほどに高いのだろう。
理屈ではそのようにわかるが無論、そんな発言を真に受けて降参する男ではない。
静かに息を吐きながらもむしろやる気に満ちて目が据わる。前言撤回させてやるとばかりに口端を歪めて笑みを刻む。
「だったらやってやらァよ。パーソナルスペースすっ飛ばして拳で熱烈にアタックしてやるよ」
「死ぬほど挑発に乗りやすい方ですの!」
「うるせェ、わかってても突っ走らなきゃなンねェ時ってのがあるんだよ!」
そうでない時のほうを教えてほしいニュギスである。
阿沙賀が突っ走らなかった時など未だに拝見したことがない。
ならば迷亭もそうで、彼女の言葉は焚きつけるためのものであったか。
「知るか、ぶっとばす!」
「もうお好きになされたらいいですの」
挑発には乗る。感情的に選ぶ。思慮もなにもあったものではない。
明らかに大馬鹿野郎で、簡単に返り討ちに遇うのは目に見えている。
ではなぜこんな馬鹿がここまでの試胆会を勝ち抜き生き残ってこれたのか。
ただの馬鹿ではないからに決まっていて。
常に冷めた部位を残す。一度聞いた言葉は忘れない。勝機は逃さない。
阿沙賀のそういう相反するものを矛盾せずに己として成立させている。
だからこうして無思慮に拳を振り上げて駆け出しても、それは試行錯誤の内。決して無為には――
「え?」
「あ?」
後ろから現れる。
桜の樹へと真っ直ぐに走っていた阿沙賀が、校舎の側からニュギスのもとへとやって来た。
当然、驚き立ち止まる。
「…………こりゃァ」
「どういうわけですの?」
確かに桜の樹へと向かった。道は逸れていないし、後退なんて当然していない。
なのに阿沙賀は今、ニュギスの後ろに立っている。意味がわからない。
「……じゃあそれがアイツの顕能か。斥力とかで気づかないように吹っ飛ばされたか?」
「それにしては妙な移動でしたの。押し返されたのではなく、瞬間的に転移したような……」
「わかんねェならもう一度だ」
相手はこちらに気づいてもいないのだから、これは無意識の能力発現のはず。ならば機械的に条件を踏めば必ず再度発動される。厄介ではあるが、何度も能力を見て体験して把握するには好都合だ。
阿沙賀は迷いなくまた泣き続けるキルシュキンテに立ち向かう。
足が進む度にキルシュキンテに近づく。舞い落ちる桜の花びらが風圧に消えていく。確実に距離を詰めて拳の間合いに――
「っ!」
派手にズッコケる。
なにかが足を引っかけた。いやなにかってこれはお前……
「ニュギース! なんの冗談だボケ!」
こけたのはニュギスがそのおみ足を伸ばして待ち構えていたせいだった。
ニュギスは一切悪びれず。
「いえ今のでわかりましたの、契約者様の不様なコケっぷりは無駄ではありませんの」
「不様って言うな」
無視して。
「わたくしは契約者様が走り出してすぐに足を伸ばしてましたの。ですが、契約者様が足に引っかかったのは前方からではなくやはり後方からでしたの。押し返されたという説はまず不正解ということになりますの」
押し返されたのならまずその段階でニュギスの足に引っかかるはずだ。それがないということは、物理的な前後移動は可能性から排除される。
理にはかなっている。やり方は納得できないが。
阿沙賀は文句を腹に抑えながら立ち上がり、別案を提示する。
「じゃあ、空間が歪んで繋がってる……的な?」
「いえ、わたくしたちは彼女の顕能についてすこし知っているはずでしてよ。それと辻褄があっておりませんの」
「あぁ、怪我や校舎の損壊が治って……戻っていた?」
こくりと頷く。
それは今の阿沙賀が体験した不可思議とある点において共通する。
傷や損害が元の姿に戻る。
移動したはずの阿沙賀の位置が戻る。
戻る……巻き戻る。
「時間を巻き戻す顕能、それがキルシュキンテの能力とみて間違いないと思いますの」
「なるほどな、納得した。迷亭、採点は?」
『満点だよ、花丸を上げたいね。キルシュキンテくんの顕能は時を巻き戻す、名を『
阿沙賀は片手で顔を覆いため息を吐く。
どうにもまたとんでもない手合いのようだ。
「はァ……遂に時間にまで干渉する悪魔がでたかよ」
「しかしこれは由々しき事態ですのよ、契約者様。数ある顕能においても時間に関与するものは希少、聞いた話では最低でも
『ははは、博識だねぇ。その通りだよ、キルシュキンテくんは七不思議で唯一にして最上の爵位、
すぐに情報を吐露する司会進行である。
それはこちらに上位悪魔を相手取るというプレッシャーを与えたいがためなのか。その程度で怖気づく阿沙賀ではないとわかっているはずだろうに。
「流石はラスボスだな。だがそれくらいは想定内だぞ、驚くまでもねェ。こっちにゃ公爵がついてンだぞ!」
「恐れ敬え、ですの」
『余裕そうだね。まぁいくら想定していても説明しても、結局は君は体感しないと納得しない
顕能は暴いた。
だがそれを知った上でも阿沙賀はキルシュキンテに近づくこともできない。いくら速く走っても時間ごと巻き戻されては近づきようがない。
幻想的なほど美しい桜の樹は決して触れることさえできない夢幻に等しいのだと言わんばかりに。
「ち。触れることさえできねェってのはそういうわけか」
「どうしますの契約者様」
「……物理的に届かねェんじゃ殴れねェな」
言わばこれは巻き戻ることで塞がれた不可視の壁。
「力尽くでどうにかなるもんじゃねェし、しょうがねェ。あんまこういう手は使いたくなかったが……」
「?」
なにか手立てがあるのだろうか。ニュギスは不思議そうに首を傾げ、咳払いをしてノドを調整する阿沙賀を見遣る。
それから阿沙賀はひとつ深呼吸して、くわっと目を見開き声高に。
「大江戸・門一郎の無責任ー! 考えなしで赤の他人を巻き込む悪魔的身勝手ー! 試胆会ってなんだコラァ、せめて説明書を用意しとけや気の利かねェ!
それから……ええと、あれだ。ヘボ! ポンコツ! あんぽんたーん!」
「え?」
いや……いやなに?
悪口なのか? そのつもりであるのか?
もしかして大層慕っていると思われる門一郎を罵倒することでキルシュキンテを煽っているのか?
そんなアホな。
おそらく阿沙賀の本音なのだろうけれど罵りにしては弱いし、後半には勢いが失われてなにがなにやら。
こんなヘロヘロの挑発に一体どこの誰が乗るという。
『ふ、正解』
――ここにいる彼女である。
含み笑いの声が天から降って――直後、圧倒的な魔力が暴風のように吹き荒れて落花を散らす。烈風は頬を裂き、渦巻く魔力は背筋を凍らせる。
感情の昂ぶりによって膨大な魔力が瞬間的に制御から外れ、桜の樹の下の女を中心に爆発したのだ。
それは怒気と殺意と否定の
「貴様……今誰を罵倒した」
古びれた弦楽器を無理やりに奏でたような、歪んだ音色。
底なしに
無論、逃げも隠れもしないその男はすぐさま発見されて敵愾心に満ちた眼光を見向けられる。
その時ようやく。
その視線は刃のようで刺すようで、眼差しに宿るのは怒りばかり。
だが、ともかくそれでもこちらを振り向いた。
予定通りと阿沙賀は笑って片手を挙げる。
「よォ、おれは阿沙賀・功刀だ。オメェが最後の七不思議七悪魔、キルシュキンテだな?」
「左様か。貴様が試胆会の……痴れ者め!」
未だ頬に残る涙を弾き飛ばし、キルシュキンテは怒りに声を震わせる。
「貴様如きが門一郎様の次を担うだと? おこがましい愚かしい、おぞましい!
ふざけるのも大概にせようつけめが! 私は認めない、絶対に認めんぞ!」
「オメェが認める認めねェで話が通るわけじゃねェだろ。試胆会ははじまってンだぞ、おれとオメェが出くわした時点でな」
「なにが試胆会! そんなもの不要、門一郎様がいれば……それだけで……」
「大江戸・門一郎は死んだだろうが」
「っ! 黙れ、うつけ!」
聞きたくないとばかりキルシュキンテは耳を塞いで叫び散らす。
そしてその魔力は指向性をもって彼女の魂を顕わにし、この世界を変容させる。
「……あ?」
血を吐いた。
前触れもない。
なにをされたかわからない。なにが起きたかわからない。
だがともあれ、阿沙賀の全身は猛烈な打撃を幾度も受けたようなダメージを負っていた。
骨は何本も折れている、あらゆる箇所に痣が浮かび、血を流す。
「こい……つァ……」
阿沙賀はこの痛みを知っている。
阿沙賀はこの傷みを知っている。
これは――
「バルダ=ゴウドの……!」
「え?」
ニュギスは一瞬、阿沙賀の言葉の意味がわからなかった。
次に理解すれば苦い顔になってキルシュキンテを睨みつける。
キルシュキンテは和装の裾で口もとを隠しながらも、確実に嘲笑っている。
「その通り、それは貴様が負った過去の傷。私が巻き戻したはずの本来の姿」
――大江戸学園は長い歴史上、改築増築は何度も行われているが修繕改修は一度も行われていない。
それはキルシュキンテの顕能により一夜経てばどんな損傷も修復されるからだ。ちなみにそれを誰も不自然に思わないのは迷亭の仕業であった。
そして契約上、試胆会の間中は人体のダメージにおいてもそれは適用される。
だから阿沙賀が七悪魔たちとの激闘を終えると、その怪我は嘘のように消えていたのだ。
キルシュキンテの顕能によって阿沙賀は無傷の状態まで時を巻き戻されていて――ならばキルシュキンテの顕能でまた、戻したはずの怪我を再び浮かび上がらせることもできる。
直近、バルダ=ゴウドとの死闘における無数の打撃による損傷は激しく、阿沙賀をして立っているのさえままならないほど。
「くそが。自分の手じゃなにもできねェのかよ」
「私が怪我を巻き戻していなければここまで来ることさえできなかったであろうに、よくも吠えるものよ」
「ハッ。余計な世話だよ、証明にこのままでもおれはオメェに勝つぜ」
「馬鹿げたことを」
嘲笑うキルシュキンテをぶった切ってニュギスが叫ぶ。このままではまずいと理解している。
「契約者様! まずは魔力を使って傷を癒してくださいまし!」
「どーやって」
「強化はできるくせに回復はできないのですか!」
「感覚がわからん」
「こう……なんというか、ふわっと! 無傷の自分をイメージしてくださいませ!」
「雑ァ!」
とか言いつつもなんとか魔力を身に巡らせ、割と治癒を成立させている。
その手のぶっつけ本番に強い男である。
とはいえすぐに完治とはならず、拙いせいで瀕死を重傷に抑える程度。その上、巻き戻しのダメージはキルシュキンテがその気になればまた同じように襲い掛かってくる。
巻き戻りの壁も無論健在で、ここで感情任せに殴りかかっても無意味で。
なんらの好転もしていない。未だに阿沙賀はキルシュキンテに触れる算段すらできていない圧倒的な不利のまま。
ふらつきながらも立ち上がる阿沙賀に、ニュギスは心配そうに。
「しかしどうしますの契約者様。こちらに振り向かせることは成功しましたが、一向に接近できてはいませんのよ」
怒らせて直接的にこちらに攻撃を仕掛けさせ、その隙に反撃をと考えていたのだろうが失敗である。
遠距離から一方的にダメージを与える術があったのは誤算。
「フルネウスの野郎なら殴りかかってきたンだが」
「あれと比べるのはちょっと……」
「まァいい、もっと挑発すりゃイヤでも来るぜ。なにせ傷を戻してもおれは殺せねェ――殺したくなるほど怒らせればいい」
過去に死ぬような怪我を負っているのなら今を生きていられるはずもない。
まあ、出血や損傷の仕方によっては放っておけば死ぬだろうが、その辺り優先して魔力治癒をしている。
怪我の巻き戻しでは、阿沙賀は死なない。それはキルシュキンテもわかっているはず。
諦めない限りはまだ負けていないということ。
「……なにをするつもりですの」
「任せろ。逆鱗を逆撫でしつつ虎の尾を踏んづけて踊ってやらァ」
混雑し過ぎて意味がわからないがとりあえずニュアンスとしては激怒させてやると言いたいらしい。
阿沙賀は傷だらけの身体を律して胸を張り、顎をくいと上げて座したままのキルシュキンテを見下ろす。無作法に指を差し向ける。
そしてあえて悪そうな顔つきでひょいと言葉を投げつける。
「オメェがなにをそんなに泣いてやがんのか、当ててやろうかキルシュキンテ」
「……なんだと」
「オメェ、大江戸・門一郎にフラれたな?」
「なっ」
「ちょっ……!」
なにを言い出すこの野郎。
乙女の最大の傷に塩ぶちこむつもりか!
けらけら笑って阿沙賀は、未だ頬に涙の筋の残る撫子にぶった切るように言い放つ。
「大江戸・門一郎がオメェを選んだンなら、オメェの顕能を受け入れて――死ぬわけがねェんだ。老衰しても巻き戻せばいいんだからよ」
「きさ……まぁ……!」
大江戸・門一郎の死そのものが、彼が彼女を放ってあの世にひとり去ったことを意味する。
生き延びることができたのに、死んだということ。
「あの方は人としての死を望んだだけのこと! それを私が邪魔するなどできようはずも……!」
「それだよ、悪魔」
その清い感情を指して阿沙賀は言う。
「オメェなんで無理やりにでも大江戸・門一郎を巻き戻さなかった? なんで人間なんぞの意志を尊重してンだよ?」
「私は彼を愛しておる! 誰より門一郎様を慕っている! その願いを蔑ろにするなどできようはずもない!」
「だから死なせて後悔に泣いてンのか。だったらハナから死なすンじゃねェよ。オメェそれでも悪魔か?」
「馬鹿になにを言っても無駄か、
「はァ……」
ヒステリックに叫び散らすキルシュキンテに、阿沙賀はむしろ酷く気だるげになる。
燃え上がった熱量がだだ下がり、有体に言って気持ちが萎えた。どうでもよくなってきた。
「つまらねェな」
「……なに」
「つまらねェ女だって言ったんだよ、キルシュキンテ」
心底、失望したという態度で阿沙賀は吐き捨てる。
意味が分からずキルシュキンテは不愉快そうに顔をゆがめるばかりだが、ニュギスはすこし彼の言いたいことを理解できた。
確かにこの
ふと阿沙賀はキルシュキンテから視線を外し、背後の校舎を見遣る。思い出すように緩く笑う。
「恋をするのは楽しいんだろうな、おれはしたことねェけどよ」
「……は?」
「賭け事は楽しいよな、よくわかる。
無邪気に誰かを傷つけるのだって、罪悪感を考えなきゃ楽しいだろうぜ」
「なにを……」
「嘘を吐くのも面白い。人が自分の言葉ひとつで右往左往だ、やめられねェんだろうな。
真似たり装ったり、自分を変えてなにかに化けるってのは変身願望って言ったか? わからんくはねェよ。
喧嘩って言う自分と他人の妥協しない全力のぶつかり合いは、楽しかったな意外にも」
「なにを言っている!」
「――あいつら全員、自分なりに楽しくどんちゃん騒いでたよ。巻き込まれたおれでさえ楽しくなってくるくらいにな」
試胆会とはお祭り騒ぎ。
雌伏し潜み続けた七悪魔どもが派手に愉快に楽しみ
思い出さずとも憎たらしい悪魔どもの破顔は焼き付いて、腹立たしいくらいに満足げだった。
たとえ敗北したとしても、楽しければいいと言葉にせずとも伝わった。
「だってのに、オメェはなんだ。なんでオメェは楽しんでない?
自分を憐れんでばっかで、見苦しいないものねだりに喚いて、バカかオメェ!」
「……!」
大江戸・門一郎が欲しかったのなら奪えばよかった。
それをせずに失くしてから泣きはらす、なんだその体たらくは。
そのくせ逆上も逆ギレもせずに内向的に嘆いているだけ……なにも楽しくない。悪魔らしくない。
つまらない。
「もっと笑えよ、なに泣いてんだ。それのどこが面白いってんだよ。
――オメェそれでも悪魔かふざけんなよ!」
悪魔は楽しいことを求めるサガをもつ。
なにより自分の愉快を優先し、他人のことなど後回し。
そういう本能的な部分を押し殺して人間じみた行動で自分を偽っている。
そんなしょうもない奴に、阿沙賀はどうしても腹が立ったのだ。
……そして。
同じ感想を持つものが、ここにもうひとり。
「――よくぞ言ってくれた、阿沙賀!」
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