20 秋に桜が咲くものか


 保健室での仮眠のあと、帰宅してからまたさっさと寝た。やたらと眠かったのだ。

 たぶん寝入ったのは夜八時とかいつもと比して随分と早かったはずで、しかし。


「起きたら夕暮れ……なんか時間イカレてねェ?」

「ただの寝すぎですの。まぁ仕方ありませんわ。連日ぶっ通しで戦い続きですもの、疲れておいででしょう」


 目覚めてみれば夕暮れ時。

 赤い夕陽が沈む様がカーテンの隙間から垣間見える。


 一週間の学業という名の勤務を終え、本日土曜日休みである。

 毎週待ち望んで喜びに満ち溢れた休日であるが、今回は既にほとんど使い切っての目覚めとなってしまった。


 言ったように、疲労であろう。

 怪我は学園の謎システムで快癒している。昨日のバルダ=ゴウドとの戦いで負った致命に近いダメージも今や皆無で、だがそれでも疲弊は積もっていたらしい。

 仮眠も含めれば丸々二十四時間は寝ていた計算――よほど身体が休息を欲していたと見える。


 謎の回復システムは怪我だけを対象としているのか。

 気力体力は別カウントとなると、破損した教室や廊下なんかも元通りになっていたことも踏まえ、物質的な復元の力なのかもしれない。


 ……これまでの悪魔に、そうしたことの可能だった奴はいない。

 つまり、残る最後の一柱の悪魔こそがそれの顕能を保有すると見て間違いないだろう。


 復元の顕能であるなら、泥仕合は覚悟しなければならないかもしれない。逆を言えば食い下がることはできそうだ。

 バルダ=ゴウドほど過激に暴力的ではないとのことだし、なんとかなるだろうか。


「ま、考えるより先にメシだな、ハラァ減った……」


 とはいえ寮の食堂は土日はやっていない。購買もこの時間には閉まっているだろう。

 外食や買い物もかったるいし、部屋の中でなんとかせねば。


 起き上がって肩を回す。小気味いい音が響き、固まってるなァと実感する。そのままふらふらと立ち上がってはコンロに向かう。

 放置してある丸いやかんを手に取り、蛇口をひねって水道水を勢いよく注ぎ込む。

 適当なタイミングで栓を閉め、やかんには蓋を閉める。

 コンロに火をつけやかんを乗せてうとうとと燃える火を見つめて数分、沸騰の合図に悲鳴が上がり、しっかり火を消す。


 買い置きのカップ麺の山を漁り、焼きそばを見つけて包装を破る。

 蓋をあけ、入っていた調味料をとりだし、沸騰したてのお湯を注ぐ。

 ふたたびぼうっと時間の経過をのんびり待って、お湯を捨てて調味料をぶちこみ完成。


「いただきます」


 壁に立てかけたちゃぶ台を引っ掴んで床に置き、腰掛け、ずるずると焼きそばをすする。

 していると、さきほどから黙ってこちらを観察していたニュギスが興味深そうに。


「……契約者様は、その薄汚れた茶色の紐が好物でしたの?」

「言い方ァ」


 聞いちゃいない。


「いつも食していらっしゃいますよね? 学園の昼食では必ずそれをパンにはさんだものではないですか」

「手軽で美味いからな。好きだよ」

「そうですの……一口いただいてもよろしいかしら?」

「ん。こんなん欲しいのかお姫様」

「人が食べているものほど美味しそうに思えますでしょう?」


 好奇心の強いタチであり、なにより人のものほど欲しくなるタチ。

 淑女ではあるがワガママを根底に宿したお姫様の精神である。

 むしろ一口と断ったあたりに慎ましさを感じてあげるべきなのかもしれない。へりくだるつもりはないが、ニュギスの譲歩も理解し認めねばならない。


 というか悪魔は人間の食べ物など食べていいのだろうか。まあ、人間界検定二級が欲しがるなら問題ないのか。


 別にそこまで業突く張りでもなし。阿沙賀は頷いて焼きそばを容器ごと差し出す。


「ま、いいけどよ」

「では食べさせてくださいませ」

「えぇ、それはめんどィ」


 言っても無駄。

 ニュギスはもはや無言でこちらに寄り添い、口を開いて早くと目線だけで命令してくる。


 このまま放置してやろうか……思ったが、さすがにそれは幼稚であろう。

 ニュギスとしては食べさせてもらうことを前提に含めて「くれ」と要求したのだろう、ごく自然に。

 それを容認したのは阿沙賀で、前提を把握していなかったというのは些か言い訳染みているか。


 確認を怠ったということで、阿沙賀は仕方なしに新しい箸を用意して一口ぶんだけ麺をつまむ。できるだけ麺を絡めとって食べやすいようにコンパクトにする。

 そして餌を待つ小鳥のような小さな口に箸をさし込んだ。

 すぐさま反応してニュギスは噛みつく。けっこうな勢いで食いつかれ、箸ごともっていかれそうになったので慌てて引き抜く。


 やはりこちらの様子など気にせず、いや気づいてもいないのか、マイペースにニュギスは咀嚼し味わい、一言。


「まあまあですの」

「正直でなによりだ」


 べつに人の好みにどうこう言うほど阿沙賀も暇人ではない。

 ニュギスに使った箸を水桶に放り込み、残りの焼きそばをかっこむ。


「ごちそうさん」


 とりあえず空腹も満たして、思考を再開する。


「んで、最後のひとつだな」

「おや」


 すこし意外そうに、ニュギスは声を漏らす。取り出したハンカチで上品に口元を拭きながら。


「殊の外やる気がありますのね、契約者様」

「どういう意味だよ」

「だって、もうわたくしたちの当初の目的は潰え、新たに完了したではありませんの」


 阿沙賀の一番最初の目的はパンツの奪還であり、ニュギスは別の正しい契約を結ぶことであった。

 両者の利害が契約破棄という点で一致して、仮契約を結ぶことで共に試胆会に臨んだのだ。


 ちなみに今更ながら仮契約とは。

 本来の召喚士用語で言えば、それは悪魔を召喚したのち最低限の契約だけを交わし、さらに規定日数後に契約を破棄する条項を盛り込んだ関係性を指す。

 要はお試し期間というやつだ。

 その数日のうちに互いの相性や性質性格などを確かめ、本契約とするかそのまま破棄して別れるかを検討する。

 そういう少しまどろっこしい分、堅実な契約方法の一種。


 無論、現在――昨日までの阿沙賀とニュギスのそれとは違う。

 その説明もニュギスがしたが、そのうえで適当な単語もないのでそのように称していたに過ぎない。


 仮契約とふたりが称していた結びつきは出会いの時より昨日まで、ひとつとして新たな契約の追記をせずにまっさらな状態を維持していたことを指している。

 阿沙賀はすこしも魂を失っておらず、ニュギスもまた実際的にはなにも得ていない。


 ただ傍にいただけ。


 人間と悪魔の契約にはあるまじき損得感情のないある意味で清い関係。類を見ない例外極まる奇縁。

 

 ――であったのだが、ようやく昨日の激戦を経てまっとうに本契約を交わしたのだ。

 それはすなわち契約破棄という目的を捨て去ったという覚悟の表れ。

 契約を続けるということは、パンツは帰らぬ供物。

 ニュギスもまた黒幕とする本来の召喚者に興味はあれど、それが阿沙賀よりもよいとはとても思えなかった。


 これ以上、試胆会や黒幕にかかずらう必要はなくなったということだ。


 だが阿沙賀はそれを踏まえてもとどまらない。

 ブレーキどころかアクセルを踏んで笑って突き抜ける。


「ばァか。売られた喧嘩は買うのが上等。こんな半端でやめたら気持ち悪ィ」

「そうこないと、ですの」

「残るはラスボス片して、黒幕引っ張り出して終わり。とっとと終わらせちまって、慌ただしいのとはおさらばだ。これからは平穏と共に眠るように生きていく」


 輝かしい未来への希望を宣すると、なにやらニュギスは噴き出した。


「ふっ、ふふ」

「……なに笑ってンだ」

「申し訳ありません、すごく前振りに聞こえてしまいまして」


 くすくすと魅力的にニュギスは笑む。

 楽しい嬉しい、と素直に表現するだけでこんなにも愛らしいのだから悪魔の魔性の魅力は感心する。


 ――試胆会というはじまりの催しに終幕が迫っている。


 昨日までのニュギスなら、終わりの寂寥を感じていたかもしれない。楽しかったお祭りの片付け作業を見ているときのような、切実ながら仕方なしと割り切る他にない寂しさ。


 だが今は違う。まるで違う。

 今のニュギスにあるのは期待感ばかり。

 たとえ試胆会が今日終わっても、明日にはきっと別の楽しいイベントが巻き起こる。

 寂しさなんか感じていられないほどに過密に過激に、阿沙賀は事件に巻き込まれる。


 お祭り騒ぎは終わらない。

 だから、最後の試胆会などに怖気づいたりはしないのだ。


「五日にも満たないごく短い日々でしたが、思い返してもとても充実しておりましたの。まだまだ先は長いと思えば、ふふ、胸がときめいてしまいます」


 実際言ったようにまだ五日も経っていない。

 阿沙賀とニュギスが出会って、まだ五日にもなっていないのだ。

 その短期間のうちに既に六柱の悪魔と遭遇し、これをなんとか退けた。怒涛の展開であったと言わざるを得ない。


 だというのに、阿沙賀は出会った時のテンションのまま一向に変わらず平常に。


「んで、最後の七不思議……なんだっけ?」

「はぁ」


 なんでそんな大事なことを忘れられるのだろう。

 というかこの数日間で何度も話に上がったはずではないか。


 小さくため息を吐き出しながらも、しっかりと返答はする。


「「血染め桜の狂い咲き」、ですの」


 七不思議に曰く――「星のない夜に桜の樹が血に染まる。その美しさは見た者の心を奪い狂わせて二度と元には戻らない」


「この学園に桜の樹はありますの?」

「そりゃある、沢山な。校門から玄関口まで桜並木だぜ……いま秋だけどな」

「秋ですの」


 数拍、ふたりは微妙な心地で沈黙し、やや考え込む。

 阿沙賀が代替案とばかりにやけに神妙そうに。


「紅葉じゃダメか?」

「駄目、ではありませんの?」

「秋に桜なんか咲かねェよ」

「そこは悪魔の力がありますの」

「秋に桜を咲かせる顕能か? 花咲じじいかよ」


 平和的で楽そうだが、はてそんな雑魚い悪魔がいるものか。

 いや戦いにならないタイプの相手かもしれない。だがそれは逆にどんな勝負法になるのか不明瞭すぎて困る。


「ま、ともあれちょうどよく夜だな。散歩がてら、桜を見回ってみるかァ」

「ええ、ええ。そうですの、秋の夜桜見物としゃれこみましょう」

「いや秋に桜は咲かねェよ」



    ◇



「星はでてるし桜は枯れてるな……」


 夜も更けてしばらくして、阿沙賀はニュギスを伴って外に繰り出していた。

 寮からでればすぐに学園の桜並木に差し掛かり、いつもの登校の途を進む。

 桜並木と言っても季節柄、当然に花は咲いておらず枯れ木の様相。夜の暗闇も相まってどこか不気味で禿げた樹木が剣山のようにも見える。


 大江戸学園は巨大で広大、そのため街頭や町の明かりはあまり届いては来ない。

 ささやかにライトが灯っているが、基本的に夜の活動はしていないためそう大した数でも光度でもない。

 夜の散歩など見回りの教師にでも見つかれば叱られてしまうだろう。


 それを承知の上で、阿沙賀は一切の遠慮もなしに堂々と行く。

 順々に通りを進み、一本一本の桜を観察していく。

 特に目立ったものはない。どこもおかしなものはない。

 見慣れた見飽きた木々が並ぶばかりで、魔力的に惹きつけられたりもしない。


 つまらなさそうに、阿沙賀は静寂に凪いだ夜に声を発する。


「ていうか、桜の怪談ってなァどうなんだろうな」

「どう、とはなんですの」

「怖くねェだろ」


 七不思議というくらいだ、それらの基軸は怪談――怖い話であろう。

 これまでだって多少なりそこから逸れているように見えるものもあった。

 ギャンブルや嘘吐きなどは一見して怪談からは遠のいて感じるが、その本質は人間の恐ろしさと考えればまだ納得できる。

 当然、ゾンビや鮫にドッペルゲンガー、鬼といったわかりやすい恐れを抱かせる者たちは言うに及ばず。


 そこに来て、桜の樹だ。

 それのどこが恐ろしいという。なにに恐怖するという。

 むしろ噂話の時点で美しいと表現してしまっていて、そちらのほうが印象に残る。


 不思議がる阿沙賀に、ニュギスは相槌のように。


「美しい桜の樹の下には死体が埋まっているとはよく言いますの」

「オメェほんとそういうところ人間界検定二級だよなァ。素直に感心するわ」

「ふふ、もっと褒めてくださいませ」


 自然な口ぶりでの返しは、知識を詰め込んでいるのではなく理解して飲み込んでいることがうかがえる。

 そういう部分は本当に手放しで褒めちぎれるが、あまり調子に乗らせるのも鬱陶しいので塩梅が難しい。


 話を進めて。


「でも死体がどうのってのはゾンビと被るよな。今更またゾンビって言われてもな」

「いえ」


 ニュギスはゆるりと首を振り。


「この話の肝はそこではありませんの」

「あ? じゃあなんだよ」

「見ている者が狂うほどの美しさ、魔性の美を桜が備えているということですの」

「……」


 その言葉には異様な迫力が漲っていて、笑い飛ばすにもできそうにない。

 美に一家言ある悪魔であった。


「美しさがあまりに過剰で夢のようでありえないと思ってしまい、そのなぜが不明で脳を掻きむしりたくなる。こんなに綺麗なものが現実であるはずがない、であれば自分もまた泡沫うたかたの存在に過ぎないのではないか?

 ――なんて、そんな美しさによるかき乱すような恐怖を紛らす言い訳ですの」

「死体が埋まってたら言い訳になるのかよ」


 素朴に問うと、思った以上に長文で返ってくる。


「ええ。死体というおどろ恐ろしいものが、見るにたえないおぞましいものが、そこにあって美を作っている。

 これほど美しくあろうとも一皮剥けば醜いものが湧いて出る浅ましく卑しい存在でしかないと言いたいわけですの」

「よォわからんが、そんなに美しいってのが怖ェのか?」

「自らの醜さを直視させられますもの。己の不安定さから目を逸らすばかりで強く自我を言い張れないような弱小には耐え難いのでしょう」


 恐怖よりもなお根深く逃れられない。

 なにせそれは肯定的な感情だからだ。

 喜ばしいものを防いだりしない、望ましいものを避けたりはしない。

 無抵抗に無防備に魂が受け入れて浸透する。たとえその果てに破滅が待ち受けているとしても。


「わかりますか? 過ぎたる美は毒にも等しいのです」

「わかんねェ」


 滔々と語った全部を丸っと一言で切り捨てられ、そこそこ腹立たしいが、ここで荒ぶってはだめだ。

 むしろ冷静に。皮肉をこめて。


「ガサツな契約者様には理解しがたい感情かもしれませんの」

「そーな」


 あっさり肯定され手ごたえもない。

 虚しさを覚えるニュギスであったが、無駄ではない。

 阿沙賀は話しながら記憶の内に隠れたものを見つけ出していた。


「けど、話を聞いててなんか思い出したぞ」

「え」

「こんな表立ったモンじゃなく、学園裏にもう何十年も枯れたまま花を咲かせない樹があるって聞いた気がする。そいつがそうかもしれねェ」


 美しさなんて欠片もなく、花びらさえも長らく不在。知らなければ桜の樹であるとさえ気づかない。

 ただ腐ったような巨木が武骨にそびえ立ち、刃のように枯れ木を伸ばす。

 誰も目を向けず、放置され、忘れ去られた。


 ならば――その醜さこそが、美を証明するのではないか。


 悪魔という人体構造における美の極致にして逸脱――過ぎたる美の毒そのもの。


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