42 楽しい時はすぐに去り……
女子とふたりで遊びに行くのに、どこでなにをすればいいのだろう。
阿沙賀にはよくわからない、というか経験がない。
思えば男同士ふたりで遊ぶことはあっても、女子と遊ぶのは大抵複数のグループ単位であった。
というわけで情けなくもおよそ方針は遊紗に投げていた。
それで連れていかれるのは服屋であったり小物屋であったり、カフェであったりゲームセンターであったり。
どれも別にはじめて行くわけでもないが、遊紗が隣にいると新鮮に感じたのはどうしてだろうか。
あの服が似合う、あのアクセサリーはかわいい――どんなものにも感想があって、ひとつとして同じではない。
甘いものが好き、好きなものはなに――自分の好きと相手の好きを細かに伝え合ってより互いのことを知ろうと前のめりで。
襲撃があるかもしれない、だなんてことはすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
彼女の明るい笑顔は、愛くるしい振る舞いは、そんな不粋な雑念を忘れさせるだけの魅力があった。
……楽しい時間は、すぐに過ぎ去っていくもの。
「先輩は、ほんとに行きたいところはないの?」
ひとしきり遊んで日も傾いてきて、街路灯が思い出したように灯り始める。
気づけば夕暮れ時――時間的にどこか行くのなら最後になりそうなタイミングで、遊紗は今日何度目かのその問いを投げた。
それは息継ぎのように都度、遊紗の口から出てくる心配そうで遠慮がちな問いかけだった。
方針を投げる側はそれで気楽であろうが、投げられたほうはちゃんと楽しませられているのか気になってしまうもの。
すこしでも要望が聞き出せたのなら、それでなくても好みの傾向でもわかれば多少なり動きやすくなるだろう。
少女の気遣いがわかっていて、それでも本当に特に思いつくものがなくて阿沙賀は若干以上に申し訳なくなる。
これまでは問いかけの度に首を振って困らせてきたが、最後くらいはなんとか言いたい。
とはいえ行きたいところ……やりたいこと……うーん?
いくらか頭を悩ませ、あぁそうだと思いつく。自分のことではなく、
「レンタルDVD屋……」
「先輩、映画とか好きなの? あ、アニメかな」
「映画だ。頼みもせんと週に一度のペースでB級映画を貸してくる輩がいてな。時々、名作映画でも観とかないと感性がそっちに染められちまいそうなんだよ」
それに追加でよほど気に入った映画は一緒に観ようとも誘ってくる志倉である。
……『シャークデッドホリデー』はまあまあ面白かったけども。
その志倉は次の冬休みには次回作を観に海外渡航するらしい。マジアグレッシブ。
遊紗ははじめての要望に喜び勇んで。
「そっか、じゃあ行こっか」
「いや……自分で言っておいてなんだが、遊紗と行くような場所じゃねェわ。もしも次があったら映画を観るってくらいにしとこうぜ」
「次……次?」
「なんだよ、これっきりなのか?」
友人ならば遊びに出かけることもあろうと、阿沙賀はなんの他意もなしに首を傾げる。
遊紗はぶんぶんと凄い勢いで首を縦に振って何度も頷く。
「そんなことないよ! うん、そうだね次、次にしよ! 次は映画館に行こうね」
「おう……おう?」
次の約束を取り付けた矢先、阿沙賀の視界にかすめた、小さな小さな見過ごせないもの。
思わず足が止まり、釘付けになり、言葉を失くす。
遊紗が怪訝そうに。
「先輩?」
阿沙賀の視線の先を追えば、そこには道の隅で膝を抱えて蹲っている幼い少女がいた。
夕日も沈みかけのこの時間帯、ひとりきりであの年ごろの子が蹲っている……
「あ。あの子……もしかして、迷子……?」
一目でそれと気づける。
そして多く道を行き交う人々がいて、誰も気づかないなんてことはありえない。
先を急いでいるとか、忙しいとか、心に余裕がないとか、なにかにつけて自分に言い訳をして見て見ぬふりをされている。
それに気づけば弾かれたように遊紗は踏み出し、直後に阿沙賀に肩を掴まれ制止される。
「っ、先輩、なんで止め――」
「あれ見ろ」
鷹揚に顎でしゃくった先に、遊紗よりももっと慌てふためいて駆けてくる女性がいた。
その女性はしゃがむ少女のもとへ一直線に駆け寄って抱き締めた。少女はそこでようやく待ち人がやってきてくれたことに気づき、泣きながら抱き着いていた。
親か、あるいは別の関係性か……なんでもいい。ともかくきっと、はぐれてしまった相手だろう。互いに探し続けた相手だろう。
「……あ、よかった」
「そうだな、よかった」
見つかって安堵するふたりを見て、無関係のこちらこそ大きく安堵してしまう。
ほとんど同時に漏れた弛緩した吐息に、遊紗と阿沙賀は顔を見合わせて、なんだか堪えきれず噴き出す。
そんなことをしている間に、迷子の少女と女性は手を繋いでゆっくりと歩き出していた。
なにをやっているのだか、どちらからともなく阿沙賀と遊紗も彼女らとは反対の方向に進む。
だが遊紗は足を動かしながらも、去っていく少女らを気づかわし気にちらちらと振り返っていた。
随分と未練がましい態度に阿沙賀は不思議に思ったが、先に口を開いたのは遊紗だった。
「先輩は……迷子になったことある?」
「ん。どうだろうな、覚えがねェな」
「アタシはあってさ、小さいころに、お母さんと一緒に街に買い物に行った時に」
遊紗には珍しく、言葉はどこかたどたどしく震えていて、文節ごとに呼吸が混じる。
まるでその時を思い出して、かつての感情までも蘇らせてしまっているような……。
阿沙賀をしてこれはまずいと即座に理解させられ、周囲を確認。適当なベンチを発見して歩く先をそちらに定め、無言で遊紗に座るよう促す。
「ありがと」
ちょこんと遊紗は促されるままに座り込む。
続いて阿沙賀が隣に座れば、すぐに話を再開する。感情が昂ぶって堰を切ったように言葉が抑制できていない。
「ちょっとだけ、よそ見しちゃってさ。たしか、赤い風船がね、どこかに飛んでいったのが見えて、青空に消えてくのをなぜかずぅっと眺めてたの。足は、動いてたと思うんだけど、前を向いた時にはお母さんの背中がなくなっちゃってて……ぞっとした」
本当に怖かったのか、顔色まで悪い。
阿沙賀はそれでもなにも言わずに、相槌さえ打たなかった。
「あっちこっちを見ても、お母さんは見当たらなくて……急に知らないところに投げ込まれたみたいだった。
今考えたら、身長が低いせいで見えるのって大人の長い脚ばっかで、たぶん大して探せてなかっただけで、実はけっこう近くにいたのかもしれないけど」
だからあの時、もしも大声で母親を呼んでいたら、泣き叫ぶことさえできていたら……きっとすぐに見つけてくれた。
「でもできなかった。アタシ、怖いときとか寂しいときに限って身が竦んじゃうんだよね……情けなーって、いつも思う」
無理に笑う。
痛々しさに思わず口を挟みたくなるが、堪える。
吐き出せるものは全部吐き出させたほうがいい。
「なにもできないまま立ち竦んでさ、ただひたすら助けてって心の中でだけ叫んで……すごくすごく心細くて、寂しくて……」
あぁ、自分はなにを話しているのだろう。遊紗は不意に現状の奇異さに気づいて思う。
こんな話をしたかったわけじゃない。
つまらない、どうでもいい、聞くに堪えない。
もっと楽しく過ごしたくって、笑顔でいたかった。笑顔でいてほしかった。
なのに遊紗の話を聞くこの人は、いま酷く辛そうにな顔をしている。全部、遊紗のせいだ。
そう自覚していて、それでも止まらない。
まるで子供のように、自分で自分を制御できない。
「明るい時間で人通りも多くて、たぶん周りの大人のひとに助けを求めることだってできたし、お母さんと一緒に行こうとしてたスーパーだって道を覚えてた。なにより家の場所はわかってたからひとりでも歩いて帰れたんだ」
わかっている。わかっていた。
大丈夫だって、心配ないって。
わかっていたのに。
「でも、寂しかった。なんとかなるってわかってたのに、傍にいるって知ってたのに、どうしたって離れ離れになって二度と会えないんじゃないかって……怖かった」
「――杞憂だっただろ?」
「え」
遂に、阿沙賀は我慢ならなくなって口を挟んでしまう。
けれど本当にもう限度だったのだ――これ以上、遊紗の泣きそうな顔を見ていられない。
「不安で心細くて怖くって、けどすこしすれば母親は自分のことを見つけてくれて、家に帰れば大事なひとがいて、あぁ杞憂だったって思えただろ?」
「それは……そうだけど」
「あぁいや、その時の不安感を軽んじてるわけじゃねェぞ? ガキの時分じゃ本当に怖かったろうしな。それはわかるが、そっちじゃなくて」
できるだけ気安く笑って、阿沙賀は言う。
「オメェには帰る場所と待ってくれるひとがいるンだ、もうすこしそれを信じてもいい。だいじょうぶ、遊紗はひとりじゃねェよ」
「……!」
きっとそれは。
遊紗が、一番言ってほしかったことばで。
だからこそ一瞬、願望に基づいた聞き間違いではないかと疑って、そうではないと確信が持てるのにすこし時間がかかった。
言葉が胸の内にすとんと落ちて、熱を帯びる。
浮ついてふためいて、遊紗は冷静とはかけ離れた様子でなんとかもつれる舌を動かす。
「……じゃっ、じゃあもしも」
なぜか躊躇いがちに。触れたものの形を丁寧に確かめるように。
「もしも今日、はぐれちゃったりしたら……先輩はアタシを探して、見つけ出してくれますか……?」
「それこそ当たり前だろ。オメェが嫌がっても探しに行く」
「あはは……」
渇いた笑みの目じりには、きらりと一粒の涙が見えた気がした。
「ありがと、先輩……ありがとう……」
◇
――顔を洗ってくるから待っててほしい。
遊紗は随分と申し訳なさそうに、だがそれ以上に恥ずかしそうに言って小走りに駆けていった。
女子はいろいろと大変である。
阿沙賀はひとりベンチに残ってぼうっと人通りを眺めながら、先ほどまでのことを考える。
どうやら遊紗にとって、迷子というのは非常に重いワードであるようだ。
トラウマ……というほどではないにしても、デリケートな部分ではあるのだろう。不用意に触れるとどうにかなってしまいそうだ。
今度、彼女と外出する時は、はぐれないように気をつけねばと思う。
あぁいや。
思えば今日のいついつでも、遊紗は距離感について気を張っていたように思う。離れないようにと、でも嫌がられないように近づきすぎるもせず、気を張っていた。
手放した風船があっという間にどこか遠くへ飛んでいってしまうのと同じように。
人間関係においても、隣の友人が目を離すとすぐにどこかへいってしまうのではないかと怯えている。
明るく優しく前向き――という阿沙賀の評価とはすこし違った側面。かといってそれで失望とかはしないけど、意外と感じることまでは止められない。
脳内のメモ欄に新たに遊紗は寂しがり屋という追記をしておく。
「――よう、デートは終わりか、阿沙賀・功刀」
不意にふと、思案の底に沈んだ阿沙賀を引きずり出す不躾な声。馴れ馴れしく話しかけてくる男がいた。
そいつは当たり前のように先ほどまで遊紗の座っていた場所に陣取り、ごく自然に隣にいる。
「……オメェは」
ニヤついたしまりのない顔つき、妙に整った髪、チャラい服装。
今朝のナンパ男ではないか。
阿沙賀は一瞬で冷めた調子になって、ため息交じりに立ち上がる。
「なんだオメェ、朝からストーキングでもしてたのか? 暇なこって、二度と会いたくないから話かけてくんな」
「おいおい、そりゃツレねぇな。大江戸・遊紗とのデートが終わるまで待ってやってたんだぜ、こっちはよ」
「……」
待て。
どうしてこの男が遊紗の名を、そして阿沙賀の名を知っている。
いや、それどころか、どうしてこいつの声に聞き覚えがあるのだ。
硬い表情で振り返り、その男の顔を今一度しっかりと見遣る。だが、やはり記憶にない。
知らない顔、知らない表情、知らない――いや、知っている声。
「オメっ、まさか……!」
夕日が沈む。
夜が来る。
星明りのない、恐ろしき夜が来る。
「あ、そういや俺からは面を知ってるけど、そっちからは俺の面を知らんかったか。じゃ、はじめましてだな、阿沙賀・功刀。俺は――」
「――俺は竜木・竜。悪いドラゴンだ」
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