10 廊下を泳ぐ人食い鮫


「それで仮契約者様、さきほどの前学園長とやらを七悪魔の召喚者であると予想しておりますの?」

「まァな」


 時は未だ昼の大休憩、歩を進めるのは学園廊下。

 周辺はがやがやと喧騒が絶えず、すれ違う学生らはみな解放感に包まれている。

 独り言のようにニュギスと話す阿沙賀も目立つことはなく、人通りをすり抜けて廊下を行く。

 足取りに迷いは見えない。どこぞ行く先は決まっているらしい。


「コワントが言ってただろ。召喚者が死亡してから一か月の猶予だって。なら単純に一か月以内に死んだ学園関係者が怪しいだろ」

「それは理屈ですの。ですが、どうして学園長だと?」

「なんつーか」


 頭をがしがしと掻く。

 自分の考えに自信がもてず、かといって疑い切れずに迷っている。


「この学園そのものが、なんか悪魔に関係してる気がしてな。創設の段階からの関係者をまず疑いたい。で、そんな昔の人間となるともうほとんど死んでるか学園とは無関係だろ」

「消去法で、前学園長ということですの」

「あぁ。まさかの創設者だったぜ、こりゃいよいよ怪しい。

 で、学園長とか学園設立時のこととかならたぶん図書館になんか記録でもあるだろうと思って今向かってるわけだ」

「うーん」


 どこか得心いかなげにニュギスは自らの愛らしい頬を指で押さえる。かすかな接触でも歪んで、きっとその頬肉は大層やわらかいのだろうと思わせる。 


「なんだかちょっと突飛な気もしますの」

「オメェがそういう常識的なこと言うと自論の信ぴょう性が高まるわ」

「わたくしをなんだと思っていらっしゃるの!」

「常識的なんだけど裏目るポンコツ悪魔」

「この学園が常識外れすぎるのが悪いのです!」


 それはそうだろうが。

 阿沙賀の視点からはどうしたってそう映るのだから仕方あるまい。


 とはいえ本人は納得しないだろうし、その話は横に置くに限る。


「ともかく、疑うなら範囲を絞る必要があるだろ。関係者なんて雑な括りじゃ広すぎて個人の識別も難しいしな」

「まぁ、どこかで範囲指定は必要でしょうけれど……それにしても初手で一挙に縮めすぎではありませんの?」

「いーんだよ、ダメでもともとなんだからな。いざとなったら試胆会の褒美で聞くさ」


 阿沙賀は投げやりにそんなことを言った。


 ――その時。


「え?」

「ん?」


 曲がり角の向こうから女生徒がひとりやってくる。

 危なげなくかわそうとする阿沙賀であったが、なぜか相手が立ち止まってこちらの顔をまじまじと見つめてくるではないか。

 なにか気になる顔でもしていただろうか。随分と熱心な、そしてもどかしそうな視線を感じる。


「……?」


 不思議に思い阿沙賀も止まって改めて相手の顔を見遣る。

 知らない顔、だと思う。

 目鼻立ちは整っていて、表情は柔らか。特に瞳が星のように輝いていて、可愛らしいことに異論はまず出ないだろう。

 その上で明るく染めた金髪は肩ほどまで伸びるツインテールで、毛先だけパーマがかかったみたいにふんわりとした癖っ毛をしている。ブレザー制服は着崩して、袖が長め。自ら着飾ることを努め、言ってしまえば自覚のある美少女であった。

 ただお高くとまっている風もまるでなく、むしろ対面しただけでわかるポジティブな雰囲気から人懐っこい犬を連想させる。


 制服のリボンで一年生、つまり後輩であることはわかる。

 だがやはり知らないと阿沙賀は思うが、一方でどこか心の隅でひっかかるものがあった。もしかして彼女のほうも似た思いに駆られているのだろうか。


 そう、どこかでほんのかすかすれ違ったような――


「あっ――!」

「あァ……」


 両者同時に閃くものがあった。

 思い出したこのひとは――


「昨日、賭場で野球拳してた先輩!」

「屋上にいたゾンビ避難民!」


「「え?」」


 思い出したはいいが、互いに齟齬のある記憶であった。

 というか阿沙賀の発言は相手にとって意味不明だ。慌てて話を合わせにかかる。


「そうそう、昨日の賭場な! すれ違ったよな? なーんか記憶に残ってたぜ」

「やっぱり! 昨日はすごかったね! 観てたけど、こっちまで白熱しちゃったよ!」


 はしゃぐ様子が八木を思い起こさせ、阿沙賀はそういうことなのかと肩を竦める。


「あー、賭けてたのか?」

「え? ううん。賭けはよくないじゃん、見てただけー」

「そりゃ……そうだけどよ」


 じゃあなんで賭場にいたんだよ。

 そういう悪いことをするための場所のはずなんだが?

 悪いことだから隠れて会員制にして簡単に見つからないようにしてたはずなんだが?


 まさか……金も賭けずにただ遊興ゲームで遊びかったのか。それとも賭け事を鑑賞するのが好きとか?

 健全なんだか不健全なんだかわからんな……。

 

 どこかズレた調子の少女であるが、阿沙賀は強めの言葉を使うことを自重して曖昧に流すことにした。

 否定したいわけでも疑問したいわけでもない。笑っているのならそれでいい。


 阿沙賀は少女にちょっとした負い目があった。

 もう彼女は忘れ去っているが、昨日の朝にゾンビパニックがあった折、籠城を破って危険地帯に放り込んでしまった。

 勝つためだったし、結果こうして彼女も元気そうなのであまり気に病んでいたわけでもないが。

 それでも面と向かうとさしもの阿沙賀も罪悪感めいたものを感じざるをえない。


 阿沙賀にしては珍しく逃げるようにさっさと足を進めてしまう。


「それで、思い出せたようだしおれはもう行くぞ」

「あ、待って待って先輩。名前、教えてよ」


 がしりと腕を掴まれる。

 不服気に振り返って疑義を呈する。


「……なんでだよ」

「だってほら、これもなにかの縁的な? じゃん。あっ、アタシは遊紗ユサ、ユサちゃんって呼んでいいよ」

「近い近い近い、なにかが近いぞオメェ」

「うえーい」


 一歩離れる阿沙賀に、むしろ遊紗は手を伸ばして肩をタッチしてくる。

 本当に近い。初対面だよな?


「で、はい。ユサちゃん……呼んでみてよ」

「く」


 こいつ、あえて苗字を名乗ってないな。

 自分からは充分近づいたから、今度はこちらから心の距離を縮めさせようとしている。コミュ力高すぎない?

 この手の根明に敵うものではない。阿沙賀は押されていることを自覚しながら、そっぽ向いてできるだけ素っ気なく。


「遊紗――」「ユサちゃん」「――遊紗」


 断じてちゃん付けなどするものか。

 不満そうにする遊紗に譲らず、阿沙賀は毅然として言う。


「お前、ほとんど初対面の先輩に対して馴れ馴れしすぎないか」

「お前って呼ばれるのキライ」

「あ、はい。すみません」


 ついこっちこそ馴れ馴れし過ぎたらしい。

 節度と距離を弁えて。


「遊紗、もうちょっとこう遠慮とかそういうものはないのか。大事なものなんだぞ、遠慮」

「はっ」


 乾いた嘲笑は背後のニュギスのそれ。

 言葉もなくお前が言うか、と物語っている。

 ほっといて。


「いや、ふつうはもうちょっと遠慮もしますよ。ケド先輩はそういうのいらない系でしょ、わかっちゃうなぁそういうの」

「どういうのだよ」

「それで先輩の名前は? 教えてよー」


 すこしたじろぐ阿沙賀である。 

 こうぐいぐいと踏み込まれるのには慣れていない。受け身になってしまう。

 このままでは会話が終わらずひたすら楽しく会話が続きそうだ。


 この後には図書館に用事がある。こんなところで時間を無駄にするわけにもいかない。

 さっさと終わらせるために、阿沙賀はもう相手の要求を一切飲み込むことにする。


「阿沙賀だ、先輩をつけろよ」

「あさが、あさが……阿沙賀先輩! 覚えたよ、よろしく!」


 にこにこ笑う遊紗に、阿沙賀はよくわからない奴だと思った。

 ただまあ、屋上の時のように切羽詰まって気丈に振舞う姿よりは、きっとずっと喜ばしい。

 その笑顔はまるで太陽のようで、ずっといつまでも輝いていて欲しいとさえ思える。


 ふっとどこか気が緩み、息を吐き出した――視界によぎる黒い影。


「……あ?」


 今。

 今なにか。

 なにか視界の端っこを通らなかったか?


 緩んだ気を引き締めなおし、阿沙賀は警戒心を一瞬で最大値にまで引き上げて周囲を観察。

 いない、なにもない。気のせいだった?


 急に血相変えてどこともなく首を回して見渡す阿沙賀に、怪訝になるのは目の前の少女。


「? どしたの、先輩」


 こてん、と首を傾げる遊紗の――その背後に飛び掛かる黒いなにか。



「シャッハー!」



 それは刹那の出来事。

 陽気な叫び声とともに床から出現したのは褐色肌で長身の男だった。

 それを認識するよりも早くそいつは遊紗に触れ、そして遊紗は消えてしまった。


 否、沈んだのだ。


 まるで今までが水面に立っていた不自然だったのだと言わんばかりの自然さで、唐突に彼女は足場を失い――床を透けて沈んだ。

 続けて褐色の男も同じくそのまま潜水するように床に潜る。


 全て一瞬の内にはじまり終わった。

 阿沙賀を残してふたりとも消えてしまった。


「な――っ」


 阿沙賀が声を出せたのは、一連のそれが終わって廊下に静寂が戻った後だった。


 なにがどうした、どういうわけだ!?


 決まっている。

 悪魔の仕業に決まっている!


 それも心当たりがバッチリある。


 七不思議のひとつ――「廊下を泳ぐ人食い鮫」!

 曰く、「廊下を歩いていると床から鮫の背びれが現れ、急速で接近してくる。逃げ遅れると鮫が飛び出して食い殺されるという」


 またクソ意味不明のうえ学園で流れる噂話に似つかわしくない七不思議だが、実際に目の当たりにしてしまってはぐうの音もでない。


 ちゃんと警戒はしていたつもりだった。

 だが流石にこうもあっさり世の怪奇と巡り合うなんて思っていなかった。

 というかむしろこれまでの十云年間の平穏はなんだったんだ?


 違う違う。

 そんなことより、今は消えた遊紗の安否を――


「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――っ!」

「っ」


 ばしゃりと水を跳ね飛ばし――その男は床から飛び出して来た。

 今度は再び潜行はせず、両の足を床面に乗せて立つ。兎にも角にもまず笑う。


「よぉよぉ、やっとのご対面だな、うれしいぞ」


 その男は、同性の阿沙賀をして見惚れるほどのいい男であった。

 阿沙賀だって低身長とは言えないが、それを軽々と頭一つ分は上回った高身長。

 なによりも畏敬、震撼すべきはその素晴らしい極上の肉体美。

 男とは研鑽の果て、自らを鍛え上げるとここまで上等なる筋肉を得られるものなのか。そう思わせるほどにその褐色肌の筋肉は素晴らしく美しい。

 海パン一丁のもはや半裸の変態染みた格好であっても、その筋肉が披露されるためならなんらの非難も湧かないという異常事態。


 これは、確かに悪魔だ。

 ――筋肉の悪魔だ!


「いえ違いましてよ!?」


 見るべきは背中から生えてる黒に近い藍色の背びれであろう。それと口腔内に並ぶ鋭利過ぎる牙。恐るべき三白眼。海水パンツだけを纏った様は泳ぐことしかしないと宣言しているよう。

 鮫の概念をその身で表した悪魔。その名をして――


「――嘆溺タンデキのフルネウス。名乗れよ人間」

「阿沙賀・功刀!」


 名乗れと言われれば即応できるのが阿沙賀である。

 潔く清々しい名乗り上げにはフルネウスも歓喜し、ますます興が乗る。わくわくする。


「あの根暗ゾンビを倒したんだろ!? 面白ぇじゃねぇの俺も楽しませろよ、人間サマよぉ!」

「悪魔ってこういうのばっかかよォ!」

「そうさ、悪魔ってもんは――俺たちは! 楽しみたいんだよ、ただひたすらにな!」


 その楽しみというのが人にとってはどれほど危険極まるか。

 滴る残虐性を隠しもしない笑みは、確実に血と闘争を求める輩のそれ。


 阿沙賀は冷静に手を突き出して。


「その前に待て。おれとやりあうのはいい。けど無関係な奴が沈んだぞ、どういうわけだ巻き込むなよ」


 巻き込まれっぱなしの阿沙賀が言うのだからその言葉には重みが宿る。

 そういうのはよくない、ルール違反ではないかと、なにか道理を説くようでいてただ共感作用の怒りである。

 フルネウスはよくわかっていない風情で。


「ん? なんだお前の知り合いなら面白味があるかと思ったが、無関係だったのか」

「当たり前だろ、さっさと返せ」


 ――阿沙賀はここまでの会話の間に、そこら中の床面に不可思議なさざ波が発生していることに気づいている。

 おそらくそれがフルネウスの床を潜るなんてデタラメ――顕能けんのうの予兆であると見抜いている。

 そしていつの間にかひと気が失せていることも当然に把握済み。人払いがなされている。懸念すべきは沈んだ遊紗と対面する自分だけでいい。


 素直に返してくれるのならあとはあの怪しい波を回避しながら近づいて――

 

「でも沈んだらもう浮かび上がってこないからなぁ」

「ばっ――」


 馬鹿野郎!


 そして、阿沙賀は迷うことなく波打つ床にその身を投げた。

 

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