9 クラスの愉快なお友達
「眠ィ」
昼の大休憩を告げる鐘の音が校舎中に響く。
昨夜の裏賭博はもはや陽の輝きに掻き消されたように遠き彼方、燻る眠気となって微かに疼き欠伸になるていど。
阿沙賀はコワントとの会話のあと、あっさりと帰宅し入眠。朝になってごく普通に起き上がって学園に登校していた。いつも通りに。
鐘が鳴って他のクラスメイトたちは慌ただしく席を立っているというのに、阿沙賀はぼうっとしていて。
その呑気さに前の席でニュギスは呆れる。
「午前の授業はすべて眠っているようでしたが、まだ眠いんですの?」
「おれは無限に眠ることができる」
「進学が思いやられますの」
悪魔に正論を説かれることにももはやなんとも思わない阿沙賀である。
ともあれ、たしかに漠然と時間を無駄にするわけにもいかない。未だ試胆会は継続し、多くの謎を残す。手探りにでもなにか行動にでて、少しでも状況を改善しなければならない。
勝利のために――最後に最も笑うのは阿沙賀だ。
机に手をつき、それを支えに立ち上がる。
「まァ、この昼の休みでやることがあったからな、午前は寝だめしといたんだ」
「やること、ですの?」
阿沙賀の行動に興味津々なニュギスであるが、ひらひらと手を振って後回し。
「それは飯のあとにな」
「もう、仮契約者様はわたくしへの対応が大変おざなりですの! 犬や猫に対応しているのではないのですよ!」
似たようなものでは? とは言わず、阿沙賀は後ろのほうに座す少年のもとへ向かう。
ちょうど弁当を広げいただきますと行くところだったらしく、両手を合わせた状態で阿沙賀の接近に気づいた彼は、眼鏡越しに目だけを向ける。
「
「阿沙賀、またどうしたの」
「やっぱりもうすこし聞きたいことが、って、お?」
いつもなら食事はひとりでとる大河内であったが、今日は珍しく隣の空いた席にもうひとり。
淀んだ目をしたすこし背の高い男、彼はクラスメイトの――
「よォ
「ん。阿沙賀か、今日は珍しく八木が奢ってくれるっていうから、ついでにパシってもらってる」
「いや奢らせた上でパシらせんな」
「妙にテンション高くてちょっとめんどくさくて……」
久々の大勝ちに浮かれまくっているのは知っていたが、一晩経っても同じテンションなのだろうか。
それはすごく面倒くさいな……。
志倉に共感してすこしゲンナリしている間に、大河内がいいただきますと唱え終える。
それからこちらに水を向けてくる。
「阿沙賀こそいつもなら購買にすっ飛んでくでしょ、今日はいいの?」
「早起きは三文のお得セールって言うだろ」
言いながら、阿沙賀は今朝に買っておいた焼きそばパンを見せつける。
大河内は白米を口に運びながら。
「言わないけど、まあ言いたいことは伝わったよ」
「言うかもしれねェだろ、どっかの商店街の催しごととかで」
「B級映画DVD安売りセールがあったら教えてくれ」
「いや、なんでB級縛りなんだよ」
「そのほうが面白いからに決まってる」
どのくらいオタっているかと言えば、日本ではまだ封切りされていないB級映画を観るためだけに海外に飛ぶ程度である。
ちなみに映画視聴のために英語は覚えたらしい。好きなもののためなら幾らでもがんばれるタイプ。
ふたりの冗句を無視して大河内は話を推し進める。
「ふぅん。じゃあもしかしてぼくに話を聞くために先に買っておいたってこと?」
「いや、この後ちょっと用事があるだけだ。ただ飯の間にせっかくなら話をって思ったが……」
ちらと阿沙賀は志倉を見遣る。
視線に気づけば意図も気づける。
「ん? 俺のことなら気にしないでいいぞ。昼飯が届くまでの間ヒマだから大河内にちょっかいかけてただけだし」
「なら遠慮なく」
大河内の前の席にどかっと座る。
すぐに包装を破って、焼きそばパンを端から齧る。
咀嚼し嚥下し、つぎの一口の合間に喋り始める。
「で、うちの学園の前の学園長のことなんだけどよ」
「また妙な切り口だね。君がそんなことを気にするなんて思いもよらなかった」
「色々あンだ。で、その前学園長だが、たしか先月にお亡くなりになったんだよな?」
「らしいね」
「あー、俺も覚えてるぞ」
と口を挟むのは志倉。
彼は今のところ食べるものもなく口の中を持て余している。舌寂しくてお喋りに交ざりこむ。
「たしかもう何年も前に退職してるってのに全校集会で呼び出された挙句に黙祷したもんな。あれ、顔も知らんおじいさんで困惑したぞ俺」
「ぼくは見たことあったよ」
大河内は玉子焼きを飲み下して。
「先代の学園長は何年か前に交代したらしいけど、そのあともちょくちょく学園に顔をだしてたんだよね。亡くなるまでずっと」
「そうなのか?」
それは阿沙賀も知らない。
なんだろう、定年退職してからも会社に足が向いてしまうタイプの仕事人間だったのだろうか。
「うん、なんか細々とした手伝いとか学生に挨拶とかしてた。見知らぬ用務員さんって思われてたらしいよ」
「うーん、教師連中にしちゃいろいろと扱いづらそうだな、それ」
「今の学園長は先代に随分世話になったとかで頭が上がらなかったんだって」
だからこそそうしたお手伝いも容認されていたし、前学園長の死を学園みんなで悼もうとか言い出す。
別にいいのだがこの学園、規模も生徒数も膨大なくせに全校集会けっこう開かれるんだよな。
それは前任の学園長が人がたくさんいてわいわいするのが好きだったからで、生徒をも巻き込む奔放さがあったからだ。
「先代でもあるけどそもそも初代でもあったから、学園には愛着があったんだろうね」
ついでのような付け加えに、阿沙賀は目を丸くして。
「初代……? なんだよ、この学園ができた時から学園長だったのかよ」
「というか、学園を作った当人らしいよ。
……これ追悼の集会の時に今の学園長が涙ながらに語ってたじゃんか、覚えてないの?」
「「いやァ、寝てたし……」」
「器用だよね、ふたりとも」
立ちながら眠りこけるという特技を、阿沙賀と志倉は有していた。
そもそも寝るなよと言いたげな大河内であったが、追及よりも唐揚げを口に含むことを優先させた。
気まずそうに眼をそらしている内に阿沙賀は一本目の焼きそばパンを食べ終えていた。
ゴミを丸めて袋に突っ込み、気を取り直して今回最大に重要な問いを向ける。一歩核心へと近づく。
「その先代だか初代だかの学園長なんだけどよ、名前、憶えてるか?」
そんな細かいことを覚えているのはこのクラス、いや学年単位で見ても大河内くらいではないかと阿沙賀は思う。
そして予想通り期待通り、大河内は思い出すようにどこか目を上向かせ。
「たしか……」
思案数秒――閃くものがあったのか、すっきりした顔で。
「そう、
「門一郎……」
「その方が七不思議七悪魔の召喚者、なのですの?」
阿沙賀の踏み込み方から見て、ニュギスはそのように推測する。
だが返答はない。男三人で話している最中だ。
ニュギスは随分と不満そうに頬を膨らませ、食事中の阿沙賀の頭部を執拗に突っつく。
無視。
阿沙賀は二本目の焼きそばパンを取り出す。
「……」
もしゃもしゃと静かに食べながら、しかし内心で困っていた。
聞きたいことはすべて聞き終えてしまったが、なんとまだ手付かずの焼きそばパンが二つ残っているのだ。
沈黙しだす阿沙賀に、やはり声をかけるのは手持ち無沙汰な志倉。
「なんだよ、阿沙賀、お前の話終わったのか?」
「いや、待て……考える」
呆れるのは大河内。
「終わってるじゃないか。別に無理して話さなくても食事は静かにしてていいよ」
「鬱陶しいか?」
「そこまでは言わないけど」
まあ快くはなかったか。
では矛先を変えて。
「んじゃ、志倉」
「おお、なんだ」
「たとえばだけど、ゾンビとかサメとか殺人鬼ってどう倒せばいいと思う?」
「いいね、B級映画談義!」
「まァ、お前の観たことある映画での倒し方でいいぞ」
数多無数のB級映画を観賞しているこの男なら、今後の戦いのヒントくらいは聞き出せるのではないかと思った。
ただの思い付きだし期待もしていないが、雑談というのはそんなものだろう。
志倉は腕を組んでうんうん唸る。
「待てよ阿沙賀ぁ、ゾンビにサメに殺人鬼ってちょっと範囲が広いぞ。まとめて殺すなら爆殺だろうけど……」
「じゃあサメで」
ゾンビはもう打倒したし、殺人鬼は言っても人類の範疇なので普通に殴り倒せばいいだろう。
だがサメはどうだ、よくわからんし、海に泳いでいるはずで、殴って届くものだろうか?
「サメか。サメならやっぱチェーンソーだな」
「いやなんでだよ」
海の中に潜む相手にどうやって刃物をあてるんだよ。
というか海辺にチェーンソーはないだろ、誰が持ってくるんだよ。山や林で使う物だぞ、配置場所がおかしいじゃないか。
志倉は至極真面目にその淀んだ目を輝かせ。
「馬っ鹿、おまえ今時サメが海にしかいないと思うなんて遅れ過ぎて一周回って新しいぞ。今や海どころか市街地にも砂漠にも空にも宇宙にもサメは出現するぞ」
「おかしいおかしい、全部おかしい」
「まあ映画の話でしょ?」
首を振る阿沙賀に、大河内は冷静に言う。
たしかに言われてみればそうで、力強く突っ込んだ阿沙賀のほうが間抜けている。
B級映画の話と言っているのだから、そうした現実感のない荒唐無稽さはむしろ当たり前だろう。
思い返せば確かに志倉から借りたサメ映画では、奴らは泳ぐどころか降ってきたり湧いてきたり蘇生したり機械化したりやりたい放題であった。
阿沙賀が打倒せねばならないサメだって、現実のそれではない。悪魔だ。
なんならフィクション世界のそれのほうが近しいはずで、現実的な方向性で話の腰を折るのは本末転倒。
阿沙賀は自らを納得させ、だが未だ納得いかない部分もある。
「わかった、そこは飲み込むが……なんでチェーンソーだ?」
「ある有名なサメ映画で」有名の度合いはB級映画基準で「主人公がチェーンソーでバッタバッタと斬り殺してた」
「まずチェーンソーを武器にしようとした理由」
「それはなんとなく察せるよ」
解説の大河内。
「ほら、ちゃんとした武器なんかそこに用意されてたら作為を感じて萎えちゃうでしょ? だから日用する物品で、かつ殺傷力の高いものをってなると確かにチェーンソーは強そうだよ」
「ゾンビ映画でもあるホームセンターで装備を整えるシーンみたいなもんだ」
「うーん。なる、ほど……?」
映画的事情は納得できるが、それを阿沙賀ができるかといえばできないだろう。
この学園ならチェーンソーのひとつやふたつはありそうだが、かと言って持ちだすのは難しいし、そんな不慣れなアイテムで斬り結べるとも思わない。
「他は?」
「あとは……やっぱり爆破でしょ」
「もう案が尽きたのか?」
それ最初に言ってたじゃん。
ゾンビもサメも殺人鬼も殺せる映画最強の兵器じゃん。
「いやいや、サメ映画の始祖と呼べる映画だって爆殺だぞ」
「そりゃそうだけど」
観たことあるけど。
爆弾なんてチェーンソー以上に入手は困難――
「爆弾がなんだって? 爆竹ならあるけどいる?」
「おぉ、八木! ちゃんと買ってきたのか俺の昼飯!」
やって来たのはギャンブル狂いの割に友達の多い八木である。
賭場という特殊シチュエーションでもないので目のイカレ具合はだいぶマシで、なんだか穏やかに笑う。
「買ってきたぞ、ほらフランクフルトとカップ麺。お湯はいれてある」
「サンキュ」
ようやくの飯に志倉は飛びついてかぶりつく。
要望の品を渡し終えればあとは自分の分、八木も適当な空いた席に座ろうとして、そこで気づく。
「って、阿沙賀じゃん。どうしたの」
「どうしたって、飯食ってるだけ」
「なんだそれなら早く言ってくれよ、焼きそばパン買って来たのに」
「買ってある」
最後の焼きそばパンの包装をあけながらそれを見せつける。
というか昨日、倍返しをいただいた手前、それ以上奢られるってのも気が引ける。
むしろテンション高い八木のほうがなにかをあげたい気分らしく、ちょっと不満そうだ。
だがすぐに思いついて顔を明るくする。
「じゃあ、ほら爆竹。あげるよ」
「というか、どうして爆竹なんてもっているの、八木は」
大河内の至極真っ当な質問に、あっけらかんと八木は笑う。
「決まってるだろ、博打のためだ。度胸試しは博打にしやすい。爆竹チキンレースってやつだ」
「理由なき反抗ォ」
阿沙賀は押し付けられた爆竹を手のひらで見つめて、まあもしかしたら役に立つかもとポケットに仕舞った。
それとほとんど同時にようやく最後の一口を終えたので、阿沙賀は立ち上がる。
爆竹チキンレースについて「危険では?」「楽しそう」「初心者向きではない」だの盛り上がっていた三名は一斉に阿沙賀へと視線を向けるが、それに手を振るだけして。
「んじゃ、ごちそうさん。おれは行くわ」
めいめいに送られる挨拶を背中で聞きながら、阿沙賀は教室を立ち去った。
□
爆竹チキンレース
対戦する者同士で点火した爆竹を握りしめ、先に手を放したほうの負け。
外野は勝敗と、どちらがどのくらいの時間で手放すかを賭ける。
配慮して爆竹の火薬は減らしておくものだが……悪魔の賭場ではむしろ火薬を増やされているらしい。
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