13 悪魔と契約と魂……って説明遅せェよ


「さて。僕の忠告はこれくらいにして……試胆会に戻ろうか。

 さ、フルネウスくんにひとつ言うことを聞かせるといい」

「オメェは?」

「うん?」

「オメェにもおれは勝ったンだろ? じゃあオメェに対する命令権があんだろうが。言うこと聞いてもらおうかァ?」


 迷亭という嘘吐き女――面と向かって話して数分でもう怒りのボルテージが高まって、腹立ちを抑えられない。

 また無駄に話が伸びると理解していても、阿沙賀はつい感情的なことを言ってしまった。

 なにかこの憤慨をなだめる意趣返しがしたかった。心の安寧のためにも迷亭にぎゃふんと言わせたかった。


「まあ順番なら次なんだけど……そうだね」


 迷亭は取り立てて慌てたりもしない。芝居がかって腕を組み、うんうんと唸って見せる。

 悩んでいる。考えている。君のために――などとわかりやすく明示してから、こう言う。


「これはアドバイスだけど、僕への命令権はとっておいたほうがいい。いずれ必ず必要になる。その時まで保留にしておくのが君に最良だよ」

「……ち、そうかよ。じゃあそうする」

「え。仮契約者様?」


 そこで驚いたのはニュギスである。

 どうしてそんなにあっさり退くのだ


「こんな薄っぺらな嘘で固めた器に妄言のスープを注いだ胡散臭さの権化のような女の言うことを信じますの?」

「あぁ。なんとなく、これは本当っぽい」


 そのほかは割と信じていないと言外に言う阿沙賀である。

 いや、嘘吐きは本当もあってこそという信条もまた、なんとなくしっくりきている。

 とてもと、そう思う。

 だからここが本当だろう。

 そして残るすべては嘘か、真実とズレがあるか、おちょくっているか。どれかだと思う。


「むぅ……そう仰るのでしたら……」


 ご立腹しているはずの阿沙賀当人がそのように断ずるのならニュギスも大きく文句は言わない。

 もはやこの物語は彼のもの。そしてニュギスはそれを最前列で見物する観客だ。客が脚本に文句をつけてもそれは不粋だろう。


 ニュギスが黙ったと見て、阿沙賀の視線はフルネウスへと向く。

 耳に違和感が残るのかかっぽじっていた彼は、視線に気づいて椅子ごとこちらに向き直る。


「じゃあフルネウス、他の七不思議七悪魔について教えろ」

「え」


 そこで声を上げたのはさきほど黙ったはずのニュギス。二秒ともたない沈黙である。


「どうしたんですの、仮契約者様らしくないその保守的な意見は!」

「保守的か、これ」


 というかなんで怒ってんだよ。

 よくわからないまま、阿沙賀は答える。


「まァ、あれだ。そろそろ限界が見えてきたからな」

「限界、ですの?」


 見る度に意味不明を発生させ、事あるごとに理不尽を踏み倒して来たこれまでの戦い。

 その様を間近で見ていたニュギスには、吐き出された弱音が不可解で首を傾げる。


「あぁ。運よく今のところ勝ち進めてるが、もう次は危ういと思う」


 びしっとフルネウスを指して。


「フルネウスみたいに暴力全開で来られるとどうしてもスペックの低さが浮き彫りになる」

「なんだ褒めてんのか? 照れるぜ」


 無視して。


「今回は偶然、一回戦でシトリーから『命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』を受けることができて、運よくコワントがそれを使わずに済む相手だった。そういう幸運が続いたからフルネウスに『命短し恋せよ亡者イドルム・モリ』を使って戦えた」


 それだけの好条件が揃っていても。


「八木が丁度良く爆竹なんておれに渡してなけりゃ、負けてたのはおれだ」


 フルネウスがこちらのノリを無視してすこしでも慎重に動いているだけでも負けていた。

 真っ直ぐに挑みかからずフェイントなり回避なりを意識していれば、やっぱり負けていた。

 フルネウスがフルネウスという悪魔だからこそ辛勝であったのだと、阿沙賀は思う。


 急に現実的で冷静な判断を下す男に、ニュギスはなんとも言い難い心地になる。

 打算と感情を混交しているのはいいが、振り切れ方が激しすぎる。

 いや、だからニュギスは彼の選択に口を挟む気はないのだが、ヤキモキはするのだった。


 フルネウスはふぅんとあまり興味なさそうに、とはいえルールなのでと。


「説明はいいが、あれだ。そういうのは俺より迷亭のほうがいいんじゃないのか? 俺の代わりに喋っといてくれよ」

「そんなに頼られてしまっては仕方がないなぁ! いいとも僕が説明しようじゃないか!」

「えぇ……オメェほんと、説明に説得力とかさぁ、そういうのが皆無で説明役不向きだぞ」


 というか口を開く度に鬱陶しいんだけど。

 フルネウスも似た思いは抱きつつ、本当に口が上手くないという自覚もあって困ったように。


「そいつが嘘かましたらすぐに口を挟む。それでいいだろ、マジで説明とかは柄じゃねぇの」

「あと試胆会の勝者への褒美としての説明だし、嘘は言えないよ、契約上ね」


 重ねて言う迷亭に、本当かよと懐疑心が湧かないでもないが、悪魔の契約遵守の性質を信じるしかない。


「ち。仕方ねェな」

「話は決まったね。では解説といこうか!」


 なんとも生き生きとひとりだけ随分と元気で、他一同のため息なんて聞いていない。

 嘘吐きであると同時にお喋り好きで、もはや聞く側の状態なんて知ったことではないようだ。


 名ばかりの先生という自称を大きく振りかぶって、迷亭は早速解説に入る。


「聞きたいのは残る三柱の子らについてだよね? まずはその七不思議と名称を教えようか」



「鏡の向こうの誰か」

 七不思議に曰く「学園のとある姿見を覗くと、映る自分が手を伸ばしてきて入れ替わろうとしてくる」


「その悪魔の名を鏡相キョウアイのアルルスタという」



「彷徨う人食い鬼」

 七不思議に曰く「見渡しのいいグラウンドのはずがなぜかそれには気づけない。大柄で筋骨隆々の鬼が、なんの予兆もなく現れ出でる」


「その悪魔の名を殴我オウガのバルダ=ゴウドという」



「血染め桜の狂い咲き」

 七不思議に曰く「星のない夜に桜の樹が血に染まる。その美しさは見た者の心を奪い狂わせて二度と元には戻らない」


「その悪魔の名を廻逆カイギャクのキルシュキンテという」



「また物騒な名前だな、オイ」

「悪魔だからね」


 ちなみに漢字はこうだよと黒板に書いてくれる。

 やっぱり物騒なあざなであった。


「そんで、そいつらの顕能は?」

「はっはっは。流石に顕能までは教えてあげられないなぁ」

「クソの役にも立たねェじゃねェか」


 そこが一番重要だろうが。

 二つ名が割れたのでそれと七不思議とを合わせて類推できないこともないが、推測は推測で、確定ならざる。やはり褒美というくらいなら確定情報が欲しいところ。


 迷亭も阿沙賀の言いたいことはわかると頷いて。


「ではひとつ重要な……それでいて基本の情報を教えよう。

 君は悪魔に位階があることを知っているかい?」

「……なんか、ニュギスは公爵だったっけ?」


 そのように名乗っていたのは覚えている。

 けれどそれだけ。

 それ以上に知識はなく、教えてくれる相手もいなかった。

 阿沙賀は絶望的に情報源と無縁で、なにも知らないままに駆け抜けている。というかニュギスが全然話してくれない。


 いや、ニュギスからすればそもそも聞いてこいと言いたいのだが。

 どうしてそう無関心なのか。知りたいという思いに熱意が弱く、すぐに後回しにして棚上げしては先に事件に巻き込まれるのか。


 聞かれるまで答えたくないと意固地になったニュギスと、後回しにしがちな阿沙賀とで妙に噛み合わせが悪かったらしい。


 なので、こうして空気を読まないでつらつらと語りたがる輩は不本意ながら丁度いい。


「その通り。悪魔の強さは位階で表現され、その位階は爵位と呼ばれている。上から順に――」



 ケーニッヒ

 公爵ヘルツォーク

 侯爵フュルスト

 伯爵グラーフ

 子爵ヴィゼグラーフ

 男爵フライヘル



「基本的に爵位ひとつの差異は埋めようのない巨大な格差を意味し、さらに爵位をもたない悪魔なんかは爵位もちからすれば取るに足らない落伍者だ」

「へェ、ニュギスって大分上なんだな」

「褒めてくださっていいですの!」

「いや褒めはしねェけど」

「どうしてですの!? 褒めてくださいな!」


 褒められたがりのニュギスである。

 蝶よ花よと育てられてきた末っ子でありお姫様、ここまで杜撰な扱われ方ははじめてだった。

 外見でも内面でももうなんでもいいから誉めそやせ!

 力強いおねだりを小さな手でせがまれ揺さぶられる阿沙賀をしり目に迷亭は続ける。


「ちなみにケーニッヒについては考えなくていい。人間界には絶対に現れない……というか、世界が彼らに耐えられない。人間界に魔王が降り立った時点で滅び去る」

「うわぁ……」


 流石は悪魔の親玉だ、スケールが違う。

 もはやビビるというより感心してしまって、あまり阿沙賀に恐れの感情は見えない。

 まぁ隕石が落ちてきたら人類滅ぶよね、と同じくらいのノリであった。


 無知な阿沙賀の反応の薄さにもめげないで迷亭は続ける。そろそろ疲れて揺すぶる手を止めたニュギスを指して。


「本来なら公爵ヘルツォーク……メアベリヒくんだって人間界ではとんでもなく珍しいよ。どれくらい珍しいかというと、人界にいる公爵ヘルツォークは公的には三柱とされている。魔界を含めてさえ十三柱さ」

「あら遅れていますのね。わたくし最新十四番目の公爵ヘルツォークですのよ」


 ほう、と事情通面の迷亭をして意外そうに眉を反応させる。

 まさか魔界における公爵ヘルツォークの数という、重大なるひとつの均衡が崩れていたとは。

 長らく人界に留まっている悪魔連中では逆に故郷の魔界事情に疎くなるもの。素直に驚いたようだ。


 一方で事情を今知った程度の男の反応はやっぱり淡白。

 魔界で十しかおらず、人界にも三と一しかいない事実は確かに途轍もない希少性だが……阿沙賀はひとつ頷き、軽く納得。


「ともかく珍奇なわけだ」

「褒めて! くださって! いいですの!」

「ニュギスちゃんすごーい」

「もっと敬意と畏怖と思いやりを込めてくださいませー!」


 だからなんでそうも物事の受け取り方が雑なのだ。

 これ本当にすごいことだからな? ニュギスの存在ってマジで聞く者が聞けば腰抜かす情報だからな? お願いだからもうちょっとこっちに興味もって……!


 やれやれと、横で聞いてる迷亭も流石にちょっとニュギスに同情してしまう。

 すこしそちらの話に時間を割く。


「阿沙賀くんは、そもそも悪魔がどうして人間の召喚に応じるかは知っているかい?」

「なんか……こう……魂が欲しい、的な……?」


 悪魔との契約には人間の魂を捧げる必要があるとニュギスが言っていた気がする。

 しかしそもそも魂って言われてもピンと来ないのが本音だが。


「そう、悪魔は人間の魂が欲しい。これの理由は、先の爵位にある。言ったように爵位ひとつで巨大な差があって、それを覆すことはまず不可能――それを可能にするのは魔魂と人魂だけなのさ」

「魔魂ってのは、顕能のことだな? じゃあ人魂ってのは人の魂……エネルギー源か?」

「その通り」


 魔魂顕能レツァイゼンは単純に悪魔の実力だけには収まらない異能であり、時と場合によって上位者へ通ずることがある。

 そして人魂、契約を交わすことで得られる人の魂。それは悪魔の力を飛躍的に高めてくれる無二の糧なのだ。


 別世界に赴くことでしかなしえない文字通り異次元の――裏技的な強化法と言える。


「だから力を求める下位の者ほど召喚に応じて参上するものでね。逆を言えば強い強い公爵ヘルツォークが召喚に応じるなんてまずありえない事例なんだよ」

「そうですのよ、もっと崇め奉って褒め称えてください! 燦然と!」


 オメェは楽しいを求めてやってきたミーハーな観光客だろうが。

 幾ら強さや地位があっても行動原理がこれではまるで敬えそうにない。もうちょい外見に見合った気取り方をしてほしい。気品は精神に宿るんだぞ。


 小うるさいニュギスを引き剥がし、阿沙賀はなんとなし理解を深めつつ。


「強くなるのが悪魔の魂を欲しがる理由で、人間はそれをわかってて自分の魂を餌に悪魔と優位な契約を結ぼうとするわけだな」

「そうさ、悪魔は契約によって人の魂を限界まで奪おうとして、逆に人間もそれをわかって上手く折り合いをつけてせめぎ合うことになる。

 大抵が百魂分割法ひゃっこんぶんかつほうと呼ばれる人ひとりの魂総量を百とする方式を採用して、そこから幾ら捧げるかを話し合うことになるかな」


 魂の単位、というものだ。

 もしくは通貨であり、これだけの支払いでこれだけのサービスを要求するといった売買契約に近いのかもしれない。高額なものを沢山購入することで魂のお財布が軽くなっていくといった具合に。


 ただ魂の強さ大きさ輝き、そうしたものは個々人ごと差異があり、同じ百分の一でも別物と考えていい。なんなら百分の一程度ではまだ大きすぎると千魂せんこん万魂ばんこんと分母を増やしていく場合もあるだろう。

 契約者と悪魔の契約はその両者だけのもの、余所から見れば千差万別にその形は異なっている。類似はあっても同位はないので一概には語れない。


「魂、ねェ」


 魂とやらにはすこし興味があるのか、阿沙賀は言葉を確かめるように口の中で転がす。

 していると、ひとつ質問を見つけ出す。


「もし全部の魂を持ってかれると人間側はどうなるンだ?」

「もしも全ての魂を失うと、人間は輪廻転生の枠から外れ、奪った悪魔の力として存在を無に帰される。僅かでも残っていれば欠片でも転生は可能だけど失った魂は戻らず、来世において瑕疵かしを負うことになる……らしいよ?」

「輪廻に来世とか来たか。またアレなワードを……」


 あんまり深く考えるのも面倒そうで、阿沙賀はそこらへんについて触れないことにする。

 とりあえず魂を全部もっていかれるのはよくないと適当に理解しておく。破産はよくない程度の認識だが。

 では契約について、譲渡する魂とやらをちゃんと考えるべきなのか。


 ……ん。


「逆に人間側が上手いこと契約を組めば……悪魔の身ぐるみ剥いで買い付けることもできるってことにもなる、か?」

「…………」


 ちらと迷亭を見遣るも、声が小さく聞こえなかったのか反応はなかった。

 ほとんど独り言であったためさもありなん。別にそちらに話題を膨らませたいわけでもなし。

 阿沙賀は次には一段声を大きく。


「ていうか……なんか迂遠だな。欲しいんだったらぶっ殺して食えばいいんじゃねェの? 魂」

「それはできない。まずもって並みの悪魔は世界間を超えられない。呼ばれなければ赴けないのさ。その点は人間の召喚士のほうが優秀でね。

 そして悪魔を呼べるような者は危害を加えられる間抜けはしないもので、悪魔との交渉の間はこちらの世界に召喚はしない」

「呼び出して交渉のあとに召喚って手順だな」


 交渉が終わるまで悪魔はこちらの世界にやって来れないため、事前の契約内容に召喚士への攻撃不可とでも加えておけば安全か。

 悪魔が人を襲って魂を食らうことはできない、それを許す召喚士でもない限りは。


 しかし根本、と阿沙賀は思う。


「そんなに悪魔と人の契約は固ェのか?」

「絶対遵守だよ。これを破ることは王でもできない。世界の法則に等しく、悪魔の本質に等しいからね」

「ふゥん」


 悪魔は契約を遵守するもの。

 それは創作にありふれた設定で、そこを突かれて人間にしてやられることもある。

 習性や性質といったレベルではなく、法則で本質と迷亭は言った。つまり気持ちや能力でどうにかなるものではなく、文字通りの絶対。

 契約を破ったらどうなるかではなく、破ろうという精神が不在。それ以外のすべてを放棄してでも遵守のために全霊を尽くす。


 悪魔とはそういう存在――特に契約遵守生命体という異名があるほどに。


 ならばやはり契約を上手く結べば人間側に優位にことを進められるのかもしれない。付け入る隙はあるようだ。


「…………」







 ……あれ?


 今なにか物凄く不吉なことを思い出した気がする。

 大きな見落とし。大きすぎて見過ごしていたけれど、気づいてみればもはや自殺行為のような忘れもの。

 基本にして根底的になさねばならないことを、阿沙賀は疎かにしていたのではないか。


 未だに不満そうに阿沙賀を掴んでいる手を逆に掴んでニュギスに詰め寄る。


「そういえばおれとニュギスって、契約結んだっけ? なんか加筆したっけ?」

「いえなにも?」

「自由の悪魔ァ!」


 つまりニュギスは人間界におわす悪魔のくせになんらの制約も縛りも受けていない自由ということである。

 なにせ契約相手の阿沙賀がなんも知らずにほったらかし。束縛の必要性についてまるで無知であったから。

 召喚時の交渉さえすっ飛ばして対面したわけで、そりゃあ遵守するものもないわ。


「いや……いやいいのか、これ。実は大変やべェことなんじゃ……?」

「正気の沙汰ではないね。公爵の悪魔メアベリヒくんはその気になれば日本くらいなら一日で沈没させちゃう力があるんだよ?」

「わァやべェ」


 発言に比して声の調子が随分と軽い。

 本当にわかっているのだろうか、この男は。

 いや一応、自分から事のヤバさに踏み込んでいったのだから理解しているはずなのだが、それと見えないのが彼の人間性というもの。


 迷亭はひとりニコニコと。


「まぁ一応、どんな高位の悪魔でも人間界という異界に移れば力の弱体化は避けられないのだけどね」

「逆を言えば弱っても王様は世界を滅ぼすし、公爵様は日本沈没させられるンだらァ?」

「そうなるねぇ」

「なんかもう世界観が違ェなァ」

「それは最初からですの! 悪魔がいる時点でもっと驚いて慌てふためくべきですの!」


 そこについては何度も言っているのだが、やはり阿沙賀の態度は白けてる。

 いやなんでだ。

 悪魔の登場も七不思議との対決も、人生を一変させるド級の大イベントだろうが。


 ――なんで一番気にするのがパンツなんだよ!


 猛るニュギスであったが、阿沙賀は特に言及すらなくそれよりもと置く。


「ニュギス」

「…………はいですの」


 これは珍しく阿沙賀が真面目な顔をしていると悟れば、なんとか怒りを捨てて妖艶そうに笑えるニュギスである。

 雰囲気だけは高位悪魔のそれであった。

 いや真実全身が高位悪魔なのだけど、ともかく真面目に話すのならば茶化さず聞こうという彼女なりの配慮としての悪魔然とした態度なのだ。


 その配慮をしかと受け取り、阿沙賀もおふざけなしにそれを問う。


「オメェ、なんか日本を沈没させるとか誰かに危害加えるとか、するか?」

「うーん、そうですわねぇ」


 馬鹿正直で捻りのない問いかけ。

 それにイエスだノーだと答えたからなんだという。


 この世の誰もが息するように嘘を吐く。

 それも相手は悪魔であり、大嘘吐きだなどとわざわざ称されずともその二枚舌は確認するまでもない。


 では阿沙賀の問いかけはなんの意味もないのだろうか。

 その真っ直ぐに抉るような眼光はなんの効力ももっていないのか。


 果たしてニュギスは深淵のような笑みを刻む。


「とりあえず今はなにもするつもりはございませんの」

「その心は?」

「わたくしは観客ですの……貴方の物語を一番の特等席で眺める、それが今のわたくしの最大の目的、娯楽ですの。そこにどのような意味であれ手を出すのは不粋でしょう?」

「弁えてるじゃねェか。だったら精々、楽しんでろよ」

「ええ、楽しませてくださいませ」


 ――阿沙賀の物語が楽しい内はなにもしない。


 契約ではないし、曖昧だし、嘘かもしれない。

 土台、この世に確かなものなどない。

 フィクションでしかなかった悪魔は実在し、それと戦う人類がここにはいて、もはや常識などとっくの昔にご臨終なされている。


 ならば信じたいものを信じればいい。

 易きに流れているだけかもしれないが、それでもそのように今決めたのは阿沙賀であり、後に悔いるのも阿沙賀だ。

 

 阿沙賀はニュギスが楽しいものを求めていると知っている。

 そして今を楽しんでいることも、知っている。

 それは間違いないと阿沙賀の中にあるなにか――きっと、魂というやつで確信している。


 では存分に楽しんでもらえばいい。

 滅ぼすだなんて、そんななんの面白味もなく、むしろ楽しいものを壊すだけの愚行であると知らしめてやればいい。


 阿沙賀は自問自答にケリをつけ、話を戻そうと口を開く。


「じゃ、ニュギスの件はこれでいいとして」

「ふっ、ふふ、ふふふふふ。君たちは……本当に型破りだよ。まさか一切の契約もなしに共にある悪魔と契約者だなんて、前代未聞じゃないかな?」


 というかこの男は自覚できているのだろうか。

 自らの一挙手一投足が多くの命を左右することになったと。


 楽しい内はなにもしないということは、阿沙賀が楽しくなくなればなにをしでかすかわからないということ。

 セーフティもなにもなしに公爵の悪魔が人間界で自由にある――それは核爆弾と手押し相撲をするより危険極まることだと理解しているのか。


 阿沙賀は迷亭の揶揄にもあっけらかん。むしろ彼女の指摘したかった点とは違う部位に向けて否を出す。


「いや別に契約しないことに拘ってはいねェよ。必要ならするし、たぶんそれは遠くないだろ」

「まぁ、仮契約者様が頭を下げてわたくしにお願いしてくださるのなら考えますの」


 だからもうその話はいいんだって。

 まるで含んだ様子も気負った調子もなく、阿沙賀はあっさりと話を変える。

 

 とはいえ確かに現在の会話の本流はそこではなく、いつまでも寄り道に流れてもいられない。

 阿沙賀はいい加減疲れて来たのか投げやりに。


「で、爵位の説明はあれだろ? つまり今までやりあった奴らのレベルとこれからやり合う奴らのレベルが違ってくるってことだ」

「君は本当に察しがいいね。頭の鈍さと鋭さが同居して奇形に過ぎる」

「褒めてねェだろ、それ」


 鬱陶しそうに言っても迷亭はこそばゆげ。

 言葉の鈍器で殴りかかっているつもりの阿沙賀なのに、迷亭にとっては他愛のないじゃれ合いに過ぎないのか。


 ほんとに一発ドついたろか――割と真剣に拳を固める阿沙賀に、それを見計らったように重要な情報を投げつけて気を逸らす。


「これまで君と戦った三柱、彼は全員が子爵ヴィゼグラーフ――そしてこれより戦う三柱は全員が伯爵グラーフ以上の爵位を頂いている。ちなみに、僕も伯爵グラーフさ」

「……」


 奴は四天王の中でも最弱……的な理屈である。

 まあ位階の低い順に事にあたったと見れば呑み込めるが、それとは別に多大な問題が可視化された。


「つまり、フルネウスより強いってわけだ」

「待て待て。爵位は顕能を加味してないんだぞ、実際にやり合わないとマジの決着はつかねぇって」

「いやオメェの矜持はいいんだよ」


 そうではなく、これから戦う阿沙賀が相対する敵戦力が問題である。


 ――基本的に爵位ひとつの差異は埋めようのない巨大な格差を意味するという。


 ならばフルネウスにギリギリ偶然の上の辛勝となると、これはお先真っ暗ではないか。

 ……そもそも人間が単騎で悪魔と渡り合うほうがどうかしているのだけど、もはやこの場でそれにツッコむ者はいない。


 迷亭は緩く手を振り、さほど悲観せずにという。


「まあ、アルルスタくんは戦闘に不向きだし、キルシュキンテくんだってそうあからさまに暴力的というわけでもないから、君の知恵次第ではなんとかなるかもしれないね……ただ」


 言いよどむが、その顔つきはやはり人を食ったような笑み。

 あぁ可哀そうに。可哀そう過ぎて口にするのも憚られるな、気の毒だけど悲しむ君も見てみたいと、笑っている。


 だがそれは確かに頷ける部分もあって、阿沙賀をしてため息が漏れるようなわかりやすい一柱が居座っている。


「もう名前からして暴力の権化みたいな奴がいるな」

「あー、バルダ=ゴウドのおっさんはなぁ……本当に武と暴しかないから人間じゃ無理くさいわな」


 フルネウスでさえも諦観が強く滲んだ乾いた笑い声しかでない。

 それほどまでに純然たる暴力であり、人の子の対抗しうるステージにはいない相手。

 いっそ台風と殴り合うほうがマシかもしれない。


 ――目下最大の脅威、明白すぎる危険地帯。

 ――強く、強く、ただ強い。

 ――殴我オウガのバルダ=ゴウド。


「どうすんだよ!」

「どうにかしなさい。それが君の試胆会だよ」

「くそァ!」


 なんとも、思いのほか悲観的な褒美となってしまったのだった。


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