14 とばっちりは嫌なもの


「せんぱーい!」


 朝も早うから元気に溌剌な声を上げ、一直線に駆け寄ってくる少女がいる。

 彼女の喜色満面な心根を表わすように、走るごとに結わった長髪がぴょこぴょこと揺れてなびいて楽し気だ。


「…………」


 阿沙賀はその少女を認識すると、人込みのなかで酷く困ったように突っ立っていることしかできなかった。


 巨大で膨大な大江戸学園において朝の登校時間は通勤ラッシュならぬ登校ラッシュ、もはや人の雪崩である。

 校舎自体が広いため道も随分と広く、きちんと意識していればぶつかったりはしないのが救いか。

 寮生であり比較的に人のすくないルートを辿れる阿沙賀であっても、特に意識せずに出発すれば人だかりを歩く羽目になる。

 昨日の疲労もあって早めに起きることができなかったせいで、こうして混雑を遅々として進行していたわけだが。


 そんな人の流れを無視して逆方向からその少女――遊紗はぶんぶんと手を振っては阿沙賀を目指す。

 するすると上手いこと人に触れ合うこともなく避けてやってくる姿は川を遡上する魚みたいだ。


 驚くやら感心するやらしている内に、遊紗は目の前にまでやってきてにこりと笑う。


「どうもどうもまたまたお世話になってしまったようで、ありがとうございます!」

「いや……べつに」


 テンション低めの阿沙賀も気にせず、遊紗は反転して横に並んで歩き始める。昨日は着ていなかったカーディガンを羽織っているのが秋を感じさせた。

 たしかに今朝は、すこし肌寒い。

 横合いから見上げるように、遊紗は人懐っこい笑顔を振りまきつつもちょっと気恥しそうに言う。


「いやー、急に倒れちゃうなんてはじめてでびっくりした」

「ま、次から気をつけろ」


 あの時、遊紗は急に気を失ってしまって、それを阿沙賀が保健室へと運んだということになっている。


 迷亭の嘘による記憶の操作、らしい。

 実際、彼女の頭のなかでどのように処理がなされているのかまではわからないが、すくなくともフルネウスの水中世界については覚えていないようでほっとする。


 ちなみに阿沙賀のほうもフルネウスに散々やられた怪我があったが、あの教室から出た途端嘘みたいに治っていた。服の破れやほつれ、汚れなんかも元通り。

 そういえばシトリーとやりあったあとにも体中にダメージが残るはずなのに少しも痛んでなくて不思議だったが、今回も同じということか。

 教室の散乱や窓ガラスの粉砕に壁の大穴、それらと同じで阿沙賀の損傷も戦いが終われば治る仕様のようだ。


 そこもまた悪魔の力で――迷亭の仕業でもないらしい。

 彼女の顕能はあくまで嘘、肉体的な影響はそんなにできないと当人が自己申告していた。嘘かもしれない。


 一応信じて考えれば、これまでの奴らでそれを可能にする奴はいなかったし、これから戦う悪魔の顕能だろうか。

 しかしどういったものかまでは考え進めることができていない。


 どこかぼうっとした阿沙賀に、遊紗は簡単に距離を詰めて顔を寄せる。


「先輩、どうしました、寝不足ですか」

「最近忙しくてな」


 雑な返答にもむしろ晴れやかに。


「とやかく言うのもアレだけど、ガンバリすぎちゃダメだよ。ある日いきなりバタリーッ! なんてこともあるし」

「ある日いきなり倒れた奴に言われると重みが違ェな」

「でっしょー」

「いやオメェも反省しろ」


 完全に悪魔のせいだがたぶん遊んでいそうなタイプと見て――賭場にもいたらしいし――節制を促してみる。

 先輩風は似合わないがここら辺は言っておく。線引き、だ。


「あんまよく知らねェ先輩に朝っぱらからちょっかいかけるくらいならちゃんとよく寝てギリギリに来いよ」

「……ウザかった?」


 心なしか声のトーンが落ちる。

 機敏な反応に阿沙賀は乱暴に否定を送る。そうじゃない。


「そうじゃねェけど。あれだ、オメェ病院は行ったのか?」

「行ったよ、行った。問題ないって。そんなによく知らない後輩を心配しなくていいのにー」

「目の前でぶっ倒れたら誰だってビビる」


 ――阿沙賀の周りにいると、これからも七不思議の害を被ってしまうかもしれない。


 もとより縁もゆかりもなかった遊紗には、引け目ばかりが浮き彫りになってしまう。

 彼女はなにも悪くないのに巻き込まれている。記憶処理までされて阿沙賀のように怒ることさえできないでいる。

 そんなとばっちりはあんまりだろう。


 そういう意味で線引きはしておくべきだと、そう思う。


「うーん?」


 飲み込みづらいのか、遊紗はちょっと困ったように言葉を探す。

 おそらくいつもの遊紗は明るく元気に健康優良で、倒れる姿も想像しづらいような人物であったのだろう。

 それは彼女自身の自己認識においても同じで、だからむしろそういう方面での気遣われることが珍しい。

 どのようにして示せば大丈夫という言葉を他者に信じさせることができるのか、わからない。


 なんだか考え込む遊紗に、阿沙賀は下駄箱も近いと見て。


「律儀な礼はきっちり受け取ったよ、だからもうオメェはオメェのことを考えてろ」


 これ以上、阿沙賀に近づいて巻き込まれるなんてことはやめてくれ。

 巻き込まれてとばっちりを食らうのは、阿沙賀ひとりで充分だ。


「うん。わかった先輩」


 なんとなし、神妙な気配を感じ取ったのか遊紗は常より深く頷いた。


 あぁそういえばお前と呼ばれるのは嫌がっていたはずだが、オメェはセーフなのだろうか。

 先ほどから使ってしまっていたが、すくなくとも以前のような即座の訂正要求は来ていない。


「じゃ、今日も一日がんばれ」

「先輩もがんばって」


 答えは得られず、遊紗とは下駄箱で手を振って別れた。


    ◇


「阿沙賀くん、今の子は?」

「ん。九桜くざくらか、はよさん」

「おはよう。で、今の子は誰なの?」


 上履きに履き替え廊下へ足を踏み入れようとしてすぐ、背中から聞きなれた声が届く。

 振り返ればやはり、いつも半目の九桜くざくら真冬まふゆだ。


 彼女は同じクラスの女生徒で、阿沙賀の友達のひとりだ。

 春なんだか冬なんだかわからん名前が妙に似合う奴で、あまり表情が動かず声音も淡々としているが、驚くと全身で飛び退くタイプ。そういうところに愛嬌があって、クラスの中でも小動物のように可愛がられている。

 いつも半目で矯めつ眇めつ他人を眺めていて、そのくせ顔がいいもんだから男からよく勘違いされるが趣味が人間観察なだけらしい。告白されても全部撃沈しているとか。


 そんな九桜が常ならぬほど圧をこめて問いを発してきた。

 別段に気圧されることもなく、阿沙賀はとりあえず足を進めながら。


「誰って、後輩だろ。昨日、廊下で倒れてたのを拾ったら礼を言いに来た。律儀だよな」

「そう、なんだ」


 同じクラスであるため進行方向もまた同じ。

 先の遊紗のいた隣の位置に九桜がやってきて、そのまま並んで歩む。

 九桜は口数の多いタイプではなく、向かうあいだ沈黙であった。阿沙賀もそれをいつものことと苦にしないで黙々と目的地に歩いていく。


「…………」

「…………」


 ときどき、こういうことがある。

 なにか他愛のない用事に九桜が傍まで来て、それが終わっても何故だか離れて行かずにしばらくそのままぼんやりとしていく。なにか喋るわけでもなく、どこを見るでもなく、本当によくわからないのだけど、ただそこにいる。

 満足したらまたどこかへと去っていく姿は、なんだか子猫か小鳥のようだと思った。


 だから、知っている。

 このまま黙っていれば何事もなく教室にまで辿り着くのだと。

 知っていながら、阿沙賀は口を開く。膨れ上がった感情の欠片が、溢れて漏れて言葉になる。


「九桜は」

「なに?」


 自ら声を発することはなくとも、喋りかければ答える。

 九桜は平坦な目つきでこちらを見遣る。いつもの半目で矯めつ眇めつ。


「九桜はあるか、でけェ面倒事に巻き込まれて腹を立てたはずなのに、その面倒事を解決するために別の誰かをまた巻き込んじまってて、なんか腹ン中で帳尻が合わねェ気分なんだよな」

「んん。なんか、抽象的」

「だよな。わり、愚痴だ」


 阿沙賀は吐き出し終えた途端に我に返ったのか、気恥ずかしそうに苦笑と自嘲の合間みたいな顔をする。

 そのまま誤魔化されてくれればよかったのに、九桜は歩行スペースも表情も声音も変えずに。


「でも、なんだか落ち込んでる?」

「あー。そう見えるか?」

「らしくないことを言ってるとは思う」

「……かもな」


 今度は純然たる苦笑が漏れる。


 流石に最近の怒涛の展開に先行き不安、それに遊紗に対する負い目まで重なってちょっぴり阿沙賀も気落ちしているらしかった。

 いつも無鉄砲で能天気に走り抜ける男のようでいて、ナイーブな感情も備え付けてはある。

 意地を張る性格なのでどうにかこうにか隠し通そうとはするが、存在しないわけではないのだ。


 九桜はそれを知っている。やはり淡々という。


「なんだかよくわからないけど」


 けれど、決して無感情というわけではなくて。

 声に思いは乗らずとも、その半目は力強くひとつの感情を訴えている。


「困ってるなら、手助けしたい。わたしにできることはないの」


 心配だと、九桜は言っている。

 

 その歪みない真っすぐな視線に刺されて、阿沙賀はあぁと得心した。

 なるほどこれは困る。


 心配されるのは光栄だ。

 だがどうにも的外れ。本質的に無意味で、そんな徒労をさせたことが申し訳ない。かといって心配無用の言でひっこめられるようなものでもなかろう。

 なにせ、確かに自分は心配されるに値する状態ではあるのだから。

 ゆえに上手く言葉が作れない。


 一から十まで心情を語り上げるのも手間で、いやそもそも言葉で過不足なく伝わる類でもない。

 熱心に無用論を説いても、むしろ虚勢に見えてしまいかねない。これだけ言葉を費やすのは本当は辛いのを我慢しているのではないかと懸念されてしまう。


 端的、困るのだった。


 先ほどの遊紗の心地に気づきを得て、阿沙賀はかぶりを振る。


「そうだよなァ。自分が手一杯だからって人にあたるのはよくねェよなァ」


 それこそ彼女にとって、とばっちりではないか。


「あとで謝っとかねェとな。九桜、助かった」

「なにもしていない」

「したよ。間違いなく、おれは助かった」


 勝手に納得して勝手に喜んで、これだから阿沙賀はよくわからない。

 九桜はすこしだけ不服そうにしていたが、まあともかく調子が戻ってきたのならいいかと無言の内で頷いた。

 だがひとつ、日ごろから言っておきたかったことをこの機に言っておく。


「阿沙賀くん、なにか困ったことがあったら、ちゃんとわたしに……ん、わたしじゃなくてもいいけど、わたしがいいけど……言って」

「あー。できるだけな」

「言って」

「いやだから」

「言って」

「……わかったよ」


 どうにも眦を決してにじり寄ってくる九桜には勝てそうにない。

 阿沙賀はいつの間にやらスローペースになった歩みを逃げるように加速させて、ちょうど辿り着いた教室のドアに手をかける。


 がらりとドアを開けて、足を踏み入れ直後。


「ん?」


 ――一目で妙だと気が付いた。


 この時間帯で、あれだけ大勢の生徒が登校していたはずで。

 なのに阿沙賀が踏み入れた二年二組にはたった三人しか生徒がいない。

 それも全員がよく見知った顔。

 大河内。

 八木。

 志倉。

 そして――


「どうかしたの、阿沙賀くん」

「まて九桜、入るな」

「え」


 言うが遅い。

 九桜が一歩教室に入った途端、スライドドアがひとりでにぴしゃりと閉まってしまう。

 後方のドアも、窓も、全てが誰の手もなく閉ざされ、続けざまに施錠の音色が響き渡った。


 咄嗟に阿沙賀はドアを思い切り蹴飛ばす。九桜が全身を跳ね上げて驚いていたが気にしている余裕はない。

 容赦なしに力をこめたそれは、普段ならば薄い木製などぶち抜いているはず。それでなくともドア自体が外れて吹き飛ぶはず。

 しかし。


「びくともしねェか。なんかもう慣れてきたな……」


 阿沙賀が諦観にため息を吐き出せば、それに呼応したように天より悪戯っぽく声が届く。

 いと楽し気に、追い詰めた獲物を見て舌なめずりするように、宣言する。


『――では阿沙賀くん、試胆会第五戦を始めようか』

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