15 鏡の向こうの誰か


「うちの教室たびたび悪魔に占拠されるのなんなわけ」

「それこそ間違いなく仮契約者様のせいですの」


 こういうことがあるから遊紗にはちょっと無理にでも壁を作ったのに、全部徒労ではないか。


 クラスメイト。

 学園生活を送るのなら、遠ざけることもできない相手がそれであろう。後輩の少女とは違い、なんと言い含めてもどうしたって逃れられない。


 阿沙賀はもう一度深くため息を吐き捨てて、すぐに睨みつけるようにどこともなくを見遣る。


(で、おいこら迷亭)

『……おや? 阿沙賀くん? 返事をしてくれないか、君に無視をされるのは大粒の涙がでるほど辛いんだ』

「あ?」


 どうやら心で呼びかけたところで迷亭には聞こえないらしい。

 若干の朗報とも言える。なんなら心の内まで読まれているのではと思っていたから。


 とはいえこの場で声を上げるわけにもいかないので、別の手段を。


(ニュギス、おれの声を迷亭に伝えろ)

「わたくし交換手ではございませんの」

(話が進まないだろ、はよしろ)

「もうっ。横暴な仮契約者様ですのっ」


 割と押しに弱いニュギスは渋々ながらすっと手の平をかざす。

 それだけ魔力は走り通い、どこか遠くの迷亭にパスを繋げる。

 なんとなく接続を理解し、もう一度。


(よし、聞こえてるか、迷亭)

『んん? おやおや、そういうことだったのかい。声をだしちゃあ他の子らに気づかれてしまうものね。僕のように声を特定人物にのみ送るなんて真似、只人の君にはできないのだった。失敬失敬、なんだか君を一般人扱いするのは憚られてねぇ』

(余計な無駄口はやめろ。ンなことよりどういうことだ、試胆会は無関係な奴を巻き込まないンだったろうが)


 まずは状況確認――ではなくルール違反への文句である。

 一欠片とて望んではいないが試胆会、とまれ参加している身としては前提条件を覆されてはたまったものではない。

 阿沙賀は今でもパンツを欠いているというのに、そっちはあっさりルール違反など許されていいはずがない。


 迷亭は君の言い分もわかると言いたげな首肯の一拍を置いて。


『今回はちょっと特殊でね。アルルスタくんの要望でこの場の者は全員関係者扱いなのさ』

(アルルスタ……鏡相キョウアイのアルルスタか)

『そう、今回の君の相手なんだけどね……彼女、言ったように切った張ったの暴力沙汰は苦手としていてね、君との勝負もそうしたものではなくしたいと言ってきたのさ』

(要はコワントと同じか)


 第二戦、コワントの奴はそれを自らの顕能によって阿沙賀を嵌めて実現させた。

 だが今回のアルルスタは、どうやら迷亭経由に事前相談を持ち掛けてきている。

 別に阿沙賀だって特別殴り合いが好きというわけでもなし、他の勝負法でも構いはしない。無論、その勝負法というやつが対等な条件であることが前提だが。


(じゃあなんだよ、どうやって決めるンだ。じゃんけんか?)


 けっこうじゃんけんを推してくる阿沙賀である。


『いや。その前にこんなルール変更に付き合わせた詫びでもあるが、まずはアルルスタくんの顕能について教えよう』

「……あ?」


 昨日は伏せたくせに今度は直前になって公表するだなんて、意味が分からない。

 訝しむ阿沙賀にも、迷亭は歯切れよく続ける。


『『相克する合わせ鏡ドッペル・グルッペ』……他者の存在を写し取り自己に取り込み変身するという顕能でね。ほらもうこれだけでなにがしたいか、君ならわかるだろ、阿沙賀くん』

「まさか……」


 ばっとこの場にいる面子に目を走らせる。

 大河内おおこうち

 八木やぎ

 志倉しくら

 そして九桜くざくら


 全員がよく知った仲、クラスメイトで友人だ。

 なんの変哲もない毎日見る面構え。日常そのもので、異常も変調も誰一人として一切見受けられない。

 いつも通りで平常通り。まさか偽物が混ざっているだなんて思いもよらない。


 だがこの中に――



『そう、その教室には悪魔アルルスタくんがいる。人に化けて、ね』



(それをおれにあてろとでも言うつもりか)

『その通り、新手の人狼ゲームとでも思ってくれていいよ。君が当てたら君の勝ち、外してしまえばアルルスタくんの勝ち。シンプルだろう?』


 人狼ゲーム――汝は人狼なりや?

 それは人の姿をして村に紛れ込んだ人食いの人狼を村人たちが見つけ出さんとするゲーム。

 刻一刻と人狼によって殺害されながらも、村人たちは人狼を探し合議の上で処刑する。

 そういう会話を主体としたパーティゲームであって、決して実際に人に扮した人ならざる存在とともに膝を突き合わせるものではない。


 それも相手は悪魔、その魂の顕れによって他者に成り代わる鏡相キョウアイのアルルスタ。

 見破る方法などあるものなのか。見分けることなど叶うものなのか。


『さぁゲームは既にはじまっている。がんばってね阿沙賀くん。

 ちなみにそこは異相の狭間、外とは時間の流れが違うからタイムオーバーは考えなくていいし、終われば全部また僕が忘れさせるから存分にぶっちゃけて話すといい』

(ふざけやがって、なにを勝手にほざいてやがる!)

『悪魔は身勝手なものさ』

「っ!」


 刹那、極大に膨れ上がった激怒の念。

 握る拳が震えるほどに万力を込められ、手当たり次第になにかをぶち壊したくなる。怒りに我を忘れてしまいたくなる。

 だが努力して脱力する。拳を開く。

 腹の底から怒りを吐き出すように深く深く呼気を発して、なんとか感情を抑える。


 怒りをぶちまけてもなにも解決しない。

 怒声を上げても他の奴らを不安にさせるだけ。

 渾身の理性によって阿沙賀は平静を取り戻す。


 冷静に知性を思い出して、迷亭に一点質問を。


(ていうかルールに干渉できるのはコワントくらいなんじゃなかったのかよ)

『これはルール干渉じゃないからね。ただ彼女が自ら敗北条件を増やしただけで、根本の勝敗の判定は通例のままさ。

 だからもしも君が暴力に物をいわせてその場の全員を屈服させたのなら、君の勝ちではあるよ』

(あ、マジで? それでいいの?)


 コワントの凄まじいところは通例根本の勝敗の条件を無意味にした上で別の条件を設定したこと。

 その場限りとは言え試胆会という盤面を台無しにしてのけた点にある。

 それと比すればこちらは大きな穴があり、そして並みの情を持った人間ならいざ知らずこの阿沙賀にそんな挑発は逆効果。

 開いた拳を再び握る。殴って解決する問題ほど簡単なものはない。


 そこまであっさりと受け入れるのかと流石に焦るのは愉悦顔して眺めていた迷亭。


『いや待って待って、お願い待って。そんな野蛮で知性の欠片もない解決法なんて流石にちょっとつまらないじゃないか、試胆会は悪魔の楽しみも兼ねているんだよ、そういう横暴を楽しめる者もいるだろうけどちょっと待ってとこの場では言いたいよ』

(冗談だ。おれだって洒落くらい理解できる。最終手段を最初に使う野暮はしねェよ)


 いや、むしろ選択肢としてまるで外れていない部分に迷亭は物申したいのだが、言っても無駄とわかっている。

 阿沙賀のほうも割と大焦りな迷亭の声だけで多少は溜飲も下がる。最終手段を用意できたのも安心感になった。


 切り替えて。


(ニュギス)

「いえ残念ながらわたくしにも特定はできませんの」

(コノ役立たずのポンコツが)

「汚い言葉はやめてくださいまし」


 身も蓋もない面罵めんばに若干、泣きが入るニュギスである。

 気にせず阿沙賀は頭を抱える。

 悪魔ですら見抜けない変身……それをどうやって人間が見破れという。


 阿沙賀はもう一度この場の全員の顔を見る。


 全員がよく知った仲、クラスメイトで友人だ。

 なんの変哲もない毎日見る面構え。日常そのもので、異常も変調も誰一人として一切見受けられない。

 いつも通りで平常通り。まさか偽物が混ざっているだなんて思いもよらない。


「オメェら、ちょっと集まれ。なんか……閉じ込められたぞ」



    ◇



「それで、この事態についてなにか心当たりがある人はいる?」


 大声を上げる。

 電話をかける。

 ドアに体当たり。 

 窓ガラスに机をぶつける。

 ピッキング。

 火をつける――のは流石に思いとどまった。


 とりあえず考えられる限り危険のない範囲での脱出手段を考え実行して、結局はすべて徒労に終わって五人は一旦集まった。

 異常事態であることは全員が了解し、閉じ込められた事実を受け止めた上、事の解決案を出し合おうという大河内の提案だった。

 三人寄れば文殊の知恵……ならば五人もいるのだ、なにか話し合っている内に光明でも見いだせれば儲けもの。


 最初に挙手をしたのは志倉。

 この場での仕切りを任された大河内は顎をしゃくって意見を促す。


「志倉」

「こういうクローズド系のB級映画って、実はけっこうあるんだよな」

「志倉……」


 名を呼ぶ声音が最初と次とで大きく異なる。

 気づかず志倉は言いたいことを言う。


「それはロケ地の使用料を思い切り削減できるからだ。B級映画は予算がすくないから、たとえばこういう一室に閉じ込めてストーリーを展開していく――」

「志倉、そういう話はあとにしてくれないか」

「いやいや無駄話じゃないって、ほんとに」

「……わかった続けて」


 諦観の嘆息である。

 志倉は笑顔で続ける。


「B級映画をわんさか観てるオレから言わせてもらえば、こういう状況には必ず訳知り役がひとりいるはずなんだよ。絶対この状況をある程度わかってる奴が――」

「あァそれおれ」

「阿沙賀ぁ!」


 話途中でもう阿沙賀が自己申告。

 志倉はなんか納得いかない。順序というものがなっていないとよくわからない方向で憤慨する。


「おまっ、そういうのはもうすこし焦らしていけよ! すぐ白状したら無暗に責められるんだぞ!」

「別に隠してねェし。責めるとか、ンな無駄なことしねェだろ」


 阿沙賀は言いながらぐるりと全員の顔を見渡す。

 べつだん、怒りに満ちた顔はない。

 ただ不思議そうな八木と九桜、大河内はなんとなくわかっていたように頷くばかり。


「じゃあ次は阿沙賀、話してよ」

「おォ」


 さてどう話したものか。

 なにを話してなにを話さないかを考えながら口を動かす。


「まず、これはうちの七不思議の「鏡の向こうの誰か」って奴だ」

「……やっぱりそうなんだ」


 ここ最近、阿沙賀がどこかいつもと違う調子で質問に来たこと。

 そもそも彼の趣向に合う事柄とも思えず多大な違和感に大河内は随分と疑問していたものだ。

 だがこうして直面してみれば、なるほど彼らしい奇特な状況が展開されていると嫌な納得ができてしまう。


「七不思議? うちにそんなのあったの?」


 大河内は予想していたようだが他の三人、特に八木が首を傾げる。

 彼だけはそもそも大江戸学園七不思議すら知らないようだ。

 そこは大河内が説明を挟む。


「ある。いま阿沙賀が言ったのもそのひとつで、ええと……「学園のとある場所に設置された姿見を覗くと、映る自分が手を伸ばしてきて入れ替わろうとしてくる」って感じ」

「え、なに? じゃあここ鏡の中なわけ?」

「違ェ。鏡の向こうから誰かが来てンだ……この中にひとり偽物がいる、らしい」

「ドッペルゲンガー?」


 九桜がぼそりとそれの名を告げる。

 阿沙賀は大きく頷いて。


「そうそうそういう奴。本物と見分けのつかない偽物で、なり代わろうとしてくるアレ」

「あー、知ってる知ってるドッペルゲンガー。いろんな映画で観たわ。特に面白かったのが三部作の最終作「ドッペルマン・ライジング」で――」

「はい黙れー」


 そういう系列に滅法強いのはB級映画大好きな志倉。

 そして知識を蓄えた大河内だ。


「ぼくも知識としては知ってるけど、そっか、そう考えるとこれもB級映画じみた七不思議だったわけだ」

「え、じゃあ知らないの俺だけ? 俺がバカみたいじゃん」

「オメェはけっこうバカだぞ」


 ストレートな罵倒に八木は反感、声を上げる。


「うわ酷い、阿沙賀が酷い! こんな悪口いうの偽物なんじゃないの? 阿沙賀が偽物だよ、これ!」

「それでなに? ドッペルゲンガーがひとりいて、そいつを見つけ出せばここから出られるってこと?」

「そうらしいぞ」

「あれ? 無視? ちょっとー!」


 割と共通認識で頭がいいとは思われていない八木である。

 とはいえ、真っ当な意見がでるのもそうした男からで、先より声を大きく現実離れを叫ぶ。


「待った待った。いくら阿沙賀の言うことでも、これ信じる? ドッペルゲンガーなんているわけないっていうか、いて欲しくないんだけど」

「でも閉じ込められて電波も届かない。現に異常事態に直面してて、じゃあ脱出の手段も正気の手立てっていうのも考えづらい」

「オレもそう思うぞ。これB級映画で観た奴だ」

「くっ、九桜さんは?」


 どうも阿沙賀の発言に否定的なのは八木ばかりで、他の男連中は信じる姿勢を見せている。

 最後の紅一点に話題を振るも、無情にも九桜は阿沙賀を見遣っていつものように淡々と。


「阿沙賀くんがいうなら、信じる」

「えー、でも、だって、なぁ?」

「八木」


 どうもこの現実を受け入れきれないようで八木は困惑気味だ。

 阿沙賀が信じられないというより、理不尽な展開についていけずにただわかりやすい部分に飛びついて否認することで現実から目を背けようとしている。

 なんとも普通の反応。

 阿沙賀はもとより、他のメンツよりも非常にわかりやすく当たり前の思考回路と言える。


 だからこそ責めるような思いもなしに、阿沙賀は彼にのみわかりやすく伝える。

 八木にとって、そう理解しがたいような異変などではないのだと。


「そう腐るな。お前流に言えばこれもギャンブルだぞ」

「え、ギャンブル?」


 一瞬で帯域が切り替わり、その目には狂気が宿る。

 扱いやすくはあるが、こちらはこちらで一気にのめり込むので別な面倒になるかもしれない。

 ギャンブラーというのは、この場においてどれほど役立つか未知数だ。


 とはいえ、現実逃避に駄々をこねられるよりかはマシだろう。集中力も上がるだろうし、積極的に話し合いにまざるはず。

 勝つために全霊を尽くすのがギャンブラーの生態であるがゆえに。


「誰が偽物か当てるゲーム。偽物を言い換えれば親で、親が勝てば親の総取り。子が勝てば分配。いつも通りだらァ?」

「なるほど!」


 うわ、それで納得するんだと大河内あたりは複雑な心地になるが、まあ話がスムーズになるならなんでもいい。


 一方で、阿沙賀はすこし意外そうに九桜のほうに水を向ける。

 男三人のボケどもと違って彼女はこうした異常に即応できるとは思っていなかったのだ。


「九桜は大丈夫なのか?」

「ん。だいじょうぶ」


 返答に強がりも虚勢も感じられない。普段通りの九桜。

 異常事態におけるその揺るがない様には阿沙賀をして感心してしまう。


「へェそりゃすげェな。こんな意味不明なんだぜ、もっと狼狽えてもいいもんだが」

「だって阿沙賀くんが落ち着いてるから」

「……おれ?」

「うん」


 やはり感情を見せない無表情の半目で阿沙賀をじっと見つめて、九桜はいう。当たり前のように。


「阿沙賀くんが落ち着いてるなら、たぶんまだなんとかなるんだろうなって思うの」


 逆に阿沙賀みたいに動じない男が慌てふためいて泣き喚いていたりしたら、九桜は絶望して挫けていたかもしれない。めそめそ泣いて、話し合うなんてできなかっただろう。

 けれど阿沙賀がいつも通り変わらずふてぶてしいままいてくれるから。だから、きっと大丈夫。

 奇々怪々の理解不能の中でも泰然としている友人は、きっとなによりも安心できる。

 信頼である。

 

「たぶんみんなもそうだよ。阿沙賀くんがいるから、まだ話し合う余裕がある。絶望しないで、前を向いていられる」

「そうかね」

「そうだよ」


 ほんの微かに、九桜は微笑んだように見えた。微かにすぎて気のせいだったかもしれない。


 というか、阿沙賀は思う。

 こいつらはなんてバカで、気のいい奴らなのだろうかと。

 本来ならイカレた発言をする阿沙賀をこそまずなにより疑い追求すべきだろうに。

 動じていないのだって、阿沙賀が仕組んだ側だからとなぜ思わないのか。

 どうして、そんなにも眩しい信頼を寄せてくれているのか。


 本当に、あぁいい奴らなんだ。試胆会とかいうクソ戯けた催しに巻き込まれていいわけがない。


 必ず誰も傷つけず、この勝負に勝たねばならない。

 阿沙賀こそ誰より情報に通じているのだから、事の次第をすこしは知っているのだから、もっと深く思案し状況を攻略すべき。

 いつも考えるより先に手が出るような男が、常ならざるほど真面目に思考に没頭しだす。


 阿沙賀が沈黙している内にも他のメンバーでの会話は進行している。

 先から受け身だった八木だが、ギャンブルとなればやる気に満ち溢れる。


「でも偽物探し……どうやるんだ? 急に性格が変わったとか?」

「それはチェンジリング。ドッペルゲンガーとは違う」

「……チェンジリングってなに」

「ごめん。今は忘れて」


 そこは素直に謝る大河内。

 無用な情報を説明しても無意味だし、むしろ邪魔になるという判断。


 そもそもと志倉は疑問に思う。


「というかそんなわかりやすく豹変してる奴いないじゃん。こんだけ話しても俺、全然怪しいと思わないんだが」


 その発言には全員が頷いた。

 これだけ話し合っても、すこしの違和感も見いだせない。偽物がいるなんて嘘だと、そう思えてしまう。


 おそらくこの場で最も頭のいい大河内でもそこは苦しげ。


「まあドッペルゲンガーっていうのは記憶も性格も仕草もなにもかもオリジナルと等しい偽物であって……うん、要は本物なんだよね」

「じゃあ偽物の心理になってみるとか。偽物でも本物と同じ思いを抱いてるなら、友人を騙すのは罪悪感あるだろうし」

「!」


 なんとなく琴線に触れる。

 阿沙賀の直感がなにかに反応したが、具体的な像を結ばずに頭の中でもやもやと燻るばかり。

 そのモヤつきがイラつきにも似ていて、吐き捨てるように。


「おれそういうこの時の彼の心情を答えよみたいな国語問題苦手なんだよなァ」

「共感性のない狂人だもんな」

「むしろ得意な科目なんてあるのか?」

「阿沙賀の心情のほうがわからないと思う」

「なんでおれこんなにボロクソ言われてンだ?」


 ただの独り言みたいなものに、えらく言葉の刃が鋭く多彩に突き刺してきやがる。

 この状況下で蓄積されたストレスが攻撃性の高い言葉を選ばせている、とかならまだしも救いもあったが、これ完全に素で言ってるだろこいつら。


「だいじょうぶ阿沙賀くん、わたしもそういう読解はちょっと苦手」

「あー、なんかフォローありがとう」


 ちょっとズレてる気もするが、気持ちはうれしいよ、九桜。

 ではなくて。


「というかだな、失言とか観察とかでは見分けはできねェとおれも思う。だから探るべきなのは出現のタイミングだ」


 そこで阿沙賀は建設的に意見を述べる。

 無駄に駄弁っていると思わぬ悪口が飛んできかねない。


「本物と偽物がいる以上は絶対に入れ替わった瞬間ってのがあるはずだ。七不思議はこの学園内の異変で、外で起こったらそりゃ学園七不思議じゃねェ」

「あっ、なるほど。じゃあ今日、学園で鏡を覗いたひと、っていうのは……いやそれ偽物さん嘘つくでしょ」

「たぶん吐かないよ」


 志倉の懸念に、大河内は眼鏡の奥で目を光らせる。


「ドッペルゲンガーの自覚が、ないんじゃないかな? その偽物は」

「は? そんなのありか? じゃあ偽物指摘しても意味ないんじゃないのか」

「当たれば終わり、それは間違いない。そこは疑わなくていい」


 勝負の裁定を下すのは一応は迷亭で、当人に自覚がなかろうとも悪魔アルルスタを指摘できれば勝利だろう。

 いや迷亭は進行役で明快に決着を告げているだけか。本当の裁定は、敗北したという当の悪魔の自認とそれを検知する試胆会ルールそのもの。


 志倉は茶化すように。


「えー? そう言う阿沙賀が偽物の可能性もあるしー」

「偽物でも偽物の自覚がねェんだから本当のこと言ってンだろ」

「……よくわかんなくなってきた」

「あんま疑いすぎると裏の裏のそのまた裏とか、無意味な考え損になってくからね」

「真実はいずこ……」

「あー、こないだ廃品回収されたわ」

「この世の中には嘘ばっかりか!」

「すくなくとも腹立つ嘘吐きは学園に居座ってるな」


 だから無駄話に逃げ込んでしまっている。


 直接的な脅威が目に見えないから緊張感が長続きせず弛緩してしまうのは無理からぬこと。

 すくなくとも駄弁を繰り広げている間は面倒ごとから目を逸らせるので、ついつい心がそちらに傾くのだ。

 学力テスト直前の掃除にも似たわかりやすい逃避行動。


 このままでは集中力が切れて誰ぞが寝始めてもおかしくない。なんなら阿沙賀も眠気を思い出してきている。

 いや、ダメだ。

 阿沙賀が寝るのはよろしくない。集中力を切らすな。油断するな。

 このわずかな気の緩みさえも相手の思うつぼの可能性だって――


「あ?」


 なにか。

 不意に。

 気づきを得た気がする。


 そうだ、この顕能どう考えても隙がない。

 見分ける手段など存在しえない。本物になって、でもその以前からの本物がいるから偽物の名に甘んじているに過ぎないのであって、偽物になろうとしていないのだ。

 これほどの精度の能力なら、ハナからこんなまどろっこしいことなどせずともいいはず。


 現在はアルルスタの要求したルールで事を競っているが、大本のルールもまた生きている。

 ならば阿沙賀がこの場で全員を殴り倒せば勝利するように、騙し討ちで阿沙賀を仕留めさえすればアルルスタの勝利ではないか。


 ではなぜそれをしないのか。

 思いつけた今なら警戒心を身に纏うことはできるが、それ以前の阿沙賀は無防備そのものだったはず。

 対話で人狼ゲームをと意識は集中して、狭窄きょうさくした思考回路では暗殺など思いもよらない。友人たちに囲まれて警戒心が緩んでいる。

 これほどの完璧の変身ができるのなら、どう考えても阿沙賀を殺すことなど容易で、こんな手間な手順を踏まずとも――いや、だからこそか。


 だからこそこの勝負形式なのか。


 完璧な変身。

 そこに誤解があったのではないか。

 阿沙賀は自然とそれを着替えるようなものと認識して考え続けた。

 だがもしも。

 もしもそれがそのような生易しいものではなく、もっとどうしようもない形で、ゆえにこそ完璧なのだとしたら――


「わかった」


 短い呟きが、このゲームの終わりを告げる合図であった。


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