16 鏡相の
感情という値は数値化することができない。
いつだって自分のなかにあり、外から観察するのは表情であったり態度であったり副次的なものだけ。本質には届いていない。
誰も彼もが他者の感情を真の意味で理解することなどできやしない。
そう、感情は数値化できず他者は理解できない。
であれば。
正しくそれを観察できるのはこの世で自身ひとりきり。
その多寡や質量、性質などを判断できるのも自分だけであり、故に誤りは許されない。
であるのに、己のことすら把握できず漠然と生きるのが人間で、制御すら覚束ないで死んでいくのが悪魔で。
ならば他者を騙すことなど容易だろう。
そして、自分を騙すことだってきっと簡単なことなのだ。
◇
「わかった」
阿沙賀は、その場の友人全員の顔を今一度見渡す。
全員がよく知った仲、クラスメイトで友人だ。
なんの変哲もない毎日見る面構え。日常そのもので、異常も変調も誰一人として一切見受けられない。
いつも通りで平常通り。まさか偽物が混ざっているだなんて思いもよらない。
だからこそ確信してその答えを告げる。
「おれ以外全員が偽物、なんだろ?」
「――
ぐにゃりと世界が歪む。
教室を模した異相の狭間がその役目を終えて消えていく。
それと同時に今の今まで仲良く会話していた大河内、八木、志倉、九桜の四人もまたいつの間にやら姿を消していて。
阿沙賀の前には、ひとりの長身の女性が腕を腰に置いて立っている。無邪気な笑顔で。
アメリカンだ、と阿沙賀はまず珍妙な感想を抱いた。
癖の強いブロンドのロングヘアに赤青白の配色の目立つリボンをつけたアメリカンスクールユニフォーム。
その上、随分と背が高い。流石にフルネウスよりは低いようだが、阿沙賀よりは確実に上背があり、スタイル抜群だ。
当然、悪魔であるからか顔立ちも整って、金糸のまつ毛は随分長いし碧眼もまた大きい。その瞳は宝石に喩えられるくらいに美しく、けれどどこか愛嬌があって、なのに目力が強い。
彼女こそは大江戸学園七不思議七悪魔が一柱、
周囲の風景はいつの間にか殺風景。
なにもなく空虚で、だからこそ敵意もない。
阿沙賀は緩く息を吐いてどこか気の抜けた声をだす。
「てーか変身能力で分身だか分裂だかまでできるのかよ、ズルじゃん」
「大きな鏡は何人でも映すものでショー? そのぶんとっても疲れるし、力も人並みになってたけどネ」
エヘッ、とぶりっ子みたく舌を出す。
なかなか個性的な女らしいが、そんなのはこれまでの悪魔どもを思い返せば驚くにも値しない。
動じない阿沙賀に、アルルスタは歩み寄りながら大仰に首を傾げて実に不思議そうに。
「でもなんでわかったのかナ? ボロはだしてないハズでショー?」
「……最初の違和感は、オメェの顕能が精密すぎたことだ」
阿沙賀は顔を上げ、アルルスタを見上げる。
背丈の差ぶんだけ首の角度がついて、すこし面倒。というか、それの原因は距離が近いせいで、なんでこいつこんな近距離に来るんだ。
「こんだけの精度なら、おれを殺すなんて簡単だったはずなんだ。
だがそれをせず、むしろ誰も傷つかない人狼ゲームをはじめた。それは大きな違和感だよな」
人狼ゲーム。
一見すればそれはアルルスタの顕能『
だがそんなことはない。
なにせ阿沙賀を除いてメンツは四名――単純、勘でも四分の一の確率で負けるのだ。
どれだけ華麗に欺いても、どれだけ完璧になり切っても、それとは別の部分で敗北していては世話がない。リスクが大きすぎる。
だったら手っ取り早く近しい者に化けて騙し討ちでも仕掛けたほうがよほど成功率は高いし、なんなら失敗してもまた別人になって繰り返せばいい。
『
「そんで、精密って言葉を完璧と置き換えてみた。完璧な、変身ってな。それはそいつの心をも模すってことだ」
――他者の持つ情報の
アルルスタは誰かに化けることができ、化けた時にはその誰かそのもの。ならば抱く思いも記憶も、彼女はコピーしている。
コピーしてしまう。
であるならば簡単なこと。断言できる。
「――おれの友だちがおれを殺そうとするはずがねェ」
アルルスタの変身は着替えではなく、転生に近い。
魂を一度完全に他者とそっくり同じにする。思考回路も知識も心も完全に模倣して、上書き保存してしまう。
ならば先ほどまで対面していた大河内、八木、志倉、そして九桜はアルルスタでありながらも阿沙賀の友だちでもあったのだ。
変身の前――前世がどうあれその時には友だちであったのだ。
阿沙賀の推理に、アルルスタはどこか嬉しそうに。
「ウン。ワタシの顕能は、姿や能力だけじゃなくてなったヒトの心すら写し取る。ワタシ自身が消えかねないほどに深くネ」
着替えではなく転生――つまりそれは変身の都度、自分を殺すようなものではないか?
本人は軽い調子でいうが、果たしてそれはどれだけの恐怖を伴うのだろう。
変身中は自分が失われていることと何が違うという。一時とはいえ死を経験するに等しい。しかもそのまま戻れず自分が完全に消え去ってしまう可能性もあり、それは真実の死そのもの。
なにより、何人もの心を呑み込んで――彼女自身の心は無事なのか?
誰かに変身して、その後に顕能を解除して元に戻っても、強く刻み付けられた心はアルルスタという原型にも確実に影響する。
阿沙賀の友だちになったことで、アルルスタ自身が阿沙賀を殺せなくなってしまったように。
「心を真似てそれになりきるって、それオメェはぶっ壊れねェのか?」
割と当人にうかがうには重い問いかけだが、阿沙賀はどうしても気になって口にしてしまう。
「ンー? だって悪魔も人も、心ってもともとそういうものでショ?」
果たして意外にもアルルスタの返答は穏やかで明確。
「ひとつに染まらず揺蕩って、気分でコロコロ心変わり。ネ?」
「にしたって複数人の心じゃあひとりの心とは違うだろ」
「一緒だヨ。総数が膨れ上がっても結局、割合と比率は大して変わらないのサ」
「……ほんとかよ。もとのオメェは、ちゃんと生きてンのか?」
「さァ?」
「さぁって」
流石に阿沙賀も動揺する。
なにより重要な自己というものを、そう投げ遣りに扱ってしまえるものなのか。
「本当にわからないんだよネ。ただ記憶としてはあるかナ。
アルルスタという悪魔の少女はヒトを驚かすのが好きだった。その顕能が人に成り代わる
ふっと、そこでこれまでの大袈裟な芝居じみた態度が消え失せる。
色を失ったように、アルルスタの声音は淡々としていて。
「アルルスタは別人になり過ぎた。いつからか自分という核を見失ってしまった」
過剰な仕草や言動は、かつての自分をできるだけ再現しつつ誇大に表現することで忘れないようにしているため。
やはり彼女は、誰かを模倣する度に自分を失っている。
そして、自分自身の模倣すら放棄したとき、彼女は無色で無味である。
「それではまずいってことで主人格を構築しなおしたのが今の
仮面の下の素顔。厚化粧の下のすっぴん。挿げ替えた首を持ったデュラハン。そういう回帰できる基礎を作った。砕けた心を拾って継ぎ接ぎして、足りない部分は誰かの心で補強して、およそその時の
「けどそりゃ……」
「そう。スワンプマンだね。本物に限りなく近く、けれど決して本物じゃない。アルルスタは一度、死んでいる……かもしれない」
そこまで言うと、アルルスタはまたニパッと笑う。寸刻以前が嘘のように色を取り戻して鮮やかに。
なにせ阿沙賀が随分と暗い顔になってしまったから。
「もぅ、そんなに悲しそうにしないでヨー! アサガは優しいヤツだなァ」
「してねェよ」
どうしてこんな初対面で赤の他人どころか見知らぬ悪魔に、この阿沙賀が同情などするという。
いや、違うのか。
初対面ではあっても初対面ではない。知らないようでよく知っている。
それは、互いに。
阿沙賀は照れ隠しのように無理矢理に話を戻す。まだ終わっていない。
「思考すべき焦点は誰が偽物かじゃなくて、偽物になる前のアルルスタだった」
ゲームがはじまってしまえばアルルスタは本物と等しい存在、もはや見分けは不可能。だからはじまる前、アルルスタが誰かに化ける前に彼女の心情を読み取るべきだったのだ。
転生に近い変身は、きっと俯瞰視点で操作するゲームのようなもの。
他者の心を保持していながらオリジナルのアルルスタがその行動や思考を促す形。よほど変身後の心が嫌がることはできないし、したいことを抑制するのも難しい。
変身した対象の心に捉われ、強く影響を受けるのだ。
アルルスタは阿沙賀と対決するに際して事前に彼の友人になっていた。それは最低でも今まで話していた四人、もしかしたらそれ以上かもしれない。
そしてその友人の心に影響され、阿沙賀を殺せなくなった。なにせ友人なのだから。
「オメェはおれに勝ちたくないんだ。負けてェんだ。だからおれが誰を偽物だと決めつけても正解だと言い張れるように、全員が偽物なんだ」
そう最初から、アルルスタには害意も悪意もなにひとつ存在していなかった。
負けるために、戦いを挑んだのだ。
すべて見透かされ、アルルスタはうれしいやら恥ずかしいやら。
「そういう気遣いを見抜かれるとハズかしいヨー」
「はン! オメェにお膳立てされた勝利なんざ御免だね! おれはおれの実力で勝つんだよ!」
「流石、アサガだヨ」
要はアルルスタは阿沙賀と同じことを考えていた――誰も巻き込まず誰も傷つけないようにと。
そう考えればこの勝負方法にも得心がいく。
全員がアルルスタである以上、阿沙賀のクラスメイトは誰も巻き込まれていない。その上、阿沙賀が誰を指差しても正解と言って阿沙賀に勝ちを譲れる。
だが、アルルスタはすこし芝居がかって否定をする。
「ンー、でもちょっとだけ違うカナ」
「あ?」
「ワタシはアサガ、キミを含めて誰も傷つけたくはなかったのサ」
「…………」
それは言外に、阿沙賀は阿沙賀自体を慮っていないとわかっている言いようだった。
そしてそれは正しい。
自嘲のようでいて称賛して、困っているようでうれし気に、阿沙賀は笑った。
「流石は、おれの友人サマだよ」
「……!」
当初、湧き上がっていた怒りも今の阿沙賀にはなかった。
どころか終わってみれば彼女に共感めいた思いも見出すことができて、不思議と悪い気分じゃない。
気の抜けた笑みと――その言葉もまた自然と出ていて、他意なんて欠片も存在しない。
多く友人の心を知るアルルスタには、それが間違いなく理解できる。
「haha……ほんと、キミはキミだ。ワタシみたいにブレたりなんか一切しない。ステキだよ、アサガ」
友人と阿沙賀は憚ることなく言い切った。
たとえ彼女が悪魔であっても、友人たちから影響されただけの友情しかないのだとしても。
阿沙賀はそうであると言った……言ってくれたのだ。
アルルスタにとって、その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
そういう男だと事前から知っていた。
アルルスタの中には幾人もの阿沙賀への感情が入っていて、その人となりを多角的に把握している。
けれどやはり直面してみれば拒絶は恐ろしく、悪魔の模倣など気味悪がられてもおかしくはなかった。所詮は仮初の存在、虚飾の感情と切り捨てられても文句は言えない。
なのに阿沙賀はなんらの躊躇もなしに笑う。
そんな男だからこそ多くの友人に敬愛と友愛と情愛を寄せられ、その分だけアルルスタの魂にも深く存在を刻みつけられた。
はじめて、素の自分のままに相対して嫌われたくはないと思えてしまうほど。
「じゃ、アルルスタ、これでおれの勝ちでいいな?」
「もっちろん。たくさんお話できて楽しかったし、満足サ。メーテー?」
『そうだね、これは文句のつけようもなく阿沙賀くんの勝利だろう』
頷くような間をおいてから、迷亭はそれを宣する。
『大江戸学園七不思議試胆会、第五戦目――勝者は阿沙賀』
◇
「さて、と」
試胆会の五戦目も終了。
このまま解散、朝の授業に顔を出さなければ――その前に。
「アルルスタ」
「ウン。勝者には特権だよネ。いいよ、ワタシにできることならするヨ」
「おう、じゃあ――」
「えっちなことでもいいヨ、アサガ」
「しねェーよ!」
いやシトリーと同じネタを繰り返すんじゃない。
えへへと笑うアルルスタに邪気はないのだが、茶目っ気は多分に含まれている。ウィンクまでして……からかってやがるな、こいつ。
往なして続ける。
「で、その前にひとつ聞いとくが、オメェは誰にでもなれるのか? 悪魔にも?」
「なれるヨ? 顕能も使えちゃって、スゴいでショー?」
「マジですごいじゃねェか。それめっちゃ強くね?」
戦闘が苦手だなんて誰が言った。あぁあの嘘吐きか。
だがアルルスタは首を振る。
「ンー、でもワタシより低い爵位の相手にしか完ぺきにはなれないんだよネ。基本的に同位階でも劣化が起こって、上位にはガワを似せる変身くらいしかできないかナ」
「なるほどね、まァそれくらいないと強すぎる」
悪魔の顕能は一見滅茶苦茶で、事実無茶苦茶やらかすが、必ずどこかに限界が存在する。
では。
「人間は? なれない奴とか、いるんじゃねェのか?」
半ば勘だが、そうではないかと阿沙賀は感じている。
ニィと深く笑い、アルルスタは阿沙賀を指す。
「いるヨ、アサガにはワタシはなれない」
「……そりゃまたどうして」
「ワタシは悪魔と契約したヒトにはなれないのサ。だって悪魔だから」
それは顕能以前、悪魔と人間の関係性とその結びつきに理由がある。
「悪魔と契約したヒトは、その契約悪魔と霊的な縁故で繋がっていて、それをもってそのヒト足りえる。そして悪魔は悪魔と契約できない。じゃあ、その縁故を模倣することはワタシには不可能なんだよネ」
「へェ……」
そういえば思い返すにニュギスもなんか言っていた気がする。
その繋がりを通して言葉もなしに会話できるし、彼女の力の一端を借り受けている。
阿沙賀はほとんど予測通りの解答に満足し、ようやく本題へ移る。
「じゃあ契約者以外ならなれるってことでいいな?」
「……そうだけど、それがなんなのサ」
本当によくわからず大げさに疑問を演ずるアルルスタに、阿沙賀はぴっと指をさす。
なにかを対象として示しているのではなく、前を意味しての仕草。
「アルルスタ――おれの前の席の人物になってみせろ」
「……」
唐突なその発言に、アルルスタは一瞬だけ呆けて瞠目。
だがすぐに顔中で笑って腹を抱える。
「ふっ。ふふふ……ふはっ、hahahahahahahahahahahahahahahahahahahahaha――!
スゴい! スゴいよ、アサガ! キミは本当にスゴい!」
まさかここでそう来るなんて夢にも思わなかった。
阿沙賀は何も知らない。悪魔も試胆会も大江戸学園も、本当に部外者でとばっちりを受けているだけの第三者のはず。
なのにここまで精確に見事な核心を突けるものなのか。
笑って笑って、どれだけかそうして、なんとか笑う衝動を腹に押し込め、アルルスタは涙さえ滲む目をこすって落ち着く。
早く彼の問いかけに答えてあげねばならない。
過多な演技さえ億劫で、色を乗せようと意識も働かず――なのに声音も顔つきもいかにも楽し気で。
「じゃあ、キミの求める答えをしようか。無理だ、それはできない」
「なぜ無理だ。オメェの顕能の制限か? それとも」
「うん。その通り、この試胆会の契約の上、できない。そしてそれ以上は語れない……これで満足かい?」
「あぁ――やっぱり、そうか」
「そう、キミの考えは正しいよ」
「えっ、え……? どういうことですの?」
今まで黙っていたニュギスもそこには口を挟む。
一体彼と彼女はなにを言っている。なんの話をしている。いい加減にこっちも話に混ぜろ。教えろ。
阿沙賀は端的にその事実を口にする。
「黒幕が見つかった――おれのクラスメイトだ」
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