17 大事なものはなに?


「時折、違和感があった。でもすぐに消えて、気のせいだって納得させられる。寝心地の悪い時にみた夢みたいにな」


 アルルスタの異相空間から脱出し、気づけば阿沙賀は自分の席に着席していた。

 周囲を見遣れば教室、いつもどおりの喧騒。

 大河内も八木も志倉も九桜もいて、当然ほかのクラスメイトたちもいる日常風景だ。

 次に時計を見て朝のホームルーム五分前を知り、いちおうは迷亭の発言に嘘がなかったと安堵する。

 いやここは悪魔の友の配慮に感謝すべきか。


 それから退屈な授業を受け、その都度ニュギスからせっつかれつつも受け流す。

 矢のように時は過ぎ去り、待ちに待った昼の大休憩。

 無言で席を立ち、購買で焼きそばパンを買って、ニュギスを伴い屋上へ。


 この学園では屋上を進入禁止とし鍵をかけられているのだが、一か所だけ昔から何故か鍵のかかっていないドアがあり、それを知る数少ない生徒は無断で屋上侵入をしたりしている。

 阿沙賀もそのひとり。誰憚ることもなく重たいドアを開いて屋上に踏み入る。


 青空は広く遠く、真昼の日差しは思いのほか強い。

 夏も終えて久しく半袖の生徒など一切見ないこの頃だが、秋風の涼やかさがなければいるだけで汗をかいてしまっていたかもしれない。

 朝と比べれば随分と過ごしやすい気温になったものだ。


 阿沙賀は縁のほうまで歩き、グラウンドを見渡せる手すりに寄りかかる。

 青空が雄大に広がって、下を見下ろせば無数の生徒たちが溢れている。

 すこしの間だけぼうっと風景を眺め、思い出したように購入した焼きそばパンを取り出して口にくわえこむ。


 一口飲み込み、それからやっと――不満そうにこちらを睨むニュギスへと言葉を差し向ける。


「おれはクラスにひとり、ツラも名前も思い出せない奴がいる」

「え」

「書いてある名前を見ても、読めるはずなのに認識できない。個人と思えない――知らねェ内に、いや最初っから、おれはあの嘘吐きにハメられてたってわけだ」

「迷亭の顕能、嘘を信じさせる……」

「あぁ。ニュギスが来てからずっと今日まで休んでるおれの前の席の、名前も顔も思い出せないクラスメイト――つまり言い換えれば、この試胆会において姿を隠し迷亭に素性も伏せられたおれの知り合い……」


 ふっと笑ってから。


「黒幕じゃなかったらなんだって立ち位置だよな」


 それを確信できたのはアルルスタのお陰だ。

 ただ試胆会の褒美として黒幕は誰かと問いかけても答えられないと言われただろう。だが、アルルスタの能力を駆使して特定の人物になってみてくれという頼みは、断る理由がないはずだ。

 変身対象が、契約に反するような相手でなければ。


「つまりアルルスタが断ったことが根拠になるわけですのね」


 なるほどと感心して、すぐにニュギスは形のいい眉を愁いに歪める。


「では、仮契約者様のご友人が仮契約者様を陥れたということですか」

「そこは……どうなんだろうな」


 乱暴に焼きそばパンを噛み砕いて飲み込む。あっという間に一本食べきる。


「割と考えてたが、おれの参加は意図的なのか偶発的なのか、結局そこがわかんねェ。おれの友人が黒幕だったからって、だからおれを代理参加させるって意味がわからんだろ。それをする理屈が不明だ」

「それは……仮契約者様の規格外を見知っていたから、あるいは貴方ならと思ったのかもしれません」

「どんな自信のねェ雑魚だよ、そんな友達イヤだわ」


 たとえ黒幕であっても、きっとそいつは阿沙賀の友達だった。

 もしかしたらこの試胆会のために形成した偽りの関係であったのかもしれない。だが、そうではなく真実であって、阿沙賀を巻き込んだことこそが不測の事故であったかもしれない。

 なにもわからない。

 相手の人間性すら思い出せないのだから信じるも疑うも難しい。


 ニュギスにしたって顔を合わせたことすらなくて、やっぱり想像もできない。


「では仮契約者様としては、わたくしとの契約は事故であると仰るので?」

「どっちかといえば、そっち寄りってことだな」

「ふふ、では運命とも言い換えられますの」


 偶然の事故であるのなら、誰かの意図もなくそのようになったのだとしたら。

 それは確かに運命と言う言葉を当て嵌めてもいいのかもしれない。


 阿沙賀はむず痒くはなるものの、明確に否定はできそうになかった。

 お姫様はロマンチストである。


 ロマンチストであるがゆえ、その儚さをも直視している。

 憂いを帯びた吐息を吐いて、ニュギスはつぶやく。


「ですが、そうであるのなら考えなければいけませんの」

「なんの話だ?」

「わたくしの身の振りですの……最初は、わたくしを選りすぐってこちらに呼んだのかと考えておりましたが」

「あぁ。最初の召喚ですら、オメェを呼ぶつもりじゃなかったかもしれないのか」

「ですの」


 こっくりと頷く少女の顔は、いささか不安そうだ。


「わたくしを呼んだのはそもそも仮契約者様であるのでしたら、その黒幕様とわたくしが契約を結ぶというのは少し、違う気が致します」


 黒幕がニュギスを指名して、だから呼び出されたのだと思っていた。

 だがもしかしたら、黒幕はゲートを開くところまででその干渉が終わっていたのではないか。

 ゲートを開いたあとになんらかの不慮の事態が発生、阿沙賀とゲートが結びついて――阿沙賀の魂をもって魔界に呼びかけられた。


 そしてニュギスは、それに応えた。

 阿沙賀の魂の呼びかけにだ。

 ならばニュギスが契約すべきは、他の誰でもなく阿沙賀である。


「ですが、仮契約者様はわたくしとの契約よりも下着が大事なのでしょう?」

「……それは」


 すこし言いよどむ。

 意外な躊躇いだと、阿沙賀自身ですら思った。

 ずっとノーパンを嘆き、パンツを返せと叫んでいた男だ。そこで迷う理由はどこにもないはず。

 なのにどうして即答しない。言葉がでないのはなぜなんだ。


 阿沙賀は自問自答に答えが出せず、不似合いな沈黙だけが残ってしまう。

 返答のない様子にニュギスは不満げ。いや、悲しげであった。


「これではわたくしは魔界に帰らねばなりません。こんなに楽しいのに、こんなに……近づいたのに……」

「ニュギス」


 なにかを言わねばと思った。

 なにか、気の利いたセリフを見つけ出して送ってやらねばならないと。

 それほどまでにニュギスの声は切実で、泣きそうだとさえ思えたから。


 だが言葉が頭の中でまとまり心で選出されるより先に、それが聞こえた。


 ばたん、と重圧的な低音が響く。

 屋上のドアが開けられ、閉められた音。

 振り返ると――


「あっれー? 先輩、阿沙賀先輩じゃないですか!」

「……おまえ」


 明るく染めた長い髪の毛、着崩した制服、どこまでも明るい雰囲気。

 いつも元気な後輩、遊紗である。


 遊紗は開口一番、不満そうに頬を膨らませる。


「あ、こら。お前って言われるのイヤだって言ったじゃん?」

「あー。わり、遊紗」

「うん、許す」


 にこりと眩く笑う。きらきらとした太陽みたいに。

 その笑みに阿沙賀でさえ毒気を抜かれ、ゆるく息を吐く。


「てーかおい、屋上は立ち入り禁止だぞ」

「先に居る先輩に言われたくなーい」


 そういえばゾンビパニックの時に彼女は屋上にいた。

 つまり開錠された唯一のドアを知っていたことになる。こうしてここで鉢合わせるのも考えられることだった。

 賭場にいたことも含め、けっこう遊んでいるようだ。まあイメージに相違はないか。


 遊紗はコンビニの袋を見せるよう掲げて。


「アタシ昼ごはんによくここに来るんだよね」

「ひとりでか? 友達は?」


 あの時は友人がふたりほど一緒だったはず。それでなくとも友達の多そうな性格だが。

 遊紗はどこか困った風に。


「うーん、ユサちゃんみんなと仲良くて引っ張りだこなんだよねー。ときどきひとりになりたくて屋上に来てたりして」

「そりゃ悪いことしたな。ならおれは帰るぜ」


 ひとりになりたくて立ち入り禁止の屋上にまで来たのに、阿沙賀がいたのでは台無しだろう。

 立ち去ろうと踵を返す阿沙賀に、だが遊紗は大層慌てて身振り手振りで引き留める。


「わっ。いいよ、帰んないで先輩! 一緒にごはん、食べようよー」

「……ひとりになりてェんじゃなかったのかよ」

「ユサちゃんは気分屋なのです。今は先輩と一緒に食べたいの」

「あそう」


 まあ焼きそばパンはまだ残っている。

 無理に立ち去りたいわけでもないし、横に並んで食べるくらいを断る理由もない。


 阿沙賀が再び手すりに体重を預けると、遊紗は安堵して小走りに寄ってくる。

 すぐ隣にまでやってきて、ただ視線は阿沙賀と同じくグラウンドのほうを見て。


「みんなは大好きだし、ひとりは寂しいのに……なんでかなぁ。

 ときどきみんなが面倒くさくてひとりが心地いいって感じちゃうんだよねぇ」

「そんなもんだ、気分屋なんだろ?」


 もそもそと焼きそばパンをかじる。

 遊紗もちまちまとコンビニのおにぎりを食む。

 しっかり飲み下してから、遊紗はちらとこちらに目線を向ける。その横目には悪戯っぽい輝きが宿る。


「でもなーんか先輩には親近感湧くんだよね、ふたりだけどひとりみたいに寂しくないし居心地も悪くないの。なんでかな?」

「さァな。どうでもいいからじゃないか」


 恨みなら買われてると思っているが、親近感とやらは想像できない。

 阿沙賀は彼女を巻き込んでばかりだから。


 思い出す。

 食事の手を止め、阿沙賀は項垂れる。バツが悪そうに遊紗を見返す。視線が交わる。


「……今朝は悪かったな」

「え」

「虫の居所が悪かったンだ。八つ当たり、しちまった」

「いやいやなんで謝るのさ、べつにアタシ怒ってないしー?」

「オメェが気にしてなくてもおれが気にする」

「そっかぁ。じゃあ仕方ない、許してあげる」


 別に謝罪の必要性はわかっていないが、受け止めてほしいのならそうする。

 ごく自然に、そのように相手の求めることのできる少女だった。


 そういう彼女だからこそ、言葉は続く。ただ受け止めるだけでなく、そこから先を考えて。


「先輩もいまなにか大変な時期なのかもしれないけどさ」


 ちびちびと食事を再開する。

 阿沙賀が焼きそばパンをひとつ食べ終えても、まだ遊紗は一つ目のおにぎりを半分も平らげていない。


 咀嚼の間に言葉を考え、飲み込んでからそれを伝える。


「そういう時は楽しいこと考えたらいいよ、たぶんね」

「……おれはべつに大変じゃねェ」

「うそ。ぜったいなんかため込んでるっしょ。わかっちゃうなぁそういうの」

「どういうのだよ」

 

 苦笑して、阿沙賀は自分の顔を撫でつける。

 そんなにわかりやすく顔にでているのだろうか。それとも遊紗がよほどに優れた観察眼を有しているのか。

 なんとなく観念して、阿沙賀はどこか投げやりに。


「もうすぐ終わる。大抵は済んでる。残りを片すだけだ」

「じゃあ踏ん張りどころなんだ」


 百里を行く者は九十を半ばとす、ではないが終わりが見えてきているからこそ油断せずに歩まねばならない。

 そこは遊紗の言う通りだと思う。

 なにせこの試胆会、序列の低い順番にぶつけられているのはおよそ間違いないのだから。

 残る二柱は、つまりこれまでの誰よりも強い――もしくは厄介なのだろう。


「それじゃあさ、それ終わったら遊びに行こうよ」

「……は?」


 ごく唐突な提案に、阿沙賀は言葉を取りこぼしてしまう。

 えへへと笑い、遊紗はこちらを向いて言う。やはりというか眩しい笑顔で。


「だってもう終わりそうなんだよね? じゃあ終わった後に楽しいことを用意しといたほうがぜったいがんばれるって」

「オメェ、おれと知り合って二日も経ってないってわかってンのか?」

「べつに付き合いの長さが全部じゃないじゃんか」

「にしたって無警戒すぎる。心配になるレベルだぞ」


 阿沙賀がこんなにも常識的な発言をせねばならないなんて、悪魔相手でもなかった異例である。

 それだけ遊紗には押されている。ペースを乱されている。

 ニュギスがなにか言いたげにこちらを睨んでいる。


 おれにどうしろってンだよ――ため息を吐き出したくなって、別に我慢するものでもないかと吐き出した。

 そんな阿沙賀を、遊紗はじっと見つめている。

 なにか見透かすように、なにかを確かめるように。


「……?」


 思いのほか長く黙って見られていたが、けっきょく遊紗の見出したかったものは見つからなかったのかこてんと首を傾げた。

 いやなんだよと、言うより先に遊紗が気を取り直して。


「とにかく、がんばれって思ってるのアタシは」

「そうかよ。受け取るよ、ありがとな」

「うん、可愛い後輩の応援なんてめっちゃテンション上がるでしょ?」

「それはびみょう」

「えー? なんでー?」


 冗談めかして笑い、そこでようやく遊紗はおにぎりひとつを食べ終えた。

 食べるのが遅い奴だ……けれど、まあちゃんと完食するまでは待っててやるか。


 遊紗が今度はサンドイッチを袋から取り出そうとして――


「……あれ?」


 そこで、遊紗の顔色が変わる。

 動揺し、恐怖し、目を疑う。


「なんで、だれも……いないの?」


 言葉に反射で遊紗の視線を追う。

 それは屋上から見下ろす大地、グラウンドの有り様だった。


 そこには誰もいない。


 さきほどまで遊び運動する生徒たちが沢山いたのに。大勢の学生が、間違いなくそこにいたはずなのだ。

 今や人っ子一人いない。

 無人の地平、その広大さに関わらず物音ひとつしない風景は空恐ろしいものがある。


 ――否。


「いる、いやがる……!」

「え」


 グラウンドの真ん中に、整備された荒野にただ独り。

 遠目で見てもわかる――荒々しいほど野性味あふれた大男。


 七不思議に曰く「見渡しのいいグラウンドのはずがなぜかそれには気づけない。大柄で筋骨隆々の鬼が、なんの予兆もなく現れ出でる」


 それが「彷徨う人食い鬼」。

 殺人鬼の噂話である。


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