第二幕 阿沙賀と竜と邪法召喚士

30 七不思議ディスタンス


 我レ思う――時に平穏は疎まれることがある。


 それは長くまどろむような退屈を伴って成るものであるからで、それそのものの価値は些かも低下していない。

 だが溢れありふれた空気の大切が当たり前すぎて蔑ろにされてしまうのと同じように、満ちて不可視で無限に思えてしまう平穏もまた、失わなければ気づけない。

 奪われなければ持っていたことさえ、気づけないのだ。


 それを気づかせる急襲をして、理不尽という。


 理不尽こそが平穏の素晴らしさを教え、今までの退屈こそが幸福の別名であったと気づかせる。

 なにかを為さずとも、何者かになれずとも、夢破れたとしても――平穏に幸福だったと。


 気づかないことこそがなによりもさいわい。


 であるならば気づいてしまった者たちは、どうすれば平穏を取り戻せるのだろう。

 どれだけ手を尽くせば理不尽の先にあるさいわいにたどり着けるのだろう。


 いやそもそも。

 一度、理不尽に出遭った者たちは、さいわいを得ることなどできるのだろうか?



    ◇



「はよさーん」

「あ、阿沙賀くん」


 大江戸学園二年二組。

 休み明けの早朝であっても教室はそれなりに賑わっている。

 ホームルームまでまだ時間はあるだろうにほとんどの生徒が既にそこにいて、思い思いに友人たちと歓談したりスマホをいじったり、なんならギリギリまで宿題に勤しんだりしていた。


 平和でいつも通り騒がしい。ゾンビなんかいるはずもない。


 阿沙賀・功刀ががらりとドアを開いて挨拶をかましても、それと注意せねば気づかないことのほうが多いだろう。

 だというのにすぐに気づいてやって来る少女がいた。

 阿沙賀はすこし困ったようにしながら後ろ手にドアを閉め、やって来た半目の少女の名を呼ぶ。


「九桜」

「うん、おはよう」


 いつも変わらない無表情で、九桜・真冬は言った。


 マイペースなやつで、なぜか制服のサイズが一回り大きいものを着用している。成長を見越したのか、そういうお洒落を狙ったのか。どちらでもなくただ間違えただけではないかとなんとなく阿沙賀は思う。

 さらさらの黒髪は何物も歪めることはできないストレートで、可愛げある容姿よりもその気質を表わしているように思えた。

 そんな少女に対して、阿沙賀は肩を竦めて。


「おう。

 で、そんな心配そうな顔して」表情は変わっていないはずだが「こっちの体調を確認しに来ンでいいって、金曜にも言ったよな? 退院して今日で五日目だぞ。同じこと繰り返すが、大丈夫だって」

「言ってた」


 頷いて確かな肯定を示し、しかし九桜は一切退かない。自分に非があるとは欠片も思っていない。


「言ってたけど、それに従う理由はあるの?」

「傍若無人ァ」


 男前というか王者の発言というか、ともかく九桜は傍若無人であった。

 だがすぐに儚げな花のような不安の色を見せておずおずと。


「……迷惑だった?」

「いや、そうは言わねェけど」

「じゃあ、わたしの勝手だよね?」


 一瞬で強気に戻る。

 罠では?


 阿沙賀は言いようのない感情を発散するべく頭を乱暴に掻いて、残りカスを言葉にして送る。


「そうだけどさ。意味ねェし無駄足だし……あれだ、意味ねェぞ」

「あるもん」

「……」

「あるもん……」

「わかった、好きにしろよもう」


 どうせ言ってもきかない。

 ある意味で阿沙賀と同類であるから、そういう意固地さはわかるのだった。


 許可を得れば、九桜はそのまま自分の席に移動する阿沙賀の後ろをついていき、座す横でなにも言わず佇んでいた。


「なにがしたいんですの、この方」


 九桜とは別の側、ふわふわと浮いて阿沙賀の傍から離れない少女がもうひとり――否、もう一柱。

 白銀の長髪はまさしく銀を溶かして編み上げたように輝かしい。ひょこひょこと一部結わったサイドのテールが左右で揺れている。

 金色の瞳はどんな宝石よりも大粒で希少で煌めいているが、底冷えするような怖気を誘う。

 人より逸脱した美貌を備えた姫君――悪魔のニュギスは、自分を棚に上げて九桜を珍獣を見る目で眺めている。


 阿沙賀は目を向けることもせず。


(猫がマーキングして自分の縄張りを主張するみたいなもんだろ)

「それは許せませんの! 契約者様はわたくしの領土で所有物ですの! 勝手にマーキングなんて外交問題でしょう!」

(オメェのもんでもねェよ)


 阿沙賀はいつだって阿沙賀のものだ。

 たとえ左右からもの言いたげに見つめてくる双眸があったとて、そんな程度で阿沙賀は揺るがない。


 ――みっつ目の視線を感じ取る。


「…………」

「? どうかしたの、阿沙賀くん」


 ごくごく小さな阿沙賀の反応に、九桜は目ざとく首を傾げる。

 その鋭さに感心しつつ、わずかに言葉に迷ってからぎこちなく返す。


「いや……ちょっと雉撃ちしたくなって」

「そっか」


 流石に便所まではついてこない。

 とぼとぼと自席に戻る九桜に、ちょっと露骨な追い払いと勘違いされたかなとやや失敗を感じる。

 こういう時、もうすこし口が上手ければそれと気づかせずに配慮して引き離すこともできただろうに。それができないだけの口下手が恨めしくもあった。

 とはいえ、悪魔問題に彼女を巻き込むわけにはいかない。下手に半端な物言いで誤魔化すことは憂いになる。


 阿沙賀は今度埋め合わせはすると誓って席を立つ。

 厄介極まる第三の女が視線強く阿沙賀を見つめている。



    ◇



「んで、おい――シトリー」

「はっ、はひ!」


 教室から廊下に出て、角をふたつ曲がって空き教室へ身を移す。

 大江戸学園は広大、空き教室は随分と多いのでこういう時には助かる。


 誰もいないことを確認してから、ため息とともにその名を呼ぶ。

 すぐ反応があって、振り返ればドアの隙間から何者かがこちらを覗いていた。

 いや、一瞬ビビるわ。ホラーじゃん、その血走った目だけがこちらを見つめてるのって。


 阿沙賀がずかずかと足音を鳴らしてドアに近づき開けば、内気そうな藤紫色の髪をした少女がびっくりして腰を抜かしていた。

 少女――学園に潜む悪魔の一柱、命恋イノチゴイのシトリーである。


「オメェなんで退院してからずっと後ろっからついてきてんだ?」

「そっ、そりゃあたしは阿沙賀のファン、だからな……! おっ、追っかけだ!」

「物理的な追っかけはただのストーカーだ」


 退院初日の念のため学校を休んだ日も。

 翌日、久方ぶりに登校した日も。

 挟んだ土日でさえも。

 こいつの視線は感じていた。


 無視してスルーしてやっていたのに、むしろこれ幸いと行動が悪化するのだから手に負えない。

 今日はいい加減に文句の一つも言ってやる。


「オメェそれ迷惑だからな、毎度ちくちくと視線を感じて鬱陶しいわ」

「あっ、阿沙賀! 阿沙賀があたしに気づいてくれてた! お願いしなくても目線くれてた! うひょー!」

「喜ぶな」


 なんでもとりあえずポジティブに捉えるな。

 なんて面倒くさいファンなんだろう――いや、なんでファンなんだこいつは。

 問いただしても理論的な回答があの吃音まじりの言葉で説明されるとは思えず、阿沙賀はただ息を吐く。


「てーかもしかして試胆会中は接触禁止だったのか?」


 終わってからストーキングははじまったようだが。

 するとシトリーは怒りを声音に織り交ぜる。


「そっ、そうだぞ。そのせいで、ずっ、ずっと待たされてイライラしてたんだ。おっ、追っかけくらい許せ」

「んー」


 情状酌量の余地はある。

 欲したものをお預けされた悪魔の欲求発露にしては無害で可愛らしい行動に過ぎない。

 けれど。


「ヤだね」

「あっ、阿沙賀!」


 阿沙賀は空き教室を飛び出して廊下を走る。

 すぐにシトリーも追いかけてくるが、それを肩越しに確認する阿沙賀の口元は笑みに歪んでいる。


 ――廊下はいつでも彼の庭にして海原。


「おーい、フルネウス! シトリーが遊んでほしいってよ!」

「なに!? 遊んでいいのか! 任せろ!」

「なっ……!?」


 大慌てで走るに夢中のシトリーの、その足元が波立つように揺れた。

 咄嗟のことで回避もできず――シトリーは廊下の海に落下していく。嘆溺タンデキのフルネウスの領域に取り込まれていく。


「こっ、コノっ! クソサメ野郎――!!」


 怒り狂ったシトリーの声だけが静かな廊下に反響していた。


    ◇


 がらりとドアを開いて自分の教室に戻る――違う。

 そこは別の教室、別の空間、迷亭メイテイの領域。


 阿沙賀はキレた。


「おいコラァ! オメェバカ野郎、なに勝手に巻き込んでンだ!」


 怒声にもにこにこ笑顔で領域の主、迷亭はただ面しているだけで嬉しそうに。


「いやはや、遊んでいいとの許可が聞こえたのでね、ほんのささやかなイタズラをさせてもらったよ、いじらしいだろう?」

「そりゃオメェに言ったンじゃねェよ!」

「君の口から奏でられる言葉はすべて僕への睦言も同じさ」

「くそァ! なんだその屁理屈は!」


 漆黒の長髪に漆黒のセーラー服、夜そのもののような瞳をした底知れない女性。

 美しいと言って頷かないわけにはいかないが、恐ろしいと言っても迷わず頷ける。

 息を吐くように嘘を吐き、息を飲むように真実を秘する大嘘吐きの名を負う七不思議――迷亭・鈴鳴スズナリ


 阿沙賀の嫌いな女である。


「ええい、もうオメェと話してるだけ無駄だ。ホームルームがはじまっちまう、さっさとおれを帰せ!」


 迷亭に命じた試胆会における特権は一度きりのものではない。

 その都度、何度でも彼女の領域からの帰還を要請すれば、彼女は阿沙賀を帰さねばならない。

 契約にも近しい、試胆会が適応され続けているがための学園のルールであった。


 だが。


「ふ、甘いよ、阿沙賀くん。僕がそれを踏まえずじゃれに来たと思っているのかい――コワントくん」

「ふははははははははははははは――! 阿沙賀ァ! わしとじゃんけんしろぉ!」

面倒メンドクセェのと面倒メンドクセェのが同時に押し寄せて来たンだけど!」


 仁王立ちで教室の中心に立つのは派手なピンクの着流し姿にひょっとこの面を被った怪しい男。

 その風体はとんでもなく怪しく、夜道で見たら通報するか妖怪と見間違えること必至。いやもう不審者の妖怪と言うべきか。誰か警察呼んで来て。ゴーストバスターでも可!

 賭縛トバクのコワントである。


「おまえがじゃんけんに勝てばルール適応、だがわしがじゃんけんに勝てば一時的なルールの棚上げを要求する!」

「――アホかオメェ。誰が受けるか、はよ帰せ」

「うわぁ! ノリが悪い、ノリが悪いぞ阿沙賀!」


 コワントの顕能けんのう賭博縛鎖ノーモアベット』は先に敷かれたルールや理法をも歪める恐ろしきものだが、それ以前勝負に乗らなければ無意味という最大の弱点を抱えている。

 賭け事は互いの了承を得てはじめて成立するがゆえ。


 迷亭はその実に姑息な判断を褒めるようにして責める。


「くっ、流石は阿沙賀くん、この勢いに流されて勝負に乗ってはくれないか!」

「なんて頭悪い目算で仕掛けてくるんだこの悪魔どもは!」

「だが勝負を仕掛けられて逃げるのが男か?」

「うるせェ次の賭場には顔だすから勘弁しろ」

「ぬぅ、絶対だぞ」


 割とあっさり引き下がるコワントに、むしろ迷亭が驚く。


「えっ、ちょ!? 納得するのかいコワントくん! この裏切り者!」

「おまえに言われたくないわ、迷亭!」

「嘘吐き女に言われたくない言葉トップスリーに入りそう……」


 どの口が言う案件すぎる。

 というか七不思議七悪魔から見たら迷亭、完全に裏切り者なんだけど? なんなら今すぐ袋叩きにあってもおかしくないはずなんだけど?

 その場合、当然阿沙賀も参加するから開催日時の連絡は忘れずお願いしたいところだ。


 だというのに一切合切悪びれもせずに迷亭はなお不屈に言い募る。


「おっと、いいのかい阿沙賀くん。ここは僕の空間だよ、時間の流れも自在に操れる……つまりホームルームどころか昼の大休憩すらすっ飛ぶくらいに加速させてあげてもいいんだよ? ねぇ浦島太郎」

「急にマジで脅しにくんな!」

「僕は阿沙賀くんと遊ぶためなら非道も厭わないよ」

「ハナから非道だよ、オメェは」


 しかし確かに地の利というか世界の理を握られているのは厄介。

 帰還の命令は下しているからそれを全うするために迷亭は見えないところで動いているだろうが、それが完了するより異相空間の時間操作のほうが手早いのだろう。

 こうなれば――


「ち。しかたねェ」

「では帰るのをやめてくれるかい?」

「ヤだね――アルルスタ!」


「ハァイ!」


 どこからともなくその声は世界に響く。

 この世界とは別の理にある、外部干渉であった。


 阿沙賀はその陽気な声に向けてバツが悪そうに片手で拝むようにして。


「わりィ、助けてくれ」

「しょーがないなァ、世話の焼ける友達だヨ」


 喜色を隠せぬ請け負い方で、その姿を現したのはアメリカンな長身女性。

 ブロンドヘアに碧眼の、明るい雰囲気を作ったアメリカンスクールユニフォームを纏った美人。

 愛らし気な笑みをたたえてすぐに阿沙賀に駆け寄ってくる姿は大型犬を連想する。

 阿沙賀の親愛なる友、鏡相キョウアイのアルルスタである。


 阿沙賀との縁故をたよりに居場所はわかる――ならば迷亭と同格の悪魔アルルスタなら、この空間に干渉できるのだった。


 介入し侵入、内側からその理に接触。

 時間の加速を許さず、チンタラ時間稼ぎする迷亭にかわってさっさと出口を用意する。


 焦り出すのは迷亭である。


「あっ、アルルスタくん、露骨に好感度稼ぎはズルくないかい?」

「友達が友達を助けるのは当たり前でショー? というかメーテー、それゼッタイ嫌われるやり口だからネ?」

「いや! 君こそ阿沙賀くんの隣人になりすましてスキンシップに行ったよね? それも二回も! これはバレたらまずいんじゃないかなぁ?」

「あっ、ちが……っ! ちがうヨ、アサガ! メーテーのウソだからね! そんなことして――」

「いやバレてるぞ」

「そーだったの!?」

「わからいでか」


 試胆会終了に伴い強化された縁故で識別が可能となっていることを、アルルスタのほうは気づいていないようだった。

 アルルスタは真っ赤になった顔を隠すように手で覆い、はやく行ってくれともう片手で出口を示す。


 阿沙賀は即座にそれに従い走り出す。振り返りざま、礼をひとつ。


「助かったぜ、アルルスタ」

「早く言ってぇ、顔見ないでぇ。恥ずかしくって死にそうだヨ!」

「というかそれが許されてるアルルスタくんズルい! 僕も遊びたい!」

「オメェは嫌われてる自覚を持てな」


 そうしてようやく、阿沙賀はこの空間を突破して元の世界に帰還するのだった。


「――てーかなんっでホームルーム出るだけでこんなハチャメチャに苦労しなきゃなんねェんだよ!」


「ふふふふ……!」


 ニュギスなんかさっきから背景でずっと笑い転げて中空で足バタバタさせてるぞ。

 いや笑い過ぎだよ、ボケ悪魔。


 ――ふと気が付けば教室の前に立っていた。


 まだ騒がしく学生たちが自由に闊歩し口を開いているから、ホームルームには間に合ったようだ。

 安堵しながらドアに手をかけようとして――直前でひとりでにドアが開いた。

 反対側でドアを開いた男がいた。遠凪トオナギであった。

 そこにいるとは思わず互いに一瞬面食らって、だが遠凪のほうはすぐになすべきを思い出して声を張る。


「阿沙賀! どこほっつき歩いてた!」

「どこって、そりゃ別次元的な……」

「まずいことになった、今日うちのクラスに転入生が来る!」

「それがなんだよ、一目惚れでもしたのか?」


 冗談にも耳を貸さず、遠凪は切羽詰まった顔つきのままそれを言う。


「その転入生は召喚士だ!」

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