26 大江戸学園試胆会終幕


「うつけ!」

「……あ?」


 瞬きに目を閉じて、開けばそこは校舎の正面玄関。

 阿沙賀は気づけばそんなところにいて、なんともなしにぼうっと空を見上げた。月が綺麗だ。


 とか、そんな風流も慌ただしい足音によってすぐに遠のく。

 急ぎ駆けつけてきたのはニュギスと遠凪、そしてキルシュキンテであった。


 特にキルシュキンテはなんだか苛立った様子でしかめっ面。


「おい、うつけ、迷亭をここに呼ばぬか! あの大嘘吐きめが!」

「……こいつなに怒ってんの?」


 急な要求がよく呑み込めず、阿沙賀はとりあえず冷静そうな遠凪に聞いてみる。

 問われれば肩を竦めて。


「それがキルシュキンテにかけられていた迷亭の顕能が解けたらしくて、彼女に曰く――」

「あの大嘘吐きが門一郎様の弟子なわけがなかろうが!」

「だ、そうだ」

「あ、それも嘘かい」


 いやまあそんな気はしていたけれど。


「ん? てなると、どうなるんだ? 迷亭はどこでこの試胆会に紛れ込んだんだ?」

『よくぞ聞いてくれたね、答えよう!』

「うわ、ハイテンションで自分から説明しに来やがった!」


 阿沙賀が説明を求めるのなら一目散で駆け付ける……声だけだが。

 姿を現さない迷亭に、キルシュキンテは忌々し気に。


「迷亭! この裏切り者め、よくも門一郎様を騙してくれたな!」

『おいおい、なにを言っているんだいキルシュキンテくん。僕はその門一郎様に許しを得てこうして試胆会に混ぜてもらったんだよ?』

「嘘を吐くな! 貴様の顕能で……」

『あぁ。僕の権能かい。いやいや、門一郎くんにはあんまり効果なかったんだよねぇ。ときどきそういう手合いはいるけど、逆に効かないから僕の興味からは外れたんだよ』

「てーかオメェの顕能に三分制限とか嘘か」

『嘘だよ』

「くそァ!」


 こいつホントにさァ!

 嘘ばっかりじゃねェかよ!

 いや顕能の根本的な能力は本当であるらしいし、その細部が嘘なだけだから……余計にこんがらがるわ!


 迷亭は自分だけ亜空に座してこちらの干渉を受けない。身勝手に斟酌なしに喋りたいことを喋り続ける。


『僕が彼と会ったのはだいたい二、三十年前だったかな。僕がこの学園を訪れたのさ、大江戸・門一郎の噂は聞き及んでいたから探していたんだよ。割と捜索は時間と労力がかかったけど、たどり着いたこの学園はすごく面白そうでねぇ。

 すぐに彼と彼の企画した試胆会に興味をもって、一枚噛ませてもらおうってことで割り込んだよね。そのときに七不思議だった悪魔一柱を魔界に還して無理やりその座に滑り込んだのさ』

「……オメェやっぱり他の七悪魔どもの記憶いじってるな?」


 彼女が人間であることを、他の七不思議七悪魔は知らないと言った。 

 その段階で怪しいと思っていたが、こうなってくると確定だ。

 今の出会いのエピソードが真実かはまた例によって真偽不明だが……本当ならむしろ急に降って湧いた外敵じゃねェか、こいつ。


 迷亭はなんら悪びれもせずに肯定する。


『そうだよ? 最初からいた悪魔が僕だったって風にね。まぁそこのキルシュキンテくんでわかりやすいだろうけど、もう解けたけどね』

「なんのためにそんなこと……」

『もちろん、君を見つけ出すためだよ阿沙賀くん!』

「あァ?」

「要するにわたくしと同じでしょう」


 不可解そうな阿沙賀であったが、ニュギスには理解ができた。


 迷亭はきっと、自分の理解者として最初に大江戸・門一郎に期待をした。

 だが実際に出くわしてみれば、そもそも顕能ウソが通じないという根本的な断絶が彼女の趣向と合わなかった。

 失望したが、大江戸・門一郎の企画していたこの試胆会に興味を抱き、それに自ら乗ることで後継者に次の期待を抱いた。


 だがその後継になるべく現れた遠凪があまりそそらなかったのか、別の――この学園中を知り尽くした迷亭が選んだ最も可能性の高い者を巻き込んだ。

 それこそが我らの阿沙賀・功刀であったのだ。


「やっぱり黒幕ァ!」

「複雑な心地ですの……理解はできても手は握れそうにありません」


 ニュギスは迷亭にシンパシーを感じつつもどうしようもなく嫌悪してしまう。なのにその迷亭の行動によってまたニュギスも彼と出会えたという。

 疎ましいが不可欠で、恩人とも言えるが同じ空気を吸いたくない。

 なんとも愉快で奇怪な縁故である。


 遠凪は頭が痛そうに額を押さえ。


「じいさんは、あんたのことを知った上で試胆会の進行役を任せたのか?」

『門一郎くんはね、阿沙賀くんに似てノリのいい男で、面白そうならすぐに了承してくれたよ』

「門一郎様とこんなうつけを一緒にするでないわ!」

「ちょっとキルシュキンテ、黙ってて」

「若様!」


 キルシュキンテ、門一郎の大ファンすぎてだいぶ面倒くさい女である。

 とりあえず話の進みが都度遅れてしまうので反応を控えて欲しい。


 口元をへの字に曲げるキルシュキンテに釘を刺し終えれば、さてと遠凪は話を元に戻すことにする。迷亭への尋問は終わっていない。


「じゃあえっと……なんだ。じいさんはあんたが試胆会をかき乱すことも想定していたってことか?」

『だろうね。僕は好きにすると伝えれば好きにしろと笑っていたし』

「じいさん……っ!」


 阿沙賀ではないが本当にあのじいさんはどこまで厄介なのだと孫でさえ一切擁護できそうにない。

 どうしてこんな不確定要素の塊みたいなやつを受け入れてるんだよ、滅茶苦茶かき乱されたぞ。

 今こうして穏やかに終わりを迎えていることが奇跡だと思えるほどにしっちゃかめっちゃかにかき回されたぞ。

 

 遠凪は気のせいではない頭痛に頭を押さえる。もはや言葉もない。


「……よろしいでしょうか」


 会話の流れが途切れたと見て、ふとニュギスが口を開く。

 先延ばしにされていた問いを気にして、再度繰り返す。

 ニュギス的には迷亭には触れないのが正解と心得ている。


「そちらの事情も色々ありますでしょうが……そろそろ先の質問に答えなさいな、下郎」

「そうだった。試胆会の目的、だったな」


 正直これ以上あまり知りたくない迷亭の件や門一郎の大雑把さから離れられるならなんでもありがたい。

 幾分以上やりやすい話題提供に感謝しながら遠凪は乗っかる。


 とはいえ、それは試胆会最大の秘密、全ての根源にして重要極まる勘所。

 別に誰が聞き耳を立てているとも思わないが、それでも月にも聞こえないよう声を潜め、風にも届かないよう秘めやかに……この学園最大の秘密を告げる。


「――それはこの地にある門の封印にある」


 遂に明かされたその真相に――阿沙賀は首を傾げ、ニュギスは目を見開く。


「……門ですって? それは、まさか」

「あぁ。人間界と魔界とを繋ぐ境界門が、この地にはある」

「境界門……!」


 まさかそんな伝説級の御伽噺がこんなところに実在しようとは!


 史上最高の召喚士である大江戸・門一郎といい、推定唯一無二のありえざる魔女といい、この地は本当にイカレたほどに意味不明の特異点としか言い様がない。

 知識を書物や伝聞でしか得ていない、経験に薄いニュギスにはもうわけがわからない。


 常識ってなんだ。一般的なものはどこにある。

 世界はどうしてこんなにしっちゃかめっちゃかに理不尽まみれなのだ。


 頭を抱えるニュギスであるが、一方で阿沙賀はそもそも知識に欠けて理解に及んでいない。ごく素朴に疑問する。


「人間界と魔界を繋ぐ門? それ、なんか問題なのか?」

「大問題だ。放っておけばその門を通ってどんな悪魔も制約なくこちらの世界に訪れることができる」


 召喚士の召喚によっての到来と、それもなしに勝手にやってくるというのは根本的にまるで違う。

 そこの意識が阿沙賀には薄く、ちょっと考えて。


「ん。そうか。召喚された悪魔は契約による制約がつくンだったな」


 入国審査的な……? と阿沙賀はこれまで五日で得た知識でなんとなく相槌を打つが、遠凪としてはもうすこし深刻にしてほしいと思う。不法入国どころではないのだ。


「そもそも召喚っていうのは能動的に人間がおこなうものであって、選択権がこちらにある。危険な奴を除外して、手に負えない相手を無視して、その召喚士の身の丈にあった悪魔しか呼び出せない。

 その上、召喚に応じる悪魔もまた人間の魂を得て強くなりたがっている奴らが大半だ。無益に無暗に人を傷つけて即刻の送還は避けたがる傾向にある」

「そういう審査抜きにワガママ放題で通過できるからヤベェんだろ、なんとなくわかったぞ」


 いや絶対わかっていない。

 阿沙賀なりの理解には至ったのだろうが、こちら側の求める深度には全然程遠いのが傍目でわかる。深刻さが毛ほども見えない。


 ちょっと脅しの意味も込めて、遠凪はなんとか危険性を言い含める。


「無断でやってくるような悪魔は、容易く人間を傷つける。高位悪魔なんて来ようもんなら日本という国さえ危ういぞ」

「ニュギスなら日本沈没できるンだっけ? 小説かよ」

「褒めてくださって構いませんの」

「褒める場面じゃねェよ、危険性の話だろ」

「危険な女は魅力的でしょう?」

「ははは、笑える」

「なにがおかしいんですの!」


 いや全然ビビらないなこいつ。なんて甲斐のない。

 けれど阿沙賀とニュギスの軽快なやりとりを見ていて気付く。

 確かに傍らにニュギスとかいう公爵のくせにポンコツな悪魔がいては、危機感が計りづらいのかもしれない。


 さらに言えば契約をこそ頼みの綱となにより重く見ている召喚士と、そんなものなしに悪魔と交友するデタラメな男とでは根本的な価値観が違い過ぎる。

 なにを言っても無駄な気がして、遠凪はこみ上げてくるいろんな感情をため息にして吐き捨てた。


 阿沙賀はマイペース。

 とりあえず門が危険なのだという前提だけは頷いて話の進行を促す。


「で、門があって、今はその門を封じ込めてるってことか?」

「そう。じいさんが七柱の悪魔を喚び契約、この地に楔として打ち込んだ。門を閉じる封印を、自分がいなくなっても続けられるように」

「あー。そういう理由か。生きてる内は自分を中心に七悪魔で門を閉じて、自分が死んだあとは封印の契約を別の誰かに担ってもらおうって」


 門を封じているのは予想通りだが、七悪魔を使ってのは封印であったか。

 それであるなら七不思議七悪魔どもの存在理由が納得できる。

 まあ理屈や理論――術式? なんかはさっぱりだが、門外漢の阿沙賀からすればともかく感覚的に納得できればいいのである。

 小難しい部分を担当するのは遠凪であると丸投げしている。


「それでオレは幼い頃からじいさんに召喚士としてのイロハを叩き込まれて、いずれ封印の要になるようにって育てられたんだ。試胆会を征してじいさんの跡目を継ぐためにな」

「……そりゃ、大変だな」


 阿沙賀の言葉は短いが、素直じゃない憂いの感情がよく浸透した物言いだった。

 それをしっかりと理解し受け止めて、遠凪は心配無用となるだけ強気に笑った。


「でもやらなきゃ門が開く。七悪魔たちも自由になってしまう。オレにはそれができる……じゃあ、やるさ」

「ま、オメェが決めたンなら別にいいけどよ」


 やっぱりその笑みは下手くそ、遠凪らしいそれだったけど、阿沙賀はどこか腑に落ちた気分になれた。

 納得済みの決断と行動に水を差すほど野暮ではない。


「んで? じゃあその門閉じ契約ってのはもう引き継いだのか? 試胆会終わったんだろ?」

「あぁいや、これからだけど……そうだな、そろそろ引き継ぎをするか。ってもまだ二週間以上残ってんだけどな、じいさんとの契約が終わるまで」


 想定外のハイスピードで試胆会が終わったので、実のところ時間は余っているのであった。

 とはいえ時間を置く理由もなし、ちゃっちゃとこの場で終わらせよう。


 そういうことならと、阿沙賀は帰りかけた足を止める。


「ん。じゃあ見届けてやる。とばっちりだったし、巻き込まれただけだったけど、一応はおれの喧嘩でもあるからな」

「あぁ。見ててくれ、阿沙賀に見られていると思うと、まあちょっとだけやる気が出る。ちょっとだけな」


 ――不様を晒せないと気が引き締まるから。


「じゃあ迷亭」

『うん。終わらせようか、日も変わってちょうど五日間の試胆会を』


 最後の一仕事、遠凪はなにやら気を集中させ不明の術法を用いる。

 夜の空気を裂いて啓術ケイジュツが走り、学園中を駆け巡る。果てにたどり着くのは根底に刻み込まれた巨大なシステム

 土地に地脈に建築物、その素材から構造、配置に至るまですべてひとつの意志によって出来上がったこの大江戸学園。それは組み立てられた一種の小世界であり、大きな術式機構でもある。


 その術式に遠凪は自らの啓術ケイジュツでもって干渉し、アクセスする。

 契約に沿ってのアクセスは拒絶なく受諾され、両者の術式は混ざり合って更新――一新されていく。


 そうして。

 試胆会の勝利という条件を満たしたことをもって継承と継続は滞りなく成立。

 それは大江戸・門一郎の遺産を相続するということ。

 彼の遺した門を閉ざす封印、学園ごと覆い隠す結界、そして七悪魔との契約を遠凪が引き継いだということ。


 契約者が移り変わっていく感覚を覚えながら、迷亭は高らかに終幕と代替わりを宣する。


『ここに大江戸学園試胆会全行程の終了と、大江戸学園試胆会会長の代替わりを宣言――遠凪・多々一を新たな会長として承認する』



 ――そして巨人が現れた。


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