27 収握の


 ――そして巨人が現れた。


「……は?」

「……え?」

「「はぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ――!?」」


 それは巨大な人型。

 巨大――六階建ての校舎よりも大きい、大きすぎる。規格外の巨大さ。

 人の形としてスケールが違いすぎるサイズ。身じろぎひとつであらゆるものを破砕できる質量の化身。

 山を運び海を平らげ、空を塞ぐ――世に言う巨人という存在か。


「悪魔の次は巨人だとォ!? 待て待て待て……! なんっだあれェ!?」

「しっ、知らん! オレも知らんぞなんだあれー!?」

「いやオメェも知らんのかァい!」


 事件の発端の孫で情報通のはずだろ!?

 オメェが知らんかったら誰が知ってンだよ!!


「ぉおおおおぉぉおおおぉおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――!!」


 問い詰める声をも飲む咆哮。地を揺るがすほどの大音声。

 巨人は溢れる感情を声と変えて爆発のように叫び続ける。

 それは切実な悲鳴のような、激発する憎悪の断末魔のような――憤怒の雄たけび。



「――門一郎ぉぉぉぉぉぉぉぉおお、どこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!?」



「やっぱり大江戸・門一郎かよ、あのクソトラブルメーカーがよォ!」

「それは契約者もどっこいですの」

「言ってる場合かー!」


『あぁ、そういえば門一郎くんが言っていたなぁ』


 大慌てのメンバーに比して腹立たしいほどゆったりと当たり前に迷亭が今思い出したと膝を打つ。


『あの子は門一郎くんが門を封鎖した際に紛れ込んだ人間界へ通過しようとした一般悪魔の……名前はたしか、収握シュウアクのデオドキアくん』

「その一般悪魔がなんで急に現れンだよ!」

「いや、門を封鎖する際にって言ったか迷亭!? それってつまり……!」

『そう、門一郎くんが面倒くさがって一緒くたに封印しちゃったんだってさ』

「「ばか!」」


 とりあえず短絡さに揃って罵倒してから阿沙賀と遠凪は順次冷静に。


「というか封印は継続されたンじゃねェのかよ!」

「たっ、確かにそうだ。まさか代替わりの瞬間に封鎖が綻んだのか……?」

『うーん、どうやらそのようだね。予想外の挙動だ、いやすぐに再封鎖はされたけど……その機に彼はこちらに飛び出して封印から逃れたようだね。なかなか優秀な子じゃないか』

「おいコラァ!」


 大江戸・門一郎!

 テメェこの野郎、この期に及んでまだ厄介ごとを用意してやがったのか!? どんだけ未来に厄介ごと残して死んでンだ阿呆!!


 云十年間、空間の狭間に閉じ込められていた? そりゃキレるわ。暴れるわ。

 あの怒り狂った暴走は冷静な会話や穏やかな理性じゃ止められないぞ。


 そもそも代替わりに際して一瞬、封印が緩むとかなにを手抜きなことしてやがる! 

 というか紛れた悪魔をそのまま一緒に封印するな!

 どっちか気にしてたら起きなかった事態だろうが! なんも考えてないだろ、実際!


 あァもう――大江戸・門一郎の大馬鹿野郎!


 阿沙賀は見上げる巨体に一縷の望みをこめてぼやく。


「でかいだけで実はたいしたことないってオチは?」

「ない! おそらく侯爵フュルスト――キルシュキンテと同じくらいの強さ!」

「顕能はあれか、でかくなる的な……」

『いやあれはあれで素のままサイズのようだね。悪魔は多種多様なのさ。顕能は別にあると見たほうがいいよ』

「なんだよ、もう! つまり強敵じゃねェか、ふざけんなボケェ!」

 

 根暗ゾンビを釘付けにし、ギャンブル依存症をひん剥いて、サメ野郎を爆破して、嘘吐き女の真実を見抜いた。

 ドッペルゲンガーとの人狼ゲームに答えをだして、鬼との殴り合いを真っ向ねじ伏せ、不変の桜を変えてやった。


 阿沙賀は七不思議の悪魔全てに勝利し、つい今しがた面倒ごとを全部終わらせたのだ。

 そのはずなのに――


「なンっで! 七不思議を終わらせた後に八番目が出てくるんだ、詐欺だろふざけやがって!」


 あぁまったく――世の中はとばっちりの理不尽で満ちている。


 というか大抵の理不尽が既にあの世の大江戸・門一郎に由縁ないか?

 もしかして奴こそが真の大敵なのではないか?

 いや死人に口なし過ぎて腹立ててもしょうがないんだけどさ! くそァ!


 こういう怒りは転用して八つ当たりするに限る。

 阿沙賀は叫び散らしグラウンドを歩くだけで破砕する巨人――デオドキアを睨みつける。


「くそが腹立つ。ブチ転がしてやる! でもあれどうやって倒すんだ?」


 感情とともに発された言葉は決意に満ちているが、直後に理性的に思考が回れば方法論で手詰まりになる。感情と理性が忙しい男である。


 遠凪は決然と阿沙賀の肩を掴む。


「でかいのにはでかいので対抗すべきだ、巨大化しろ、阿沙賀」

「できるか!」

「えー? じつは宇宙人と合体してて光の巨人に変身とかできないの?」

「できねェよ! オメェこそ悪の組織に改造されつつ脱走とかして変身できたりしねェの?」

「それサイズ問題の解決になってないだろ……じゃあ五人で動かす超巨大ロボットに心当たりは?」

「いい加減、日曜の朝から離れろや! 朝日が昇るのはまだ遠いぞ!」

「やっぱり光の巨人か」

「うるせェ!」


 ぐにゃりと。


「ん?」


 視界が、音が、なにもかもが、歪んだ。

 それを感じた直後、阿沙賀は反射でその場から全力で跳び退いていた。


 ――学園の正面玄関が抉り取られた。


「は?」


 一緒の方向に逃げていた遠凪も目を点にする所業。

 砕けるとか壊れるとか、そういうチャチなレベルでは断じてない。まるきり消え去って絶対に元には戻らないという確約のような、それは消失。


 球状半径五メートルほどの空間座標が一切消失していた。


「これは……空間を圧縮している!」

「なんて?」


 即座に察することができたのは、それが遠凪の修めた技術と似たものだから。


「指定した空間を超圧縮することでその場の物質もまとめて圧壊させてる!」

「見えない手でリンゴ握り潰す的な……?」

「だいたいそんな感じ!」


 それも跡形もないほど容赦なく強い圧縮、消え去ったのとなにほども違わない。


 その圧縮――収握シュウアクの顕能『握り収めれば等しく塵ギュゲス・スフィクティラス』を、デオドキアは所構わず乱射している。

 見れば既にグラウンドは綺麗に抉れた穴がいくつもあって、校舎もまたほんの数秒でハチの巣みたいに球形に刳り貫かれた損傷がそこかしこ。

 その上、なにもない空間さえも圧縮しているから、急激な空気の移動が発生してそこら中で暴風が渦巻いてしまう。風と風とがぶつかってさらに気流は乱れ予測不可能にねじくれていく。局所的な大嵐の様相を呈している。


 気が付けば学園は大規模な災害に呑まれていた――ただ一柱の悪魔の暴走、それだけで。


「あー……」


 うん、これは門を放っといたらダメだわ……絶対に封印しとくべきだわ……。

 言葉ではなく心で理解できた阿沙賀であった。


 一方でニュギスもまたなるほどとうなずく。


「よりにもよって空間象徴の顕能ですのね……いえ、そうであるからこそ数十年も空間の狭間で生き延びることが叶ったわけですの」

「なるほどだな、くそァ!」


 こんなにも不要な得心は他にない。

 奴が怪物だからこうして生きて襲ってくることができて、怪物だから敵として恐ろしいと来ている。

 なんて厄介な!


「ぉおおおおぉぉおおおぉおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――!!」


 顕能乱射による空間圧縮は絶え間なく連続する――せめてそれが無差別で無作為な災害であるのがまだマシであった。

 どこを狙うわけでもない。なんでもいいからぶち壊したい。ただの憂さ晴らし。

 だからこそ阿沙賀らがピンポイントで攻撃を受けていない。逃れられている。


 だがそれも遠からず失われる安全でしかない。

 デオドキアは大江戸・門一郎を探している。見つけ出すまでこの破壊の嵐を止めたりはしないだろう。

 そして、見つけるべき彼は死去していて、絶対に見つからないときている。

 つまりこの暴走災害は止めどころを失っている。際限なくなにもかもを滅ぼし去るまで終わらない。


 収握シュウアクのデオドキア――この恐るべき悪魔を打倒する以外に、学園の存続できる可能性はない。


 どうにかせねばならない。指をくわえて見ているだけなんて御免だ。

 とりあえずなんとかなりそうな提案を挙げてみる。


「あれか、空間系なら遠凪! オメェならなんとかできるだらァ!?」

「いや無理!」

「はァ!? 召喚士は空間操作技術において悪魔を凌ぐ――とかドヤ顔で言ってたのは誰だよ!」

「ドヤ顔だったかな!?」

「ドヤ顔だったわ!」

「史上まれにみるドヤ顔でしたの!」

「くっ!」


 味方がいない。

 この面子では多数決ですべて遠凪が押し負けてしまう。


 いやドヤ顔かどうかはこの際どうでもよくて。 


「とりあえず無理なんだよ、あれには勝てない!」

「なんで!」

「なんていうのかなぁ、技術力では負けないよ。それは本当。だけどあれめっちゃ力業だからな?

 こっちが宝石細工で美しさを競ってるところで横合いからダイヤモンドをメリケンサックの要領で指につけて殴りかかってくる暴挙みたいな!」

「わかりづれェ!」

「オレは宝石商、あいつ宝石強盗!」

「むしろ天敵ェ!」


 そりゃ勝てないわ。

 同じ宝石を取り扱うにしても金で取引するのと暴力で奪い取るのとでは話が違う。というか奪われる側だし。


 喩えはわかりづらかったが、とりあえずは納得。

 つまり遠凪は役立たず。


「じゃあマジでどうすンだよ! あのでかさじゃ殴っても意味ねェし、遠凪は役立たずだし――あ、七不思議の悪魔どもは!?」


 試胆会が終わったのなら協力してくれてもいいのでは?

 いちおう学園は奴らの住処なわけで、それが倒壊の危機に見舞われれば呉越同舟もあり得るのではないか。


 迷亭はいつの間にやら取り集めた意見を無慈悲に告げる。


『五柱から自由意志による不参加が届いているね。唯一の参加希望者はバルダ=ゴウドくんだけど彼を昨日の喧嘩で絞り尽くしてるからねぇ、いま出てもタイマンはじめてサイズ差で踏みつぶされるだけだよ』

「使えねェー!」

「いや待て、一柱残ってる! 誰だ!?」

『キルシュキンテくん。今もう既に学園保護のために顕能全開で維持してるよ』


 いつの間にやらこの場にいないと思ったら思い切り仕事をしていたらしい。

 だがそれは同時に戦慄をもたらす――遠凪はハチの巣のように無残な校舎の有り様を見る。


「きっ、キルシュキンテが巻き戻しをかけてこれなのか?」

『いやぁ流石に同じ侯爵フュルストでも支援特化のキルシュキンテくんじゃあ、あの戦闘特化には為す術なしって感じだねぇ。さっきまでの疲労もあるし、むしろよくがんばっているほうさ』


 状況の把握が進むたびに事の逼迫ひっぱく具合が露呈する。

 敵は強大、数十年分の怨念とともに死ぬまで暴れる気概がある。

 大江戸・門一郎を見つけ出すという不可能を達成するまで止まらない。


 一方でこちらは一戦終えた直後であり、疲労と消費が確実にあって。

 ようやく面倒な戦いを終えた直後、変則の八戦目まで終えたという全力で安堵したこのタイミングでの急襲は流石に阿沙賀も虚を突かれた。気が抜けてしまっている。


 これまでで最大のピンチであるというのに、この蛇足極まる展開にどうしてもやる気が起きない。


「…………」


 それでも阿沙賀と遠凪はやいのやいのと言い争いのように事態の打破のために話し合っている。

 キルシュキンテは全力でこの地を巻き戻して破滅を食い止め、迷亭はそれをにやにやとどこかで眺めて楽しんでいる。


 そして、ニュギスは。


「わたくしは」


 回想する。

 ほんの五日に過ぎない夢物語を。


 阿沙賀は確かに勝利した。

 誰の文句もつけようないほど正しき勝利を七度掴み取ったのだ。

 だというのに誰とも知れない悪魔の横やり乱入で全部ご破算というのはあまりにもふざけている。


 これまでの苦楽の筋書を、これまでの全員の尽力を、まとめて踏みにじったが如きちゃぶ台返し。

 なんという侮辱だろうか。絶対に許せるはずがない。

 誰よりもその物語を楽しんでいた少女ならば、なおさらに許せない。こんな結末到底認められない。

 

 ――あぁそれは、なんてつまらない理不尽か。

 ――理不尽とは、叩き潰されてこそ楽しいのではないか。


 そういう楽しみを、ニュギスは彼に教わったのだ。


「契約者様」

「あん?」


 ――いつかニュギスは、これを阿沙賀の物語であると思った。


 自分は観客であって演壇の外にある。

 壇上にある者らとは隔絶していて、その脚本に文句をつける不粋などはすまいと心がけた。

 だが。

 まったくもって、なんとつまらない。不粋はどちらであったか。


 ただ観客に徹していてものめり込めない場所がある、それを知っていながら動かないだなんて退屈千万ではないか。

 演壇は、こんなにも近くにあるというのに。


「わたくしも、どうかそれに加えて欲しい。わたくしにも、この物語の役どころがあって欲しい――もはやただの観客で終われませんの。ここにこうして、参戦願いましょう」

「ニュギス?」


 なにを急に語り出す。

 意味がわからず阿沙賀が少女の顔を覗き込めば、そこには深淵のような深い笑みが刻まれている。

 いや、その奥底にはかすかな不安とそれを乗り越えんとする勇気が見える。


「――試胆会は終わりましたの」

「あ? あァそうだな。終わった直後に乱入者ってクソだよな、盛り上がりに欠かねェ、大江戸・門一郎許さねェ!」

「であれば貴方様の意地は果たし終えたということでしょう? あれは別件ですの」

「まァそうなる、か? だったらどうなんだ、なにが言いてェ?」


 こつん、とその時ニュギスははじめて人間界の地に降り立った。

 浮遊を取りやめ阿沙賀と同じ演壇に、その両足で立ったのだ。


「試胆会における勝者は紛れもなく契約者様。であればあれは不埒な乱入者に他なりません……なんという不粋、見るに堪えませんの」


 だからこそ。


「あれはわたくしが手折りましょう、花のように」

「……へェ?」


 唐突な提案。

 悪魔の誘惑。

 なにか企みでもあるのではないかと疑いたくなるのが人情。


「なんだよオメェ、手出しはしないで傍観決め込むンじゃなかったのか?」

「ええ。基本的なスタンスは変わりませんの。ですが、だからとそちらだけに縛られるというのもまた楽しさを逃してしまうのではと思い直しました。

 わたくしは、観客でもありながら演者として舞台にあがる喜びだって、欲しくなってしまいましたの」


 つまり。

 彼女は阿沙賀という物語を気ままに鑑賞し、そして自ままに干渉する。

 境界線など無関係に好き勝手を望むやりたい放題の悪魔であった。


「なにせわたくし、強欲ですから」

「ふ……はは。おもしれェ、おもしれェじゃねェかニュギス。それでこそ、おれと契約した悪魔おんなだぜ」


 自ら作り上げた枠組みさえも不自由と捨て去ってはさらに欲するを更新する。

 その潔さは好印象。享楽主義は共感できるし、自ら高みから降りることさえ選択肢に入る自在さは敬意に値する。


 阿沙賀にとってもまた、ニュギスは無二なる契約相手であった。


「ですがわたくしが全力を出すということは、同時に契約者様への大きな大きな負担ともなりますの」


 ですからとふわりと向き直り、阿沙賀を見上げる。

 地に立った少女の背丈では、阿沙賀と対等な目線にはなれない。

 それでいいと、思ったのだ。


「許可を――いただけませんか?」

「許可?」

「ええ。わたくしが全力を出す許可ですの。

 おそらくわたくしの全力は強大すぎて反動が縁故を伝って貴方に向きますの。場合によっては、命さえ奪いかねないほどの反動です」

「……無事じゃ済まねェってことか」


 優美に頷いて、わかりきった問いを投げる。


「それでもよいのでしたら――」


 ニュギスは言いながらその小さな手を差し出す。

 地獄の底へと誘い込む、まさしく文字通り悪魔のお誘い。


「わたくしの手を取ってくださいませ。それを貴方様の覚悟と受け取りましょう」


 ニュギスはなにひとつとして疑っていない。

 これまでの日々を覚えている。今も縁故が脈動して繋がっている。未来はどこまでも期待に満ち満ちている。 


 阿沙賀・功刀ともあろう男が、ここで退くなど天地が入れ替わるよりありえない!


「かまわねェ、やっちまえ――!」


 ぎゅっと繋がれた両の手は、きっと結ばれた縁故そのもの。








 阿沙賀とニュギスが交わした契約内容は以下の通り。


『契約悪魔は契約者の許可のもと全力を発揮してもよい。これに不足するすべては契約者が補填することとする』

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