25 彼女の求める敗北


「――僕の求める敗北はなんでしょう?」


「…………」


 言葉を取りこぼしたのは、まず質問の意味が理解できなかったから。

 まだしも二問目のほうが理解できた。あれは予想するでもなく予想できたような問いかけであった。

 だがこの出題は想像の埒外、まるで考慮していない方向から不意に弾丸が放たれたような心地である。

 腹を撃ち抜かれ、膝をつき、それでもまだなにが起こったのか不明で混乱ばかりが脳裏を満たす。


 字面通りに意味を飲み込めたのは、たっぷり三十秒後であった。


 それでも咄嗟には質問すべきことさえ思いつかず――いや、いや。

 あまり深く考えないほうがいい。嘘吐き相手に思考を巡らせるのは毛糸を絡ませるのに似て意地になるだけ悪化する。

 真っ当にストレートに、問いの内容は無論にそのまま。


「じゃあ、オメェの求める敗北ってのはなんだ?」

「ふふ」


 なにやらひとつ含み笑いをこぼして。


「僕はね、我が師に一度も敵わなかったんだよ」

「大江戸・門一郎」


 またその名前か。

 もうこの五日間で百回は聞いた気がする。気のせいである。


「うん。彼は本当にすごいひとでね、召喚士としてはおそらく史上最高、空前絶後の天才だった。

 いや……天からすら外れた、天外とでも評したほうがいいかもね?

 流石の僕も心から尊敬して弟子に願い出たものさ。だけど彼は優秀過ぎた。僕などが弟子となっても彼には遠く及ばない。どんな分野でも敵わなくて、僕は大層悔しく、そして悲しい思いをしたよ」


 言葉には懐かしさが見て取れ、一言一言に感情の息吹が存在する。

 ――ように聞こえる。

 本当の嘘吐きは嘘を嘘とは悟らせない。


「僕の人生は負け続き――だったのだけど、遂に師も人間として寿命を迎えて亡くなられた。僕は悪魔と同一化しているから、どうやら老いたりしなくなって生き延びているけれど、まあそれだけの年月が流れたということさ」

「自分を負かす相手がいなくなって、それで?」

「つまらないと、感じたよ。

 僕って意外にマゾヒスティックな性癖をもっていたのかな? それとも長年の敗北に開発されちゃったかな?」

「だから大江戸・門一郎みたいにどうしようもない負け方をさしてくれる奴を求めてるって?」

「その通り。君は僕を完膚なきまで敗北させてくれるかい?」

「…………」


 そのように丁寧に説明をされると、なるほどそうなのかと納得しそうにもなるが、やはり相手は大嘘吐き。

 そうやすやすと頷くというのも憚られる。


 いや、一応このクイズ中における質問には嘘を挟んでいない。この戦いには誠実に向き合っているのかもしれない。

 であればそれは自ら敗北を求めて勝負を挑んだことになり、この最後の問いに関連してくるような気もする。

 求めた敗北をここで果たそうとしているのかも、しれない。


 だがやはりそれこそが魔女の術中であり、これまで嘘を控えていたのは最後のこの一度の嘘を通すための下準備であったとも考えられる。


 嘘吐きの求めるもの――求める、敗北。

 なにかちらちらと答えの影が見えているようにも思えて、だがどうしても掴み取るまではいかない。


 手探りのように言う。

 

「今の話に嘘はあるか?」

「ないよ」

「オメェの求める敗北は、大江戸・門一郎のやったような勝ち目のないような圧倒的な敗北なのか?」

「そうだよ。神に誓って嘘じゃない」


 めっちゃ嘘っぽい。なにが神だよ、魔女がよォ。

 というか、この手の確認に意味などない。嘘を吐くことに抵抗感のある手合いなら確認の重ね掛けは割とボロの出る手法であるが、それは相手の良心への期待でしかない。

 嘘も真実も平等に無関心で話せる輩にはむしろこちらの不安を晒すだけ。

 わかっていても追及してしまうのは、確証をもてない阿沙賀の焦りと不安を示している。

 これまで二問とは違い、即答ができない。


 問いを発する相手が信頼できない語り手で、問い自体もどこか曖昧で、それで予測できる答えが不明瞭。

 嘘と真が揺蕩って定まらず、天地がひっくり返ったような心地になる。


「……っ」


 不安感が心を炙る。

 ちりちりと焼かれて焦燥を煽る。

 苦心惨憺に様々考えて、その思考の堂々巡りが辛くって――さっさと楽になりたいという弱音が、直近のそれらしい答えに飛びつきたがっている。

 人は思考し続けることも疑惑し続けることも、多大な労力を要する。そういう悩む時間がストレスで、逃げたくて、安易を答えにする。

 もう全部忘れて拳で事なきを得たい。


 だがそれは単なる諦観だ。

 考えることに疲れて立ち止まるのはいい。けれど、そこをゴールにしてしまっては二度と歩き出せない。

 自ら買って出た勝負に、自ら降りるなど雑魚の極みの末路など御免被る。


 満足いく答えに辿り着くまで走らねばならない。考えられるだけ考え続けねばならない。

 これは心と心、魂と魂の喧嘩なのだから、諦めたほうが敗けなのだ。


 そもそも阿沙賀がこの問いにお得意の直感で答えなかったのは、それでわかる類の答えではないと思ったから。

 直感ではなく、思考でしか届かない場所は確かにある。答えの種類によっては直感がまるで役立たずになることもある。


 この問いは、彼女のことを深く理解し隅々まで考え尽くした先にしかわからない。

 迷亭という女と、真っ向向き合って真摯にぶつかり合わねば――答えは見つからない。


 蜃気楼よりも移ろいやすく、雲よりも掴みどころのない。

 そんな嘘そのもののような女相手に、真っ向とか真摯とか、なんとも億劫だが。

 

 たとえばクイズやテストにおいて解決法のひとつに出題者の意図を読むというものがある。

 とにかく問いを立てた者がいて、答えを用意してあるのなら、それを考えた者の思考回路がわかれば自ずと答えもわかるという解法。

 阿沙賀はそれが苦手で国語問題が駄目なのである。

 その上で相手はなにを考えているのか意味不明の迷亭……いや根本、女の考えていることなんて宇宙よりわからないので二乗に厄介。


 なんなら問いかけそのものが嘘っぱちで、実は本当の問題文は別にあるとか元も子もないことを言い出しかねない。

 そうなると本当に無限通り、答えなど見つかるわけがない。

 流石にそれはないとは思うが、多少のニュアンスの差異くらいなら「あぁ、言い間違えてしまったかな?」とでも言ってくるのが簡単に想像できた。


 だがどこか切実さを感じ取ったのは嘘ではないと思う。

 この問いかけが迷亭に重要なのは事実だと、思う。そういう前提で思考していく。余剰をカットして突き詰める。

 だから問いに嘘があるとは考えず、考えるべきはやはり出題者の意図である。


 どんな答えが、迷亭にとって最も喜ばしくあるのか?


 迷亭はこのクイズを自分にとって大事なものだと述べた――おそらくは、この第三問こそがその肝であり要。

 この問いの答えこそが、迷亭にとってなにか大きな意味があるとすれば。


「迷亭……求め……敗北……試胆会……」



 ――悪魔を屈服させるのが試胆会の本意。


 ――人としての魂の輝きをこそ悪魔は望んでいた。


 ――大嘘吐きの迷亭は人であり悪魔である。


 ――嘘と真実の両方を平等に語る口。心。魂。



「あぁ、すこし……わかった」


 迷亭にとって嘘とは

 喚いて甘えて自己を表現し表明する、他者へのアプローチ。

 自分に構え、自分を見ろ。もっともっとこの僕を求めろと謳い上げる魂の叫び。


 つまりガキのような構ってちゃん。


 仮病で同情を惹くような。

 誇張で人目を集めるような。

 作話で称賛を求めるような。

 

 そういう浅すぎてまさかと思えるような甘えた考えで、こいつは嘘を吐き続けた。

 

 虚偽をばら撒き、虚言を弄し、虚飾を着飾った。

 己の中の真実が埋もれて沈んで誰にもわからなくなるくらいに。


 であればきっと。

 そうなのだろう。


 確信はない。根拠もない。

 的外れかもしれないし、考えすぎなのかもしれない。

 嘘の底に真実などなくありもしないものを掴んだと思い込んで騙された愚か者なのかもしれない。


 けれど――阿沙賀のなかで納得がいった。

 ならばたとえ誰かにとって間違っていたとしても、阿沙賀にとっては間違いじゃない。きっと後悔なんかしないから。



「――オメェの求めるものは、だ」



「……………………ふっ」


 失笑か嘲笑か。

 沈黙ののちに吹き出すような笑声が漏れた。

 そう思った直後に破裂のように迷亭は笑いだす。


「ふふ、ふふふふ! ははははははははっははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――!!」


 嘘のように大袈裟な大笑い。

 腹の底から真実の馬鹿笑い。


「――あぁもうすごい、本当にすごいよ阿沙賀くん! なんでわかるのさ、意味が分からないよ! 大好きだ!」


 それはどこにでもいる少女のよう。

 ただ無邪気に楽しいことを見つけて笑うどこにでもいるいたいけな少女。

 だがその呵々大笑から発される感情は綺麗なものばかりではなく、いびつでヘドロめいた屈折したもの。


「素敵だ素敵だ、大好きだ。ほんとうに君は、君こそが僕の求めた理解者だったんだ! なにせ誰も僕のことをわかってくれないのだから困っていてね! どいつもこいつも嘘に騙され真実を見誤って誤解ばかりだ、この僕を真摯に捉えて見つけてくれる者などどこにもいない……そんな風に絶望していたんだ、ついさっきまではね!

 けれど今はどうだい、こんなにも晴れがましい。雲一つなく晴れ晴れしている! あぁ僕は今最高に満たされている――!」


 ――誰も自分のことをわかってくれない。


 どの口でそれを言うのか、この嘘吐き女は。

 自らで隠して、自らで嘘を塗り固め、自らで惑わせているというのに――それを突破して真実を見極めてくれとほざく。

 我が儘にも程がある。

 あるが、迷亭にも言い分はある。


 嘘は吐きたい。

 なぜならそれは彼女にとって呼吸に等しく、自然と出てくるもので。

 その嘘さえも彼女の一部で、嘘を吐くのが彼女という存在。だからこそ、嘘も含めて自分を知ってほしい。知った上で見抜いてほしい。そのように切に願うのだ。


 嘘ばかり吐く迷亭の、真実を知ってほしい。


 そう考えると第一問と第二問の意味も読めてくる。

 つまりは、自分のことを正しく知ってほしいという乙女心というやつ。

 第三問の答えの前振り……とまではいかないが、全ての答えはそこにあるとすれば一応は筋が通っていたのだろう。


 果たして迷亭は満面に笑って賞賛の拍手を送る。


「その通り、大正解――僕の求めたのは僕の嘘を全て見抜いて本当をわかってくれるひとさ」

「まるでもなにもなく、ほんっとに面倒メンドクセェ女だよ、オメェは」


 嘘吐きという属性からすれば、真実を見抜かれるのはたしかに敗北。だが女としてはわかってもらえることほどうれしいことはない。


 それは他者からすればこれ以上ないほど面倒なタチである。

 嘘吐きで、嘘を吐いて、それに騙された時点で見下げ果てる。勝手に。

 そのくせ自分を知ってほしいからと嘘を重ねて、真実をこっそり交えて、見抜いてくれないかと期待している。勝手に。


 身勝手極まる最悪の病人である。


「あのォ、三問正解したしもうそろそろ帰らせてもらえますゥ?」


 もはや関わり合いになりたくない阿沙賀は随分と下手にでてうかがいを立てる。

 マジでほんとに心底――縁を切りたい。助けてくれ。

 

「いやもうすこし雑談に付き合ってくれないかい、阿沙賀くん。僕のことをわかってくれるのは君だけなんだよ」


 わかってほしけりゃ素直になれ。嘘を吐くな、目を合わせろ、あいまいに逃げるな。

 殴りつけるようにそう言ってやりたかったが余計こじれるのは目に見えているので、正攻法で行く。


「迷亭、オメェへの特権行使を要求する」

「う。そう来るかい」


 大江戸学園七不思議試胆会における勝者は、敗者へひとつ命令をきかせる特権を得る。

 以前は先延ばしを推奨され――いやそれはまだ本当の敗北を喫してなかった故の方便であったが――最適な形が別にあるとのことだったが、まさしくその通り。

 この面倒極まる女からの永世逃走の権利、それはなにより必要なものであった。


「おれが帰せと言ったら文句言わずに帰せ」

「……仕方がないな。君に嫌われたくはないし、ここは言うことを聞こう」


 だがその前に、やはり宣言をしておかねばならない。

 嘘からはじまったとはいえ、迷亭は試胆会の進行役であり――ならば幕を引くのも彼女の役目。


『大江戸学園七不思議試胆会、変則第八戦目――勝者は阿沙賀』








 ちなみに。


「あとこれは単なるアドバイスなんだが……歯ァ食い縛れェ!」

「あっ。これは美しき様式美の予か――アバァ!」


 諸々の因縁含めてとりあえず一発ブン殴るのは忘れない阿沙賀であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る