24 大嘘吐きの


「あー、で? これで全部問題は解決ってことでいいな? 試胆会終わったな? 帰って寝ていいな?」


 遠凪とキルシュキンテの契約も無事完了したと見て、阿沙賀は全身を弛緩させて息を吐き出す。

 疲れた……本当に疲れた。

 なんやかんやと巻き込まれて早四日――いや、もうじき日も変わるのでおよそ五日か。

 数字の上でだけ見れば短いようでいて大変な苦労と努力の日々であった。


 だがそんな試胆会も、遂に遂にこれにて終了。

 七不思議七悪魔と七戦して全勝、悪魔どもを屈服させて全日程を終わらせるに至る。


 感慨深く思う――二度とやるか、こんなクソみてェな催し事!


 遠凪は一刻も早く帰って寝たいと言いたげな阿沙賀に力強く頷く。


「そうだな、終わりだ。ほんとうにすまなかった、阿沙賀」

「それはもういいンだよ、うるせェ」

「人が謝ってんだぞ、受け取れ」

「しつこいンだよ。価値下がるわ」

「はー? 価値のわからない馬鹿には過ぎたものだったってことかー?」

「バカって言うほうがバカなんですゥ」


 どうして何気なく会話してるだけなのにすぐに言い合いに発展するのか、ニュギスにはよくわからない。

 ……割とどの口が言うんだ的な感想であったが、幸いなのか声と出していないのでツッコミはなかった。

 そういう無駄話より気になることが彼女にはある。


「終わりと仰いましたが結局、試胆会の目的はなんであったのかくらいは聞いておきたく思いますの」


 勝手に巻き込まれたのはニュギスとて同じ。

 それが楽しいから乗っかって阿沙賀の後ろで参加していたが、きっちり契約で秘されていたせいでその意味も意義もまだ不明なのだった。

 のめり込んでいる内は気にしていなかったが、終わってみれば多少は気になる。


 気が抜けているのは遠凪も同じ、何の気なく頷いて。


「あぁ、そうだった。ずっと伏せてたもんな。もちろん教えてるよ、ニュギス」

「――わたくしを名で呼ぶのは許しておりませんの、下郎」

「っ!」

「あ?」


 急に威圧高めて鋭く目を細めるニュギスに、遠凪も阿沙賀も面食らう。

 遠凪が即座に臨戦態勢に入るほどにその魔力圧は強力で、冷や汗が止まらないほど凶悪。

 彼女の爵位はわかっていたはずだが、先刻までののほほんとした態度にどうしても油断があった。

 ――ニュギスという悪魔、その隔絶した存在には僅かたりとて気を緩めては駄目だ。

 召喚士として、いや人としての本能が強く警鐘を鳴らしているのだった。


 一方でそれで怖気づくこともなく阿沙賀はいつも通り面倒そうに。


「別にそれくらいいいだろ」

「だめー! ぜったいだめですの! 百万歩譲ってもファーストネームはいけません、はしたないでしょう!」


 駄々っ子のように言い募るニュギスは、既にその格に見合った威圧感を嘘みたいに霧散させていた。ただの少女のように甘く、花のごとく愛らしい。


 その落差がまた恐ろしい。

 だが遠凪はここでビビったところを晒すわけにはいかない。意地がある。

 できるだけ軽い調子を心掛け、謝罪のように手を合わせる。


「わかったわかった、メアベリヒでいいか」

「……本来ならば敬称なりをつけるべきですが、百万歩譲って、ですの」

「悪かったよ、メアベリヒ」


 どうにか誤魔化せただろうか。自然に振舞えただろうか。

 遠凪は窺うように阿沙賀を観察するが、特段に気づいた風もない。いやこいつなんでこんな鈍感なんだ。


 切り替えて、問いに戻る。返答を渡す。


「この試胆会の目的だったな。それはこの学園に――」

『――待った』

「え?」


 不意に。

 その場にいない者の声が遮って割り込む。切り裂くように。

 遠く別空間よりもたらされた声――迷亭はその刻まれた契約をもって遠凪の失言を制止し、そしてずっと用意して待ちに待っていたそれを告げる。


『試胆会はまだ終わらない。だからそのお話は待ってもらわなきゃ困るよ、遠凪くん』

「なにを……なにを言っているんだ、迷亭!」

『言葉通りだよ――』


 食い下がる遠凪に、迷亭は一切取り合わずに自分の言いたいことだけを言ってのける。

 あらかじめ決めていた。事前に布石は打っていた。

 さぁ満を持してはじめよう――ラストバトルの後の、エクストラステージ。



『――大江戸学園試胆会第四戦、物言いの上やり直し。それにつき変則第八戦を開始する』



「変則……第八戦!? なんだそれは! あんたは戦わないと言っただろう!」

『ふっ、ふふふ。ははははははっ! これはおかしなことを言う。僕の名は大嘘吐きの迷亭先生だよ? どうしてこの口から発した言葉を信じているんだい、笑ってしまうじゃないか。

 ――ねぇ阿沙賀くん?』

「あァ。だろうと思ったよ」

「阿沙賀!」


 慌てふためいて叫ぶ遠凪に反して、阿沙賀はすこしも動じず受け止めている。

 こうなることは最初からわかっていたと言わんばかりに。……いや言われるまで忘れていたのも本当だけど。


 だがあの時の薄ら寒い敗北宣言なんぞを信じるほど、阿沙賀はピュアではないのだ。

 いついつ喧嘩を吹っ掛けられてもかまわないので放っていたが、ようやくの販売ならば即座に返すに決めている。

 売られた喧嘩は買うのが上等、である。


「というかアルルスタにも言ったがよォ、おれはオメェらに譲られた勝利なんざ願い下げなんだよ。おれはおれの手で勝つ。勝ち取るんだよ」

『それでこそ、そうこなくっちゃね。期待通りだ嬉しくなるよ。

 では、本当の最終戦にご招待」



 ――そして世界がぐるりと反転した。



 阿沙賀、だけを取り込んで。


「なっ」

「契約者様……!?」


 一瞬のうちにそこにいたはずの阿沙賀が掠め取られた。どこかの別の空間に放り込まれた。

 個人だけを選定して亜空間へ招待する早業であった。

 縁故深いニュギスさえも引き離すのは高等技術であり、それが無造作すぎて感嘆に値する。


『最後は僕と彼の一騎打ち。邪魔立て無用でお願いするよ。

 大丈夫、君たちにも戦いの様子は見せてあげるよ……観客がいたほうが盛り上がるからね』


 それだけ言い終えると、迷亭はその気配を消して通話を断絶。

 代わりに浮かび上がった遠隔の映像で――阿沙賀と迷亭が空き教室で向き合っている。



    ◇



 いつかと同じように、阿沙賀は気づけば教室に立っていた。

 迷亭によって造り上げられた亜空間、空き教室を模した彼女の世界。

 前回と様相は変わらないのに、その世界の強度が格段に向上しているのをなぜか理解できた。


 そこで、迷亭はいつかと違って床に立ってこちらに相対していた。

 直立してはじめて気づく、迷亭の身長は阿沙賀より一回りほど低い。

 すこしだけ低い目線に阿沙賀は合わせ。


「勝負の前に一コ聞きてェんだけどよ」

「なんでも聞いてくれたまえよ。僕は君に質問されるだけで嬉しくなってしまう」


 両手を広げ、その濡れ羽色の髪をなびかせ、迷亭は薄く笑んでいる。

 阿沙賀は直言、捻りなく一直線で言う。


「オメェがおれを巻き込んだンだな、迷亭」

「その通り。遠凪くんが悪魔を召喚しようとした儀式にちょちょいと細工して阿沙賀くんのところに契約が結ばれるように誘導したのは僕だ」

「真犯人ァ!」


 ついに突き当て、巡り合えた――この阿沙賀の!


「つまりオメェがおれのパンツの仇!」

「いやごめん。そればっかりは僕にも予想外だったんだ……」


 これまで尊大な態度であった迷亭がはじめて真剣に詫びていた。心底から予想外だったのだろう。


 悪魔を召喚するに際して、召喚者の求める性質や魂の波長の類似性や親和性などが考慮されるのであり、あとは無作為に門が開いて対話となるものだ。

 その親和性の型板としてより一層相性いい相手を選ぶ場合に捧げるのが供物である。


 往々にして当人にもっとも馴染み深く長く触れていたアイテムが妥当であるが――入学して二年にも満たない寮部屋で、荷物もすくなく消去法で実家から持ち込んだ衣服となって、その中でも強いて大事に感じていたものが選ばれた。パンツである。

 物に執着のない彼にとって、唯一奪われて困るものとも言える。


 そんな説明を聞かされて納得できる問題でもない。

 未だなにぞ言いたげにする阿沙賀であったが、迷亭はそれより気になっていることがある。


「でもどうしてそう思ったんだい?」

「…………」


 露骨に話を逸らそうとしているようにも思えたが、どちらかと言えば阿沙賀の話のほうが余談ではある。

 ため息だけ吐いて返答を。


「そりゃオメェ、この土壇場だからな、他にいねェってだけのカマかけだ」

「なんとも大雑把な見立てだねぇ」

「まぁもうひとつ言えるとすれば、オメェはたぶん空間操作? みたいな方向に優れてンだろうから、召喚に対する介入なんて小細工もできるンじゃねェかと思った」


 遠く離れた個人を指定して声を送る。

 いついつでも学園中の事柄を把握する。

 どこにでも空間ゲートを開くことができる。


 これまで迷亭が気軽におこなっていた数々の所業は、きっと他の悪魔どもにはできないこと。

 全員と遭遇し対決し終えた今だからこそ、その分野における卓越を理解できた。


「それはそれは、いやぁ流石の見立てだね。けれど慧眼もここまでくると疑いたくもなるな。君、本当になにも知らない門外漢なのかい? 本当は御霊会ごりょうえとか、そういう組織に属してたりしない?」

「なんだそれ、おれはおれだぞ」

「だよね。だから素敵だ」


 迷亭はどこか無邪気に笑って、立てたひとさし指をくるりと回す。

 すると整然と並んでいた机と椅子が彼女の指の動きに従ってひとりでに動き出す。

 阿沙賀と迷亭を中心に、スペースを作るよう机たちは端に寄って隅にどけられた。


 開いた空間を確かめるように踊るように、迷亭は両腕を広げて阿沙賀を見据える。


「さて最後の試胆会は――単純なクイズがお題さ」

「おいおい、これだけ戦ってきて最後にクイズ大会かよ、白けるわ」

「そう言わずに付き合ってくれたまえ。これは、僕にとってとても大事なクイズなんだから」

「……」


 迷亭にとって、という部分に引っ掛かりを覚える。

 こいつはもはや試胆会など眼中にないのだろうとわかる。

 変則第八戦……名の通り随分とこれまでと様式が違うようだ。進行役の横暴ともいう。


「たった三問。さらに君の質問には全部答える。答えを述べろと言われても答えるとも。その上で、真実の答えを選んでくれ」

「ハッ。嘘吐きに質問してもな」

「そこの見極めもまた勝負のうちさ」

面倒メンドクセェ」


 なんでわざわざ嘘吐きの語りに真偽判定なんてしないといかんのだ。

 相手の領分で戦うなんて馬鹿丸出しだろう。阿沙賀にはきっと拒否権がある。


 それを踏まえてなお――


「なんだい、付き合ってくれないのかい? たしかに試胆会のルールの改変なんておこなっていない。君は僕を殴り倒して屈服させれば勝者となる」

「なのにおれに顔を出したってことは、ハナからそうならねェと確信してやがるからだろうが」

「うん。君は僕の真っ向勝負を受けて立ってくれるはずだ。僕のこの見立てが間違っていれば僕の負けかもね」


 挑発のような祈りのような、全部まとめて嘘っぱちのような。

 迷亭の言葉はまるで掴もうにも掴めない雲のよう。


 理性は乗るなと正しいことを言う。

 感情は蹴っ飛ばせと楽しいことを言う。


 だがそれらすべて焼き尽くすのは怒りである。


「いいだろう、オメェのテーブルに乗ってやる。だが覚えておけよ、これは要するに真っ向からへし折ってやるって意味だぜ、そのピノキオよりも長ェ鼻っ柱をな」


 迷亭こそがパンツの仇。

 この試胆会という別世界に阿沙賀を巻き込んだ張本人。

 であるならばこれまでの怒りのありったけをこいつのぶつけるべきで、ただ倒すだけでは気が済まない。


 不意を討って負かすのはいい。卑怯な手段を講じて勝利するのもいい。

 だがなにより最も敗北の味を濃く強く感じるのは、いつだって真っ向勝負の上の敗北に決まっている。


 だから迷亭の提示した勝負法で完膚なきまで叩き潰す。最高に上げた状態から叩き落す。勝利を確信したところに敗北を叩きつけてやる。

 全てこれまで思い通りとでも言いたげなそのツラを歪ませ、思い切り泣かせてやるのだ。


 理不尽に対する怒りを、阿沙賀は忘れない。


 ありありと煮えたぎるものを隠しもしない阿沙賀であったが、迷亭はただ喜ばしげに笑った。

 どうにせ思惑通りなのだから、そこに付随する感情には頓着ないのかもしれない。


「では早速、第一問……僕の名前はなに?」

「そりゃ迷亭だろ」


 随分とシームレスにはじまった曰くクイズ大会。

 仰々しさの欠片もない雑談のようなスタートに、阿沙賀は反射的にツッコむような返答を返してしまう。

 熟慮もなにもあったものではないその即答に、だが迷亭は不満げ。


「ちゃんとフルネームでお願いするよ」

「そういやオメェの下の名前は知らんな……名前当てか、いかにも悪魔とのゲームだな」

「だろう? こういう定番は外さないよ」


 悪魔の名前当て――古今東西の童話や逸話に残る題材のひとつ。

 なんらかの利益を悪魔から得て、その代価が支払えずにゴネると悪魔が自分の名を当てたらチャラにしてやると割と親切なことを言ってくれるのだ。

 そして往々にして悪魔の自白によって――その名を知るのは当人のみだから、他に手立てはないのだが――名は明かされ、名を当て、悪魔は去っていく。


 それに則れば。


「迷亭。オメェの名はなんてんだ?」

鈴鳴スズナリ。迷亭・鈴鳴さ」

「なんだよ、結構いい名前じゃねェか」


 その返答が真実とは限らない。

 嘘吐きの言葉を信じる馬鹿正直でいいのか。


 構うものか。


「じゃ、オメェの名前は迷亭・鈴鳴だ」

「ルンペルシュティルツヒェンも吃驚な即答だねぇ……」

「おれはどっちかって言えばトム・ティット・トットのほうが親しみ深いな」

「おや、そうかい」


 どちらも自らの名前を当てられるか人間と賭け、そして自ら歌い上げたところを聞かれて敗北した間の抜けた悪魔だ。

 迷亭もまた彼らに倣って名乗りを上げて――果たしてそれは嘘か真か。


「で?」

「正解だよ、おめでとう」


 至極簡単に、迷亭はそう言った。

 これだけ嘘吐き嘘吐きと前振りを重ねておいて、やけにあっさり正直ではないか。

 嘘のための真実、ということなのだろうか。


 それとも、嘘吐きという自称こそが嘘なのか。

 こんがらがりそうだ。


 迷亭はといえば、一問目を突破されたというのに清々しく笑んだまま。


「続いて第二問……僕の最大の嘘はなぁんだ?」

「ち。随分と抽象的だな」


 これでは質問するにも考える必要がある。

 というか。


「これ、大江戸・門一郎は答え出せたのかよ」

「うん? それはどういう意味だい」

「いやどうせ大江戸・門一郎にもこういう面倒な絡み方をしたんだろうなと」

「なんでわかるのかなぁ……愛かな?」

「ぶん殴るぞ」


 握り拳が雄弁に言葉に偽りないことを語る。

 殴られるのは勘弁と迷亭は急いで問いに返答を。


「そうだよ、クイズ大会は彼ともやったね。けれど……この問いは出題していない。彼は答えを知っていたからね。知った問いを投げるほど愚かなことはないだろう?」

「じゃあ、おれがはじめてか」

「そうなるね。期待に胸躍るよ」

「嘘つけ。失望するんじゃねェかってビビってるくせによ」


 上っ面で微笑んで、言葉面で期待感をだして、だがその本心は今にも泣きそうなガキのそれ。

 阿沙賀が間違うことを期待して、真実を暴かれることを期待して、それ以上に思い通りにならないことを恐れている。


「ん、けど今の問答でわかったな……つまり、オメェが人間だってことだろ?」



 迷亭の吐いた最大の嘘――それは、彼女が悪魔ではなく人間であるということ。



 どこまでも荒唐無稽、これまでの前提をひっくり返す暴論。ありえないほどのちゃぶ台返しな指摘。

 けれど迷亭は深く笑った。


「んふふ、正解。すごいなぁ、これ、他の七不思議の悪魔たちでさえ知らない嘘なんだけどな」


 事実、このふたりの問答を通常世界で覗いている面子は全員が例外なく驚愕していた。

 遠凪さえ、それは知らなかったこと。


「しかしこれも疑問だな、どうしてわかったんだい――君の目は、一体どこまで見抜いている?」

「見えるトコまでに決まってンだろ」


 適当に受け流しつつ。


「オメェが人間だってのは、あれだ。ほとんどなんとなく最初からそんな気がしてた」

「直感かい」

「あぁ。それと……オメェがおれに説明してくれたことあったろ。悪魔に魂を全て奪われた人間は輪廻の輪から外れるって話」

「したね。そこに嘘は含めていないけれど」

「敢えて伏せた部分はあるだろ――逆のパターンをどうして話さない」


 魂全てを悪魔に奪われた人間の末路は嬉々として話しても、人間に悪魔がその全てを奪いつくされた場合については語っていない。

 それは単に気まぐれであったか。

 否であると、阿沙賀は言う。


「たぶんオメェがそれなんだろ。人間だけど、悪魔でもある。オメェ、契約悪魔を全て取り込む契約をしたな?」


 だから悪魔の気配を漂わせ、長い年月を年老いず、顕能さえも行使しうる。

 悪魔食らいの人間をして――


「その通り。僕みたいな人間を、魔女という。覚える必要はないよ、前例はきっと存在しないから」

「そりゃ流石に嘘だろ」

「ふふ、どうかな」


 おや、いつもと違う切り返し。

 阿沙賀がすこし面食らっていると、迷亭は肩をすくめて。


「魔界においては存在しないとされている。まぁ、どう転んでも悪魔にとって恥でしかないからね、そのように主張するのは当然さ」

「……こっち側は」

「そういう記述や示唆はあったね。まあ自称とか確度の低い与太ばかりではあったけれど、どこかに真実が混ざっていたのかもしれない」


 確証はなく、可能性だけがあって、事実は不明。


「確実の例はこの僕だけなのさ。だから前例の有無については、嘘とも真実とも言えないよ。

 ――ゆえにそのような存在に、名すらついていない。ので、勝手に魔女と名乗らせてもらっている。似合うだろう?」

「あつらえたみてェにな……」


 それだけの例外中の例外であって、実例などこれまで報告がない。むしろおとぎ話なんかの領域で認知されている。現実ならざると了解されている。

 だから他の誰もが気づかない。それと疑うこともしない。

 阿沙賀のように無知であるからこそ素朴に狂った正答を導き出せるのだ。


「けど大江戸・門一郎は知っていた」

「そりゃあね、僕は彼の弟子なんだから」

「弟子……」


 なんだその嘘みたいな新情報は。

 しかしそれが真実だとすると、こいつもまた大江戸・門一郎の系譜、つまり彼の仕出かした理不尽のひとつということ。

 また余計に大江戸・門一郎への腹立ちが増すというもの。厄介弟子残してンじゃねェよ。


 だが得心もある。


「じゃあ空間操作が上手ェのも当然だな」


 なにせその孫が誇らしげに言っていた。


 ――召喚士は空間操作技術において悪魔を凌ぐ、と。


 ほとんど後付けみたいなものではあるが、遠凪のその発言がこの答えを後押ししたのは事実であった。

 迷亭は悪魔の力を保持しながらも召喚士としての技能も有するということ。

 魔魂顕能レツァイゼン人魂啓術テウルギア、その両方を高水準で使いこなす恐るべき魔女。


「しっかし、なんでまたそんな難儀なことになってンだ?」

「さて? 僕はただ契約悪魔と有利になるように交渉していただけなんだけど、いつのまにやら彼女は消えて僕になっていた。不思議だね?」

「口八丁で丸め込まれた悪魔ァ」


 なんかそれは種族的にどうなのだ。

 それだけ迷亭という個人が突出して言葉遊びに優れているということなのか。それにしては、随分と阿沙賀に押され気味だ。

 なにせ、三問中二問が既に突破され、あと残された一問だけが彼女の砦。


 追い詰めている――いや違うと阿沙賀は思う。

 一問でも落とした時点でこちらが敗北なのであるなら、何問正解しようと最後の一度でひっくり返る可能性をもつ。


 だから結局、この三問目こそが最大最後の鬼門にして難問。


「では第三問……最後の問題だ」

「おう。かかって来い」


「――僕の求める敗北はなんでしょう?」


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