40 基本三則第一項


「んでどうなった?」


 なんとかかんとかフルネウスを撒いて――というかノックアウトして――地上廊下に戻って来た阿沙賀はまず確認を。

 すぐに待ちわびたとシトリーは振り返る。卑屈そうながら笑顔であった。


「あっ、阿沙賀! まっ、待ってたぞ。ほら見てくれ」


 げしげしと蹴りつける足元を見遣れば先ほどの一人称名前の悪魔、エンブレアッハが意識を失い倒れていた。

 倒した――どころではない。ニュギスがドン引きして。


「うわぁ……魔力が枯渇してましてよ。随分とえげつないことをしましたわね、不細工」

「ふん、やっ、役立たずのお前と違って有能だからなぶっ、不細工」

「わたくしのどこが不細工ですの!」

「あー、あー。やめろオメェら鬱陶しい」


 一言会話を交わすだけで喧嘩に発展しかける不仲なふたりであった。

 というかニュギス大抵の七不思議悪魔たちと仲悪くないか。別に仲良くしろとも思わないが、やたらと険悪なのは淑女としてどうなんだ。


 阿沙賀がごく面倒くさそうに仲裁し、それよりもと。


「で、契約者のほうは?」

「ん」


 シトリーが指さすほうでは無数のゾンビに襲われている最中の永仲の姿があった。


「うわぁぁぁぁあああああああああ――!? だっ、だれか、だれか助けてくれぇぇぇえええ!!」


 逃げ場なく囲われ、無数の汚れた手が彼に迫る。触れた手は異様に冷えて接触箇所が凍えてしまったように錯覚する。

 すこしずつすこしずつ肉を削がれ――はしないが爪を立てられて地味に痛そう。

 噛みつかれて徐々にゾンビ化――はしていないが歯形、体中に残ってそう。

 あと生命力も啜られてるっぽい。


 完全にゾンビ映画のワンシーンである。全年齢健全版かな?


「うん、よし」


 なにもよくないが、よいのである。

 頷くと、すすっとシトリーが音もなく近寄ってくる。その頭頂部を阿沙賀に向けて。


「どっ、どうだ? あっ、あたしはやったぞ? だから、なぁ? あっ、阿沙賀ぁ」

「おう、そうだなよくやった」


 軽い感じに頭に手のひらを乗せて撫でてやる。

 犬猫にやるより雑であったが、むしろそれでよろこぶのがシトリーである。髪が乱れるのも気にしちゃいない。


 顔面が紅潮してにやけ面になりながらも、ただシトリーは釘を刺すようにひとつ言っておく。


「ふっ、ふひ! でっ、でもな阿沙賀。あっ、あんまり甘やかしすぎるのも、よっ、よくないぞ」

「は?」

「あっ、あたしは基本的にはマゾだから……こっ、こういうご褒美は十回に一回くらいでいいんだ……ぞんざいに扱われるほうが、こっ、興奮するから……」

「いやオメェの都合は知らんけど」

「ふひ! それでこそだ、あっ、あたしの要望を突っぱねる姿も、すっ、素敵だ」

「なにを言っても興奮するやつじゃねェか!」


 バシッと頭はたいて撫でるの終わり。

 名残惜しそうに見つめてくるシトリーを無視して、阿沙賀は周囲を警戒。


「さて、こんだけ暴れたンだ遠凪もリアも気づいてるだろうし、あいつらのことは投げるとして……」


 終わったあとの処理よりも、これから起こり得る展開に思考は進んでいる。


「おいシトリー、生徒のゾンビ化を解け。迷亭、聞いてンだろ、記憶誤魔化しとけよ」

「『はぁい』」


 気のない返事。

 そこいらの一般生徒を心底どうでもいいと思っている悪魔どもは、指示をだしておかないとそのままにしかねない。

 もはや儀式としての試胆会の契約は終え、事の隠蔽についてそこまで真剣に取り組むつもりがないのだ。


 そしてそれは、もしかしたら九頭竜の連中にも同じことが言えるのかもしれない。


「それから迷亭、遊紗の安否を確認しろ。他に紛れてる奴がいるかもしれねェ」


 まさか一組だけで敵地に乗り込むような馬鹿はすまい。

 ……いや、するかも。すごいバカっぽい奴らだったし。


 そうであったとて、こすからい輩が猪武者に乗じて潜んでいる可能性はある。

 ともかく警戒は緩めないほうがいい。世の中バカばかりと舐めてかかると足元をすくわれる。敵はすっごく頭いいと想定しておくほうがまだしも被害は少ないはず。


 特に姿を消す顕能をもった悪魔を取り逃がしたのは痛手だ。

 あの能力があってはいついかなる奇襲も可能性がゼロにならない。常態の警戒度を下げるわけにはいかなくなる。


 幸いなのは学園内でなら迷亭の知覚網に引っかかるという点。

 嘘吐きのレーダーというのも非常に厄介だが、ないよりはマシというもの。


 その信頼できないレーダーは愉快そうに。


『おや残念、君にしては珍しく勘を外したね。他に侵入者はいないよ』

「……嘘か?」

『君のミスを指摘できるのに嘘は吐かないよ』

「いい趣味してるぜ」


 アイデンティティを放っておいてでも責め立てたいとか、そういう芯の心もとない感じが嫌われるってこいつわかってんのか。


 しかし……見当はずれだったか。

 そこまで馬鹿で、そこまで連携できていないとは。

 組織として本当に成り立っているのだろうか、他人事というか敵のことながら心配してしまう。


「……いや待てよ? 迷亭、遠凪とリアの現在位置は?」

『遠凪くんは大江戸くんのもとにすっ飛んでいったね。甲斐田くんは――三』

「あ?」

『二……一』

「ぜろ?」


「――阿沙賀くん!」


 振り返れば慌ただしく廊下を駆けてくる少女、リアである。そして追随するのはドボルグドワ。

 阿沙賀はすこしだけ眉根を下げる。


「あー、こっちか目的は」

「え? どうしたんです――というかじゃなくて敵! たぶん敵来ましたよね、魔力反応があって急いだんですが!」

「はい、その魔力反応だした敵のエンブレアッハさんです、そんでこちらがボコした後の姿だ」


 言って阿沙賀は横たわるエンブレアッハを雑に指す。

 それとすぐ隣りには意識不明の永仲、生徒のゾンビ化を解かせた際にまとめておいた。


 いかにもどうでもよさそうに言う阿沙賀に、リアは目を丸くして。


「え、阿沙賀くんが倒したんですか?」

「いや、倒したのはこいつ」


 やっぱり熱意なしに横合いのシトリーを示す。

 シトリーは飛んできたリアの視線に殺傷力でも感じたのか、びくりと全身を震わせたと思えば慌てて阿沙賀の背に隠れる。

 なんとも情けない姿に困惑しつつも、一目で看破できるのは一流の啓術使い。


「えっ……と、その子、悪魔です、よね」

「あぁやっぱり見ればわかるもんなのか」


 などという感想はどうでもよくて。


「いえ! いえ、本当に悪魔じゃないですか、なんでこんなところに、誰の契約悪魔ですか!?」

「大江戸・門一郎」

「……え」

「遠凪が言ってたろ? 大江戸・門一郎の残した悪魔のひとりだ、こいつは」

「彼女が……」


 御霊会の契約者として遺留悪魔に思うところはあるが、一応以前の話のあとの報告で手出し無用の通達がでている。

 ……九頭竜の登場で有耶無耶になった、という側面もあるが。


 ともかくここでリアがシトリーに言うべきこともすべきこともないということ。

 では目下の敵にあたる九頭竜の悪魔とはいえば。


 リアは倒れて意識を失っているエンブレアッハに視線を移す――と、そこで。

 見つめた先の小さな口から、うめき声が漏れ出てくる。



「っ、ぅぅ……」



「っ」

「……」

「お?」

「あら」


 リアの表情が一瞬で引き締まる。ドワがなにやら魔力を練り出す。

 阿沙賀が片眉を上げ、ニュギスは静かに目を細めた。

 そしてシトリーが本当に驚いたとすこしだけ声を跳ね上げさせる。


「おっ、起きたのか……根性あるな、おっ、お前」


 呻くように、エンブレアッハが目を覚ましたのだ。

 全員の目線が集中し、警戒心と敵愾心が膨れ上がる。

 抵抗の余力はないだろうが、それでもなにか危険があってはいけない。


 エンブレアッハは、首さえ動かせず目だけで周囲を浚って状況を理解。

 第一声が。


「っ、なによこれ……あーちゃんに逆らってタダで済むと思ってんの!?」


 これである。

 強気というか生意気というか、状況を理解できているのだろうか。

 呆れながらも阿沙賀はシトリーの言葉のほうに反応を示す。


「根性っていうか、理解力に欠けてるだけじゃねェ?」

「いえ、それは確かにそうでしょうが、根性もありましてよ?」とニュギス「魔力ありませんもの。人間に喩えると一週間断食の上、この悪態ですの」

「そりゃ根性座ってンな」


 阿沙賀は感心しつつも抵抗は無駄であると示すよう隣を指す。

 指し示したほうには彼女の契約者永仲が気絶しており、目を覚ます兆しもない。

 契約者を捕縛され、自分も魔力を失っている。そんな契約悪魔になにができるという。


 ――そうした油断が阿沙賀ら全員にあったことを、否定はできないだろう。


「ち、使えないわね。もう……いいわよね、りゅーちゃん」

「……あ?」


 なにを言っている?

 どうしてここで竜木・竜の名がでてくる?


 疑問している内に、エンブレアッハの細腕が震えながら永仲に伸びる。触れる。

 瞬間――


「え……?」

「はっ、はぁ?」

「そんな……っ!」


 ありえないことが起きた。


 あまりのことに悪魔二柱は驚愕し硬直する。リアもまた驚き目を見張る。

 ひとり驚く理由がわからない阿沙賀であったが、ともかくなにかあると判じて一拍遅れで触れている手を蹴り飛ばそうとして――


 ――『香り狂える色への隷従テンプテーション・キッス


「っ!? なんだと!」


 一瞬、予想外のそれに足を止め鼻を押さえざるを得なくなる。

 その間にエンブレアッハは妙に元気に跳ね起きて窓を破って逃走した。ここが三階であるとか、悪魔に言っても無意味か。

 唯一すぐに動けたのは事前に警戒していたドワ。


「――待たんかいボケぇ!」


 ぱん、と乾いた発砲音が鳴り響く。

 即座に破った窓に張り付き、腕を伸ばし離れていく悪魔の背に向けて弾丸を――


「いや待って拳銃ァ!」


 なんか急に元気よく逃げ出した奴も気になるけど!

 そんなことより物凄く目を惹くんですけどその手の中の黒光りするもの!

 どう見ても大口径の拳銃、オートマチックピストル、ヤクザの秘密道具!


「ちゃうちゃう、ワシのは普通のハジキとちゃうで。ワシが作っててん、悪魔にも通じるんや」

「ハジキとか言うな」

「え。あー、チャカのほうが通じええか? 堪忍な」

「そこじゃねェ――悪魔が拳銃使ってんのおかしくない!?」


 なんかこう……世界観に異議申し立てをしたい!

 雰囲気とか風情とかそういうものを引き合いにだしてミスマッチを非難したい!


 ドワは気軽に連射しながら気楽な声で返答をくれる。


「せやかてワシの魔魂顕能レツァイゼンが『装成ヴァッフェン』言うて、武装を作り出すもんやねん」

「便利だね! でも拳銃はオメェに似合いすぎてる! 似合いすぎてちょっと変えてほしかった!」

「あはは、兄さんほんまおもろいなぁ」


 言っているうちにもドワの銃撃はやんでいた。完全に逃したらしい。

 深追いしたいわけでもないし、そこは仕方ないとする。

 伏せていた顕能を晒してまで追撃をしてくれたのだ、責めはすまい。


 仕方ないとできないのはこちらにある――阿沙賀のジト目な視線はシトリーに向く。


「……で?」

「……えと」


 両の指先をつつき合わせ絡め、シトリーは目を逸らしていた。


「言い訳は聞く」

「いえ、あれは残念ながらそこの不細工に落ち度はありませんの」


 意外にもニュギスのほうから擁護がはいる。

 先ほど、なにやら驚いていたことに起因するのか。

 シトリーに目を向ければ、きょどりながらも説明を。


「えっ、ええと、あれだ。さっ、さっき、あいつ……じっ、

「――は?」

「契約者の魂を食べて、魔力を回復して、にっ、逃げた……」


 シトリーの端的な説明を、阿沙賀は理解するのに数瞬を要した。

 理解してなお疑問が乱立する。ここ数日間で培った常識と照らし合わせ、それは非常におかしな事態であるとわかってしまうから。


 当然、リアも阿沙賀以上に衝撃を受けていて、深刻な顔でいつの間にか横たわる男に触れていた。

 首を振られ――彼が息を引き取ったのだと無言で語っていた。


 まさかの人死にに多少なりショックを受けながらも、できるだけ平常通りを努め、阿沙賀は低い声で確かめるように。


「そりゃオメェ……契約でできなくするもんじゃねェのか?」

「ふつうはそうでしょう。だからわたくしも驚いてしまいましたの。まさかその契約をしていないで連れ添っていたとは……」

「…………」


 それはお前らもだろうと、シトリーは思った。思っただけで言わないでおく。空気の読める悪魔なのだ。

 阿沙賀は一切、自分のことなど顧みずただ破られた窓を見つめてぼやく。


「基本三則だったか? 三項だけでなく、まさか一項目さえ契約してねェって、どうなってンだ?」


 阿沙賀のこぼした純粋な疑問に、返せる言葉を持つものはいなかった。

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