35 九頭竜


 それは一瞬だったのか、それとももっと長く途絶していたのか。

 わからないが、阿沙賀が不意に目を開ければそこはよく知る大江戸学園の教室だった。

 とはいえ風情がどうも奇怪に歪んでいる。

 ずらりと並ぶ机はそのままだが、誰一人として座っていない。窓の外は真っ黒で電灯も点いてないのに妙に明るい。広さは変わらないはずなのに狭苦しくて息苦しい気さえする。


 見慣れているようでどこか違う。なにか違和感。

 ここはいつもと違う場所と間違いなく理解できる。

 であればどこか――見知らぬ誰かの腹の中。


「――なんだオマエらは?」


 声につられて顔を向ければ、そこには学園にまるきり似つかわしくない姿をした男がいる。

 不健康なほど細面な、四十歳程度のさほど目立たない雰囲気の男だった。


 だが酷く警戒心を鳴らすのはその服装。

 当然、画一的な制服でない――どころか、彼は使い古したシャツにパンツ一丁の上、白衣をかぶせているだけの格好だった。


 とんだ変質者である。


 警察に助けを求め叫び出したくなるが――重要なのはそこではない。

 その変態野郎が倒れた遊紗の腕を掴んでいる。

 抵抗の様子がないことから気を失っていることがわかり、引きずっていることからどこかへ連れて行こうとしているのがわかる。

 つまり許しがたい敵だ。


「変態野郎! どこの誰だか知らねェがその子を離せ、他の奴らはどこへやった、結界を解いて降伏しろ!」


 とりあえず要求を全部投げてみるが、無論それを唯々諾々と受け取るとは思っていない。

 阿沙賀はそれより、周囲への警戒心を募らせている。


 ――悪魔がいない。


 遠凪は敵を召喚士だと断定した。ならばそうなのだろう。疑う余地なく悪魔がいるはずだ。

 だがその姿が見えない。隠れているのか。隠れているのならそういうタイプだとあたりをつけて目を細める。

 少なくとも「オマエら」と奴は言ったので向こうはこっちの悪魔ニュギスは認識しているようだし、警戒はいくらしてもし足りないだろう。


「――誰だと聞いてるんだぁぁぁぁあああ!?」


 白衣の変態はなんかトんだ目つきで勝手に苛立って叫び出す。こっちの発言には一切聞く耳をもっていない。

 ……なんというか、既視感とともに危機感を覚える。

 こいつは相当イカレてる。


 とはいえもはや悪魔のアレっぷりに慣れている阿沙賀はたじろぐこともなく負けじと張り合い叫び返す。


「そりゃこっちの台詞だ、学園襲うテロリストさんよォ! オメェは誰だ!」

「私はお医者さんだ! ここに急患がいるのでこうしてお医者さんごっこを――!」

「なんで医者が医者の真似事をはじめるンだよ、下卑た下種が過ぎて吐き気を催すわ!」

「なに!? 吐き気か! ならばこの注射を一発!」


 白衣から取り出しますは尋常ではなく怪しい注射器。天に掲げても不吉な予感しか覚えない。


「……ちなみになんの薬だ?」

「どんな苦痛にもこれが一番、マリファナだ」

「薬物中毒者ァ!」


 マジモンのイカレ野郎であった。まさかの薬物中毒者である。

 いや、いろいろと納得するけども。目の狂い方がギャンブラーと似て非なる血走り方してるもんな。常人ではない。


 しかしなんでヤクチューとかいう真なる犯罪者がこんな平穏な学園に! それも悪魔を伴って! 最悪の組み合わせじゃねェか!


 悪魔の信者は狂信者と相場は決まっており、イカレた思想と発想は薬物を肯定する。

 古い儀式に精神を狂わす薬を利用するなんて話は少なくない。

 世のしがらみから解放され、己を昇華させて神に近づく――などというクソまみれな理屈を通して、ヤクを神の啓示として頭アッパラパーになる宗教だってある。

 それをして多く邪教と呼ばれ、そのぶんだけ悪魔という存在とは縁あるもの。


 清廉潔白な者が神に祈るのなら、邪知暴虐の徒は悪魔に縋るということだ。


 そういう意味ではある種、正統派なのかもしれない。なんてふざけた正統であろうか。

 なんなら楽しいものが好きな悪魔はああいう狂人が好みなのか? ちょっとセンス疑うぜ。


 流石に待ったをかけるのは常識的な悪魔と自称してやまないニュギスである。


「それは個人の趣味嗜好の問題でしてよ、その手の好きものもいるにはいますでしょうけれど。

 ただしわたくしはあんな外付けに興味はありませんの。やはりなんでも天然ものが一番ですの」

「誰のこと言ってンだろうなァ、全然わっかんねェなァ!」


 ではなくて。

 じゃれ合いだか仲間割れだかをしている場合ではない。

 今も変質者な上、犯罪者で薬物中毒の危険人物が遊紗に触れているのだ。一刻も早く助けださねばならない。


「で、おいコラ、ヤブ医者! さっさとその子から手ェ離せ! 離さねェとオメェの腕のほうをへし折るぞ!」

「なんだ、もしかしてオマエもこの大江戸の娘を奪いに来た同業か?」

「――アァ!?」


 一本、なにかが切れる音が聞こえた気がした。


「オメェなんぞと同類にすンな! てーかすげェ才能があるかもってだけでなんで拉致だよ、意味わからんわ!」


 どういうことだ、こいつは遊紗を狙ってきたのか?

 どうして――いや理由はなんとなく想像できるか。


 大江戸・門一郎。

 あれの血筋というだけでクソみたいな虫を引き寄せてしまうのか。無知で無垢であっても、いやだからこそ悪意は容易く忍び寄る。

 急に判明した設定から囚われのお姫様ポジションに移行する遊紗である。


 ――囚われになんてさせねェ。


 などという阿沙賀の感情の機微に、男は気づかない。

 自分ばかりで他人を疎かにするのはイカレどもの悪い点。得意げにべらべらといらないことを語る。


「この桁外れの魂をもってすれば色々と使い道はあるだろうよ。そのくせこちら側には無知と来た、これほど手ごろでそそる獲物はいないだろうさ」

「……獲物だ?」


 もう一本切れる――それはきっと、堪忍袋の緒というやつで。

 阿沙賀の右手は既に固く握りしめられている。


 そんな阿沙賀にやはり気づきもしないで、薬物中毒ヤクチュー男は薄ら笑いを浮かべる。


「どうだオマエ、私たちと組まないか? この結界に侵入できるくらいだ、それなりの術は使えるみたいだし、この短期間でこの娘に辿り着けるだけ鼻がきくようだ。竜木リューギさんも喜んで――」

「うるせェもう黙れ」


 聞くに堪えない雑言を振り切って、阿沙賀は踏み込み一挙に距離を詰める。

 居並ぶ机の隙間を縫って走るは慣れたもの。最短距離で憎きクソ野郎の顔面に硬い拳を――



 ――そのとき。

 ――心胆凍え背筋が震える。



 一瞬の出来事。

 確かに存在しなかった男が、矛盾のように現れ出でる。

 阿沙賀の背後に。凶器を片手に。殺意を抱いて。

 なんの脈絡もなく極大の死が形をもって急襲を仕掛けてくる。


「死ね――「オメェがな!」――なっ!?」


 瞬間――反転――振り返る。

 冷酷を溶かす熱量で阿沙賀は吼える。

 背後から襲いかかってきた悪魔に会心の笑みを見せつけ――


「オラァ!」


 ぎょっとしてる間に殴りつける。

 即座ニュギスから供給された強化も相まって突如現れたその悪魔にクリーンヒット。派手に吹っ飛んで机や椅子を巻き込み倒れこむ。


「……え?」


 驚き惑い誰もが動けなくなっている結界内で、阿沙賀だけはずんずんと大股で歩いていく。

 倒れ伏した悪魔に馬乗りになって追撃、猛撃、タコ殴り。

 相手が沈黙するまで徹底的に拳をぶつけてしっかり意識を奪う。

 どれだけかその一方的な暴力は続いて、不意に阿沙賀は立ち上がるとふぅと一仕事終えたみたいに汗を拭う。


 そこでようやく白衣の契約者は声を発することができた。


「どっ、どうやってヨーベルジュの攻撃を! そいつの魔魂顕能レツァイゼンは――」

「姿を隠す顕能、だろ?」

「!」


 なにを驚くことがあるか。バレバレであっただろうが。


「そうでもなきゃオメェみてェな変態ファッションの輩が誰にも気づかれず学園に入り込めるわけねェだろ!」


 そりゃ確かにそうだ、とニュギスが背後でしきりに得心している。


 だがそれは悪魔の魔術か召喚士の啓術ケイジュツによる作用ではないのか。ドレス姿のニュギスのように隠形しているだけではないか。

 だがそのどちらもありえないだろう。


「遠凪と、なにより迷亭のボケが気づけなかったのはありえねェ。あいつらは啓術ケイジュツに関しちゃ図抜けてるはずだ」


 天才の血筋の天才と。

 天才の認めた魔女だ。


 そんじょそこらの啓術使いなどより優れているのはまず間違いない。

 公爵ヘルツォークニュギスの隠形の魔術を見破ったのだ、その他下位の者どものそれなど言うに及ばない。

 また隠れる啓術があったとしても、見破る能力で勝っているのなら意味はなく――それでも見破れなかったのは別の要因が絡んでいたから。


 魔魂顕能――爵位も魔術啓術をも誤魔化しうる例外の御業。


 阿沙賀は敵の顕能をそうして確信し、だから不意打ちだけを警戒していた。

 不意を打つぞと意気込んでいるような奴の踏み込むタイミングなんてのは限られているので、そこに合わせてカウンターをぶちかました。


 結果は上々。

 気絶した悪魔――ヨーベルジュと呼んでいたか――は起き上がれそうもなく、相対する契約者は青ざめている。

 阿沙賀はゆらりと腕を伸ばして指をさす。


「狂ったふりは楽しいかよ」

「!」

「ドラッグキメキメのジャンキーなのは確かだろうが、オメェ正気だろ」


 大嘘吐きと駄弁り、鏡合わせに変身する友人を持つ阿沙賀に偽装は無意味だ。


素人ウブにゃ見えねェ。慣れ親しんで並大抵の摂取量じゃトばねェレベルに重度で、だからこそ正気でありながら狂気に浸ってられる。遊び慣れてる」


 ヤり慣れている。ヤク慣れている。

 溺れるほど薬物にのめり込んでいるのに、溺れることもなく水遊び。

 理性をトばすことがごく自然で、それと同じくらい当然に正気に戻る。

 それが自然体であるかのようにドラッグをキめ、境目を見失うほど常態。精神が混沌としている。

 重篤な中毒者ゆえに本当の意味でトリップするのに苦労する。正気を失いきれていない。


 ヤバい相手には変わりないが、だからこそ話し合いが通ずるだろう。脅しもまた。


「んで? おいオメェどうするよ、殴り合うかよ?」

「すみません、痛いのはご勘弁ください、降伏します……」

「じゃあとりあえず――」


 阿沙賀は歩み寄って足を振り上げる。

 そして未だに遊紗を掴んでいる無礼な腕を踏みつけ、へし折る。


「ぎゃ……っ!?」


 有言実行の男である。

 腕を抱えて転げ落ちる男を無視して、すぐに遊紗を抱き起こして怪我がないかを確認し、無傷に安堵。

 いや待て、相手は危険な薬物中毒者。まさかとは思うが、


「おいオメェ、この子に大好きなお薬なんざやってねェだろうな」

「すっ、するか。これは私のものだぞ! わっ、私だけの……!」

「あっそう」


 言いながら無事な左手で先の注射器を自分に刺そうとするのでもう一発蹴りをいれておく。

 ヒキガエルみたいな声を上げてのけぞった男は手元の注射器を取りこぼしたので、阿沙賀はごく自然に床のそれを踏み潰した。

 短い悲鳴が聞こえたが無視して。


「そいでオメェ、名前は?」


 どうせジャンキー、痛みも鈍化してるだろう。配慮もなしに質問に移る。

 未だに潰れた注射器を名残惜しそうにしていたが、阿沙賀が拳を振り上げたら素直に答えた。


宇治ウジ原一ハラカズ……医者だ」

「嘘つけ。ヤクチューの医者なんて世も末過ぎるわ!」

「本当だ! 私は大病院の外科医だ! 五年前までは……」

「あー。なに、薬物盗んで一発逮捕か?」


 そんなニュースがあったようななかったような。

 いや思い出す必要はない。どうでもいい。


「で、オメェの来歴はどうでもいいが、召喚士だな?」

「ちっ、ちがう……契約しただけだ。失業を機に今のグループに誘われて……」

「グループだ? そういやさっきなんか誰ぞかの名前を言ってたな。りゅ……なんだっけ?」



『――それくらいにしてくれよ』



 ずん、と世界が重く沈み込む。


 姿もなしに声だけが世界に響く――迷亭ではない、男の声だ。

 その発する声には力があり覇気があり、この結界内を威圧し揺るがしている。


 阿沙賀は右を見て左を見て背後も確認し、とりあえず頭上を仰ぐことにする。

 目を細めて不満そうに誰何すいかを発する。


「で、オメェは誰だ?」

竜木リューギリュー。そこの屑の身内でね、あまりイジメてくれるなよ』

「竜木さん! 助けてくれ!」


 喚きだす宇治を再度蹴飛ばす。

 こっちが話しているのだ、黙っていろ。


 阿沙賀はひとつ得心いった風情で竜木と名乗る声に向ける。


「なんだよまさかこの空間はオメェの仕業かよ、道理でこいつがこんなに雑魚だ」


 当初は宇治がこの結界を作った召喚士なのかと思ったが、どうやら別に仕掛け人がいたようだ。

 遠凪が警戒を促したのも、ならばこちらか。


『おいお前、俺は名乗ったぞ。名乗り返せよ礼儀も知らんのか?』

「おれは阿沙賀・功刀だ」


 名乗れと言われれば名乗れる阿沙賀である。

 声は不思議そうに揺れて。


『阿沙賀……聞かねぇ名前だ。どこの所属だ』

「大江戸学園二年二組だ、出席番号も聞きてェか?」


 真っすぐに真実を突きつけるも、人によってはそれは馬鹿にしていると捉えることもできるだろう。

 だが竜木は感情を荒立てることもなく、なにが楽しいのか笑声交じりに。


『なんだ、まさか無所属か。だったら宇治も言ったが、おい、俺たちの仲間にならねぇか?』

「誰がヤクチューなんざと手を組むかよ」


 至極真っ当な判断である。

 だが返答は狂気の沙汰。


『いやそいつ薬なんてヤってないぞ』

「……は?」


 ……は??


『お前がさっき踏みつぶした注射器に入ってんのは栄養剤だ』

「いやっ! いや流石にそれは……うそァ!?」


 なんてこった、それじゃあこいつのこれまでの言動、行動、目つき雰囲気全部が――素面?

 薬もなしに自力で精神を高揚させ、薬もなしに心からイカレ果てて、薬もなしに下着に白衣のファッションセンス?

 阿沙賀の観察眼をもってしてもヤクチューであると思えた全てが決して薬物に頼ることなく自力でなしえたのだとしたら――


「トんだイカレ野郎過ぎて怖っ! 消え失せろエーンガチョ!!」


 ヤバいヤバいヤバい……!

 全力でかかわり合いになりたくない。まだしもヤクチューであったほうが理解の範疇であった。

 何故ならヤクのせいであるならニュギスのいう外付けの狂気であって、本質は普遍の正気をもっているのだと信じることができたから。

 だがこの狂態が外部要素なしに彼の内から全て発生して出力されているのだとしたら、もう本当に言い訳の余地なく真性の狂人である。

 同じ人類であるという共通点が彼の狂気をこちらの狂気と見做せてしまい、宇宙的恐怖が湧き上がってくる。

 こんなことで悪魔より怖いのは人間だった的な教訓思い知りたくなかった……!


 なんとか上ずった震え声で、阿沙賀は必死に軽口をたたく。恐怖心を誤魔化そうとしていた。


「おっ、おいおいニュギス、本物の天然ものが目の前にいらっしゃったぞ。これがいいのか?」

「ほっ、本物というのはこれほどまでに見るに堪えないとは……いえ契約者様も負けず劣らずでは?」

『この業界、狂ってる奴ほど悪魔と上手くやれるもんだ』

「敵の親玉からお墨付きですのよ、契約者様のイカレ具合!」

「誰がだ! 頼むからこれとおれを一緒にしないでくれ! 後生だから!」


 ここまで本気で拒否反応を示すのも珍しい。

 ニュギスはちょっと悪ノリがすぎたかなぁと反省して黙ることにする。

 竜木はべつに黙らない。


『まぁそう怖がんなくたっていいんだぜ、楽しいところだ気楽にいこうぜ』

「集団への所感は最初に出くわした人物の印象で決まるもんだぞ」

『はっ、口は減らねぇ。物怖じしねぇ。揺るがねぇ――おもしれぇ。阿沙賀、お前は絶対仲間にしてやる』

「寝言は寝て言え、宇治も死ぬほどやべェがそれを率いるほうもやべェだろ。オメェが一番お断りだ」


 わかっている。

 阿沙賀の勘が大音声で絶叫している。

 この男は恐ろしいと、声を聞くだけで頭ン中から腹の底まで理解させられている。


 阿沙賀の警戒心が手に取るようにわかるのか、竜木は苦笑を漏らす。


『そう嫌わんで欲しいな。

 ところでお前は今、俺の腹の中にいるようなもんなんだが、どうするつもりだ?』

「その腹を外から裂いてやろうって輩がいるはずだけどな」

『なるほど、互いにひとりじゃないってわけか。たしかになんかの干渉がある。もう長くはもたないな……じゃあ退こう』


 術の精度には自信があるが、どうやら相手方も相当の手練れだ。

 潔く認め、結界の放棄をあっさりと決め込む。逃げるのを躊躇わない、逃げ足が早いタイプ。捕らえるのは厄介か。


「お友達はいいのかよ」


 いちおう引き延ばしの時間稼ぎにそんなことを言ってみる。げしげしと宇治を足先で蹴りつつく。


『よくないな。解放してくれ、そんなジャンキーでもまだやることがあるんでな』

「誰が――」

『そうすればこっちが預かっている残りの生徒も帰してやる』

「!」


 予想の外から殴りこまれたような衝撃。

 ここに来て不在の生徒らへの言及には、阿沙賀もすこし慎重になる。

 遊紗しかいないものだから結界から弾かれ外にでもいるのだと思っていたが、一緒くたに飲み込んで別腹にしてやがったか。


『確保するのは大江戸の娘だけでよかったから別に放置しといたが、月並みに言って人質ってやつだな。交換しようぜ、三十何人かの罪なきガキと、罪にまみれたうちの宇治をよ』

「…………」


 おそらく心底、生徒たちについてはどうでもよかったのだろう。

 邪魔だからどけた、その程度。人質として運用しようなんて今の今まで思いもよらず、この発言さえも単なる思い付き。

 なにも考えていない馬鹿ではあるが、そのぶん柔軟で振り切れている。


 阿沙賀は反応を試すように問いを。


「そいつらは無事なんだろうな」

『俺が殺すのは敵と餌だけだ。それが流儀ってな』


 軽いような語調に反しなにか今までになく強いものを積載し、竜木は「流儀」という言葉を断ずる。

 なんとなしに重要ワードと見て取り、さりげなく探ってみる。


「流儀だ? なんだ白昼堂々の誘拐未遂犯にしてはお優しいことだな」

『違うな。俺は美味いもんしか食いたくないんだよ、グルメだからな……妥協は嫌いなんだ』

「意味わかんねェ……」

『弱肉強食って言葉あるよな? あれ俺は違うと思ってんだ」

「ンだよ、襲撃の理由はお勉強がしてェからか? だったら教科書貸してやるからとっとと帰れや』


 阿沙賀の茶々入れにも取り合わず。


『弱い肉ばっか食って強くなれるかってんだ――強いやつを食らってこそ本当に強い。俺は本当に強い怪物ものになりたいんだよ』

「…………」


 正しく意味を汲み取れた気はしないが、ともかくなにか彼なりのルールがあってそれを守ることを前提として生きていることは窺える。

 本気で何者かになろうと目指す――愚直さが声だけでも伝わってくる。

 ならば先の言葉にも嘘はないと見ていい。阿沙賀は力を抜いて敵意を取り下げる他なかった。


「ち」


 舌打ちとともに腹いせとばかり宇治にもう一発蹴りをいれてから、阿沙賀は静かに数歩下がる。


『交渉成立だな。宇治、立て』

「くっ、くそ! ガキが、大人を敬えってんだ」


 悪態を吐きながら立ち上がる姿に阿沙賀は鼻で笑い飛ばす。その向こう側の男にも、言っておきたいことがあった。


「敬ってほしけりゃせめて社会的規範を守れクソ野郎――リューギ! オメェは見えねェが宇治の顔は覚えたぞ、おれは執念深くて記憶力がいい。次に見かけたらタダじゃ済まさねェからな」

『怖い怖い。けどちょっと負け犬のあれっぽいぜ』

「犬に喉笛噛み千切られろ」

『尻尾巻いて逃げ出すんだ、そう目くじら立てるな』


 そうして、世界は終幕して暗闇に放り出される。

 不愉快な浮遊感となにかを手放したような漠然とした不安感に襲われ、そして最後に嫌らしい声だけが届く。


『俺の作ったグループを九頭竜クズリュウって名付けた。お前は栄えある最後の九人目だ、忘れるな阿沙賀・功刀!』

「誰が……!」

『人の意見に耳を貸さない……これも流儀でな、必ず引き込んでやるさ――そしたら一緒に楽しく遊ぼうや、ははははははははははははははははははははははは――!』


 勝手に決めるな!

 叫び返すこともできずに阿沙賀の意識は闇に呑まれた。


 それは一瞬だったのか、それとももっと長く途絶していたのか。

 わからないが、阿沙賀が不意に目を開ければそこはよく知る大江戸学園の教室だった。


「……」


 きょろきょろと周囲を見渡せばクラス中の生徒が席に座したまま突っ伏している。教壇には教師が倒れていて、無事に返却されたと悟る。

 いちおう、約束は守ってくれたらしい。存外に律儀な奴だ。


 阿沙賀は静かに未だに抱えた遊紗を空いた席に座らせると、さっさとその場を退散した。


「――たく、おかしな悪魔どもを調伏し終えたら今度は人間の変質者どもが相手かよ、どんな因果だ。帰りてェ」

「波乱万丈でこそ契約者様ですもの、わたくしワクワクしてまいりましたの!」


 いつだって悪魔だけが笑っている。




    ◇




 校門へと続く枯れた桜並木を、ふたりの男が去っていく。

 この学園にこの時間にあるには――いや片方はいつどこでもだが――奇妙なふたりだった。


「撤退でよかったので、竜木さん。竜木さんならあんなガキ――」

「いやぁ、どうかな。あの学園、なんか妙な空気だった。なにが潜んでても不思議じゃない。例の大江戸・門一郎の城だしな。きっちり探ってから仕掛けたいもんだ」


 それに阿沙賀の契約悪魔、動く気配がなかったので捨て置いたがあれも得体が知れない。

 宇治はニュギスに関して特に触れず、名前の挙がった与太にすこし大袈裟に肩を竦める。


「……八百万ヤオヨロズの門一郎。竜木さんはあんな与太話を信じているのか?」

「まさか。八百万はっぴゃくまんの悪魔と契約した空前絶後の召喚士なんて、さすがにフカシ過ぎだ。神話でもまだ控えめに言うぜ」


 そんなフィクションには興味がない。

 今の竜木の見つめる先は、あの何者にも屈しないと天を睨む小僧である。


 ふつうの人間は自分が傷つくとなると恐怖が先立つ。人を傷つけるとなると気後れが生じる。それは生まれ持った本能で、学び取った理性だ。

 だがあいつは。阿沙賀・功刀という男は。

 ヨーベルジュの奇襲を冷静に逆撃し、宇治の腕を躊躇いなく踏み折った。

 

 この現代社会において不適合なほどに明快、イカれてる。

 そしてそうであるからこそあいつは。


「まさしく求めた俺の敵……」

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