第6話 証言
10月26日、水曜日。
正午を少し過ぎた頃、マンションへの来客を知らせるベルの音が鳴ったので、俺はインターフォンのモニターを確認した。
そこには
「はい」
と俺がインターフォンに向かって返事をすると、
「度々スミマセンねぇ、警視庁の獅童ですがぁ」
と、カメラの前で頭を掻きながら名乗った。
「どうぞ」
と俺はエントランスの自動扉を開けるボタンを押して、二人の刑事を建物の中へと招き入れた。
しばらくすると、廊下を歩いてくる獅童達の足音が聞こえ、俺の部屋の前で足音が止まった。
俺は玄関のチャイムが鳴るのと同時くらいに玄関扉の鍵を開け、ドアをゆっくりと開けた。
「佐藤さん、また会えましたなぁ」
と獅童は笑顔ではあるが、眉間に刻まれたシワが、光の加減か、今日はより一層深く刻まれている様に見えた。
「どうぞ、上がって下さい」
と俺は二人の刑事を部屋の中に招き入れた。
昨日の朝と同じく、ダイニングのテーブルの席に座る様に促し、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを3本出してテーブルに置いた。
「どうぞ」
と俺は2本のボトルをそれぞれ二人の前に差し出してそう言い、
「お呼びたてしてすみませんね」
と俺は付け加えた。
そう、今回は俺が二人を呼んだのだ。
昨日の夜に見た、向かいのマンションでの飛び降り自殺。
二人は警視庁の人間なので、千葉県での事件は管轄外だと解ってはいるが、佐智子の件も進捗を聞いておきたかった。
しかし俺が何よりも気になっていたのは、佐智子の自殺が、もしかしたらあの「黒いモヤ」が関係しているのではないかという事だった。
「ここに来る途中で県警の連中に会いましてねぇ。昨夜、そこのマンションでも飛び降り自殺があったとかで」
と
「ええ、私が部屋の空気を入れ替えようとベランダの窓を開けた時、丁度飛び降りるところを目撃してしまいましてね。警察と消防には私が通報したんですよ」
「そうでしたか。確かにここからは現場がよく見える」
と獅童は言い、「それで、今日こちらに呼んで頂いたという事は、何か思い出した事があったという事ですかな?」
と訊いて来た。
獅童の質問に俺は少し首を傾げ、
「思い出したというか・・・」
と言ってリビングの奥にあるベランダの窓の方を見ながら「何か関連があるんじゃないかと思って、話しておきたくなった事があるんです」
と言った。
「ほう。といいますと?」
と獅童が身を乗り出す。
「実は昨日、私は佐智子が突然自殺したと聞いた話がにわかには信じられなくて、佐智子が住んでいたマンションの様子を見に行ったんです・・・」
俺は佐智子のマンションの前まで行った事。
帰りに目の前で交通事故を目撃して通報した事。
さらに帰宅してからも向かいのマンションで飛び降り自殺を目撃して通報した事。
そして、昨夜菊子と電話で話した時に聞いた事。
これらを二人の刑事に順序立てて説明をした。
「・・・で、少なくとも私が目撃した2人は、『るー』とか『らー』とか、声を上げながら飛び込んでいたんですよ」
俺が一通りの話を終えると、獅童と小林が顔を見合わせた。
「声を上げながら・・・ですか」
と獅童は独り言の様にそう呟くと、「小林、これまでにも奇声を上げて飛び降りただとかいう話があっただろ。この2件を入れたら何件になる?」
「はい、えーと・・・、話を聞いた42件中で、15件になります」
「多いな・・・」
俺は二人の話を聞いて、少し確信めいたものが芽生えた気がした。
「他にも、こんな声を上げていた例が沢山あるという事ですか?」
と俺はテーブルの上に肘を着く様にして身を乗り出し、「・・・佐智子もそうだったんでしょうか?」
と訊いてみた。
「溝口佐智子さんの件についてはそういった話はまだ聞けていないんですがね、今回の同時多発的に起こっている自殺案件を調べてますとねぇ・・・」
と獅童は少し考える様な仕草をして「・・・実に3割でそうした証言を得ているんですよ。勿論、あなたのお話も含めてね」
「3割・・・」
俺は目を見開いてその言葉を聞いていた。
今時点で話が聞けただけで3割のそうした証言があるという事だ。
つまり、これからもっと同様の証言が増える可能性もある。
「不思議な話でねぇ、昨夜あたりから、警視庁だけじゃなくて、近隣の県警とも連携を取り出したんですがね。他の県警でも同じ様な事例があるみたいで、今はその原因を調査中ってところですわ」
と獅童が肩をすくめて苦笑した。
「その中に・・・」
と俺は話し出そうとして
あの黒いモヤの様なものの話をしようと思ったのだが、信じてもらえるだろうか?
しかし、彼らもその調査を始めたと言うし、今の彼らなら話を聞いてもらえるんじゃないか?
俺は、言葉を選びながらもう一度口を開いた。
「実は、昨日私が見た交通事故の件なんですが、被害者の女性が歩道から突然飛び出したという話をしましたよね?」
「ああ、事故と自殺の両方で捜査している芝公園の近くの事故の件ですな」
「そう、多分それです。実は、私は路肩に車を停めて、飛び出す前の女性の姿を見ていたんですよ。それで・・・」
と俺は、昨日事情聴取をしてきた警察官に話した内容と、それに付け加えて、あの「黒いモヤ」の様なものが女の頭部に取り憑く様に付着していて、それが女の胸元へと入り込んで、その後女が無表情のまま「るー」と言いながら飛び出した事。
そして、一昨日の夕方にベランダから見えた、あの黒い球体の事も詳細に話す事にした。
「ほう・・・」
と獅童は片方の眉を吊り上げる様にして声を漏らし、「その黒い球体とは一体何ですかな?」
と訊いて来た。
「それは・・・、分かりませんが・・・」
と俺は顔を伏せた。
そんなの俺に分かるはずがない。
「やはりこんな話、信じては貰えないんでしょうね」
と俺が肩を落としてそう言うのを見た獅童は、
「いやいや、そういう訳じゃないんですよ」
と言って更に身を乗り出し、「我々も気になっていたんですよ」
と続けた。
「といいますと?」
「いえね、都内で起きた事故や自殺。更には千葉県警から得た情報なんかも整理していくと、死亡した人は大体、市川市から船橋市付近の住人か、又は一昨日の午後にこの辺りを訪れていたって話なんですよ」
「何ですって・・・?」
「ええ、つまりね。今の佐藤さんのお話に繋がるかも知れないという事なんですわ」
「じゃあ、やっぱりあの黒い何かが原因という事ですか?」
「いやいや、そう決めつける訳にも行きませんが・・・」
と獅童が身を起こして、「しかし当然それも調べる必要があるでしょうな」
と言って小林刑事の方を見た。
小林刑事はこれまでの話をずっと手帳に記録しており、険しい表情で獅童の顔を見返している。
獅童刑事は小さく頷くと、
「まあ、今日の話はこれくらいにしておきましょうか」
と言って席を立ち、「佐藤さん、貴重なお話を聞けましたよ。ここに来て本当に良かった」
と獅童はその場でお辞儀をして小林刑事にも立つ様に促していた。
「私も、お話を聞いて頂けて良かったです。こんな話、誰も信じちゃくれないと思っていたもので・・・」
と俺は刑事達に話を聞いてもらえたおかげか、少し心が軽くなった様な気がしていた。
「溝口佐智子さんの件も、何か分かったらお知らせしますよ」
と獅童刑事はそう言ってもう一度軽く会釈をし、玄関の方へと歩いて行った。
「宜しくお願いします」
と俺も席を立って玄関まで付いて行き、
「じゃ、これで失礼しますよ」
と獅童達が扉を開けて出て行くまで見送っていたのだった。
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俺は近所のスーパーで買った有機野菜と国産豚のスライス肉を調理して、
昨日からほとんど何も食べておらず、刑事達に話を聞いてもらえたおかげで心が軽くなったせいか、無償に空腹を感じたのだ。
こんな事なら菊子も一緒に刑事に話を聞いてもらえば良かったな。
昨夜は菊子も不安に駆られていた様で、一人では怖いからと近所の友達を家に呼ぶと言っていた。
「良ければ俺の部屋に来ないか」
と一応誘ってはみたが、
「佐智子に悪いから・・・」
と菊子は遠慮していた。
山本菊子は2年前まで佐智子と同じ職場で働いていた元同僚だ。
俺とは5年位の付き合いになる。
俺と同じく菊子もアウトドアを趣味にしており、千葉県下のオートキャンプ場でキャンプしていた時に、隣のスペースで女子3人でキャンプしていた内の一人が菊子だった。
その時は菊子達はバーベキューをしようとして薪に火を起こそうとしていたがなかなかうまくいっていなかったのを、
「火起こし手伝いましょうか」
と俺が声をかけた事をきっかけに意気投合し、それからも時々友人を誘って一緒にキャンプをする仲になったのだ。
佐智子との出会いは、菊子の先輩が企画した合コンだった。
菊子が男性を集める様に先輩から依頼されたとかで、他にアテが無かったらしく、俺に声を掛けたのだという。
俺は独身だし当時は彼女も居なかったので、会社の後輩や部下を誘ってその合コンに参加したのだった。
合コンに参加した女性陣の中で、佐智子は際立って美人だった。
実際に付き合ってみれば「気位の高い見栄っ張りな女」という事なのだろうが、その実態を知らなければ、実に社交的で教養レベルも高く、仕事にも意欲のあるキャリアウーマンといった感じだった。
俺は一目で佐智子を気に入り、その日のうちに連絡先を交換して、何度もデートに誘った。
佐智子はアウトドアには興味が無く、デートはもっぱら高級レストランやショッピングだった。
そんなデートに出費はかさんだが、何とか佐智子を口説き落とす事に成功し、3年前から付き合う事になったのだった。
菊子は料理が得意だった。
佐智子はあまり料理が得意では無く、佐智子が俺の部屋に泊まりに来る時には、菊子を呼んで料理を作ってもらい、3人で食事をする事が多かった。
菊子が佐智子をどう思っていたのかは分からないが、俺にとっては良い女友達だし、佐智子とは腐れ縁の様でもあったが、それなりに仲良くやっている様に見えた。
俺はそんな事を思い出しながら食べ終わった皿をキッチンの流しで洗い、食器乾燥機の中に入れてから、ベランダの窓を空けて部屋の空気を入れ替えようと思った。
今の時刻は15時を回っている。
まだこんな時間だが、秋の日差しを受けた建物や樹木の裏には長い影が伸びていた。
それにしても、あの「黒い球体」と「黒いモヤ」には何か関係があるのだろうか。
インターネットで調べてみても、「外国の陰謀だ」「化学兵器だ」などと、陰謀論者の様な主張をする者が出てきている様で、テレビの報道でも「そうしたデマに惑わされない様に」と注意喚起が行われていた。
「陰謀・・・ねぇ」
と俺は呟いた。
俺は陰謀論者と呼ばれる人の主張を信じる気は無いが、これまでの世界の歴史が「陰謀まみれ」なのは知っている。
なので、俺はただ「表向きの情報」と「秘密裏の情報」があるのだと認識している。
国際的な金融機関である会社に勤めていたから分かる。
有名企業であっても、不正などいくらでも行っている。
しかも意図的に。
これを計画した者が居るからそうした不正を組織ぐるみで行っている訳で、これも立派な「陰謀」だ。
なので、この世に「陰謀なんて無い」などと言う事こそバカげた空想だと解ってはいるが、俺が見た「黒い球体」は、人間がどうこうできる代物には見えなかった。
それに、あの黒い球体や黒いモヤを直接見たはずの俺自身は、今もこうして生きているんだからな。
そう考えてから、ふと思った。
「本当に俺はまだ・・・生きているのか?」
そう口にして俺は「フフッ」と笑いが零れた。
その笑いは自嘲的でもあり、自虐的でもあり、悲しげでもあった・・・
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