第4話 異変の拡大

「あなたが事故の目撃者ですね」


 と制服の警察官がそう言いながら、俺をパトカーの後部座席に乗る様に促した。


「あの、その前に自分の車のエンジンを切りたいんですが・・・」

 と俺は路肩に駐車していたSUVを指さした。


「私が自分の車で休んでいたら、歩道を歩いていたあの女性が突然私の車の前を走り抜けて道路に飛び出したんです・・・」


 と俺は警察官にそう説明しながら自分の車へと近づいた。


 警察官も俺について来て俺の車の周囲を見回している。


「ああ、どうぞ。エンジンを切ってもらって結構ですよ。駐車時間は気にしないでください。取り締まりが来たらちゃんと説明しておきますので」


 とその警察官は言いながら、俺がエンジンを切ってドアをロックするのを待っていた。


「さ、じゃあパトカーの方にどうぞ」

 と俺を再度パトカーの後部座席へと促し、俺がパトカーに乗り込むと、その警察官も俺の隣へと乗り込んだ。


 事故現場には沢山のパトカーが停まって道路を封鎖しており、後ろの方では交通誘導をしている警察官も居る。


 救急車はワンボックスカーの運転手を先に病院へと運ぶ事にした様で、道路に横たわる女は、警察官が持ったブルーシートで周囲を囲われていた。


「で、被害者は歩道から突然道路へと飛び出したんですね?」


 とその警察官はノート位の大きさの手帳にメモを取りながら確認してくる。


「ええ、それまでは普通に歩道を歩いていましたよ。向こう側からこっちに向かってね」


「それまでは特に異常な行動は無かったと?」


「ええ、普通に歩いていました」


「なのに突然、あなたの車の前を通り過ぎて道路に飛び出したという事ですか?」


「ええ、その通りです」


「その時、あなたは女性に何かしましたか?」


「何かというと?」


「そうですねぇ、例えば何か合図を送ったとか・・・」


「いえ、何もしていませんよ」


「そうですか・・・。 では、あなたは何故その女性を見ていたんですか?」


「それは・・・」


 俺は言葉を詰まらせた。


 あの黒いモヤの様なもの・・・、あれが女の頭に取り憑いている様に見えたなどと言って信じてもらえるのだろうか?


 この警察官は、何やら俺が事故のきっかけを作ったのではないかと疑っている節もある。


 そこにこんな怪しげな話をして、マトモに聞いてもらえるとは考え難い。


「何となく、美人だったから・・・」

 と俺は当たり障りの無い言葉を選んでそう言い「別にそれは悪い事じゃないでしょう?」

 と何故か語気を強めて訊いていた。


 警察官は苦笑しながら

「まあまあ、それは構いませんが・・・」

 と手帳を持ち直し、「しかし、被害者はその視線に気づいていたんでしょうかねぇ?」

 と皮肉を込めた口調でそう訊いた。


 俺はため息をつきながら、あの時の事を思い出していた。


 あの女は無表情のまま進行方向の地面を見ながら歩いていた。

 俺と目が合う事も無かったし、周囲を気にしている様子も無かった。


 それにあの女が通り過ぎようとする時には、俺は既にあの女からは目を離して何となく歩道を眺めていただけだったし、あの女を特に注視していた訳じゃない。


 なのに突然、俺の前を横切って走って行き、「るー・・・」と言いながら・・・


 とそこで俺はハッとして顔を上げた。


「そういえばあの女性は、『るーっ』って声を上げながら道路に飛び出してたんですよ」


「るー・・・?」


 俺は大きく頷きながら

「そうです。意味は分かりませんが、俺は窓を開けていたので、確かにそんな声が聞こえました」

 と言って警察官の顔を見た。


 警察官は「ふむ」と顔をしかめてボールペンの端で頭をカリカリと掻きながら

「るー・・・、ねぇ」

 と呟きながら、手帳に何かを書き込み、考え事をしている様だった。


「信じてもらえませんか?」

 と俺がそう訊くと、警察官は顔を上げて

「いやいや、そういう事じゃなくてねぇ・・・」

 とそこまで言って口をつぐみ、やがて言いにくそうに

「実はねぇ、あまり他の人には話してほしくないんだけどね、うちの署に昨日の夜から自殺の通報が数えきれないくらい来ててねぇ、その中の一つで、目撃者の証言で『さー』って言いながら江戸川に橋から飛び降りたって話があったんだよねぇ・・・」

 と言って、俺の顔を覗き込み、

「何かあなたの話と似ている気がしない?」

 と訊いてきたのだった。


 ----------------


 俺が事情聴取から解放されたのは事故から2時間近く経過してからだった。


 その間に被害者も救急車で運ばれて行ったが、あれはきっと即死だろう。


 俺はぶんぶんと頭を振ってその光景を振り払った。


 あのむごたらしい姿を思い出すだけで寒気がする。


 何とかして忘れよう。


 そもそも、佐智子が突然自殺した事からしておかしな話なんだ。


 佐智子の親族に連絡しないといけないと思っていたのに、俺は佐智子の家族には会った事も無いし、連絡先など知る由も無い。


 職場などには警察が連絡しているだろうが、そもそも事件の可能性があるからと、しばらくは葬儀なんかも出来そうに無い。


「何で俺の所にだけこんな立て続けにおかしな事が起こるんだよ!」

 と俺は運転席で一人叫んでみたものの、その声に応える者はどこにも居なかった。


 とにかく、今日はもう家に帰ろう。


 こんな時は家に篭るのが一番だ。


 自宅に居れば、おかしな事など起きないだろう。


 俺は車のエンジンをかけると、いつもより慎重に安全確認をして車を前進させたのだった。


 ----------------


 自宅に着いた俺は、服を洗濯機に放り込んで洗剤を入れ、スイッチを入れてから浴室に入ってシャワーを浴びた。


 何か得体の知れないものが身体に取り憑いている様な気がして、いつもより丁寧に身体の隅々までをゴシゴシと洗い、自分で納得できるまで身体を清めたかった。


 浴室から上がって下着とTシャツを着ると、部屋の掃除を始めた。


 洗面所にあった佐智子の私物は、以前ホームセンターで購入したカゴに入れ、タンスの中にあった佐智子の下着なども一緒に放り込んだ。


 一通り佐智子の私物を入れ終えると、俺はそのカゴを押入れの中に押し込み、引き戸を閉めて俺の視界に映らない様にしたのだった。


 リビングに掛けてある時計を見ると、時刻は15時半を回ったところだった。


 今日はまだ何も食べていないが、ちっとも食欲が湧かなかった。


 キッチンの冷蔵庫から昨日買った缶ビールを取り出すと、そのまま寝室に入ってベッドの脇にあるサイドテーブルの上に置いた。


 サイドテーブルの下の収納スペースに置いているノートPCを取り出し、電源を点けてインターネットに接続し、動画サイトでも見ながら気を紛らわせようと思った。


 ユーチューブのページを開いて、動物の動画を検索する。


 別に特別動物が好きな訳では無いが、子犬や子猫の動画を見ると、心が休まる様な気がしたのだ。


 俺は缶ビールの蓋を開けてグビリと一口飲み込むと、空っぽの胃の中がアルコールで温まる様な気がした。


 いくつかの動物の動画をみた後、何となくニュースサイトを開いてみると、画面いっぱいにニュース動画のサムネが表示された。


 俺はその中の一つに目を奪われた。


 そのサムネの下には『大量自殺!? 今日だけで64人!』という見出しが躍っている。


 俺が今朝、獅童しどう刑事から聞いた通りだ。


 俺は無意識にそのサムネをクリックし、動画を再生した。


 その動画は、時事考察系ユーチューバーと名乗る男が様々なニュース動画を引用して考察するというものだった。


 その内容によると、今日だけで発見された自殺者は64人とされており、死亡していた場所は首都圏に集中しているらしい。


 死亡者の情報はまだ集まっていないが、視聴者がコメント欄に目撃情報や証言などを書き込んでいる様で、画面に映るユーチューバーの男がコメント欄を読み上げながら色々と検証をしている様だった。


「なるほど~、これは同じ自殺者の情報なのかな~」

 とユーチューバーの男が首を傾げながらコメント欄に書き込まれた情報を読み上げている。


「なんかさ~、情報源が市川市とか船橋市とか、千葉県の西側に集中している気がするんだよね~」

 と言うユーチューバーのセリフを聞いて俺は愕然とした。


 何だと!?


 自殺が起こった場所は首都圏のあちこちに点在しているが、情報源が俺の自宅の周辺地域に集中しているだと?


 俺は昨夜見たあの黒い球体の事を思い出した。


 もしかしたらアレが影響しているんじゃないのか?


 しかし、佐智子は都内在住だ。


 この動画主の言う事がどれほど正しい情報なのかは分からないが、仮にこの話を信じるとしたら、都内に住んでいる佐智子が、あの黒いの影響を受けているとは考え難い。


 やはり佐智子は別の理由で自殺したのだろう。


 だとしたら、やはり原因は俺なのかも知れない。


 そう思い至ると、俺は頭がズシンと重くなるような気がした。


 ああ、ダメだ。


 余計に心が暗くなる。


 俺はまだ何かをしゃべっているユーチューバーの姿に不快感を覚え、動画を止めて、また動物の動画を流し出した。


 もしも・・・


 もし昨日の夜、佐智子が俺の家の近くまで来ていたのだとしたら・・・


「いや、まさかな・・・」


 そう声に出した俺だったが「もしそうだったとしたら」という疑念が心に纏わりついていた。


 もし、俺に謝ろうとこちらに向かっていたのだとしたら?


 もし、私物を取りにこちらに向かっていたのだとしたら?


 もし、市川市に住む山本菊子を訪ねていたのだとしたら・・・


「ああもう、やめてくれ! もう沢山だ!」


 俺はその考えを振り払う様に声を荒げ、残ったビールを一気に飲み干して布団を頭まで被ってうずくまった。


 今日はもういい!


 明日だ!


 明日になってから確認すればいい・・・


 俺はPCの電源を切るのも忘れて、そのまま眠りに落ちようとした。


 PCの画面には、愛らしい子猫の動画が流れていた。


 動画から流れる子猫の鳴き声の効果か、徐々に俺の心は落ち着きを取り戻し、ビールの助けもあって、それは睡魔へと変わって行った。


 やがて俺は、やってきた睡魔に身を任せる様に、浅い眠りに落ちて行ったのだった。


 PCの動画は続いている。

 いくつか子猫の動画が続いた後、自動的に次の動画が流れ出す。


 それはライブニュース動画だった。


 ニュースキャスターが興奮気味に原稿を読んでいる。


「昨夜から自殺と思われる死亡者が多発している問題で、今日も新たに94人の自殺と思われる死亡者が発見された事が分かりました。いずれも自殺の原因は不明と発表されており、それぞれの大量自殺の関係の有無も分かっておらず、この不可思議な事態の拡大に、近隣住民は騒然となっており・・・」


 俺は浅い眠りにつきながら、無意識にこのニュースを聞いていたのかも知れない。


 何故なら、恐ろしい悪夢を見た気がするからだ。


 そんな悪夢にうなされながら、俺は眠っていたのだった・・・

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