第15話 接触

「ちょっと私達では分かりかねますねぇ・・・」


 何とか都庁に着いた俺は、取り急ぎ「危機管理課」という部署へと足を運び、これまでに示された政府の対応について色々と質問をしてみた訳だが、行政の対策の意図や黒いモヤについて、更には県外からの人の流入規制について訊いてみても、返って来るセリフは先ほどから同じで、


「それも私達では分かりかねますねぇ・・・」


 というものだった。


 まったく、行政はどうなっているんだ?


 新宿といえば、先日も暴漢が現れたりして自衛隊が出動する事態になった地域だ。


 都庁の職員だって帰宅できずに大変だったろうに、どうしてこの窓口の担当者は「他人事」の様にしか対応できないんだ?


「ちょっと待ってくださいよ。私の知人も突然の自殺をしたし、他にも目の前で死んで行く人を何人も見て来たんです。どう考えても異常事態でしょ? 都庁の職員にだって、誰か大切な人を亡くした人が居るんじゃないんですか? どうしてそこまで無関心でいられるんですか!」


 話ながら俺は興奮してしまい、最後はまるで大声で叫ぶ様にそう言った。


 窓口の担当者は、それでも苦笑をしながら、


「ええ、お気持ちは分かりますが・・・、緊急事態が発令された今は、私たちも政府の指示に従う事しか出来ないので・・・」


 まともに取り合おうとしない担当者の姿に俺は呆れてしまい、


「もういい!」

 と吐き捨てる様にそう言って危機管理課の部屋の扉を開けて廊下に出る事にした。


「まったく! どうなってるんだ一体!」

 と俺は、まだ冷めやらぬ怒りでそんな言葉が漏れるのを止められずにいた。


「あの・・・、すみません」

 と、そんな俺に突然通りがかりの女性職員が声を掛けて来た。


 俺は声の方に振り向き、

「何か?」

 とぶっきらぼうに返したが、申し訳なさそうに困り顔を見せる女性職員を見て、ため息をつきながら、「失礼。で、何か御用ですか?」

 と言い直した。


 女性職員は、廊下を歩く他の利用者の邪魔にならない様にと廊下の端に寄る様にと俺を促し、

「実は・・・、私はこの危機管理課の者なんですが・・・」

 と話し出した。


 彼女の話はこうだ。


 彼女の上司である課長の佐々木という男が昨日から休んでいるらしい。

 そして、その理由が「妻がマンションのベランダから飛び降り自殺した」という事なのだという。


 しかも、その自殺を知ったのがテレビに映る報道だったという事で、現在は死亡した妻の検死解剖を受けるのを待っていて、その間は自宅で過ごす様にと警察から指示されているのだそうだ。


「そうなんですか・・・、佐々木さんといいましたか? その課長さん、私と同じ境遇にいる方なんですね」


 と俺がそう言うと、女性職員は軽く俯き、


「大変失礼とは思いましたが、あなたがさっき窓口で話してらしたのを廊下で聞かせて頂いておりました。それで、『黒いモヤ』というのは、一体何の事なんでしょうか?」


 俺は女性職員の顔を見返し、彼女がどうやら職務とは関係なく、本気で俺を案じてくれているのだと感じて、態度を軟化させる事にした。


「そうですね・・・、どこから話せばいいものやら・・・」

 と俺は前置きしたが、先月俺が会社を辞めた日の夕方に自宅のベランダから見えた黒い球体の話から始め、翌日に恋人が自殺した事を報道で知った事。そしてその朝に警察がやって来て、事情聴取をされながら、他にも沢山の自殺者がいると知った事。

 更に、佐智子のマンションからの帰りに女性が飛び込み自殺するのを目撃した事や、マンションの隣人が突然目の前で飛び降り自殺したのを目撃した事など。

 そして、それらには奇妙な共通の特徴があり、彼らが自殺する前には頭部が黒いモヤに包まれていた事や、「あー」「るー」等、唄とも言えない様な声を発しながら、視点の定まらない無表情のまま自殺していた事など、思いつくままに全てを話した。


 時々頷きながら、黙って俺の話を聞いていた女性職員は、俺が話し終えるのを待って、一つ深呼吸をしてから、


「あなたにお願いがあるのですが・・・」

 と言った。


「お願いといいますと?」


「あなたは、ここ最近起きている奇妙な現象に、とても沢山関わっていらっしゃる様に思います。それに、わざわざこちらにやって来たのも、それらの解決の糸口を探してらっしゃるからだと思います。そこで・・・」

 と一旦言葉を切って俺の姿を品定めでもするかの様にまじまじと見ている。

 そして、一呼吸おいてから、


「今のお話を、もう一度、佐々木課長にもして頂けないでしょうか?」

 と訊いた。


「それは構いませんが・・・、課長さんは自宅にいらっしゃるんですよね?」

 と俺は訊き返す。


「はい。課長には私から連絡をしてみます。自宅の場所は知っていますので、課長に連絡をしてみて、課長の許可が得られたらあなたにお知らせするという事で如何でしょうか?」


「ええ、それも構いませんが・・・」

 と俺は、少し釈然としなかった。


 確かに危機管理課の課長と会うのは今後の情報収集にも役立つかも知れないが、何も俺はその課長を助けたい訳では無いのだ。


 身近な人間も守れないでいる俺に、見ず知らずの人間を助ける余裕なんて無い。


 むしろ、助けてもらいたいのは俺の方だ。


 恋人を亡くし、隣人を亡くし、今日も首都高ではとんでも無い交通事故を目の当たりにした。


 それでも社会は回っていて、人々は会社に通勤し、都庁の職員も通常通りに業務を行っている。


 小学校や中学校が避難所指定された為に臨時休校になっている以外は、ほぼ平時と何ら変わらぬ、ただの月曜日だ。


 しかし、これでいいのか?


 みんな本当に何も気にならないのか?


 こんなに沢山の人が突然自殺をしたんだぞ?


 バイオテロかも知れないし、恐ろしい感染症かも知れないんだぞ?


 どうしてみんなそんな平気な顔して仕事をしてられるんだ?


 どうしてそこまで他人の命に無関心でいられる?


「あの・・・、大丈夫ですか?」

 と女子職員が心配そうに俺を見ていた。


 いつの間にか俺は考え事で黙ってしまっていた様だ。


「ああ、失礼。正直申し上げると、私も恋人を失っていますので、気持ち的には人助けをしている余裕はありません。課長さんにお会いするのは構いませんが、課長さんには都の対策について色々お聞きしたいと思っています。それでも構いませんか?」


 俺はそう質問したが、この女子職員にそんな事を決められる訳が無い事は分かっていた。


 しかし、女子職員は、

「多分大丈夫だと思います。課長も今回の政府の対策を不審がっていましたので。課長の為に、あなたの様な経験者を会わせたいというのも本音ですが、あなたにとっても課長と会う事で得られる情報があると思います」


 と言いながら俺を見返してきた。


 事情はよく分からないが、恐らくその課長さんとやらは、職場の者から慕われているという事なのだろう。


「なるほど・・・、分かりました。では、その課長さんと連絡を取って頂き、お会いできる様にアテンドをお願いしてもいいですか?」


「分かりました」


 女子職員はスカートのポケットから、恐らく個人で所有しているのであろうスマートフォンを取り出し、その場で電話をかけだした。


 しばらくして相手が電話口に出た様で、テキパキとこちらの事情を説明していたが、


「はい、はい。では、課長の自宅の住所をお教えしてもよろしいですか? ・・・分かりました。はい、では失礼します」


 と話が付いた様で、電話を切った様だ。


「お待たせしました。課長の許可が出ましたので、今から言う住所にご足労をお願いできますか?」


 女子職員の言葉だけを聞けば質問ではあるが、その眼差しは、「どうしても行って欲しい」と言っている様に見えた。


 俺は仕方なく頷き、ひとつため息を付いてから


「分かりました。住所を教えて下さい」


 と言ってスマートフォンに住所をメモするのだった。


 --------------


「はい、どちら様で?」


 という声がインターホンのスピーカーから聞こえて来た。


「都庁の職員からご紹介いただいた、佐藤と申します」


 と俺がマイクに向かって返すと、目の前のガラスドアが自動的に開いた。


 俺は都庁で聞いた、危機管理課長の自宅マンションにやって来ていた。


 都心に建っているのに、随分と豪華なマンションだ。


 公務員がそれほど高給取りとは思えないのだが、どうやって住宅ローンや生活費を工面しているのだろうか。


 俺はそんな事を頭の片隅で思いながら、エントランスホールを進んでエレベーターのボタンを押した。


 ほどなくエレベーターの扉が開き、カゴの中に乗り込むと、11階のボタンを押す。


 飯田橋駅にほど近い大きなマンションの一室が、佐々木の住まう部屋らしい。


 14階建ての建物の11階にその部屋があるらしく、エレベーターを降りて廊下を歩きながら見える景色に、少し足がすくむ思いがした。


「こんな所に好き好んで住むだなんて、どうかしてるな」


 と俺はぶつくさ言いながら廊下を歩いた。


 目指す部屋は1106号室で、エレベーターから離れた場所にある部屋のせいで、随分と廊下を歩かされる。


 俺の胸あたりの高さがある廊下の手摺越しに、飯田橋の駅と駅前商店街の通りが見えていた。


 足元には神田川が流れていて、川沿いの道路は人通りも多いのだが、高さのせいか、それほど騒音が気になる事は無かった。


「ここだな」


 俺は「1106 佐々木」と書かれた表札を見つけ、扉の横にある呼鈴を押した。


 かすかに「ピロロロ」と聞こえたかと思うと、しばらくして扉の鍵が解錠される音がした。


 ゆっくりと開いた扉から顔をのぞかせたのは、疲労がたまっているのか、目の下にクマを作って無気力にも見える、40代と思われる男の姿だった。


「あなたが佐藤さん?」


 と訊くその男に、俺は頷いて、

「そうです」

 と応え、「あなたが都庁の佐々木さんで宜しいですか?」

 と訊き返した。


 男は頷き、しばらく俺の姿を頭から足先まで見回してから、扉を大きく開いて、

「どうぞ」

 と短く言って、俺を室内へと招き入れた。


「おじゃまします」


 俺はそう言って部屋に入った。


 玄関で靴を脱いで、用意されたスリッパを履く。


 目の前には短い廊下があり、その先がリビングダイニングへと繋がっていた。


 俺は4人掛けのダイニングテーブルに並べられた椅子の一つに座る様に促され、俺が席に着くと、佐々木は向かい側の席に着いた。


 テーブルの上には、2枚の名刺が重ねて置かれていた。


 その名刺の名前を見ると、そこには「警視庁 捜査一課 獅童隆二」と見えており、もう一枚は獅童の名刺に隠れて見えなかった。


「初めまして。突然伺ってすみませんね。私は佐藤と申します」


 俺は佐々木の方に顔を向けて軽く会釈しながらそう自己紹介した。


 佐々木は、

「初めまして、既にお聞きになっているかも知れませんが、危機管理課の課長をしている佐々木です」

 と名乗り、「あなたも私と同じく、大切な人を亡くしたと伺っています。社交辞令を省いて恐縮ですが、早速お話を聞かせてもらえませんか」


 とそう佐々木が切り出したのだった・・・

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