第11話 画面の中の悲劇

「ねえ、生きてる?」


 菊子が俺の肩を揺すりながらそう訊くのが聞こえた。


 いつの間にか、俺はソファで眠っていた様だ。


「ああ・・・、生きてるみたいだな」

 と俺は目を擦りながら菊子を見た。「ずっと起きてたのか?」

 と俺が訊くと、菊子は肩をすくめ、


「途中で寝落ちしてたけど、さっき目が覚めた」

 と言って笑った。


 テレビは点けっぱなしになっていて、夜中に見ていたのとは違う報道番組が流れていた。時刻は6時15分と表示されている。


 午前4時くらいまでの記憶はあるのだが、そこからの記憶が怪しい。


 おそらく2時間弱ほど眠っていたのだろう。


 画面の下側には引き続き「死者:240名 けが人:6500名」と表示されていて、番組に出演しているお笑い芸人が、沈痛な面持ちで


「改めて、被害に遭われた方にはお悔やみとお見舞いの言葉を送らせて頂きます」


 と言っている姿が映っていた。


 他にも「自称専門家」とやらも同様の挨拶をしている。

 今は政府の動向について報道している様だった。


 報道によると、自衛隊の活躍もあり、東京都内の混乱は落ち着きを見せているらしい。


 しかし、緊急事態宣言は継続され、都内への人の流入を制限している様だ。


 とはいえ、鉄道の運行を止める事は出来ず、他県から野次馬目的の人々の流入もある様で、新宿駅や東京駅は、いつもの日曜日よりも人でごった返している様だった。


 画面の中では出演者同士で議論が行われているが「自称専門家」とやらでさえ、

「今回の出来事は、様々な視点で見る必要があって、政府にもその事を理解してもらいたいものですね」

 等と、内容の無い当たり前の話を繰り返すだけだった。


 人々が都内に流入している事についても、

「もしこれが感染症だと危険なので、不要不急の外出は控えた方がいいでしょう」

 と、東京のテレビ局まで足を運んでいる本人が言っている姿は滑稽でさえあった。


「恐い物見たさっていうか、ほんと、ただの野次馬よね」

 と菊子が独り言の様に言った。


 俺もテレビの画面を見ながら同じ事を考えていた。


 そう、ただの野次馬。


 しかし、もし今起きている事件が感染性のウイルスによるものだった場合、この野次馬達がウイルスに感染する可能性だってある訳で、もしそうなった場合は、彼らが地元に戻る事によって、地元から日本全国へとウイルスが広がる事になるのだろう。


 そんな簡単な事も分からない連中が、ただ興味本位で東京に来る。


 しかし、政府の中途半端な対策では、彼らの流入を防ぐ事など不可能なのも確かだ。


「まったく、政府は一体何がしたいんだか・・・」


 俺は吐き捨てる様にそう言って立ち上がり、

「コーヒーでも入れようか?」

 と菊子の方を見ながら訊いた。


「ありがとう、でもその前に、シャワーを借りてもいい?」

 と菊子は汗で額に貼りついた前髪を指で掬いながらそう訊いた。


「ああ・・・、気が付かなくて悪かったね。自由に使ってくれていいよ」

 と俺はそう言って浴室の方を指さし「バスタオルとかは棚に置いてあるから、好きなのを使ってくれ」

 と付け加えた。


 菊子は「助かるわ」と言いながら立ち上がり、自分の荷物から紙袋を取り出していた。


 おそらく新しい下着でも持ってきているのだろう。

 昨日ここに来る時点で、家に泊まるだろう事は想定内だった様だ。


「さすがアクティブ女子だ。準備がいいな」

 と俺は言いながら笑うと、菊子は肩をすくめて、

「こんな事なら、上着の着替えも持ってくるんだったわ」

 と言いながら苦笑した。


「ああ、佐智子が置いて行った服ならあるけど、それで良ければ着替えるか?」

 と俺が訊くと、菊子は少し考えてから、


「ううん、この服のままでいい」

 と答えて浴室の方へと歩いて行った。


 俺はキッチンに入り、冷蔵庫からコーヒー豆を取り出す。


 カウンターに置きっぱなしのコーヒーメーカーのタンクに冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぎ、コーヒーフィルターをセットして、オーガニックコーヒーの豆をフィルターの中に入れた。


 コーヒーメーカーの電源を入れ、しばらくすると、タンクの水が少しずつ減って来る。


 鼻孔をくすぐるコーヒーの香りを感じながら、俺はまたソファへと腰かけてテレビ報道へと視線を向けたのだった。


 ---------------


「いったいどうなっているんだ!?」


 一人の男が頭を抱えながらテレビに向かって大声を上げている。


 ここは新宿の東京都庁舎内。


 日曜日で普段はあまり人は居ないはずの室内に、間もなく正午を迎えようとしているにも関わらず、今日は20人ほどの職員が残っていた。


 政府による緊急事態発令を受けて、発令の原因となった東京都としても、政府と歩調を合わせなければならないのは確かだが、彼らが庁舎に居るのはそんな理由では無い。


 土曜日の担当だった職員達が、昨日の緊急事態発令の対応に追われ、ただ帰れなかっただけなのだ。


 建物の外には飛び下り自殺をした人々の対応に追われる救急隊員や自衛隊の隊員が活動しており、更にまだ暴漢が居る可能性も高く、自衛隊の鎮圧作戦によって徐々に鎮まりを見せていると言えども、地上は正体不明の危険がある様に感じる。


 そもそも、庁舎と地下で繋がる地下鉄、都営大江戸線が運転見合せとなっていては、どうしようも無い。


 現在も庁舎の1階から地下に降りる階段には「立入禁止」のテープが張られている。


 原因は隣の新宿駅で誰かが飛び込み自殺をしたせいらしく、ちょうどその報道をテレビで見ていた危機管理課の課長、佐々木ささき裕司ゆうじが声を上げたのだった。


 佐々木は東京都の災害リスク等を想定した対策を進める危機管理課の課長だ。


 日曜日という事で窓口は閉めているが、室内には20人近い職員がおり、緊急事態が発令された今、彼らへの指示を出すのは佐々木の仕事だ。


 しかし、政府から届いた連絡は

「大地震と同様の規制線を張り、避難所の準備を」

 というものだった。


 規制線は既に警視庁が率先して動いてくれたので問題無い。


 避難所の準備も、各学校の当直職員に連絡をして準備をお願いした。


 土曜日の学校にはクラブ活動の顧問教師しか残っておらず、平日なら1時間もあればそうした動きが完了出来る計画にも関わらず、全ての避難所指定学校に連絡を取るのに夜通し作業をする事になった。


 週末だった為に避難所手配に手間取ったことで、大変な作業になった事は確かだが、それにしても起こっている出来事に対して政府の危機対応が緩過ゆるすぎるのではないのか?


 これでは、危機管理課の職員も危機感を失い、士気を上げる事が出来ない。


 そう感じていた佐々木が室内を見ると、天井から吊るされたテレビに映る報道を見ながら「いったい何時になったら帰宅できるのか」という事を気にしている職員が増加している様だ。


 それもそうだ。


 みんな自宅の様子を確認しだいだろうし。子供が居る者は尚更だろう。


 佐々木本人も、6歳になる息子を嫁に任せっきりで、今は携帯電話の通常回線が混雑していて、マトモに連絡も取り合えない。


 妻の登紀子は専業主婦なので、息子の事は心配していないが、登紀子が佐々木と連絡出来ない事て心配しているのではないかと不安になる。


 自宅は飯田橋にあるタワーマンションで、都営大江戸線なら15分程度の場所だ。


 しかし、地下鉄が止まっている上に暴漢があちこちに居るかも知れない状況では、徒歩帰宅もままならない。


 佐々木はため息をつきながら、机の上に広げた「危機管理規定」のファイルのページをめくっていた。


 危機管理課で策定した計画では、今回の騒動のリスク評価は「パンデミックが都内流入した時」と同じであると考えている。


 その原因がテロなのか自然蔓延なのかは分からないが、これらの騒動が都内に集中している今なら、原因自体を都内に封じ込めなければならない。


 その為には「戒厳令」を発動し、自衛隊の行動を最優先にして防疫活動に尽力してもらうのが計画の内容なのだが、今自衛隊がやっている仕事は暴動の鎮圧と自殺抑止で、防疫活動など何もしていない様に見える。


 先程、首相がテレビに出てきてインタビューに応えていたのだが、記者の「この騒動がバイオテロとの声が国民の間にもあるが、政府の見解は?」

 との質問に


「バイオテロではありません。ただいま原因を調査中です」


 と答えていた。


 佐々木はそれを見て


「いったいどうなっているんだ!?」


 と声を上げずにいられなかったのだ。


 原因を調査中なのにテロを否定するのもおかしな話だ。


 そして、原因を調査中なら「死を招く感染症」も視野に入れて対策しなくてはならない筈なのなに、政府からの指示は、実質的には避難所の開設だけだ。


 おかしい。


 政府が本気でこの騒動を解決しようとしていない気さえする。


 こういう時には大体裏に利権の陰がチラつく事が多い。


 公務員として18年、ずっと都庁で働いてきた佐々木は、そうした利権絡みの裏の取引などいくらでも見てきた。


 しかし、今回は大勢の人間の命が失われている。


 なのに政府はこの体たらく。


 明らかな利権の匂いを感じとる佐々木自身にも、やはり分からない事があった。


 こうまでして守りたい、人々の命よりも大切な利権とは何だ?

 結局は、利権に対して損害を与えた場合に、誰も責任を取りたがらない政治家共の妥協だきょうが生んだ対策でしか無いんじゃないのか?


 佐々木はそんな気持ちを抱えつつ、テレビの報道を見ながら腕を組んでいた。


 そんな佐々木の元に、2年前に教育委員会から部署異動でやって来た若手職員、須藤すどう浩史こうじが足早に近付いて来た。


「佐々木課長、ご相談があります」

 と言う須藤の表情は、どこかしら不安気だった。


「どうした?」

 と訊く佐々木の耳元に顔を寄せた須藤は、

「実は・・・」

 と切り出した。


「実は、私の妻と連絡がつかなくなったんです。外が危険なのは分かっているんですが、一度帰宅させて貰えないかと思いまして…」


「そうか・・・、それは心配だな」


 と返しながら、佐々木は周囲を見渡した。


 須藤の話は、家族を心配する一人の人間として至極当然の望みだ。


 佐々木の心の中では、須藤をすぐにでも帰してやりたいと考えている。


 しかし、佐々木を帰宅させる事で、他の職員も同じ事を言いだすだろう。


 それらを全て許可したとして、帰宅途中に職員が何らかの事件に巻き込まれた時の責任は誰が負うんだ?


 そこまで考えて、佐々木はやや自嘲気味に「フフッ」と笑い、首を振った。


(何だ、俺も結局は責任を取る事を恐れているだけじゃないか・・・)


 佐々木は顔を上げると、決心した様に職員全員に聞こえる様に声を上げた。


「みなさん、聞いて下さい」


 佐々木の声に、室内の職員が顔を上げる。


「今、都庁の外が危険なのは周知の通りです。しかし、家族の安否が心配な人も居る事でしょう。なので、今からは各自が後悔の無い行動を取って貰いたいと思います」


 そう言った佐々木に、須藤が深々と頭を下げて、


「ありがとうございます。私は家族の元に向かう為に、帰宅させて頂きます」


 と言った。


 それに合わせて室内の職員の半数が立ち上がり、


「私も帰らせて頂きます」


 と、次々と帰り支度を始めた。


 佐々木はそれらを眺めながら、


「地下鉄の運転再開は未定ですが、今回はタクシーの利用を認めます」


 と付け加えておいた。


 後で部長に叱られるかも知れないが、それで済むなら安いものだ。


「じゃ、お先に失礼します」

 と軽くお辞儀をして佐々木の前を通り過ぎていく職員達に、


「くれぐれも身の安全を最優先で帰るんだぞ」


 と声を掛けながら、佐々木はまだ帰宅をしない様子の職員達に、


「誰か、総務部に備蓄品の提供を依頼してくれないか」

 と声を掛けた。


「恐らく、残った我々でやるべき仕事がある筈だ。念の為、備えておいた方がいいだろうからね」

 と続ける佐々木に、


「じゃあ、私達が窓口まで行ってきます」

 と、二人の若い男性職員が手を上げた。


「ああ、宜しく頼むよ」

 と返しながら右手を上げて応えた佐々木は、軽くため息をついて苦笑した。


 何も窓口まで行かなくても、内線で通話すればいいだけなのにな・・・


 そう思う佐々木だったが、身体を動かしていないと得体の知れない不安がひたひたと身体に纏わりつく感じがして、いたたまれない気持ちになる職員の気持ちも理解出来た。


「さて、次はどんな指示が政府から投げられるのやら・・・」


 そう声に出しながらテレビを見ると、そこには見覚えのある景色が映し出されており、現場の記者が大声で話しているのが見えた。


「つい今しがたの出来事です! JR飯田橋駅にほど近いタワーマンションの高層階から、女性が飛び降りたと思われます! 私もその瞬間を見ました! あっという間の出来事でした! 私の周囲の人が『あっ、落ちる!』と大きな声を上げて、私もその人達の視線の先を見上げた時には、既に女性らしき人がベランダから飛び降りるところでした!」


 佐々木はその映像を見ながら、頭が痺れて耳鳴りがするのを感じていた。


 俺が住んでるマンションだ!!


 飛び下りた女の詳しい姿は映像からは分からなかったが、その服装は妻の登紀子が好んで着ている部屋着によく似ていた。


「まさか・・・」


 と呟く佐々木の目はテレビ画面に釘付けになり、何度も繰り返し流される転落映像に、佐々木の意識が掻き乱される様な気がした。


 見れば見るほどその姿は妻の登紀子である様に思えてならなかった。


 何でだ!? 一体何が起こってるんだ!? 息子は無事なのか!?


 佐々木の頭の中をそうした考えがグルグルと巡り、居ても立ってもいられない程に全身を焦燥感に包み込まれるのを感じていた。


 佐々木は奥歯を噛み締める様にして席を立ち、


「すまない! 誰か部長に連絡して、あとの指示を頼んでくれ! 俺はすぐに帰宅しなくちゃならなくなった!」

 と室内に響き渡る声で叫んだ。


 突然の佐々木の大声に、室内の職員が驚いて振り返る。


 テレビ画面を睨みつける様に凝視する佐々木の姿に、一人の女性職員が声を上げた。


「課長・・・まさかこのマンションって・・・」

 そこまで言って一旦口をつぐみ、「分かりました。課長はすぐに帰って下さい。あとは私達で何とかします」

 と続けた。


「すまない! あとは頼む!」

 佐々木はそう言うや否や、ロッカーから上着を取り出して羽織り、財布とスマートフォンと自宅の鍵がある事を確認して、走る様にして部屋を出たのだった・・・

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