第7話 二人の目撃者

 10月29日、土曜日。


 今日までの3日間は、インターネットでについて情報が無いかと色々調べていた。


 俺の様に「黒い球体」に言及しているものは見つける事が出来なかったが、「黒いモヤ」についてはいくつかの書き込みを見つける事が出来た。


 それらは主にツイッターなどのSNSの書き込みで、「目の前で飛び込み自殺を見た。その人が飛び込む寸前、黒いオーラをまとってるのが見えた。俺、霊感に目覚めたかも」の様な、オカルト的な書き込みばかりだったが、俺はそれらの書き込みの画面をキャプチャーして画像データとして保存をしていった。


 今日の夜は菊子と会う予定にしていた。


 昼間に会おうと思っていたのだが、結局菊子は友人の葬儀に参加する事になったようで、それが終わってからここに来るそうだ。


 菊子が来たら、葬儀の席でみんながどんな反応だったかを聞いておきたいところだ。


 今朝の報道では、自殺者が累計200人以上見つかったと言っていた。


 しかし、報道されていないだけで、実際には他にも沢山の事例があるんじゃないかと俺は思っている。


 もしそうなら、菊子の周りでもそんな話が出ている筈だ。


 仮に菊子の周りでもそんな事例が沢山ある場合は、俺の中で、あの「黒いヤツ」の影響が確信に近づく気がしている。


 そして、もう一つの懸念が生まれる。


 それは、俺達も「黒いヤツ」の影響を受けているかも知れないという事だ。


 俺はあの「黒いヤツ」を空に浮かぶ球体の時から見ているのだ。


 自分でも気付かない内に、その影響を受けている可能性は充分にある。


 それを思うと、俺は独りで居る事が恐ろしく感じるのだ。


 念の為、今週の自分の行動はPCに日記として残しておいた。


 俺が見た事、考えた事、刑事や菊子に何を話したか等を簡潔に記録した訳だ。


 だからもし突然俺が自殺したとしても、警察が俺のPCを確認すれば、俺が伝えたい事を見てもらえるだろう。


 しかし、その後の事を考えると、菊子にもこの事を知っておいてもらった方がいい。


 携帯電話の記録を見れば、菊子との通話記録があるのは直ぐに知れるだろう。


 その時に菊子が何も知らないのは、色々と疑われたりと都合が悪いと思ったのだ。


「今頃、菊子は葬儀に出てる頃だな」


 俺はそう呟くと、PCを起動してニュースサイトで情報を集めてみる事にした。


 ニュースサイトのトップ記事は半分以上がこの事件で埋められている。


 それぞれのニュースには、読者が書き込んだコメントが並んでいた。


 俺はコメント欄を上から順番に目を通して行き、目ぼしい情報が無いかとマウスのロールを回して画面をスクロールしていった。


 コメント欄は、被害者に対する揶揄が多く、「死にたいヤツは死ねばいい」「遺族への迷惑を考えてから死ね」などと、心無いコメントが目に付く。


 しかし中には「私の兄が自殺しました。死ぬ前はいつも通り元気だったのに」といったコメントがあり、俺はそうしたコメントを見つけると「死ぬ前はいつも通り元気」と、ヒントになりそうな情報をメモに残していった。


 そうしているうちに、いつの間にか時刻は午後の4時を回っていた様だ。


 俺はここまでに記録したコメントをプリントアウトすると、PCの電源を落として寝室のサイドテーブルの下にPCを片付けておいた。


 そしてリビングのソファに腰掛けたちょうどその時、エントランスホールから呼び出すチャイムが鳴ったのだった。


「私よ」


 モニターに映る菊子は、一旦自宅に帰ったのか、既に喪服では無かった。


「いらっしゃい」

 と俺は、いつもの調子でエントランスホールの扉を開けた。


 しばらく待っていると、玄関のチャイムが鳴り、俺は玄関扉を開けて菊子を部屋に招き入れた。


 菊子は俺の部屋に来ると、いつもダイニングテーブルの1番奥の席に着く。


 今日も菊子は同じ席に着いて、ショルダーバッグをテーブルの上に置いた。


「ふうっ、遅くなってゴメンね」

 と菊子は席につくなりうそう言ってため息をつき、「私の友達が泣き腫らしちゃってね。葬儀が終わってから、少しウチで慰めてたんだよね」

 と肩をすくめながら苦笑した。


「お疲れさん」


 俺は冷蔵庫からコーヒー豆が入った袋を取り出し、コーヒーメーカーにフィルターをセットして挽かれた豆を入れた。

 タンクに水が入っているのを確認してから電源を入れると、コーヒーメーカーが湯を沸かし始め、やがてコーヒーの良い香りと共に、ボトルに出来立てのコーヒーが落ちてゆく。


「いい香りね」


 と菊子が目を瞑って鼻を鳴らしながら言った。


「佐智子が好きだったからな。俺一人の時はあまり飲まないけどな」

 と俺はコーヒーがボトルに落ちていくのを見ながら、「普段は添加物まみれのインスタントばかり食べてた佐智子も、このコーヒーは気に入ってくれたんだよな」

 と言うと、すかさず菊子が

「私がすすめたんだけどね」

 と口を挟んだ。


「私がいくら、美貌を保つ為にも食事には気を付けなよって言っても、佐智子は空返事ばかりで全然聞いちゃくれなかったもんね。啓二さんと居れば佐智子もマシな食事が出来ると思ったんだけどなぁ・・・」

 とそこまで言った菊子は、微かに目に涙を溜めて、「何で佐智子まで死んじゃったんだろうね・・・」

 と言いながら目を伏せた。


「その事なんだけどな・・・」

 と俺が言いかけた時、コーヒーメーカーからコーヒーが完成した事を知らせるピピッという小さな音がした。


 俺はコーヒーカップをテーブルに並べ、菊子と自分のカップにコーヒーをゆっくりと注ぐ。


 コーヒーがカップに注がれると、湯気と共にコーヒーの香りが立ち上り、二人の鼻孔をくすぐった。


「で、何を言いかけたの?」

 と菊子がコーヒーを一口啜りながら俺を見た。


「ああ・・・」

 と俺もコーヒーを一口啜ってから、「この前、テレビで佐智子がマンションから飛び降りたって知った朝に、刑事がウチに来たって話はしただろう?」


「ええ・・・」


「あの後、俺は佐智子のマンションまで行ってみたんだよ」


 俺はあの日、佐智子のマンションでみた景色、そしてその帰りに見た飛び込み自殺、更に飛び込んだ女に取り憑く様に蠢く「黒いモヤ」について話した。


 そして、その女が「るー・・・」と言いながら飛び込んだ事も。


「何それ、オカルトの話?」

 と菊子は俺が冗談でも言ってると思っている様子だ。


 しかし、俺が真顔でじっと菊子の顔を見ているのを見ると、

「冗談って訳でも無さそうね」

 と言って姿勢を正した。


「話はこれだけじゃなくてな・・・」

 と俺は更に、その日の夜にベランダから見た若い男の飛び降り自殺の事や、その翌日に刑事を家に呼んだ時に刑事から聞いた話、更にはユーチューブで見た市川市や船橋市に情報が集中しているかも知れないという話の後に、例の「黒い球体」の話をした。


「嘘でしょ・・・」

 と菊子は目を見開いて俺を見る。


 俺は黙って首を横に振った。


「佐智子も・・・、その黒いモヤ? みたいなものと関連してるって事?」

 と菊子はコーヒーカップの皿の縁を指でなぞる様な仕草をしながらそう訊いた。


「分からない・・・けど、俺は何か関係があるんじゃないかと思ってるんだ」


 俺がそう言うと、菊子は何かを思い出した様に

「そういえば啓二さん、あの日私に連絡くれたよね? で、佐智子が私と会ったかどうか・・・、とか訊いてたよね?」


「ああ、そうだ。もし菊子の家に行ったんだとしたら、佐智子もあの黒い球体の影響を受けていてもおかしくないと思ってな」


 俺は、自分が会社を辞めた事を佐智子に話した事を話し、佐智子がもしかしたら俺の部屋に来ようとしたのか、又は菊子に会いにいったのではないかと推察した事を話した。


「どうだろう・・・、佐智子って、ああ見えてナイーブな所もあるから・・・、こっちに来ようとして、途中で帰ったって事もあるかも知れないわね」


 俺は佐智子のナイーブな所など見た事は無いが、俺より佐智子との付き合いが長い菊子が言うのだから、きっと俺の知らない佐智子の姿を知っているのだろう。


「そうか・・・、なら、やっぱり可能性はある訳だな」

 と俺はコーヒーをもう一口啜ってカップをテーブルに置き、菊子が来る前にプリントアウトしておいた用紙を寝室のサイドテーブルから持ち出し、ダイニングテーブルの上に置いて菊子に見える様にした。


「何これ?」


「菊子が来るまでの間、インターネットで色々調べててな。テレビで騒ぎになってる今回の自殺騒ぎの情報の中から、俺が見た黒い球体とかモヤの情報が無いかを集めてみたんだ」


 菊子は俺の話に頷いて、2枚ある用紙を上から順番にじっくりと読みだした。


 俺はそれを見ながらコーヒーカップを手にして、もう冷めてしまったカップに残ったコーヒーを飲み干した。


 俺がコーヒーのおかわりをカップに注ぐと、また温かい湯気と共にコーヒーの香りが立ち上る。


 心なしか菊子もコーヒーの香りを吸い込む様に大きく息をして、それでも菊子の目は用紙に釘付けにされた様に、瞬きもせずに見入っていた。


 そして、全ての情報を読み終えた菊子は、用紙をテーブルに置いて目を瞑り、

「はあ・・・、啓二さんが言ってた話と重なるものもあるのね」

 と言って目を開けると、コーヒーカップに手を伸ばし、「私もおかわりもらっていい?」

 と言って、カップに残ったコーヒーを飲み干した。


 俺はボトルに残ったコーヒーを菊子のカップに全て注ぐと、菊子のカップにはコーヒーがカップの縁いっぱいになった。


 菊子はコーヒーが零れない様に、カップに顔を近づけてコーヒーを啜り、

「お行儀の悪い事をさせるのね」

 と言って俺を軽く睨む様な顔をして見せた。


「ははっ、今更何だい。アウトドア好きのアクティブ女子だろ?」

 と俺は軽く笑いながらそう言い、「少し部屋の空気でも入れ替えるか」

 と言って席を立ち、リビングに向かってベランダの窓を開けた。


 窓を開けると、いつもの夜景が眼前に広がる。


 目の前には、先日若い男が飛び降り自殺をしたマンションが見えた。


 今はもう規制線も張られておらず、そこは日常の景色の様にも見える。


 乾いた秋風が吹いていて、俺の顔を涼しい風が撫でていた。


「気持ちのいい風だな」

 と俺が言うと、菊子も席を立ってベランダにやって来る。


「本当ね」

 と菊子はベランダに置かれていたサンダルを履いてベランダに出た。


 俺も裸足のままベランダに出て、菊子の横に並んだ。


 菊子はベランダの手すりに肘を駆けて、その上に顎を乗せる様にして景色を見ていた。


 すると、隣の部屋の住人もベランダに出て来た様で、一枚の板で隔たれただけのベランダの向こうに人の気配がした。


 隣には若い夫婦と小さな男の子が3人で暮らしている。


 手すりに肘をかけていた菊子が隣のベランダの方に視線を向けると、丁度タバコに火をつけた男が手すりに肘を乗せて身を乗り出したところだった。


 相手の男も菊子の存在に気が付き、菊子と目があった様で、

「あ、どうもこんばんは」

 とその男は言いながら、「あ、すみませんね。タバコの煙がそっちに行っちゃいましたか?」

 と気を使ってくれた様だ。


 菊子は

「大丈夫ですよ、スモーカーの人は大変ですね」

 と菊子は笑顔で応対しながら、「私は大丈夫ですから、どうぞお気になさらず」

 と付け加えてから、動きを止めた。


「どうした?」

 と俺は菊子の様子を変に思い、ベランダの手すりから身を乗り出す様にして隣の様子を伺った。


 すると、

「ああ、佐藤さん。どうもこんばんは」

 と隣の男はタバコを片手に笑顔で挨拶をしていたが、その頭部全体を、あの黒いモヤが包んでいた。


「!!!!」


 俺の身体も硬直した様に動けなかった。そして男の頭部を包み込む「黒いモヤ」から目が離せなかった。


「啓二さん、これって・・・」

 と菊子が俺の服の脇腹辺りを掴んだが、その手は震えているようだった。


 そして俺達二人がその男から目が離せずにいると、その「黒いモヤ」は、男のシャツの中へと消えていき、そして男は突然火が付いたままのタバコをポトリと手すりの外に落とすと、まるで夢遊病者でもあるかの様な、焦点の定まらない目で中空を見やり、

「ほー・・・・・・」

 と声を上げながら、ベランダの手すりをよじ登りだした。


 俺はハッと我に返り、

「お、おい! 何をしているんだ! 危ないぞ!」

 と叫びながら手を伸ばしたが、ベランダの衝立が邪魔をして男の元には届かなかった。


 そして手すりの上で立ち上がった男は、

「ほー、ほー、ほー・・・」

 と言いながら、手すりのへとジャンプして、そのまま落下していった。


 その姿をずっと見つめていた俺達だったが、男の身体が地面に叩きつけられる瞬間だけは、目を瞑ってしまっていた。


 ドスンッ!

 という音と共に、俺は目を開けてベランダから下を見下ろした。


 マンションの敷地内の自転車置き場へと続く石畳の通路上にその男が横たわっていた。


「な・・・何てこと・・・」

 と菊子が両手で口を塞ぐ様にして震えながらそう呟いた。


 俺は

「警察に通報しなきゃ!」

 とすぐにリビングのテーブルに置いていたスマートフォンを手に取り、もう3度目になる110番をダイヤルして警察に通報した。


 俺が通報している間、下階の住人が音に気付いたのか、

「お、おい! 人が倒れてるぞ!」

 という声がベランダの窓から聞こえてきた。


「何なの・・・、あの黒いモヤって・・・」


 リビングのソファに崩れる様に座り込んだ菊子は、まるで放心した様に天井を見上げて、そう呟いたのだった・・・

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