第23話 協力者

「いったい、どういう事なんです?」

 と聞く佐々木の顔には、少しの期待も感じられなかった。


 しかし俺が閃いた策は、俺には確信めいたものがあった。


「佐々木さん。もう一度、鮫沢教授に会う機会を設定してもらえませんか?」

 と俺は訊きながら、紙とペンを探してテーブルの上を見渡した。


 俺の仕草を見た佐々木はそれを察したのか、手元の手帳の白紙のページを切り取り、ペンと一緒に俺の前に置いた。


 俺はそれを受け取り、紙にペンを走らせる。


 それを佐々木はまじまじと見ていたが、俺の手元でペン先が形作る図を見ている内に、徐々に佐々木の表情が変わっていった。


「これは…、壮大な策ですね…」

 と佐々木が声を漏らし、「下手をすると、我々の命さえ危険にさらす事にも成りかねませんよ」

 と続けた。


 俺は頷き、

「実のところ私はね、自分が何の為に生きているのか、もはや分からなくなっているんですよ」

 と言って顔を上げた。


 そう、職を失い、佐智子を失い、菊子を失い、更に世界の仕組みについて理解してしまった今の俺は、もはや自分の命に価値を見出だせないでいたのだ。


 ならば、この世が地獄に向かっている事を知ってしまった俺の命を、せめて人々の為に使えるならば、俺の人生にも意味があったのだと思えるのではないか。


 ここ最近、そんな考えが頭の片隅にこびりついて離れなかったのだ。


 だから、俺はこんなセリフを吐ける様になったのだろう。


「佐々木さん。これは私にとって、命を賭ける価値があるんです」


「佐藤さん…」


 そう言って言葉を詰まらせた佐々木は、しばらく俺のメモ書きを見つめ、何度もため息をついた。


 その一つ一つのため息は、佐々木が何かを諦めたのか、又は何か落胆する事を意味しているのだろう。


 佐々木の頭の中で、様々な知人に説得を試みているのかも知れない。


 そして、それがどうにも上手くいかないのか、又は逆に説得されているのかも知れない。


 そうしてひときわ大きなため息をついた佐々木は、項垂うなだれた様に肩を落とし、

「佐藤さん、誠に申し訳無いのですが…」

 と声を絞り出し、「私には子供が居ますので、あの子を残して逝く事は出来ません」

 と言いながら、深々と頭を下げた。


 俺は分かっていた。


 元よりそのつもりだったと言ってもいい。


 佐々木には幼い息子が居る訳で、ただでさえ母親を失った子供を、更に孤独にする訳にはいかない。


 俺が佐々木にこの計画について話したのは、恐らくは俺の存在を覚えていて欲しかったからだ。


 自分の命の価値を見失いつつ、誰かに自分という存在を刻み込みたいとも考えている訳だ。


 まったく、覚悟なんて呼べる物では無い。


 言わば俺は「自暴自棄」になっているのだろう。


 その昔、第二次世界大戦で神風特攻隊に志願した兵士達が見たら、今の俺の「覚悟」など、指を指して笑われる様な事かも知れない。


 しかし、誰かが挑まねばならない事なら、俺一人の犠牲で済めば安いものだ。


 俺は佐々木の顔を見てひとつ頷き、

「それが正しい判断ですよ。お子さんを不幸にしちゃいけない」

 と気遣う程度の余裕を見せる事は出来たつもりだ。


「鮫沢さんには、佐藤さんが会える様に私から連絡しておきます。それくらいしか出来ず、本当に申し訳ないのですが…」

 と背中を丸める佐々木に、


「どうかお気になさらないで下さい。上手くいくかどうかも分からない、無謀な策なのは理解していますので」

 と言いながら苦笑して見せ、「では、鮫沢さんとのアポイントはお願いしましたよ」

 と続けて席を立ち、テーブルの上の伝票を取ろうとする俺の手を佐々木が止め、


「これくらいは私に払わせて下さい」

 と言って伝票をジャケットのポケットに仕舞い込んだ。


 俺は小さく頷くと、

「今日はご馳走様でした。次の機会があれば、私に奢らせて下さいね」

 と言って、カフェの出口に向かって歩き出したのだった。


 --------------


「ご無沙汰しております、鮫沢さん」

 と俺は、鮫沢の個室の扉を後ろ手に閉めながら、以前に会った時と変わらぬ姿で椅子に深く腰掛ける鮫沢に向かって声を掛けた。


「おう、来たな」

 と鮫沢は険しい表情で俺を見返し「佐々木さんから話は聞いとるが、あんた、とんでも無い事をやろうとしとるらしいな」

 と続けた。


 佐々木と都庁のカフェで会ってから、3日後の土曜日に鮫沢と会う事が出来た。


 佐々木の話では、鮫沢も俺に会いたがっていたらしい。


 本来は土曜日が休日であるにも関わらず、鮫沢は他の用事をキャンセルしてまで、俺の為に時間を割いてくれたとの事だ。


「貴重なお時間を割いて頂いて、大変恐縮です」

 と言いながら鮫沢に近づくと、鮫沢は、


「いやいや、むしろワシの方から会いに行こうと思っとったところでしてな。気にせんで下さい」

 と、目尻の皺がくっきりと現れる程の笑顔を作っていた。


「で、ワシからも話はあるんじゃが、先ずは佐藤さんの話から聞こうかの」


 そう言いながら鮫沢は、俺を向かいの席に座る様に促した。


 俺は促されるままに席に着き、この3日間で作成した資料をテーブルの上に置き、最初のページを開いて見せた。


 鮫沢は資料を自分に方に引き寄せると、しばらく内容を読みながら、何度か小さく頷いていた。


 俺が説明するまでも無く、鮫沢は次はのページを捲り、

「なるほど、辻褄が合うのぅ…」

 と呟いたりする。


 やがて俺が作った資料を全て読み終え、

「佐藤さんは、柔軟な思考をしとりますな」

 と言って顔を上げると、「常識に囚われた者が大半の中で、他人との相関価値観で生きとる者には思いつく事が出来ん事じゃ」

 と続けながら、腕を組んで何度も頷いていた。


「はぁ…、褒めて頂けたなら嬉しい限りですが、今日は感想を聞きたいだけではないんですよ」

 と俺は、満足そうに頷く鮫沢に、少しイラつく気持ちを感じながらそう言った。


「分かっとるよ」

 と言いながら鮫沢はニヤリと笑い、「ワシの話を聞いたら、あんたはもっと驚く事になるぞい?」


「そうですか、では、そのお話について教えて頂けますか?」

 俺は急かす様にそう言うと、椅子に座り直して姿勢を正した。


「ええじゃろう」

 と言って真顔になった鮫沢は、自分のデスクから小さなホワイトボードを取り出し、マーカーで乱雑な文字でこう書いた。


【スクリーニング】

 ・酸性体質か否か

 ・帯電体質か否か

 ・免疫力


「あんたは、政治的な視点でこれらを観察しとるようじゃが、ワシは科学的に観察した結果についてじゃ」


 鮫沢の話はこうだ。


 先日の話では、あの「黒いモヤ」の正体は「酸化グラフェン」という炭素物質ではないかという事だった。


 酸化グラフェンは電磁波に反応し、目には見えない電磁波の波形に合わせて、まるで生き物の様に形を変えて人間に取り憑く事が分かった。


 更に、その分子が人間の身体に浸透する事も分かったという。


 それには条件があり、人間の身体が「酸化している事」「電磁波の影響を受けやすい帯電体質である事」そして「免疫力が弱っている事」の3つらしい。


 ホワイトボードに書かれた文字の意味は、どうやらこの事らしい。


 そしてその3つの条件は、現代日本人の7割以上が該当するのだという。


「で、その条件を、全て同時に兼ね備えた状態で、あの黒いモヤを浴びると…」


 そう言うと鮫沢は、ホワイトボードに書かれた文字を白衣の袖でゴシゴシと消して、今度はこう書いた。


【選民】


 選民?


 それを見た俺がそう思っていると、鮫沢はこう続けた。


「3つの条件を同時に満たした人間の身体だけに、酸化グラフェンが浸透する事が分かった訳じゃが…」

 そう言ってホワイトボードの文字にマーカーのキャップを当ててトントンと音を鳴らして見せ、「ワシが分からんのは、その動機じゃ」


「動機…ですか」


「そうじゃな。しかし、佐藤さんの資料を見て、色々と合点がいくところがあっての」


「と、言いますと?」


「それが、コレじゃよ」


 と鮫沢は再びホワイトボードの文字をマーカーでトントンと叩いて見せた。


「選民…というのは、いわゆる『優生学』の類でしょうか?」


「そうじゃ」


 優生学…


 つまりは「選ばれた遺伝子を持つ者だけが生きる価値を持っている」という考え方で、中世ヨーロッパでは、白人至上主義の元になった考え方であり、日本においても「障害者差別」の元になっていた。


 これらは世界的に国際法によって禁止され、現在は黒人差別や障害者差別は行われていない筈だ。


 しかし、鮫沢は「差別が無くなったなんてのは幻想だ」とでも言いたげだ。


「つまり、どういう事でしょうか?」

 と俺がそう訊くと、鮫沢は俺の顔をじっと見ながら、


「ここまでの資料を作ったあんたが、本当に分からんかね?」

 と、逆に訊き返してきた。


 俺は口をつぐんで【選民】と書かれたホワイトボードに目を落としたが、実のところ、俺も鮫沢教授と同じ考えに至っている気はしていた。


「我々日本人の遺伝子を、うとましく思っている者達が居るという事でしょうか…」


 俺がそう言うと、鮫沢は背もたれに身体を預ける様に座り直し、

「そういう事じゃろうな。今も白人至上主義のレイシストが、世界を統治しとるという事じゃと、ワシはそう理解したわい」

 と言いながら、右手で俺が作った資料をペラペラとめくり、「ここにあんたが書いてある事が、全てじゃないかね?」

 と続けながら顔を上げた。


 鮫沢が開いたページには、ユダヤ教とイスラム教の対立の歴史について、図解で説明しているのが見えていた。


 俺が作った資料だ。

 当然その内容については理解している。


 古代からの宗教戦争が、現在世界の金融を支配している者達の祖先によって起こされた可能性があるという内容だ。


 戦争とは彼らにとってはビジネスであり、戦争の成果として、石油等のエネルギー利権を手に入れてきた事がひとつ。


 陰謀論では「利権の為の戦争」だと決めつけている節があったが、俺が作った資料では、「ユダヤ人至上主義を追求した社会に向かっている」という事が書かれている。


 まさに先週末に3日間かけて集めた情報から得た知識を踏襲した内容だ。


 俺の中では信じるに値するする内容ではあるのだが、科学者である鮫沢がこんな話を鵜呑みにするとは思えない。


 俺はひとつ深呼吸すると、

「鮫沢さんはこの内容を、下らない陰謀論だとは思わないんですか?」

 と訊いてみた。


 すると、意外にも鮫沢は真剣な顔でこう言った。


「世界の歴史に、陰謀が無かった時代なんぞありゃせんよ。ならば、今の人間皆が清廉潔白じゃと思う方が不自然じゃと思わんか?」


 鮫沢の言葉に、俺は目が覚める思いだった。


 本当にそうだ。


 長い人間の歴史上で、陰謀の無かった時代など無いのだ。


 なのに人々は「現代に陰謀などある訳がない」と思い込んでいる。


 鮫沢は続けた。


「で、その選民じゃが、どうやらわしら日本人は、にとっては邪魔者の様じゃの」


 そう言う鮫沢の表情は曇っていた。


「それは私も考えていましたが、古代ユダヤ人の末裔である日本人が狙われているのではと考えています」

 俺は自分で調べた情報を基にそう言ったが、鮫沢は首を横に振り、


「そんな事、この物質には選べんよ」

 と言いながらため息を一つつくと、「おそらくは、さっきの3つの条件を満たす日本人を消し去りたいんじゃろな」

 と続けた。


「でも、私は実際に黒いモヤを間近で見ましたが、今のところ何も影響はありませんよ?」

 と俺が訊くと、


「あんたは普段、何を食うとる?」

 と逆に聞き返してきた。


 俺は、一瞬口を噤んだが、

「まあ、普通に…」

 と言っただけで先の言葉が出てこなかった。


 鮫沢はそんな俺を見て、

「佐藤さん、あんたは自分が豊な人間じゃと思っておらんじゃろ?」

 と訊いてきた。


 そりゃそうだ。今や無色の俺が、豊かな人生を送れているなんて考えた事が無い。

 むしろ佐智子の方が人脈も広いし、豊かな生活をしていたのではないか?


「ええ、まあ。実際に豊かな生活をしている訳ではありませんし…」

 と俺がそう言うのを鮫沢は制し、


「今の日本人は、まともに飯を食う事も出来ない程に貧しくなっているという事を、あんたは知らんのじゃな」

 と鮫沢はため息と共にそう言った。


「そんな事は無いでしょう。だって、私の恋人だった佐智子なんかは…」

 とそこまで言って俺は口を噤んだ。


 そういえば、佐智子は見栄を張る為に高級マンションに住み、高級な服を着てはいたが、食事はいつもカップラーメンやインスタント食品ばかりだった。


 俺と一緒に居る時は俺が作る料理を食べていたが、普段はすさんだ食生活だった筈だ。


 さっき鮫沢が言っていた「酸性体質か」という条件。


 佐智子はその条件に当てはまっているのかも知れない。


「今の日本人はな、若い者は特にそうじゃが、みんな貧しくなっとるんじゃ。毎日コンビニ弁当やインスタント食品ばかり食べて。身体は添加物で蝕まれているんじゃろうな」

 そう言う鮫沢の言葉はどこか悲し気だ。そして、


「そういう人間から順番に殺してしまえば、後に残るのは、金が稼げて健康な人間だけじゃろう?」

 と言うと、窓の外を見る様に俺から顔を背け、「わしの親父が守りたかった日本とは、どんな日本なんじゃろうなぁ」

 と呟く鮫沢の目が、心なしか潤んでいる様に見えた。


 第二次世界大戦で神風特攻隊を志願した者達が、命を懸けてまで守りたかった日本。


 今の日本が、彼らの守りたかった日本なのかどうか、鮫沢はそれを憂いているのだろう。


 その気持ちは俺の様な戦争を知らない世代には知り様も無い。


 しかし、鮫沢の横顔を見ていると、胸の奥に込み上げるものがあるのも事実だった。


 なので俺は、こう提案する事にした。


「鮫沢さん、私と一緒に、黒幕を倒してみませんか?」


 鮫沢は驚いた様に俺の顔を見たが、

「どうやって?」

 と訊いてきた。


 佐々木には断られたが、鮫沢はもう高齢だ。それに、俺が知らないうちにここまで調べてくれていたのだから、何か解決策が無いかと考えていた筈だ。

 ならば、俺の命を賭けて挑む策に、鮫沢も協力してくれるのではないか?


 そう考えた俺は、真顔でこう言った。


「人生を捨てる覚悟が必要ですが、策はあります」


 鮫沢は言葉を失った様に黙って俺を見ていたが、しばらくして深く息を吐き、


「聞かせてもらおうかの」

 と言って、姿勢を正したのだった。

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