第22話 悪魔との契約

「佐藤さん、お久しぶりです」

 と、東京都庁の最上階にある展望喫茶のテーブルでホットコーヒーを飲んでいた俺に、佐々木が声をかけて来た。


「ご無沙汰しております、佐々木さん」

 と俺も挨拶を返し、椅子に座ったまま軽く会釈した。


「お忙しい中、わざわざお越し頂いてすみません」

 と、テーブルの向かいに座りながら佐々木が言ったが、その顔には少し疲れが見えていた。


「佐々木さんこそ、随分とお疲れの様ですが、大丈夫ですか?」


「ああ、ご心配頂いて恐縮です。妻の事で色々立て込んでしまいまして、休暇をもらっていた間に溜まった仕事を片付ける必要がありまして・・・」

 と佐々木はやって来た店員に「ホットコーヒーをお願いします」

 と注文した。


「それは大変でしたね。心中お察しします」

 と俺は、社交辞令的に心配して見せる事しか出来ず、「その後、例の件で何か進展はありましたか?」

 といきなり本題について訊いてみる事にした。


 佐々木は大きなため息をついて、目を瞑って眉間にしわを寄せたと思うと、軽く頭を振る仕草をしてから、

「色々情報は得られているのですが・・・」

 と話し出した。


 佐々木の表情を見て、俺は少し察する事があった。


 俺が三日三晩かけて集めた「都市伝説や陰謀論」の情報が現実味を帯びてきたのを見て、なかなか信じる事が出来ずにいた俺自身がこんな感じだったと感じたからだ。


 俺は軽く頷きながら、

「どのような情報です?」

 と身を乗り出して佐々木の方に顔を寄せた。


 佐々木は俺が真剣に話を聞く姿勢になっているのを見て、少し苦笑しながら、

「なかなか信じ難い情報もありまして、しかし、それを嘘だと断定できないだけの裏付けもあって、自分の中でもどう処理して良いものか、思い悩むところなんですが・・・」

 と、回りくどい前置きをしてから、「佐藤さんは『悪魔崇拝』って信じますか?」

 と訊いて来た。


「悪魔崇拝ですか・・・、宗教的な信心の話でしょうから、そうした信仰があってもおかしくないとは思いますよ」

 と俺は答え、「神様を信仰する人が沢山いる訳ですから、当然悪魔を信仰する人もいるんでしょうね」

 と付け加えた。


 これは俺の想定内の話ではあるが、とても有益な情報だ。


 これまで俺が調べてきた、にわかには信じられない「都市伝説」の様な話を、役所勤めのお堅い感性を持っている筈の佐々木が言い出したのだ。


 これは話を訊かない訳にはいかないだろう。


 俺は少し驚いている佐々木の顔を見返し、


「あなたの奥さんが亡くなられた事と『悪魔崇拝』に、何か関係があったんですか?」

 と訊いてみた。


 俺がいたって真面目な顔でそう訊いたのを見て、佐々木は我に返った様に俺を見返した。


「驚きましたね。てっきりバカバカしい話だと一蹴されるものかと思っていましたよ」

 と佐々木はそう言って自嘲的に少し笑った。


「お待たせしました」

 とその時、店員が佐々木の分のコーヒーを運んできた。


「あ、ありがとう」

 と佐々木は店員に一言添え、店員が去って行くのを見てからテーブルに置かれた砂糖とミルクをコーヒーカップに入れ、スプーンで軽く混ぜていた。


 チリン、リン、とスプーンとカップが鳴らす心地よい陶器の音を聞きながら、しばらく何を話そうかと考えている様だ。


 俺は佐々木を急かす事はせず、少し冷めた自分のコーヒーを啜った。


 佐々木も熱そうにゆっくりとコーヒーを啜り、

「もしかしたら、佐藤さんの方が色々な情報に触れているのかも知れませんね」

 と呟いて、「なら、私の得た情報を全て話しても、大丈夫かも知れません」

 と語調を強めて俺を見返した。


 俺は頷きながら、

「問題ありません。私もこの1週間の間に、世界を見る目が大きく変わる程の情報に触れてきましたから。大抵の事には驚きませんよ」

 と言って肩をすくめて見せてから、「なので、何でも言ってみて下さい」

 と真面目な顔で付け加えた。


「分かりました、お話しましょう」

 と佐々木は、胸ポケットから小さな手帳を取り出し、いくつかの付箋を確認しながらペラペラと数ページ程をめくった。


「まず、今回の一連の事件がどんな方法で行われたのかは、未だ分からないままですが」

 と佐々木は手帳に目を落としたまま、淡々と話しだした。


 佐々木の話はこうだ。


 これまで起こった大量自殺事件が、どの様な方法で行われたのかについては鮫沢教授が今も検証している事。


 酸化グラフェンと呼ばれる物質が電磁波に容易に反応する事。


 そして、都市部の中空には様々な帯域の電磁波が飛び交っている事。


 我々人間が、そうした電磁波を毎日浴びていて、電磁波を操作出来れば都市部の人間を操る事さえ出来るだけの技術が既にあるという事。


 他にも技術的な可能性について、佐々木はまるで彼自身が科学者であるかの様に語った。


 やがて、手にした手帳のページが次の付箋が貼られたページになったところで一旦話を区切り、

「技術的な話はここまでにして、次は『動機』についてなのですが…」

 と言いながら顔を上げ、「ここからは少し、オカルトな話になります」

 と続けた。


 俺は黙って頷くと、軽く両手を上げて続きを促した。


 佐々木は俺の仕草を見て頷くと、手帳に貼られた付箋のうち、ひとつだけ色違いの付箋を貼ったページを開いてから顔を上げ、

「お会いして冒頭に言った『悪魔崇拝』にも繋がる話なのですが…」

 と、再び手帳に視線を落として話しだした。


 佐々木の話によると、世の中の宗教には大きく分けて「一神教」と「多神教」に二分されるという。


 つまりは「一柱の神しか存在しない」という教えの宗教と、「神は多数いるのだ」という教えの宗教があるという事で、日本は「神道」を軸にした、いわゆる「多神教」を軸とした国家だ。


「多神教」を軸とした国家は他にもあって、「ヒンドゥ教」「ブードゥ教」を軸にしている国家もあるという。


 世界の歴史の中で、最も宗教戦争を起こしてきたのが「一神教」を軸とした国々で、「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」などがその代表格なのだという。


 そのうち、現代の世界で最も広く信仰されているのが「キリスト教」と「イスラム教」であり、主に先進国に多いのが「キリスト教」で、中央アジア近辺の発展途上国に多いのが「イスラム教」に分けられるのだそうだ。


 しかしこの2つの宗教は、実は「ユダヤ教」から派生した宗教だという考えもあり、その証拠に、それら全ての聖地が「イスラエルの同じ場所にある」のだ。


 ユダヤ教国家として1948年に建国されたイスラエルの人々は、ユダヤ教の神殿の復活という悲願があるらしい。


 しかし、古代ユダヤ教の神殿が建っていた筈の地であるメギドの丘には、今はイスラム教の象徴である「岩のドーム」が建っているのだ。


 それが世界で起きている宗教戦争の理由であり、アメリカを建国したユダヤ人達が、イスラム教を目の敵にしている理由なのだという。


 なるほど、繋がってきたな。

 俺が3日3晩、寝食も忘れて情報収集してきた内容と。


 俺は「何故アメリカがこの事件に関わるのか」について調べていくうちに「一部のユダヤ人が巡らす陰謀」の存在に辿り着いた。


 佐々木は「妻の死の理由を手当たり次第」で情報を集めていくうちに、偶然「ユダヤ人との関係」に辿り着いたという訳だ。


 しかし、佐々木の話はここで終わらなかった。


「私はむしろ、今から話す事こそ真実を解き明かす鍵だと考えています」


 と前置きして佐々木が語った事は、俺の想像を軽く超えてきた。


 佐々木の話によると、そもそもこれまで話してきた「ユダヤ人とは別のユダヤ人」が居るのだという。


「ユダヤ人とは別のユダヤ人、とは?」


 俺は意味が分からず、ついそう訊いた。


 すると佐々木は、


「佐藤さん、旧約聖書と新約聖書の違いをご存じですか?」

 と、逆に質問で返してきた。


「え? それは多分、古い書物を後の人々が内容を解読した訳だから、訳した時期によって分けられているとか…、では無いんですか?」


 突然の質問に、俺は咄嗟に思い付いた事をそのまま答えた。


 佐々木は軽く頷くと、

「私も最初はそう思っていました。けれど違ったんです」

 と言って一息つくと、「旧約聖書とは、『古い約束』を記した聖書の事で、新しい約束を記した聖書が『新約聖書』らしいんです」


「約束…ですか。いったい、誰と誰の約束なんでしょうね」

 と俺が言うのを見て、佐々木は苦笑しながら、


「人間と悪魔との契約ですよ」

 と言った。


「悪魔との契約? そう言えば、先ほど『悪魔崇拝』がどうとか言っていましたよね?」

 と俺は、佐々木が最初に言っていた事を思い出していた。


 佐々木は2度ほど頷き、

「そうです。いわゆる『旧約聖書』が人間と悪魔の契約内容を記した経典らしく、彼らはそれを『タルムード』と呼んでいるようです」

 と言って、「まるでB級ホラー映画の様な話ですよね」

 と自嘲気味に、歪んだ笑いを浮かばせた。


「その『タルムード』ですか、いったいどんな事が書かれているのか、気になりますね」

 と俺は、佐々木が言う通り、この経典の中味にこれまでに起きた事件のヒントが隠されている気がしてそう言った。


 佐々木もそれを察した様に頷き、

「まさに私もそれが気になりまして、色々調べてみたのですが・・・」

 と言いながら、ジャケットの胸ポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出し、それを丁寧に広げ始めた。


 それはA4サイズのコピー用紙で、どこかのウェブサイトのページを印刷してきたものの様だった。


 そこには石碑の様な写真の横に小さな文字がズラっと並んでおり、おそらくそれはタルムードに記された内容を要約した物の様だった。


「これがタルムードの内容を要約したものの様なのですが、驚愕の内容なので、佐藤さんも読んでみて下さい」


 そう言って佐々木はその神を俺に手渡し、俺はそれを受け取って小さな文字に視線を落とした。


 そこにはこう書かれていた。


【人とはユダヤ教を信仰する者の事で、それ以外は人にあらず。タルムードは選ばれた人の為の経典であり、選ばれた人こそユダヤ人である。ユダヤ人は人々を統べる存在であり、ユダヤ教を信仰しない人ならざるゴイム(家畜)を統率する存在である。ユダヤ人は誰にも殺される事は無く、もし殺された場合は、全てのユダヤ人によって報復を行わなければならない。ゴイムはユダヤ人に絶対服従しなければならず、ユダヤ人はゴイムを殺しても罪にはならない。世界の自然と文化と秩序はユダヤ人の幸福の為にあり、それを永遠に続ける為に、世界の人口は5億人にすることが望ましい】


「これは・・・」

 俺は言葉を失った。


 しかし、俺が調べてきた様々な情報と、現在世界で起きている大きな出来事とも、この文章を読んで、まるで点と点が線で繋がるような気もした。


 俺は大きく深呼吸をして、手にした紙を佐々木に返した。


 佐々木は俺の反応を見て、どう話そうかと考えている様に見える。


 俺は肩をすくめて見せて、苦笑しながら、

「つまり、我々はゴイムだという訳ですか」

 と声を絞り出すようにそう言った。


 佐々木は頷き、

「どうやら、その様です」

 と応え、「我々は、彼等にとってはただの家畜でしか無いという事ですね」

 と苦々しい表情で言いながら、手にした紙を折り畳んで、再びジャケットの胸ポケットにしまった。


「ここには『世界の人口は5億人が望ましい』と書かれています。現在の世界人口は70億人程度ですが、ここでいう『人口』に我々が含まれているのかは疑わしいですね」

 と佐々木がそう言うのを聞いて、俺は頷いた。


 俺達が、いわゆるゴイムと呼ばれる家畜扱いなのだとすると、色々と納得がいく事もある。


 会社では家畜の様に働かされ、そこそこの給料を得たとしても半分近くを税金で搾り取られる。


 更に人口のボリュームゾーンである団塊ジュニア世代は、定職に就く事さえ出来ずに非正規雇用の仕事で底辺の仕事ばかりをさせられて、まるで奴隷の様に生かされている。


 いや、俺も会社に勤めていた頃は、彼等と同じ『会社の奴隷』だったのかも知れない。


 いつの間にか少し離れたテーブル席で、二人の若いサラリーマンがお互いの腕時計を見せ合って「俺の時計の方が高級品だ」「いや、この時計も10万円はするんだぞ」などとやりあっている。


 若い二人は色あせた革靴を履いたスーツ姿で、決して高給取りには見えない。


 しかし、テレビや雑誌で芸能人が自慢する高級時計が欲しくて、無理してローンで購入したのだろう。


 そんなやり取りを佐々木も気付いた様で、


「我々庶民は、にとっては愚かな存在なんでしょうね。足枷をはめられた奴隷同士で『自分の足枷の方が立派だ』などと、つまらない事で競い合っている様に見えているのではと思えてきますよ」

 と皮肉を込めて言った。


 俺はその言葉に苦笑を漏らし、

「まったくね・・・」

 と短く言って、背もたれに体重を預ける様にして天井を仰いだ。


 なるほどね、俺達は家畜だったんだな。


 そして、世界の支配者達は俺達を奴隷として生かさず殺さず・・・


 とそこまで考えて俺はふと違和感を覚えた。


 いや、何かおかしくないか?


 俺は彼等にとって家畜同然の存在なのかも知れないが、俺が調べた情報によれば、日本人とは「本当のユダヤ人の末裔」である筈だ。


 ならば、タルムードが記すところの「殺される事は無い存在」である筈だ。


 なのに、今回の犠牲者の殆どが「秦」「藤原」などの、古来はユダヤ人であった末裔の日本人ばかりなのは何故だ?


 今はユダヤ教信者ではないから、いつしか「ゴイム」という扱いにされていたという事なのか?


 それとも、他の理由があるのか?


 俺はふと気になって、佐々木にこう訊いた。


「佐々木さん、あなたの奥さんの旧姓は何というんですか?」


 佐々木は不思議そうに俺の顔を見返し、


「何故そんな事を訊くんです?」

 と返してきたが、


「大切な事なんです。もしかしたら、今回の事件の解決の糸口が見つかるかも知れません」

 と俺が真剣な顔で言うのを見て、佐々木は唾を飲みこんでから、


「旧姓は、『藤原』ですが・・・」

 と佐々木がそこまで言うのを聞いて、俺は確信めいたものを感じた。


 やはりそうか!

 そういう事だったのか!


 俺は両手で軽くテーブルを叩く様にして顔を上げ、

「佐々木さん、もしかしたら、に一矢報いる事くらいは出来るかも知れませんよ」

 と言って、佐々木の顔を真っ直ぐに見たのだった。

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