第27話 警告
俺が目を覚ますと、寝室の時計は午前9時半になろうとしていた。
ベッドの上で上体を起こし、軽く頭を振った俺は、サイドテーブルの上で音楽だけを流し、画面が暗くなったノートPCのキーを軽く叩いた。
すると画面が明るくなり、動画投稿サイトのページが映し出された。
心なしか、PCの動きが少しぎこちなく感じる。
ずっと動画を流し続けていたせいかも知れない。
俺はそう思いながらPCの電源を切り、ノートPCを折りたたんでサイドテーブルの下にある棚に収納しておいた。
そう言えば、佐智子に言われた事があったっけな。
こうして毎回PCを仕舞うのを見て、
「綺麗好きなのは有り難いけど、几帳面過ぎるのは窮屈に感じるわね」
などと言っていた。
佐智子が俺を自分の部屋に入れようとしなかったのは、もしかしたら片付けが下手で部屋が散らかっているのを見られたく無かったせいかも知れないな。
俺はそんな事を思いながら、ベッドから降りて伸びをした。
そう言えば、秋葉原から帰ってから、一度も自宅を出ていない。
冷蔵庫の中も空っぽだ。
PC作業ばかりで身体を動かしていないし、ガチガチに凝り固まった身体を解そうと腕を回してみるが、自分の腕が重たく感じる事に、少し自分に老いを感じざるを得なかった。
「運動がてら、買い物にでも行くか」
そう声に出すと、心なしか身体が目覚めてくる様な気がする。
俺は洗面所で顔を洗い、簡単に髪を整えたが、鏡の中の自分の顔に疲れが滲んでいる事に気付いてため息が漏れた。
ほんと、もう若く無いんだな。
こんな俺のセリフを親父が聞いたら笑うだろうか。
もしかしたら、何かアドバイスでも貰えるのかも知れないな。
俺はリビングのソファの背もたれに掛けたままのジャケットを手に取ると、財布とスマートフォンをズボンのポケットに押し込んで玄関に向かった。
スーパーまでは少し距離があるが、少し身体を動かした方が良さそうだ。車じゃなくて徒歩で行こう。
そう考えた俺は、歩きやすいスニーカーを履いて玄関扉を開けた。
11月も下旬になり、マンションの廊下を吹き抜ける風は少し冷たく乾いていた。
共用廊下の先にはエレベーター乗り場があるが、せっかく身体を動かすのだからと、手前にある階段を降りる事にした。
階段を弾む様な足取りで降りていると、少しずつ身体が暖まってくる。
平日という事もあってか、他の住民と顔を合わせる事も無く地上に出ると、マンションのエントランスホールを抜けて屋外へと向かった。
マンションを出ると、前面道路の斜め向かいに駐車場がある。
駐車場の奥の方に愛車の姿が見え、俺はふと、自分がマイバッグを持っていない事に気付いた。
そう言えば、車の中にもマイバッグがあった筈だ。
俺は左右を見ながら道路を渡り、駐車場の中に入った。
一番奥の右側が俺の愛車だ。
ズボンのポケットに手を突っ込み、手探りでスマートキーのボタンを押すと、俺が車に到達する前にドアのロックが解除される音がした。
俺は後部座席のドアを開け、後部座席の肘掛けの収納に入れていたエコバッグを1枚取り出して、無造作にジャケットのポケットに突っ込んだ。
ドアを閉めて再び施錠すると、俺はそのまま車を離れて駐車場を出たのだった。
俺が違和感を感じたのはその時だ。
駐車場を出る時に、正面にはマンションのエントランスが見える。
ふと俺がエントランスの方に目を向けると、見慣れない男の姿がエントランスの扉の向こうからこちらを見ている様な気がした。
男は黒いパーカーを羽織っている様に見え、フードを被っているせいで、実際のところ表情などは分からない。
気のせいかも知れない。
ただマンションの住人の知人が来ているだけなのかも知れない。
ここ数日、色々な陰謀の中身を覗く様な事ばかりしていたせいか、周囲の環境に懐疑的になっている様な節がある。
野生の動物が外部からの「敵意」のようなものに反応する「第六感」と同じようなものが、もしかしたら俺の中で育っているのかも知れないとも思っている。
ただ、11月22日の今日、気温は随分と冷え込んできている。
マンションの住人ならともかく、外部からマンションを訪ねて来た人間にしては少し薄着すぎる様にも感じた。
俺は身体を動かして身体を温めるつもりでいたのと、近所のスーパーに寄るだけだからとジャケットを羽織っただけの恰好で出て来たが、彼はどうなのだろう。
駐車場を歩いて出た俺は、スーパーの方向に歩きながら横目で男の姿を確かめながら、やがて男の姿が視界から消えるまでそうしていたのだった。
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スーパーで買い物を済ませた俺は、マンションに戻ってから軽く食事を済ませた。
食事はオーガニックコーナーで売っていた野菜と
大きな理由は「眠くならない様に」という事なのだが、もう一つ、「自宅を留守にしている間に、常備している食材に毒でも盛られているのではないか」と疑った為だ。
スパイ映画でもなかろうに、まさかそんな事が自分に起こると本気では思ってはいない。
しかし、こうして気を付けておく事で、危険から身を守れるのならそうしておいて損は無い筈だ。
食事を済ませた俺は、何気なくリビングの中を見回した。
先日も自宅の中を見回り、隠しカメラなどが無いかと探したところだったが、その時の景色を覚えているうちに、どこかに違和感を感じないかと見回していたのだ。
換気扇の周囲に触れられた形跡は無い。
天井や壁の間も違和感は無さそうだ。
ソファのクッションを取り除いてみたが、その下に何か怪しい機器がある訳でも無く、念のため寝室もくまなく確認してみたが、これといった違和感は無かった。
「まあ、俺程度の男を監視したところで、何もメリットも無いだろうしな」
俺は自分自身を安心させる為にそう口に出した。
心を落ち着けよう。
不安や恐怖が蓄積すると、大きなストレスが生じ、精神的にネガティブな状態になってしまう。
もしそうなれば、しだいに免疫力が落ちて、例の黒いモヤの餌食になりかねない。
ここはリラックスできる音楽でも聴きながら、精神を平静に保ちつつ、今後の動きを考えるのがいいだろう。
そう思った俺は、寝室のサイドテーブルの下からノートPCを取り出し、ユーチューブからヒーリング音楽の動画を検索した。
相変わらずPCの動作が少し遅く感じた。
インターネットの通信環境が悪いのか、それともPCがもう古いのかも知れない。
ともあれ目当ての動画を見つけ、俺はヒーリング音楽を聴きながらソファに身を沈めて目を瞑った。
心地よい音楽は、本当に心を落ち着かせてくれる。
古来より人間は「音」の力を使って、こうして心を満たしてきたのだろう。
今は音楽を科学的に分析し、こうしたヒーリング音楽で心を落ち着かせる事も出来る。
俺のような普通の男が、こんな世界の陰謀を暴くような事をしているなんて、今でも信じられない気分だ。
何度も決意をしたにも関わらず、あまりにも裏の世界に無知過ぎる俺は、時々こうして心をケアしてやる必要があるのだ。
そういえば、秋葉原で会ったナチョスはどうしているだろうか。
周囲を懐疑的に見てしまう様になった俺だが、もっと前からこうした情報を集めていたナチョスの事だ。
こういう時のセルフケアをどうしているのか、何かアドバイスをもらうのも良いかも知れない。
そう思った俺は、目を開けてPCの画面に目を落とした。
画面の隅には「2018/11/22 12:34」という日時の表示があり、その隣に、通知用のベルの様なアイコンが「3件の通知あり」である事を知らせていた。
通知の内容を見ると、1件は何かの広告。次の1件はメールの着信があるという通知。最後の1件は「デバイスの設定通知」というものだった。
この中で重要なものは「メール」だろう。
俺はメールアプリを起動し、着信しているメールを確認した。
メールの相手は知らないアドレスだった。
何か悪質なウイルスなどが潜んでいる可能性もある為、慎重にメールを開いてみると、そこには英文でこう書かれていた。
「親愛なる佐藤様 今あなたが知ろうとしている事に、これ以上関わらない事を推奨する。これはあなたの健康と安全の為の警告である。我々はいつでもあなたを監視できる。今ヒーリング音楽を聴いて寛いでいる事も知っている。年末までの数週間を、平穏に過ごしたいなら、これ以上何もしない事だ」
読み終えた俺は、全身に鳥肌が立っているのが分かった。
どこから俺を見ていたんだ?
監視カメラなどどこにも無かった筈だ。
今ここでヒーリング音楽を聴いていた事さえ見られていたなんて!
一体どこに・・・
ふと俺の目が、ノートPCに付属しているカメラをとらえた。
よく見ればカメラの横にある赤外線センサーがうっすらと光っている様にも見える。
「これか!?」
俺は
「もしかして、これもそうなのか!?」
どうしてこんな身近にある監視カメラの存在に気付けなかったのだろう。
俺はどこに行く時もスマートフォンを持ち歩いていた。
今の時代、誰もがスマートフォンを持ち歩いていると言っても過言では無いだろう。
いつでもGPSで位置を確認でき、カメラで映像を確認でき、音声を認識する事もでき、そして通信回線でいつも繋がっているデバイスがスマートフォンだ。
便利であるが故に、誰もが喜んで所有する様になったデバイス。
しかし今俺は、スマートフォンの電源を落とし、キッチンにあった茶色い紙袋にスマートフォンを入れて、使えない様にしていた。
・・・どこまで知られている?
ここまで色々調べて来た俺は、「敵の正体」に確実に近づいていると思っていた。
敵が知られたくない筈の情報をこちらが見つけた気になっていたが、実際は違うのかも知れない。
むしろ、以前から常に俺達は監視されており、何も知らない「愚かな羊」であり続ける事を強いられてきていたのかも知れない訳だ。
そして下手に「真理」に近づくと、こうして警告が来る訳だ。
「こうしちゃいられない!」
俺は立ち上がり、クロゼットから厚手のハーフコートを取り出すと、その場で羽織って玄関に向かった。
リビングの時計は12時45分を指している。
この時間なら、まだナチョスの店が開いている筈だ。
今日は連休前の木曜日で混雑するかも知れないが、首都高に乗れば秋葉原まで1時間程度だろう。
靴を履いて玄関扉の鍵を閉めた俺は、小走りでエレベーターホールまで向かい、エレベーターが来るのを待てずに階段で1階まで駆け下りた。
マンションのエントランスホールを抜けて外に出ると、正面に駐車場がある。
俺は左右の安全を確認し、駐車場に入ると愛車のSUVのドアを開けて運転席に乗り込んだ。
エンジンスターターのボタンを押すと、いつも通りにエンジンがかかる。
計器類の表示に異常は無い。
ブレーキを何度か強く踏んでみたが異常は無い。
ギアをニュートラルに入れてアクセルを少し踏んでみたが、エンジンの回転にも異常は感じられなかった。
「よし」
と俺は口に出し、ギアをドライブに入れてゆっくりと駐車場を出ると、マンションの前の通りを慎重に通り抜けた。
幹線道路までのなだらかな下り道をゆっくりと走らせながら、周囲から歩行者や自転車が飛び出して来ないかと安全確認をする。
あんなメールがあった後だ。
俺の心は平静とはとてもいえる状態では無いが、こんな時だからこそ慎重に運転しなければならない。
車のブレーキか何かに異常が無いかと、下り坂で時折強くブレーキを踏んでみたが、特に異常は感じなかった。
幸いここまでの道路に混雑は無かったし、俺の気のせいだと笑い飛ばせば済む話なのかも知れない。
しかし、道行く人の姿さえ怪しく感じる今の俺にとって、慎重すぎるという事は無いだろう。
俺はいつもより慎重に運転し、幹線道路と交わる交差点の信号機が赤に変わるのを見てブレーキを踏んだ。
踏んだはずだった。
停止線まで余裕のある位置で停止する筈だった俺の車は、俺の意思とは裏腹に急加速を始めた。
フロントガラスから一瞬目を離し、足元のペダルを確認したが、俺が踏んでいるのは確かにブレーキペダルだ。
なのにブレーキペダルを強く踏んでいるにも関わらず車は急激な加速を始め、俺は咄嗟にシフトレバーをニュートラルに入れた。
それ以上の車の加速は無くなったが、これまでの加速で50キロ近い速度になっていた車はいくらブレーキペダルを踏んでも減速する様子は無く、前を見ると車はもう停止線を越えて、多くの車両が行き交う幹線道路へと飛び出すところだった。
「うわーー!!!」
俺は大声を上げながらハンドルを握り、交差点の向こう側に見える電柱に車をぶつけるべきかどうかをこの一瞬で判断しようとしていた。
しかし運が悪かった。
俺の車が幹線道路に飛び出したところへ、左側から走って来た大型トラックの姿が迫って来るのが見え、その直後にトラックが俺の車の左側面に衝突した。
ガシャン!!
という音と共に左側の窓ガラスが砕け散り、その破片が俺の身体に降り注いだ。
すさまじい衝撃と共に車は右方向へと弾き飛ばされ、俺の身体は車内で大きく揺さぶられ、その反動で運転席側の窓に頭をぶつけた。
鈍い音と痛みを感じる間もなく、フロントガラスに蜘蛛の巣の様なヒビが入り、その奥の景色が回転を始めた。
車が吹き飛ばされて横向きに回転しているらしく、俺の頭は衝撃と重力に引きずられて大きく揺さぶられた。
目を瞑って歯を食いしばっていた俺だったが、やがて衝撃が治まり、ゆっくりと目を開けると、車は横転した状態で動きを止めた様だった。
運転席側が地面に接しているらしく、身体を動かそうとしたがどう動けば良いのか、頭が混乱していてうまく認識が出来なかった。
頭を打ったせいか、耳鳴りがしていて平衡感覚が分からない。
「おい! 大丈夫か!」
車の外からそんな男の声が聞こえた気がしたが、返事をしようにも、うまく声が出せなかった。
「おい! 誰か手伝ってくれ!」
先ほどの男の声が他の誰かを呼んでいる。
その後数人の男の声がざわめきとなって重なり、その中には「事故です! 市川市の県道でトラックと乗用車の事故がありまして、場所は、えーっと・・・」と、警察か消防署かに通報している者もいる様だ。
くらくらと眩暈がすると思ったら、いつの間にか車が外の者によって揺らされているのが分かった。
何度か左右に揺さぶられたかと思うと、
「せーの!」
という掛け声が重なったのと同時に、横転していた俺の車がゆっくりと起こされた。
「おい! 生きてるか!」
という声が運転席側の窓から聞こえて来た。
俺が薄眼を開けてそちらを見ると、
「よし、生きてるな! いま救急車を呼んだからな!」
と、作業服を着た白髪の男が大きな声で俺に話しかけていた。
自分がどういう状態なのかが把握できない。
ただ、頭がズキズキと痛み、軽い吐き気がするのを感じていた。
「っく!」
シートベルトを外そうと右手を動かすと、手首の辺りに鈍痛が走った。
左手でシートベルトを外そうとしたが、これもうまくいかなかった。
俺はシートにもたれ、ズキズキと痛む頭をヘッドレストに乗せて目を瞑った。
すると、急激な眠気にも似た感覚が襲い、俺はそのまま気を失ったのだった・・・
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