第17話 可能性
「失礼します」
と言って鮫沢の部屋の扉を開けて入って来たのは、学生らしいジーンズ姿の青年だった。
青年は室内を見渡し、俺達の姿をチラリと見てから鮫沢の姿を見つけ、
「
と訊いた。
鮫沢は頷きながら立ち上がり、
「
と言いながら俺達を見て、「佐々木さん、佐藤さん、あんたがたの話は、吉野君の話を聞いてからでもええかの?」
と訊いて来た。
俺が応える前に佐々木が頷きながら、
「構いませんよ」
と言って鮫沢を見る。
この吉野という青年が今回の事件にどう関わっているのかは分からないが、俺も頷きながら鮫沢を見て、
「どうぞ進めて下さい」
と促す事にした。
頷いた鮫沢は、吉野の方に目配せをして、
「吉野君、君の体験をこの方達にも聞かせてあげなさい」
と言った。
吉野は「分かりました」と言いながらパイプ椅子に浅く腰掛け、両手を膝の上に置いて肩で深く息をした。
「何から話せばいいか・・・」
と吉野は天井を見ながら言葉を探している様だ。
「構わんよ。君のお姉さんが、例の『集い』で聞いた話からしてあげるといい」
と鮫沢が促す。
「はい・・・」
と返した吉野という学生が、少しずつ、そして話していくうちに言葉が溢れ出す様に自分の体験を語りだした。
彼の話はこうだ。
彼の姉は、都内の商社勤めのOLらしく、どうやらその会社でも複数の自殺者がいたらしい。
会社から詳しい通達は無かったそうだが、社内の噂では10名を超える自殺者が居た様だ。
そしてその自殺者の中に、彼女の同僚も一人含まれていたらしい。
その同僚は30代の独身女性らしく、オカルト好きだったそうだ。
その同僚とプライベートでも交流があった彼女も次第にオカルトにのめり込み、やがてインターネット上で怪しげなオカルトサイトを一緒に見る事が増えたのだとか。
やがて彼女とその同僚は、二人で共通のアカウントを作成し、そのオカルトサイトのメンバーに登録し、色々な都市伝説などを読みふける様になっていったとの事だ。
彼女達のアカウント名は「チロリン」というらしく、様々な都市伝説や世界の陰謀論を考察する為の情報を、色々なメンバーと交換してゆくのが主な活動だった様だ。
そうして彼女達は、ある情報に辿り着いたらしい。
その情報というのが、
「電磁波に反応する特殊な物質を世界中の人間に埋め込む計画があるらしい」
というものだったそうだ。
その情報をバカげた陰謀論だと一蹴するのは簡単だが、彼女達は普段から自分達の月給の安さや不景気の理由を「政治的な陰謀」だと考えていた様で、彼女達が見つけたその情報を「本当の事かも知れない」と思い込んだらしい。
そしてそれから半年ほどが経過して、今回の事件が起きたという事だ。
彼女の友人が自殺したのは10月25日の火曜日の朝。
JR京葉線のホームから、駅に到着する電車の前に飛び込んだらしいという。
「ち、ちょっと待ってくれ!」
と俺は思わず声を上げた。「いま、京葉線って言ったね? 君のお姉さんの友人は、千葉県から通勤していたのかい?」
吉野は軽く首を振り、
「分かりません」
と言ったが、「夏になると姉がよく船橋市の農家で梨を買ってきてたので、もしかしたら千葉県の船橋市に住んでる人なのかも知れません」
と続けた。
「船橋市・・・」
と俺は言いかけて言葉を詰まらせた。
俺が住んでるのと同じ街だ。
となると、俺が最初に見たあの黒い玉の様な物の影響を受ける場所に住んでいたのかも知れない。
「佐藤さん、何か思い当たる事でも?」
と鮫沢が訊いた。
「あ、いや・・・、私も船橋市に住んでいるもので・・・」
と言ってから、「すみません、続けて下さい」
と促した。
吉野という学生の話は更に続いた。
彼の姉が同僚の自殺を知ったのは26日の水曜日だったそうだ。
火曜日に会社に来なかった同僚を心配し、LINEで連絡をしてみたが一向に返事が来ない。
そこで翌日、人事部に彼女が休暇を取る申請等をしているのかを確認したところ、どうやら電車に飛び込んで自殺をしたらしいという話を聞いたのだそうな。
突然の事に驚いた彼女は、理由を知ろうと人事部の知人に色々と訊いてみたが、理由は分からなかった。
しかし、人事部の知人からは、
「同じ様な人が他にも居て、上司はパワハラが無かったかとか、色々警察の調査を受けているみたいよ」
という話を聞く事になったのだとか。
「他にも?」
と驚いたが、同僚が上司にパワハラやセクハラを受けていた印象は彼女には無かった。
それから彼女は10日間の有給の申請を提出し、同僚の自殺の原因を探ってみようと考えた様だ。
それからしばらく自宅に篭って色々な情報を集めていた様だったが、ある日、
「やっぱり、何か大きな陰謀がある気がする」
と吉野に話し、これまでの経緯を聞かされたのだとか。
そしてその日の午後、陰謀論者が集うイベントがあるとの事で、激安店で購入した仮装用のマスクなどをバッグに入れて出かけて行ったそうだ。
姉の動向を心配していた両親や吉野を後目に出かけて行った姉だったが、その日の夜中には無事に帰って来たらしい。
そしてまだ起きていた吉野に、姉は今回の事件にまつわる様々な可能性を聞かせた様だ。
「そして、その可能性の一つが『電磁波に反応する物質』で、姉の話ではおそらく、特殊な金属の一種だろうという事だったんです」
と吉野は話を締めくくり、「そこで、特殊な金属の研究をしている鮫沢先生にお話を伺えればと思ってご相談させて頂いたという事なんですが・・・」
「ふむ、吉野君は相変わらずの説明上手じゃな。ワシの講義の単位は心配せんでもええぞ」
と言いながら立ち上がった鮫沢は、壁面の棚から小瓶を取り出し、「で、その『電磁波に反応する物質』というのはコレじゃないかと思っとるんじゃ」
と言いながら小瓶をテーブルの上にコトンと置いた。
「これは?」
と俺は、何やら黒い粉末の様なものが入った小瓶を見ながら訊いた。
「これは、酸化グラフェンという炭素の粉じゃな」
「酸化グラフェン? 危険なものなんですか?」
と訊く俺に、鮫沢は「ガハハ」と豪快に笑い、
「これ自体は危険なものでも何でもないわな。備長炭の様な木炭を削っても出て来る炭素じゃ、危険な訳がなかろう」
と言って小瓶の蓋を開けて黒い粉をテーブルの上に少し撒いた。
「そもそもグラフェンというのは炭素が結合した薄い一枚の紙の様な組織をしていてな、『電気を通す炭素シート』だと思えばええ。備長炭が金属の様に硬くて電気を通すのも、木材がグラフェン化した姿だからじゃよ?」
と言いながら鮫沢は、壁面に貼られた白いシートにホワイトボードマーカーでハチの巣の様な六角形の組織の絵を描きだした。
「吉野君、炭素の手は何本じゃ?」
と鮫沢はまるで授業中の様な感じで吉野に訊いた。
訊かれた吉野は一瞬呆気に取られた顔をしたが、
「4本です」
と答えた。
そういえば学生時代にもそんな事を習った気がする。
水素は手が1本。酸素は2本。炭素は4本だったか?
なので、酸素が水素二つと手を繋げば水になるし、炭素が酸素二つと手を繋げば二酸化炭素になるという化学の話だ。
「そうじゃ。しかし、この絵がグラフェンの構造なのだとしたら、気になる事が無いかの?」
と先ほど描いた絵を指さして鮫沢が訊く。
六角形の角の部分が炭素原子なのだとすると、連なる六角形同士を結ぶ線は3本ずつしか無い。
つまり、炭素の手が1本ずつ余ってしまうという事か?
と俺は化学の知識に詳しくは無いが、学生時代の授業内容を思い出しながらそう考えていた。
吉野も同じ様に考えた様で、
「それぞれの炭素の手が1本ずつ余るという事ですか?」
と質問で返した。
「その通りじゃ」
と鮫沢は吉野の答えに満足した様に頷き、「では、残りの1本は何をしておるんじゃろうの?」
と含み笑いをしながら吉野に訊いた。
質問された吉野はしばらくハチの巣の様な絵を見ながら考え、やがて諦めた様に
「分かりません」
と答えた。
それを聞いて少し残念そうな顔をした鮫沢だったが、
「君はまだ、2次元でしか物事を考えられん様じゃが、まあええ」
とひと息つくと、「佐々木さんと佐藤さんに面白い実験を見せようかの」
と言って、ポケットから取り出したスマホで「117」の時報に接続した。
「グラフェンの炭素原子は3本の手でお互いが結合した状態の紙の様なものじゃが、炭素原子にはちゃんと4本ずつの手があっての」
と言いながら、時報に接続したままのスマホを持ち上げて、先ほどテーブルに撒いた黒い粉に近づけた。
すると、黒い粉が、まるで生き物の様にスマホに向かって黒いモヤが手を伸ばす様な動きを見せ、うねうねと
「これは・・・」
と俺は声を漏らした。
これはまるで、あの黒いモヤが人間に取り憑く時の動きに似ているのではないか?
「スマホからは電磁波が出とるわけじゃが、グラフェンの余った手が電磁波に反応して、浮遊する電磁波の動きに合わせて動いとるんじゃよ」
と事も無げに鮫沢はそう言うと、スマホの接続を切った。
すると、浮遊していた黒い粉がテーブルに落ち、鮫沢はポケットから取り出したハンカチでテーブルの黒い粉を拭き取った。
「吉野君の話にあった黒いモヤの正体はおそらくはコレじゃろう」
と鮫沢は言いながら、「しかしの、グラフェン自体が人間を殺す様な事はせん。だから、わしが吉野君に言える事は、巷を騒がせておる自殺騒ぎの原因がグラフェンじゃと言うのは早計じゃという事じゃ」
そう言って鮫沢が椅子に腰かけて背もたれが軋む音以外に、だれも音を発しなかった。
ここに来れば事件の真相が分かるかも知れないと思っていた俺達にとって、この結論はどう受け止めるべきものなのだろうか?
しかし、吉野は俺達とは少し違う解釈をした様だった。
「では先生、グラフェンを電磁波で操作する事が出来れば、物理的に人間を操る事も出来るという事ですか?」
今度は鮫沢が言葉を失う番だった。
鮫沢は確かに専門家としての知見はあるが、だからこそグラフェンが危険な物質では無いと思い込んでいるのかも知れないという視点だ。
確かにこの視点の方が俺達の考えに近いかも知れない。
「鮫沢さん、どうなんです?」
とこれまで黙っていた佐々木が身を乗り出す様にして訊いた。
「ふむ・・・」
と腕を組んで目を瞑り、瞑想でもする様に黙り込んだ鮫沢だったが、眠っているのかと疑いたくなる程の沈黙の後、顔を上げてこう言った。
「ワシは電波の専門家では無いから確かな事は言えんが、もし電磁波の波形を自在に操れるのだとすれば、可能じゃろうな」
それは、俺達が探していた可能性に大きく近づく答えだった。
「もし、そんな事が出来るのだとすれば・・・、既得利権に目が眩んどる政治家共が、放ってはおかんじゃろうの」
と言いながら立ち上がり、窓際から外を眺める鮫沢の顔は、どことなく悲し気にも見えたのだった。
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