第18話 決意

 自宅に戻った俺は、これまでの情報をまとめようとPCに向かっていた。


 鮫沢の話はとても核心に近づく情報だったのは確かだ。


 あの黒いモヤが「グラフェン」という物質なのだとすれば、俺がこれまで見て来た「黒いモヤ」の正体が解った事になる。


 そして、グラフェンを操るのが電磁波なのだと仮定して、その電磁波の発信源は何なのだろうか。


 スマートフォンの可能性もあるが、それなら俺も毎日持ち歩いている。


 その影響を受ける人と受けない人の違いとは何なんだろうか?


 そして、根本とも言える大きな疑問がある。


 それは、「誰が何の為にそんな事をするのか」という事だ。


 どこかのマッドサイエンティストが愉快犯的に行った可能性もあるが、それにしては規模が大きすぎる。


 それに、電磁波なんて都心に出ればどこにでも飛び交っている。


 テレビ、ラジオ、通信・・・


 気が付けば、世の中は電磁波だらけだ。


 人体にまったくの無害という訳では無いのだろうが、政府が認めた周波数しか利用できない法律になっているし、人体への影響も考慮されている筈だ。


 目立った健康被害があるという話も聞いた事が無いし、そもそも電磁波が原因だというなら、俺が初めてあの黒い玉を見た日、何等かの電波障害等が起こっていてもおかしくは無い。


 しかし、あの日もテレビは普通に見れたし、電車も普通に運行していた。


 かなりの近距離であの黒い玉を目撃した筈の俺には何かの健康被害がある様には思えない。

 翌日佐智子のマンションの様子を見に行く際に自動車を運転したが、電磁波の影響を受ける筈のカーナビにも異常は無かった。


 俺の目の前で道路に飛び出した若い女とはかなりの近距離に居た筈だ。


 あの時の俺は自動車のエンジンをかけたままにしていたが、俺の目と鼻の先を走り抜けていった女が電磁波の影響を受けていたのだとすれば、俺の車にも何かの異常があって然るべきだ。


 しかし、目に見える影響など何も無かった。


 そう考えると、そもそもグラフェンを電磁波で操っていたなどという話そのものが疑わしくなって来る。


 しかし、鮫沢が見せてくれたあの実験は、まさしく俺が見た「黒いモヤ」そのものの様にも見えた。


 考えれば考える程分からなくなる。


 いっその事、「幽霊の仕業だ」などと非科学的な事にしてしまった方が気が楽だ。


 しかし、佐智子が死に、佐々木の妻も佐智子と同じ様な死に方をした。


 他にも沢山の犠牲者が居て、その全てが「同様の死に方」をしているというのは、何が何でも「何らかの法則がある」という気がしてならないのも事実だ。


 そもそも、自殺した者達の共通点とは何だ?


 佐智子と佐々木の妻、隣室に住んでいた山脇、向いのマンションに住んでいた若い男、俺の目の前で道路に飛び出した若い女。


 性別も年齢も違う。


 共通点があるとすれば、「みんな普通の生活をしていた人達」という事だ。


 特別困窮している訳でも無いし、普段から不健康な生活をしていたとも思えない。


 佐智子の食生活が不健康だった事を思えば「食生活」を共通点に挙げられるかとも思ったが、佐々木にしろ山脇にしろ、結婚して夫婦で同じ食事をしているのだろうから、妻や旦那だけがそんな影響を受けるのもおかしな気がする。


 最初に考えた共通点といえば「黒い玉が出現した地域」というものだ。


 千葉県の船橋市付近が、おそらく最初にあの「黒い玉」が出現した地域。


 そして、次に出たと思しき地域は、テレビの報道で見た都内の代々木公園付近だ。


 代々木公園といえば渋谷区に位置するが、東京がディストピアと化していたあの夜、もっとも被害が大きかったのは新宿付近と丸の内付近では無かったか?


 代々木公園に近い新宿は分かるが、ある程度の距離がある丸の内付近でディストピア化したのは何故なのだろう。


 SNSの情報では、他にも渋谷や六本木付近でも同様の状況に陥っていたという情報もあったが、その他のエリアではそれほど大きな混乱があったという情報は無い。


 最も人の乗り降りが多い駅として有名な新宿駅。


 最も乗り入れる電車が多い駅として知られる東京駅。


 もっとも若者が多く行き交う事で有名な渋谷駅。


 もっとも夜が賑やかな六本木。


 これらの地域の共通点は「人の往来が著しく多い」という事ではあるが、ならば千葉県の船橋市の様な郊外でも多くの自殺者が出たのはどういう理由からだろうか。


「本当に・・・、何が何だか・・・」

 と俺は呟きながら、テーブルに置いていたスマートフォンを手に取った。


 スマートフォンの画面には、菊子からSNSのメッセージが届いているという通知が表示されていた。


 俺はSNSアプリを起動し、菊子からのメッセージを確認した。


 そこには「生きてる?」という短いメッセージが表示されていた。


 メッセージが届いたのは20分程前らしい。


 俺は「生きてるよ。君も生きてる様で何よりだ」と入力して返信しておいた。


「そうだ、今日までに得た情報を菊子にも話しておかないといけないな」


 俺はそう思い、SNSで「色々有益な情報を得られたから、週末に家に来ないか?」と書いて送信しておいた。


 部屋の時計を見ると、19時を少し回ったところだった。


 SNSで菊子に送ったメッセージはまだ既読になっていないあたり、今頃風呂にでも入っているのかも知れない。


 最近の若者は、常にスマートフォンを手にしていないと不安になるらしいが、俺はそこまでスマートフォンに依存していない。


 なので、菊子からのメッセージに気付くのに20分程かかった訳だが、アウトドア好きの菊子も

「スマホ依存症にはなりたくないから」

 と言っていたのを聞いた事があるあたり、常にスマホを持ち歩くタイプでは無いのかも知れない。


 今日は11月8日の火曜日。


 週末まではまだ時間がある。


 もう少し情報をまとめて、菊子に説明できる程度の資料は作っておきたいところだ。


 そう思いながら俺は再びPCの前に座り、これまでの情報整理を始めたのだった。


 --------------


 11月9日の水曜日、昨夜遅くまで情報整理の作業をしていた為か、俺は朝8時頃に目が覚めた。


 いつもはもっと早くに目が覚めるのだが、何故かなかなか寝付けなかったのもあって、結局こんな時間まで眠ってしまった様だ。


 俺は昨夜整理した情報を見直そうと、PCを起動して資料をプリンターで出力する事にした。


 資料は6ページに及んだ。


 資料には、これまで俺が体験した事、目撃した事、そして、佐々木や鮫沢から得た情報、更にはグラフェンに関する情報や、自殺者の地域分布、更に年齢や性別まで、分かる事は全て資料の中に記述している。


 今日はこれらの情報を見直し、どういった傾向が表れているか等について検証しようと思っていた。


 俺はサイドテーブルに置いていたスマートフォンを手に取り、待ち受け画面を表示させて見た。


 いくつかのスパムメールや広告が表示されていたが、菊子に送ったメッセージの返信はまだ来ていない様だ。


 念の為SNSのアプリを起動してみたが、菊子に送ったメッセージは、未だに既読にはなっていなかった。


「おかしいな・・・、この時間は通勤電車の中だろうから、今頃メッセージを見ていてもおかしくは無いんだが・・・」


 一抹の不安がよぎる。


 まさかこの数時間のうちに、菊子も自殺をしていたなんて事は無いだろうな?


「まさかな・・・」


 と俺はそんな考えを払う様に頭を振り、しかしそれでも消えない不安からか、寝室を出てテレビの報道番組を見てみる事にした。


 NHKでは、緊張が走る東アジアの国交問題について報道がされていた。


 中国による台湾有事が発生するかも知れないという報道で、その場合は戦場が日本列島に及ぶ可能性があるなどと議論されていた。


 これはこれで大問題ではあるが、今知りたいのはこれじゃない。


 リモコンでチャンネルを切り替え、民放の報道番組が画面に映し出された時、


「あっ・・・」


 と俺は短い声を上げていた。


「今日の午前7時30分頃、東京メトロ東西線の車両が脱線し、西船橋駅のホームに激突するという事故が発生しました! ただいま西船橋駅の上空から見えるのは、脱線した車両がホームに折り重なる様に乗り上げてしまっている光景です!」


 画面には西船橋駅を上空から見た景色が映っている。


 しかし、映っているのは銀色の車両が4両程、折り重なる様に潰れてホームに乗り上げている光景で、ホームには大勢の人が倒れていて、その周囲を大勢の警察官が取り囲み、ブルーシートをかけているのが分かる。


「駅のホームには大勢の怪我人が居るものと思われます! また、車両の中にも乗客がいたものと思われますが、見るも無残に潰れた車両からは、いまだ一人も救出されてはいない模様です!」


 おいおい・・・、待てよ・・・


 東京メトロ東西線と言えば、菊子が通勤に使っている電車だぞ・・・


 俺はもう一度スマホの画面を見る。


 菊子が生きているなら、この事故を間近で見ていたかも知れない。


 ならば、俺に連絡をしてくる筈だ。


 7時半頃の事故だって?


 菊子はいつも何時の電車で通勤しているんだっけ?


 テレビのアナウンサーがヘリコプターの中と思われる騒音が聞こえる中、大声で事故現場の状況を説明している。


「先頭車両から4両目までが折り重なる様に潰れています! どれだけの乗客がいたかは分かりませんが、車両の中を覗き込んでいる救急隊が数人、顔を見合わせて首を横に振る様な仕草をしているのが見えます! これはどういう仕草なのでしょうか! もはや救出は絶望的という事なのでしょうか!」


 都内に向かって通勤する菊子が車両に乗っていたという事は無い筈だ。


 しかし、いつだったか菊子が、「通勤ラッシュの電車って、意外と両端の車両は座席に座れる事もあるんだよ」などと言っていたのを思い出した。


 どちらだ?


 菊子が後方の車両に乗ろうとしていたのなら事故に巻き込まれてはいない筈だ。


 しかし、もし先頭車両に乗ろうとしていたのだとすれば・・・


 その時、不意にスマートフォンから「ピロン」とメッセージが届く音がした。


「菊子か!?」


 俺はすぐさまスマートフォンの画面を確認した。


 そこには、菊子からメッセージが届いた旨の通知が表示されていた。


「菊子からだ! 無事だったんだな!」


 と俺はSNSのアプリを起動し、菊子からのメッセージを表示した。


 そこには、「週末の件は了解。こちらも色々分かって」という、なんとも中途半端なメッセージが表示されていた。


「何だ? どういう事だ?」


 そんな俺の耳に、テレビのアナウンサーの叫び声が聞こえた。


「ホームで倒れていた人の中から、怪我人と思しき女性が一人、ようやく担架で運ばれていくのが見えます! 担架で運ばれる女性が身動きしている様には見えません! 意識はあるのでしょうか! 無事である事を祈るばかりです!」


 その声につられてテレビ画面を見た俺の目は、上空からカメラがズームで撮影している、担架に乗せられた女性の姿を見つめていた。


 その女性が着ているコートが、先週菊子が俺の部屋にやって来た時に着ていたトレンチコートに似ていた。


「・・・・・・・・・まさか」


 胸の鼓動が早鐘の様に打ち始め、俺のこめかみがズキズキと脈打つのが分かる。


 呼吸が荒く乱れ、額に脂汗がにじんできた。


 ズームされた画面に映る担架に乗せられたその女性は、脇腹あたりが赤黒く汚れたトレンチコートに身を包んだ、紛れも無く菊子だった。


 その右手はスマートフォンが握られたまま、トレンチコートの下腹あたりに置かれていた。


 先ほど届いた菊子からのメッセージは、救急隊によって担架に乗せられた際に、偶然送信されたメッセージという事だ。


「菊子・・・・・・!」


 いつの間にか俺の全身がガタガタと震えていた。


 驚き、怒り、悲しみ、恐怖・・・・・・


 何の感情がそうさせるのかは分からなかった。


 ただ、俺の中で混沌としていた感情が、腹の底から湧き上がる様なうめき声になるのを感じていた。


 この事故もあの「黒いモヤ」の仕業なのか?


「何なんだよ・・・」


 ただ理不尽に、唐突に、何の躊躇ちゅうちょも無く襲ってくる悲劇。


「何なんだよ、一体・・・」


 俺は爆発しそうな感情に包まれ、そうして声を上げずにいられなかった。


「佐智子を奪い、次は菊子まで・・・、一体何がしたいんだ・・・」


 俺は震える身体を抑えきれずに両手を振り上げ、


「何なんだよお前はぁ!!!!」


 と叫びながらリビングのテーブルに向かって全力で両手の拳を振り降ろした。


 ガタン!!


 と大きな音を立ててテーブルが振動し、両手の拳に痺れる様な痛みが走る。


 そのまま痛む両手で頭を掻きむしる様にしながらソファに身体をドカっと沈めた俺は、テレビの画面を睨みつける様にしながら、担架で運ばれていく菊子の姿を見つめていた。


 許せない・・・


 この事故があの黒いモヤが原因かどうかは分からない。


 だけど、到底無関係とは思えない。


 そうだ、あの黒いモヤのせいなんだ!


 そして、あの黒いモヤを使って、ここまでの混乱を招いたヤツがどこかに居る!


 俺はそいつを許さない!


 必ずこの手で黒幕の正体を暴いてやる!


 たとえ相手が国家だろうが何だろうが、必ず裁きをくれてやる!!


 俺はズキズキと痛む両手を握りしめ、もう菊子の姿が見えなくなったテレビ画面をじっと見つめていたのだった。

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