第13話 マッドサイエンティスト

「鮫沢先生、いい加減にしてもらえませんかねぇ・・・」


 呆れた様にそう言う白衣の女、植田うえだ祥子しょうこが眉間に眉を寄せて、

「このままじゃあ予算も下りなくなるし、研究所も取り上げられちゃいますよ?」


 鮫沢と呼ばれた初老の男は、白衣を着て老眼鏡を鼻にかけたまま手元の新聞を読んでいたが、祥子の声にしぶしぶ顔を上げた。


「植田君、君の言う事は分かるがね。わしの研究を舐めてかかると、後々痛い目に遭うのは大学側じゃぞ?」


「それは何度も聞きました。でも、学会でも論文は評価されなかったし、そもそも先生の研究って薬学とは全く別物じゃないですか。薬学を研究するって事で大学の研究所を使っているのに、全然関係ない研究ばかりしてたら、そりゃあ予算も下りなくなるってもんですよ」


「あー、植田君の言いたい事は分かっとるっちゅうに・・・、ほれ、これを見てみぃ」

 と鮫沢は手元の新聞記事を祥子に見える様に広げた。


「何ですか?」

 と祥子は新聞記事に視線を落とす。


「最近やたらと世間を騒がせとる身投げの記事じゃよ」

 と鮫沢はギョロリと祥子の顔を見上げてそう言った。


「身投げって・・・、普通に自殺って言えばいいのに・・・」

 と祥子は新聞を手に取り、記事を読みながら呟いた。


「身投げは身投げじゃ。自殺にも色々あるじゃろ? そいつらは皆、身投げじゃろうが。首を吊った訳でも腹切りした訳でもあるまい?」


「まあ、どんな自殺かは詳しく知りませんが、飛び降り自殺が多いってニュースはテレビで見ましたけどね」


「違うぞぃ。『多い』じゃのぅて、全部『身投げ』じゃよ」


 という鮫沢に、祥子は顔を上げて

「なんでそんな事が分かるんですか?」

 と訊いた。


 鮫沢はニヤリと笑い、

「当然じゃ、儂が研究しとるからに決まっとろう」

 と言ってデスクの上にある湯呑を持って一口啜った。


「うえっ、もしかして先生がこの事件の犯人なんですか?」


「違うわ! バカもん!」

 と鮫沢は大声で言った後、「なんちゅー事を言いだすんじゃこの娘は・・・」

 と言ってまた湯呑を一口啜った。


「じゃあ、何で先生の研究と関係してるって分かるんですか?」


「そうじゃの、その前に質問じゃ。植田君は人間の脳に異常行動を起こす薬品をどれだけ列挙できるかね?」


 突然問われた祥子は、新聞を胸に抱いたまま腕を組み、

「そうですねぇ、インフル薬のタミフルとか有名ですよねぇ。オセルタミビルの他にアセトアミノフェンも異常行動の調査対象になってた気がしますけど・・・」

 と言いながら鮫沢の顔を見る。


 鮫沢は目を瞑って頷き、

「まあ、ええじゃろ。じゃが、人間の脳に影響を与えるのが薬品だけだと思ったら大間違いじゃ。そもそも、人間の脳には微弱な電気信号が走っとる。ならば、脳が電磁波の影響を受けん訳は無いわな?」

 と言って祥子を見返す。


「ああ、つまり携帯電話の電波とかが脳に悪影響を与えるっていう、アレの事ですか?」

 と祥子は苦笑しながらそう訊くと、鮫沢は軽く頷いただけで、


「それもあるが、そもそも儂の研究が何かを、よぉく考えてみぃ」

 と言って祥子の顔を見た。


 祥子は「はあ」とため息を付き、


「先生の研究は、金属の研究ですよね。鉛とかそんな事ばかり研究していますもんね。だから大学から場所の明け渡しについて圧力がかかってる訳で。それを他の教授から『植田君から鮫沢先生に伝えてくれ』って何度も言われて、それをうやむやにし続けてる私の気持ちも考えて下さいよ!」

 と、だんだん腹が立ってきたのか祥子は声を荒げていた。


「まぁまぁ、落ち着かんか」

 と鮫沢は両手の平を祥子に向けてヒラヒラと振る。


「落ち着いてます! 先生は他の教授からはマッドサイエンティスト扱いされて、その研究所に通う私も『頭のおかしい助手』みたいに思われるのももう慣れましたしね!」

 と祥子はプイと顔を逸らして頬を膨らませている。


「まあ、聞きなさい。植田君が初めてここに来た時にも言ったがの・・・」

 と語りだす鮫沢の話を、祥子は近くにあった椅子に腰かけて聞く事にした。


 面倒くさい男だが、「まあ聞きなさい」と言った後には必ず為になる話をするのがこの鮫沢だからだ。


 鮫沢の話はこうだ。


 人体には様々な生物が生息しており、それは「菌」と呼ばれる「生物」なのだという。

 しかし、人間の脳は情報のやり取りに微弱な電気信号を使っており、その為に伝導性のある金属も体内に存在しているのだとか。


 いわゆる鉄分、亜鉛などがその代表的な例なのだが、鮫沢は、これらの金属成分こそが、人体や脳に与える影響が最も大きなものだと考えている訳だ。


 そして今回、ちまたを騒がせている事件の原因が、正に人体の金属に関係していると鮫沢は言っている訳だ。


「その中でも、恐らく諸悪の根源はこれじゃろ」

 と言って鮫沢が棚から取り出した小瓶には、黒い粉末が入っている。


「何ですかそれ? 黒鉛の粉末か何かですか?」

 と祥子が問うと、鮫沢は頷いたが、


「惜しいの。黒鉛から作ったものではあるが、これは『酸化グラフェン』じゃ」


「酸化グラフェン・・・って何ですか?」


「電磁波や磁気に強く反応するナノカーボンみたいな物質でな。極小の微粒子にしたのがこの粉じゃ」


「それが、この事件とどう関係あるんですか?」


「それはの・・・」

 と言って鮫沢がスマートフォンを取り出し、小瓶の前で祥子に電話をかけた。


 すると、ほどなく祥子のスマートフォンのベルが鳴ったが、祥子は電話に出る事も出来ずに、酸化グラフェンの粉末が入った小瓶から目が離せなかった。


 そこには、まるで黒い霧状の生き物が小瓶の中で暴れているかの様にうごめく姿があったのだった・・・


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 11月6日の日曜日、夕方になって菊子が冷蔵庫にあった材料を使って簡単な夕食を作ってくれた。


「明日からは仕事だし、夕食を食べたら家に帰るわね」

 と菊子が言った。


「ああ、長居させて悪かったな」

 と俺は言い、「俺は今回の事件の事、明日からも色々調べてみるよ」

 と続けながらダイニングテーブルに食器を並べた。


「そうね、平日は私も仕事があるし、啓二君に丸投げして悪いんだけど・・・」

 と言いつつ、「でも、私も身の回りで気になる事があったらすぐに連絡するね」

 と付け加えた。


 やがてダイニングテーブルには料理が並べられた。


 俺が買ってきたまま冷蔵庫に入れていたオーガニック野菜や冷凍していた肉などを巧く使って、生姜を効かせた煮込み料理を作ってくれた様だ。


「私達が突然自殺なんてしない様に、せめて食事は健康的でありましょうね」

 と菊子が言いながら、両手を合わせて「いただきます」と言って料理を皿に取り出した。


「ああ、そうだな」

 と俺も手渡された料理を手に取り「いただきます」と言って食べだした。


 この半月ほどの間に、飛んでも無い事が立て続けに起こっていたせいか、佐智子の話題は出て来なかった。


 土曜日からほとんど寝ずに俺達はこの事件について語り合い、どうやって情報を収集するかや、様々な仮説について話し合った。


 PCでインターネットに接続し、色々な情報を検索していた中で、いくつか参考になりそうな情報源は見つけていた。


 都内の薬学を専門とする大学で、人間の脳に影響を及ぼすメカニズムを研究している博士の紹介があった。


 確か、名前を鮫沢さめざわ隆二りゅうじと言ったか。


 インフル薬を服用して異常行動を起こした事例のメカニズムを解明したという論文をどこかの学会に出した事があるという内容だったが、今回の事件は正に「異常行動」としか言い様の無い出来事だ。


 何か専門的な情報が得られそうだと俺は思っていた。


 あとは、県庁と都庁にも足を運んでおきたい。


 今回の政府の危機管理の対応についてはどうにも疑問が残る。


 首相官邸や国会議事堂などに直接出向いても、そもそも中に入れてもらえる訳もないだろうから、まずは都庁に足を運んで、東京都の対策としてどういう目論見なのかを知る事が出来れば、政府の考えている事が何か分かるかも知れない。


 千葉県庁にも確認したい事はあるが、まずは都庁である程度の情報を仕入れてからの方がいいだろう。


 他にも、ユーチューブやブログ等から得られた情報も無視は出来ない。


 この事件がバイオテロである可能性も否定できない訳で、もしそうならどこの組織がこの様な陰謀を企てたのかを探す必要が出て来るだろう。


 そうした事を真剣に話し合っているブログ「世界の陰謀を暴き隊」というのがなかなかに興味をそそられる内容だった。


 どこかおふざけ感のあるブログの名称ではあるが、ブログ内で語られている話はとても理路整然としており、どこかの有象無象が面白半分で語っているブログとは毛色が違う気がしたのだ。


 まずはここら辺とコンタクトを取り、詳しい話を聞く事が出来れば、少なくとも俺がこうして悶々としているよりもいい筈だ。


 俺はスマホのスケジュール表に明日からの予定を書き込み、菊子の料理を平らげて行ったのだった・・・

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