第35話 暗闇の唄

 2018年12月25日、火曜日。9時11分。


 ナチョスと朝まで過ごした後、自宅に帰ろうと考えていた俺に、


「佐藤さん、あんたはしばらく自宅には戻らない方がいいよ」

 とナチョスから助言された。


 この騒ぎを受けて、敵が何等かの「報復を考えているかも知れない」というのがナチョスの懸念だったようだ。


 俺は回復しかけている右手を見ながら、

「確かにそうですね。既に敵は私の事を知っている様ですし、自宅に何を仕掛けられているか分かったものではありませんからね」

 と返し、「近くに宿をとって、しばらく様子を見る事にしますよ」

 と言ったのだった。


 ナチョスはそれから自分の店に戻って、例のでしばらく過ごすつもりの様で、

「年末までは自宅に帰らず店に居る様にするから、何かあればいつでも店に来てください。念のため、携帯電話は使わない様にしましょう」

 と言ってくれた。


 俺は何度も礼を言ってからナチョスと別れ、神田駅の近くにあるビジネスホテルに直接赴き、1週間の滞在をする手続きをしておいた。


 神田駅から秋葉原までは歩いて10分程度の距離だ。

 ナチョスの店までもそう遠くはない。


 時間が9時30分過ぎだったこともあり、その場でチェックインする事は出来なかったが、俺はビジネスホテルにチェックインできる15時までの時間潰しをどうしようかと考えながらブラブラと神田駅前の商店街を歩き、モーニングサービスのある喫茶店を見つけてその店に入る事にした。


 その店は昭和の雰囲気を残した味わいのある喫茶店で、テーブルや椅子も昭和時代からずっと使っている様だった。


 薄暗い店内は4人掛けのテーブルが5脚と、5人くらいが座れるカウンターがあり、俺はカウンターの一番端に腰かける事にした。


 カウンターの上にはブラウン管のテレビが置かれていて、


「ご注文は?」

 と訊く店の主人に、

「モーニングセット。ホットコーヒーで」

 とオーダーしてから、「このテレビ、映るんですか?」

 と訊いてみた。


 店主は軽く笑みを浮かべて、

「映りますよ。点けますか?」

 と言いながら、俺の返事も待たずにテレビの電源を入れた。


 今はテレビ放送は全て地デジになりアナログ放送など無い筈だが、おそらく地デジチューナーか何かをつないで、アナログテレビ風に演出しているのだろう。


 子供の頃は実家にもこういうテレビがあったな。


 そんな事を思いながらテレビ画面に視線を向けると、ワイドショーか何かの番組で、ちょうど俺達が仕掛けた一斉情報公開の話題が取り上げられていた。


 昨夜はナチョスと定食屋のテレビでニュース速報を見ていたが、世間はクリスマスイヴの夜を家族や恋人と過ごしていた事だろう。


 小さな子供がいる家庭ではクリスマスパーティを楽しんだのかも知れないが、パーティが終わって子供を寝かしつけ、クリスマスプレゼントをそっと枕元に置いた後にテレビ報道を見たとしたら、報道された内容に、彼らも驚いたに違いない。


 昨夜から今朝にかけて、テレビで公開された情報はいくつかあった。


 官僚や政治家に不正な資金が流れていたという情報。


 政治資金パーティーで、外国人からの寄付が5000億円以上あった事。


 それが政権運営を担う官僚や政治家の裏金になっていた事。


 そして今回の大量自殺に「電磁波の影響があったかも知れない」という報道。


 他に客がいないのをいいことに、喫茶店の店主がテレビのリモコンを俺に手渡してくれ、俺はいくつかのチャンネルを見てみる事にした。

 今回の事件はどうやら全てのテレビ局が取り上げている様で、WEB上に公開された情報を引用し、こうした情報の詳細な説明や考察が行われていた。


 しかし、ナチョスが最も広めたかった「子宮頸がんワクチンに避妊効果のある薬品が含まれていた」という情報については、主要メディアで取り上げたところは無かった。


 そういえば、ナチョスが言っていた。


「ここまでの情報だ。テレビ局はスポンサーに忖度して放送なんてできないでしょう。インターネットの動画サイトに期待するしかありません」


 とあるテレビ番組では、ナチョスの言葉を裏付けるように、インターネット動画のサイトで、他の情報を考察する動画が沢山見られるといった報道もあった。


 ガンの治療に使われる抗がん剤が、実は治癒効果の無い毒であったという情報。


 食品添加物や遺伝子組み換え食品を、外資系企業からの献金によって日本政府が買収されており、人体に害がある添加物が多数承認されていたという情報。


 そして、今回の大量自殺が人為的に起こされた事件の可能性が高いという事と、その技術や仕組に関する情報。


 そしてそれが、税金の支出を減らす為に生活困窮者をメインターゲットにしたもので、その準備が過去10年に渡り行われてきたらしい事。


 それを「陰謀論だ!」と切り捨てるコメンテーターを出演させる番組ばかりだったが、公開された情報の出処が官公庁が公表しているものが多い事もあり、あながち「陰謀論」と切り捨てる事はできないだろうと、多くの視聴者は気付いているのではないのだろうか。


 そういえば昨夜、政権与党の閣僚の一人が自殺をしたというニュースがあった筈だ。


「このタイミングで閣僚が自殺をするなんて、逮捕を恐れて自殺をしたか、又は口封じの為の、自殺に見せかけた暗殺じゃないか?」

 と俺がテレビを見ながらつぶやいた時も、店主が、


「穏やかじゃありませんね。でも、そう思いたくなる気持ちもわかりますよ」

 と、香ばしいコーヒーをカップに注ぎながらそう言うくらいには、信ぴょう性は確保できている様だ。


 特に大量自殺事件の原因が人為的なテロだったという件については、多くの被害者遺族の怒りを買っている筈だ。


 これに遺族がどのようなアクションを起こすのかが、今後の俺達の動きにも大きく影響を与えるだろうと俺は思っている。


「どうぞ」

 と運ばれてきたモーニングセットのホットサンドを、俺はゆっくりと噛みしめながら食べ、


「旨いですね。本当に」

 と、まるで生きている事に感謝するかの様な気持ちでそう言った。


 そんな俺に、店主は笑顔で軽く会釈をし、

「ありがとうございます」

 と言いながら、調理器具を洗っていたのだった。


 △△△△△△△△△△△△


 喫茶店を出てからも神田駅前の商店街をブラブラとして時間をつぶした俺は、15時丁度にビジネスホテルに赴き、チェックインを済ませた。


 客室にはシングルベッドと細長いデスクがあり、デスクの端には液晶テレビが置かれていた。


 液晶テレビはインターネットにも接続されている様で、備え付けらえれたリモコンで、動作サイトなども見れる様になっていた。


 シャワーを浴びて、浴室に備え付けられていたバスローブに着替えた俺は、ベッドに寝ころびながらテレビを点けてみた。


 民放のチャンネルはこの時間もワイイドショーを放映している様で、どこかの公園で大勢の人が集まっている風景が映っていた。


「政府はこの件について説明しろー!!」


 どうやら、昼頃から街のあちこちでこうしたシュプレヒコールが上がっていたらしく、自然発生的に人が集まった事で行列ができ、いつしかその行列は数キロにも及ぶデモ行進となった様だった。


 計画されたデモ行進ではなかった為に、警察がそのデモ行進を阻止しようと動いた様だ。


 しかし、警察官の中にはデモ行進を取り締まるどころか、交通整理を始めてデモ隊を国会議事堂の方へと誘導している者が居る様で、警察の不祥事として報じられていた。


 なるほど。今回の大量自殺の遺族が、デモ隊を取り締まる筈の警察官の中に居るのかも知れないな。


 デモ隊を鎮圧しなければならない筈の警察官が、このような行動に及ぶというのは嬉しい誤算だ。


 しかし、テレビの論調は「警視庁の警察官が命令無視!」といった見出しで、その警察官を非難する様な内容になっていた。


 確かにそうだ。


 命令に背いてデモ行進を支援するなど、治安を守るべき警察官にはあってはならない事だ。


 しかし、SNSでは「何が職務妨害だ!正義を行っただけだろ!」「むしろ庶民の味方である警察官の正しい姿だ!」などという書き込みで溢れているらしく、賛成派と反対派でワイドショーの出演者の主張は大きく二分されている様だった。


 この動きに政府も対応を迫られ、世論はこの出来事を無視できない状況になっているのを感じていた。


 24日からずっと眠っていなかった俺は、テレビを点けっぱなしにして、そのまま眠りにつく事になったのだった。


 △△△△△△△△△△△△


 翌26日の水曜日、政権与党は野党からの強い糾弾を受けて、臨時国会を召集する事になった。


 28日までの2日間だけだったが、国会では国民の中で高まる政府への不満が爆発したかの様な質疑が野党から繰り出されていた。


 しかし答弁に立つ閣僚は、

「ただいま調査中であり、現在お答えできる事は何もありません」

 と言うばかりで、到底国民が納得できる訳がない答弁に国民の怒りは沸点に達した様に思えた。


 12月29日の午後3時過ぎ、都内の国会議事堂にほど近い日比谷公園で、大規模な集会が行われていた。


 寒空の中、日比谷公園には4万人近い人間が集まり、


「国家に殺された、私たち家族の仇を打とう!」

「大切な人を死に追いやった、人殺し政府を許すなー!」


 といったシュプレヒコールを上げていた。


 俺は動画サイトのライブ映像でその様子を見ていた。


 大規模な集会が開かれた事には期待感があったが、ライブ配信されている動画を見ている俺には、集会に集った人々の行動が、鬼気迫るものには見えなかった。


 もう一押し、人々の心を怒りに染める何かが欲しい。


 俺がそんな事を思いながら映像を見ていると、画面の中では一人の制服を着た少女が壇上に立ってマイクを握り、じっと人々の姿を見ている様だった。


 やがて少女はマイクを口元に運び、

「私は、13歳の中学1年生です」

 と言って、緊張をほぐす為か、大きく深呼吸をした。


「私のお父さんとお母さんが、10月28日に死にました」


 それまで騒がしかった公園に集まった人々が、しんと静まり返って少女の話に聞き入っていた。


「私が風邪をひいて、お母さんが私の面倒を見る為に、会社を休んでくれました。おかゆを作ってくれて、私が薬を飲んで寝るまで部屋で本を読んでいました」

 少女はそこまで言って、少し鼻を啜ると、その後の声は少し震えていた。


「私が目を覚ますと、お母さんがベランダで誰かとスマホで話をしていて、よく見ると、お母さんの頭の周りに、黒い煙みたいなのがまとわりついていて・・・」

 震える声でそう語る少女は、泣き出したいのを我慢する様に、声を詰まらせながら、何度も深呼吸をして、それでも語り続けた。


「私が、何だろうと思って見ていると、いきなりお母さんがベランダの手すりによじ登って、ベランダから飛び降りてしまいました!」

 集まった観衆から、ため息の様な音と「あー・・・」という悲痛な声が漏れていた。


「私はびっくりして、ベランダの手すりの隙間から下を見たら、お母さんが地面に倒れているのが見えました」

 黙り込む観衆の前で、少女の嗚咽がマイクごしに聞こえてくる。


「すぐにお父さんに電話したら、電話には、警察の人が出て来て、お父さんが電車に飛び込んで死んだと聞かされました」

 少女の声は震えている。


 俺には、それは悲しみというより、怒りによって震えている様に見えた。


「お父さんは、『らー、らー』って歌いながら電車に飛び込んだと聞かされました」


 俺は画面の前で身を震わせた。


 この娘の両親が、あの「黒いモヤ」の犠牲者なのは間違い無い。


「私は、今は独りです。児童養護施設に入る様に勧められましたが、私はまだ施設に入っていません」

 心なしか、少女の声に力が籠もっていた。


「その理由は、どうして私の両親が死んでしまったのか、私が知りたいからです!」


 最後は叫ぶ様な声でそう言った少女の声に、観衆から大きな歓声が上がった。


 年末の仕事納めを終えて帰宅途中の公務員や通りがかりのサラリーマンなども、足を止めて少女の話を聞き、公園の外から拍手を送っていた。


 その歓声は、画面越しには伝わり切らないが、現場の熱気は湯気が出る程だろう。


 画面の中の日比谷公園は、徐々に日が暮れて薄暗くなっているが、群衆の熱気は夜空をつんざく程に違いない。


 俺は画面の中の人々の熱気を感じ取り、ひとり胸を熱くしていた。


 佐智子、菊子・・・、見ているか?


 必ず、お前達の仇を取ってみせるからな!


 この映像は俺だけでなく、佐々木や柴田、ナチョスも見ている筈だ。


 佐々木は妻を失った悲しみを抱え、この映像をどんな気持ちで見ているだろうか。


 ナチョスは恋人を失い、その後の人生をかけて積み上げた情報を公開した事でこのムーブメントを作った。


 俺はほんの数か月だが、ナチョスと同じ気持ちを共有できている筈だ。


 俺がそんな事を考えてながら画面を見ていた時、不意に寒気が走った。


 ・・・何だ?


 俺はホテルの室内を見回したが、隙間風が入る様なところは無い。


 いや、実際に冷たい風が吹いてきた訳では無く、これは・・・違和感だ。


 ホテルの窓はカーテンを閉めていて外は見えない。


 テレビ画面はインターネット動画を流しており、今も日が沈みだして薄暗くなってきた代々木公園での集会を映し出している。


 画面の中の人々は熱気に溢れ、希望を感じる事はあっても寒気を感じさせる様な事は無い筈だ。


 ・・・いや、やはり何か嫌な感じがする。


 一体、何だ?


 俺は突然襲ってきた不安にも似たその感覚に覚えがあった。


 ・・・そうだ、あの違和感だ。


 初めてあの「黒い球」を見つけた時の様な・・・


 俺はテレビ画面の映像に隈なく視線を走らせた。


 ・・・日が暮れて暗くなりつつある日比谷公園・・・、いや、日が暮れるのが早すぎるんじゃないか?


 部屋の時計は16時半を指していた。


 俺は咄嗟に立ち上がり、ホテルの部屋のカーテンを開けてみた。


 窓からは夕焼けに照らされたビルが見え、見上げれば空はまだ明るかった。


 ・・・おかしい!


 日比谷公園まで、ここから数キロしか離れていない!


 なのにどうして日比谷公園の空はあんなに暗いんだ?


 俺の心臓の鼓動が早まるのが分かった。


 俺はもう一度テレビ画面に映る日比谷公園の景色に視線を走らせ、あの「黒い球」が浮いていないかを確かめようとした。


 そんな俺の耳に、「やー・・・、やー・・・」という男の声が聞こえた。


 誰の声かは分からない。


 おそらく、画面には映っていないがカメラの近くにいる者の声だろう。


 そして画面を更に見ていると、集まった大勢の中で、どこからともなく


「うー・・・」「あー・・・」

 といった声が聞こえてくるのが分かった。


 ・・・これは!


 画面の中の日比谷公園の空はどんどんと暗くなってゆき、それと連動する様に、集まった人々の中から「らー・・・」「さー・・・」と色々な声が混ざり合って聞こえてくる。


 ・・・まだ続くのか!?

 敵は、まだ諦めていないってのか!?


 いつの間にか俺の両腕には鳥肌が立っており、暖房が効いた室内にも関わらず、背筋にゾクリと寒気が走るのを感じていた。


 日比谷公園は徐々に暗闇に包まれてゆき、そして集まった人々の「うー・・・」「らー・・・」という声が幾重にも重なって、それは地の底から湧き上がる様な厚みを感じさせた。


「おい、あんた! 一体どしたんだ?」

「おい! しっかりしろ!」


 画面のどこかでそうした声も聞こえていたが、どんどん大きくなる人々の「死の唄」に飲み込まれていき、やがて聞こえなくなっていった。


 画面はどんどん暗闇に飲まれてゆき、分厚く重い人々の唄だけが耳に響く。

 例えるならそれは「暗闇の唄」であり、その重厚な音だけが俺の五感を逆撫でする様に響いていた。


俺は画面を見ながら自分の身体を抱く様に腕を組むと、俺の身体がガクガクと震えていた事に今更気付いた。


 それが怒りから来るものなのか、恐怖から来るものなのか、自分でも分からないまま、ただ黒く塗り潰されてゆく画面から目が離せないのだった・・・

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