第26話 戦場のTV局
山手線内側にある局ビルへ近づくと、空の不穏さが増していった。
霊というほど定まった力や形は無いものの、霊能者であればそれと気づく、薄暗い瘴気が宙に漂っている。
バックミラーで彼女を見ると、不安そうな顔で身を縮めていた。その様子が、胸をチクリと刺してくる。
「平坂さん」と声をかけると、彼女はビクンと体を震わせた。
「どうしました?」
「いや……気分が悪くなったり、そういうのはないかと思って」
「それは、大丈夫です」
見た感じでも、確かに問題なさそうではあった。
ただ、現地についてからどうすべきか。
課長は、現地で陣頭指揮しているとのことだ。所轄署や応援の霊能係ばかりでなく、民間同業者まで含めての大勢を。
その一員に、平坂さんも加わることになるんだろうか?
課長は、平坂さんの扱いについて、特には言及しなかった。
仮にそういった指示を出されれば、部下としては応じない訳にはいかない。民間人に無理させるような方じゃないとはわかっているけど……
何分、これだけの騒ぎだ。現地に着く前から、心配が止まらない。
非常線の検問で素早く身分紹介を済ませ、関係者以外立入禁止区域へ車が入っていく。
ここまで来ると、宙に漂う悪しき空気がより一層はっきりしてくる。
そういった空気を浄化するため、護符を操って
そして、彼ら霊能者の手を逃れた瘴気が向かう先に、この騒動の中心地がある。
局ビル前に車が停まると、事態の進行は明らかだった。雲や煙とはまた違う、半透明の黒いモノがビル周辺を取り巻いている。
これだけの濃度なら、一般人でも気づくだろう。
こうした瘴気がビル内に取り込まれ、事の発信源に吸収されれば、手がつけられなくなるかもしれない。
それを防ぐため、ビル周辺には結界が張られているのが見えるけど……
何しろ、これだけの巨大建造物だ。ビル全体を囲うには程遠く、どうにか低層階での瘴気流入を防ぐので手一杯というところ。
事が起きているのはスタジオだけど、そこに留まる事態ではない。ビル全体が一つの現場だ。
そんな戦場を前に、僕は覚悟を決め、ドアを開けようと手を伸ばし――
「あっ!」
と、後部座席から声が。
何かと思って顔を向けると、平坂さんがいそいそと何か小物を取り出し、僕に手渡してきた。
お守りだ。学業御守という刺繍がある。
「これ……京都の北野天満宮?」
問いかけると、彼女は目をパッチリさせて驚いた。
「よくわかりましたね……高校の修学旅行で買って、今の大学に受かったんです。ご利益ありますよ!」
と、朗らかに言った彼女だけど、続く言葉はあまり元気がない。
「こういうお仕事だと、ご加護がないかもですけど……」
そんな彼女に、僕は手を差し出し、お守りを受け取った。
「ありがとう」
礼を言って、胸の内ポケットにしまい込む。
少し気が晴れたのか、表情を明るくする平坂さん。
改めて、僕はドアに手をかけ、二人に声をかけた。
「行ってきます」
「頑張ってください!」
「有休もらいましょうね」
この状況でも相変わらずな相方に含み笑いで答え、僕は車を出た。
車外に出ると、やはり空気が違う。
事が起きて1時間だというのに、これだけ世間に恐怖を振りまけたとなると、かなりの組織力と思われる。
それでいて、実行犯は一人。よほどの実力者か、それとも何か考えがあるのか――
すると、僕のそばに課長が走ってきた。息は少し荒い。
「待ってたわ」
「現場に大きな動きはないようですが」
「ええ。政府の方もね。牛歩してるところよ」
もっとも、ここからの働き次第で、互いに交渉の余地が出てしまいかねないところだ。
軽く息を吐いた僕は……ふと、公用車に振り向いた。
「平坂さんは?」
「彼女の意向次第だけど、外の掃除を手伝ってもらおうかとは思うわ」
ここまでの訓練状況から、そういった仕事を任せられる程度の実力はすでにある。
問題は、状況がさらに悪化しないかということだけど……
「一つお願いが」
「何かしら?」
「彼女を戦力として用いるのなら、常に葬祭課から誰か一人、彼女に付けてもらえませんか?」
問いかけに、課長はビルを一度見上げた。黒い瘴気が群がるビルを。
「実質的に、私について動く形になりそうね」
「そうなると思いますが」
葬祭課の誰かとは言ったけど、相賀さんは別に仕事があるのがわかりきっている。
となると、他の応援要員か、あるいは課長が御自らということになるだろうけど……
たぶん、自分の下につけて動くのではないかという直感があった。
すると、課長が「ごめんなさいね」と声をかけてきた。
その意味するところは、なんとなく、察しがつく。
「彼女のことですか?」
「天野くんが、友恵さんのことを気遣っているのはわかっているけど……ここまで連れてきてもらいたかったのよ。少しでも人手がほしいところだったものだから」
「ご自分の下につけてみて、仕事ぶりを見てみたかったというのもあるんじゃないですか?」
「こんな大仕事でなければ、あるいはね」
とは言うものの、そういう気持ちがないわけでもないのだろう。
こんな状況に巻き込まれ、自身の意向次第とはいえ――まず間違いなく
――協力を了承するであろう平坂さんに、やはり罪悪感はある。
それでも僕は、彼女を課長に託す意を固め、ビル入り口に向き直った。
「天野くん、しっかりね」
「なんか手当出ます?」
「寿司でも食べながら相談しましょうか」
つまり、個人的に
「夕食前で良かったですよ」
それだけ言い残して、僕はビルに向かって駆け出した。
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