第31話 新手
倒れたヤツに護符が五枚ほど貼り付き、その動きが完全に沈黙した。携行が許される中で最強の護符を五枚用いて、やっとのことだ。
ヤツ自身が相当な力を持つ悪霊で――おそらく、何か強力な指導者や狂信者をベースに、
志同じくする閉じたコミュニティーでは、ままあることだ。
加えて、世間を煽動して振りまいた恐怖が、このビルにまとわりついている。良い養分になったことだろう。
ひとまず事を終えた僕は、若干の安堵を見せる番組参加者たちに、今しばらくの待機を願い出た。
ヤツ自身が動くとは考えにくいけど、組織的犯行であれば、別の動きがあるかもしれないからだ。
そこで、僕は課長に連絡を取った。
「課長」
『お疲れさま。絶好調だったわね?』
「……聞いてました?」
『現場の集音は生きてるし、考課に関わることだから、ね?』
ああいう手合が相手の戦闘になると、つい……言い過ぎるきらいがあった。それを自覚してもいる。
妄執が具現化したとも言える悪霊相手に、意義ある攻撃ではあるのだけど、聞かれていたと知って恥ずかしく思う部分はあった。
とはいえ、今更か。僕の後ろにはギャラリーが大勢いらっしゃったんだから。
『ま、誰も公言しないから。安心しなさいな』
「放送禁止級ですよ」
『フフ』
と、軽い感じで言葉を交わし合う。課長の様子から、外はそこまでの状況ではないらしい。
それに、現場のカメラが生きているおかげで、状況把握もスムーズだった。
『応援の第一陣がそちらに向かいます。そのまま待機を』
「了解」
ひとまずの連絡を終え、僕は参加者の皆さんに救援が来る旨を告げた。
この段になってようやく、場に確かな安心の空気が広がっていく。
それから程なくして、スタジオに増援がやってきた。
何分、瘴気に包まれたビル内での事件だ。まずは同業者が入り込み、同フロアの空気を
そうした下準備を終え、ようやく民間人の脱出だ。念のため、かなり小分けの小集団にして、数人ずつをビル外へと護送していく。
この間も、何らかの攻撃があるのではと、気が休まらない思いの僕だったけど……特に何もなかった。
護符が張り付いた実行犯も、結界に閉じ込められて静かなものだ。これでは遠隔で何も起爆できはしない。
それでも、妙な胸騒ぎがある。
「課長」
『何?』
「瘴気の動きは?」
尋ねると、答えよりも先にため息が聞こえた。
ああ……外では何か、もっとはっきりした予兆があるのか。
『今でも、ビルに寄せられる感じはあるわ。単なる慣性のようなものと、考えられなくもないけど』
「下手人以外に、黒幕がいるのでは?」
『まぁ、そう思うでしょうね。私もそう思うもの』
とりあえず、爆弾魔を確保したという噂は、SNS上に流れている。
こういう動きは、さすがにメディア系大企業だと迅速で、ネットの海も落ち着いたのではないかと思うけど……
それでもなお、このビルに瘴気を引き付ける何かが、まだ残っているんじゃないか。
人質の解放は、どうにか無事に完了した。ビルを脱したと聞いて、とりあえずは一安心だ。
同フロアの瘴気も祓い終わったということで、今度は現場保全のために所轄の警官や、念のための爆発物処理班が入り込んできた。
そして、局の重役の方々も。逃げて警察に任せっぱなしというわけにもいかないのだろう。
こういう事態になって肝を冷やしたことだろうけど、それでも堂々として毅然としたご一行の様子は、なるほどとうなずけるものだ。
そんなお歴々が僕に深々と頭を下げてきた。
「おかげさまで、事態が深刻化することなく収まり、感謝の言葉もごさいません」
「いえ……そのことですが」
やや申し訳ないと思いつつ、僕は所見を口にした。まだ終わった気がしない、と。
特にこれといった、確かな根拠があるわけではないのだけど……立場ある方々は、つい先程戦いを目の当たりにしたこともあってか、僕の言葉を信用して下さった。
「我々のような民間人は、立ち入らない方が良いと」
「はい。とはいえ、機密の関係上、我々警察に任せるだけというのも難しいでしょうが……」
上での調整は必要だろうけど、とりあえずビル周辺の瘴気を祓うまで、現場から民間人を遠ざけるというのが、落とし所かなと思う。
そこで、今後の対応を詰めるため、重役の方々は現場を去ることになった。僕ら警官に改めて謝意を示し、スタジオの外へ。
すると、そこで一人、荒れ果てたスタジオへと足を踏み入れてきた。
長身の女性だ。目を惹くような美貌の持ち主だけど――同時に、どこか冷たさと、底知れぬ気配も。
少なくとも、招かれざる客のようではあった。今から立ち去ろうという会社役員の一人が彼女に声をかける。
「君、下がりなさい! ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
有無を言わせない業務命令に、女性はニヤリと笑いながら、気に留める様子もなく歩を進めてくる。
「関係でしたら、ありますとも」
場に不釣り合いな余裕、一般人らしかぬ悠然とした態度。首からかけていIDDパスを見るに、そういう意味での関係者ではあるのだろうけど……
「自局内の事件も報道しないで、何がジャーナリズムですか」
口にした言葉の限りでは、報道側のスタッフなのだろうけど……
直感に従い、僕は彼女に対して身構えた。彼女は精子の声と手を振り切って、スタジオ内に足を踏み入れていく。
そして、彼女は言った。
「実は、彼の関係者です」
と、爆弾魔を指さして言い放つ彼女に、役員の皆さんは明らかな
そればかりか、増援の警官まで。不審な乱入者を前に、いずれもが腰が引けている。
言い知れないプレッシャーに、気圧されているのがわかる。
彼女は、「彼の関係者」と口にした。
彼と言っても、意味するところには二通りの可能性がある。
僕は、体の方ではなく、中身の関係者ではないかと悟った。
「全員、ここから退出を」
静かに、抑えた声で促すと、役員の方と警官が早足になって立ち去っていく。
それを彼女は何するでもなく見守り、退出を容認した。
どういうつもりなのだろう? 意図の読めない新手を前に――
僕は銃を構えた。
「あら、恐ろしい」
「そいつとの関係は?」
「同じ人間でしょう?」
「で、目的は?」
すると、女は鼻で笑い、ゆったりした動きで腰に手を当てた。
「動くと撃つぞ」
「口だけでしょ?」
ただならぬ雰囲気を醸し出すこの女に、僕は――
動かれる前に引き金を引いた。弾が切れるまで、全弾を額に。
しかし、女は立っている。
「フフフ……なるほど。そうでなくては」
撃ち込んだはずの銃弾は効いていない。額に空いた穴が、見る見るうちにふさがっていく。
稀にみる
この様子では首を切っても再生するだろう。人という容れ物を超えた怪物がそこにいる。
そして女は、腰のベルトを抜き放った。宙で一振りすると、それが瘴気をまとって伸長し、生き物のように踊り狂う。
ベルトだったモノは、今やしなやかな鞭へと姿を変えた。表面は金色で、蛇や龍の鱗を思わせる意匠となっている。鱗の間ははっきりとした陰影が刻まれていて、寒気のするような瘴気が
そんな鞭を振り上げ、女は爆弾魔に振り下ろそうとした。
爆弾魔は護符の結界で囲ってある。それでも僕は、追加の護符を向かわせた。
しかし、金色の鞭は二重の結界をたやすく破り、男を打ち据えた。
何も、この男を助けたかったわけじゃない。
それでも鞭打ちを邪魔しようとしたのは、僕という明白な敵を前にしてなお、あの男への懲罰らしき行為を優先することに、少なからず不穏さと脅威を覚えたからだ。
女が操る鞭は、次に男の四肢を打ち据えた。撃たれた箇所に黒い輪が浮き上がり、徐々に絞られ……声にならない悲鳴を上げる男の喉を、鞭がさらに襲う。
撃たれた喉にも同様の黒い輪が現れ、男は声も発せなくなった。
こうなれば、観察に徹しよう。割り切った僕の前で、女は「気が合いそうだな」と冷たい笑みを浮かべ、身動き取れない男へ更なる攻撃を加えていく。
喉の次は目、鼻、耳。精密玄妙なコントロールで、男の四肢と五感を鞭が襲い、黒い瘴気が封じ込め――
「役立たずの豚が」と、女は冷たく吐き捨て、爆弾魔の尻を思いっきり蹴飛ばした。
地面を勢いよく転がり、壁に激突する男は、もはや微動だにすることができずにいる。
僕が仕掛けた護符の力とは無関係に、鞭の力で全ての自由を奪われているようだ。
そして、ヤツの口から黒い悪霊が現れた。
悪霊や怨霊というのは、大体が低きに流れるものだ。
そして、流れていくべきその低きが、悪霊のすぐそばにあった。美女の形をしている禍々しい深淵に、悪霊は抵抗もできず吸い寄せられ……
自我を留めることも
ヤツは死してなお強い自我を持ち、憑依先の体で異能を操って見せた。そんな悪霊でも無抵抗に吸収され……
吸い込んだ女は、取り込んだ悪霊で精神の変調をきたすこともなく、ただ平然と薄ら笑いを浮かべている。
これだけの力を持つ、さらなる悪霊。
あの男に加えた懲罰。
ヒトを豚呼ばわりした事実。
諸々考えると、一人の人物の名が浮かんだ。
「アンタ、もしかして」
「ほう?」
さっきまでの、現代の日本人女性らしい口調はどこへやら。
取り繕うのをやめ、明らかに口調の違う女は、僕に興味ありげな目を向けてきた。
僕の推測があっていれば、コイツは……
☆
ビル外で対応に当たる葬祭課課長の下に、状況を知らせる情報はひっきりなしに届いていた。
ひとまずは制圧に成功したとの報を受け、弛緩した空気が広がっていたのだが……彼女がうっすらと
普段は余裕ある大人物の課長も、現場に現れた奇妙な女性の報を耳に、顔が渋くなる。
そして、現場からの声。
『課長、新手です』
「相手は?」
『呂雉です』
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